第18話.3-4

 鹿島スズが学校を休んでいた。

 放課後、ケイが彼女のクラスメイトに休みの理由を尋ねても、具体的な返答はなし。一応に彼女の携帯電話に掛けてみる。着信音が鳴る。心がざわつく。何故、学校を休んだのか。その理由をなんとなく察してしまっていたからだろう。しばらくして電話口から声が流れた。留守番機能の声。予想どおり繋がらなかった。ならばと家の方に掛けてみる。通話に出たのは、彼女の母親らしき女性。ケイはなるたけ好青年を装って声を作り、スズさんはご在宅でしょうか、と丁寧に尋ねた。返答は「まだ学校から帰ってません」と言うものだった。ここから読み取れるのは、スズが学校に行くと言って家を出たということ。ケイは丁寧に謝辞を述べて通話を切り、しばし沈思。側を生徒達が通り過ぎていく。どうやら学園祭の準備で奔走しているようだ。それらの表情は千差万別。友人と笑い合う者、憂鬱とする者、なにを考えているかわからない無表情な者。おそらくそれぞれが胸中に感情を秘めているのだろう。その中、ケイは表情を固くしていた。胸中には、名状しがたい不安が満ちていたのだ。

 鹿島スズは、もしかしたら杉島アヤを殺した犯人を探し、今も何処かを徘徊しているのかもしれない。そして見つけ次第、その報いを与える気なのかもしれない。

 犯人の殺害。

 すなわち、鹿島スズは殺人犯になろうとしている。

 それを許容することは、どうやら藤崎ケイには出来ないようだった。

 しかしそれは、同時に彼女の殺人を許さないことを意味している。

 つまり復讐を誓った者が、他人の復讐を認めないとしている。

 矛盾だ。

 こんなことで、たとえ鹿島スズと対面したとしても説得は叶わないだろう。

 ならばどうする。

 方法はひとつだけ。

 鹿島スズの説得など初めから度外視にし、彼女よりも先に犯人を殺してしまうこと。

 目標とする相手が本当に共通の相手ならば、これで鹿島スズの殺人は不可能となった上、自分自身の復讐も遂げられる。まさに一石二鳥。これ以上の結末はないだろう。

 と、つい先日までならば考えただろう。

 しかしケイは迷い始めていた。

 ヒロを殺した犯人を本当に殺すべきなのか、と。

 鹿島スズのあの姿を見て、まだ殺してやろうと言えるのか。彼女の姿は、崖を飛び降りんとする自殺志願者に似ている。その先が地獄だと理解していても、飛び降りずにはいられない。実行すれば人生が終わると理解していても、実行せずにはいられない。所謂、破綻者。彼女の柱は、アヤの死を以て歪んでしまったのだ。

 ケイは額を押さえる。

「なんで今更に迷ってんだよ……。くそっ」

 頼むから迷わないでくれよ、と自身に言い聞かせることで、どうにか迷いを断ち切ろうとした。しかし、心の靄は晴れてくれない。

 平和な光景の裏側では、非情な現実がくすぶっている。

 平穏な日常の陰で一人の友人が殺され、そして一人の友人が復讐の情念に駆られている。そんな黒々とした現実を知っておきながら、普段どおりに生活する自分が、キイチやスミレなどの友人に大切なことを隠している自分が、ケイは堪らなく嫌だった。

 落ち込みたいわけではない。また笑いたいわけでもない。

 ただ、今の自分で本当にいいのだろうかと。

 ただ、今の選択に誤りはないのだろうかと。

 それが心配で仕方なかった。

 なのに、このまま立ち止まってもいられない。このまま迷って足踏みしていても、事態は決して好転しない。時間は止まってくれないのだ。

 一も二も無い。

 行動するしかない。

 そう結論を出すと、ケイは踵を返し、下駄箱を目指した。

 三階にある進学科。そこから階段を駆け下りていく。そして一階の床を踏もうかというとき、唐突に角からひとりの女子生徒が姿を現した。あまりにも突然だったため、ケイは駆け下りる勢いそのままに、その女子生徒と衝突。互いに尻餅をついた。

「いたた……あ、悪い」

 ケイは慌てて謝罪し、そこで相手がスミレだということに気付いた。

「あたた……って、ああ!」

 スミレは尻を摩りながら、周囲に教科書やプリント類が散乱しているのに気付いた。それも、自分の鞄から溢れ出た物。どうやらファスナーを閉め忘れていたようで、それが転げた拍子に飛び出してしまったらしい。

「わ、悪い、スミレ。すぐに拾うから」

「ほんと、気をつけてよね」

 慌てて拾い始めるケイと、ゆったりと拾い始めるスミレ。

 そうして拾っていたとき、ケイは丁寧に三つ折りにされた用紙を見つけた。他のプリントは折られていないのに、それだけが折られている。

「……なんだ?」

 拾い上げ、広げてみる。それにはパソコンで打ち込んだ明朝文字が綴られていた。一見だが、どうやら手紙らしい。そのまま読んでみる。

 ――あなたが好きです――

 固い語り出しだが、これはまさか……。

 ケイはごくりと固唾を飲んだ。

「……まさか、ラブレター?」

 いや、きっとそうだよな。にしても今時ラブレターかよ。

 ケイは気恥ずかしさに苦笑を零した。

 そして魔が差したのだろう。少しだけ他人の恥部を覗き見たい衝動に駆られ、文頭から先を読みたくなり、三つに折られたそれを開こうとして――。

「なにサボってんのよ、ケイ」

 突然に背後から声を掛けられ、驚きにぐしゃっと手紙を握り潰してしまった。

「え、なにが?」

 ケイは咄嗟にズボンのポケットへと手紙を滑り込ませた。

 勝手に読もうとした後ろ暗さと、握り潰してしまった申し訳なさ、そしてそんな状態の用紙をそのまま返して良いのか、という戸惑いから思わず隠してしまったのだ。

「だから、サボるなって言ってるの。さっさと拾ってよね」

「お、おう。悪い」

「どうかした? なんだか挙動不審に見えるんだけど」

「え、なにがですか?」

「なんで敬語?」

「いえ、なにも問題ないですよ。えっと、これ、プリント」

 怪訝にするスミレに、ケイは拾ったプリントを返す。彼女はまだすこし訝しげにしていたが、問い詰める必要も無いと思ったのか、プリントを受け取った。

「ありがと、ケイ」

「いえいえ、俺の方からぶつかったから当然ですよ」

「ま、そうなんだけどね」

 スミレは拾ったすべてを鞄に収めると、じゃあ行くから、と背中を向けた。それをケイが呼び止める。聞いておきたいことがあったのだ。

「なに?」

「あのさ、情報収集のことなんだけど……」

 瞬間、スミレは言い難そうに表情を引き攣らせた。答えはそれで充分だった。上手く行ってないんだなと察するケイに、それでもスミレは言った。

「とりあえず今からキイチと行ってくるから、待ってて」

 これにケイは首肯で応じた。脳裏にスズのことを相談しようかという考えがちらついたが、やめておいた。余計な負担はこれ以上掛けたくなかったのだ。

「じゃあね」

 そう言ってスミレは去っていった。


 そんな二人の様子を撮り続けるハンディカムがあった。

 撮影者は、にやりと口の端を釣り上げると、踵を返してその場を去った。

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