第13話.幕間-4

 昼休みの教室。

 ミカは窓際の席で昼食を終えると、普段どおりに読書を始めた。当初は誰とも話さない言い訳に活用していた読書だが、今となってはそれが日常となりつつあった。しかし最近は読書の気分になれない日が多い気がする。何故かはわからない。さすがに読書に飽きてきたのかもしれない。なので、最近は窓の外を眺める時間が増えた。

 気になる噂話を耳にしたのは、そんな時だった。

 その噂話をしていたのは、クラスメイトの女子達。何気ない仕草でそちらを見やる。二席ほど開けたところで、三人組の女子がたわいない様相で話をしていた。

 内容は、何かおかしなことをしているグループがいる、というものだった。それだけならば気に留めないのだが、話の途中に藤崎ケイの名前が挙がったのだ。やはり知り合いの名前があると、無意識にも反応してしまうものである。

 ミカは視線を文庫本に落としつつ、耳に神経を集中させた。

 おかしなことをしているメンバーの名前が次々と挙げられていた。そのすべてを聞き取ることは出来なかったが、それでも藤崎ケイ、三木スミレ、浅見キイチの名前はしっかりと耳に留めた。そして同時に、藤崎ケイの名前を初めて聞いたときのことを思い出した。

 芳野ヒロ――彼女が教えてくれたのだ。

 中学生の頃から仲の良い友達がいるのだと。その仲の良い友達というのが、三木スミレ、浅見キイチ、そして藤崎ケイの三人なのだと。

 初めて彼の名前を耳にしたのは、そのときだ。

「そうだった。なんで忘れてたんだろ……」

 ぽつりと呟き、とある空席を見た。芳野ヒロの席だ。

 彼女は藤崎ケイの話をするとき、楽しそうに話していた。それはもう楽しい思い出から彼の恥ずかしい過去に至るまで、笑いながら話していた。その話しぶりからして、きっと藤崎ケイという人は、ずいぶんと芳野ヒロに振り回されているんだろうな、と出会う前から想像したものだった。

 もしかしたら噂話にもなっている“おかしなこと”というのも、また芳野ヒロを原因としたことで振り回されてのことなのかもしれない。

「いろいろと大変そうだなあ……」

 そんなところで、唐突に女子達の声に嘲笑が含まれ始めた。気付けば、会話の内容が芳野ヒロのプライベートのことへと移行していたのだ。

「あたしさ、芳野と同じ小中学校に通ってたから、あいつが何か変なことしでかすと思ってたんだよね。ここだけの話、芳野ってじつは……」

 その女子は声を潜めて二人に何かを言った。聞こえない。いったい何と言ったのだろうか。そう疑問に思ったミカだが、すぐにその内容を知る。せっかく声を潜ませたというのに、聞かされた二人は驚きに声を上げたのだ。

「マジで! 芳野って人殺しの娘なの?」

「声でかいって。ま、べつに誰かに聞かれてもあたしはいいんだけどさ」

「それで、どっちが人を殺したの? 父親、それとも母親? それに誰を殺したの?」

「あいつが小六のときに母親が夫――芳野の父親を殺したんだって」

「マジで! え、でもなんでなんで?」

「虐待。父親の虐待が酷かったらしくてさ、母親が芳野を守ろうと殺したんだって」

「へえ、すっごい悲惨じゃん」

「でもあたし、あいつ嫌いなんだよね。ほら、あいつの腕に火傷の跡あんじゃん。小学のときに噂になったんだけど、あれ、父親の虐待の跡なんだって。けど、あいつ隠そうともしないわけ。ぜったい構ってほしくて見せびらかしてんだって。メンヘラってやつ? っで、それにまんまと引っ掛かる三人組みもいるしさ。藤崎って奴ら。あんなのに振り回されてるあの三人も悲惨だよね」

「ボランティアなんじゃない?」

 すると彼女らはどっと沸いた。

 そんな会話をミカは不快そうに聞いていた。

 いったい人の不幸の何が楽しいのだ。どこに笑う要素があったのだ。

 ミカは何気なく窓の外をへと視線を投じた。

 グランドでは学園祭に出す恐竜の展示物に生徒達が沸いていた。みんなで作り上げた傑作なのだろう。どうせならああいうことで笑い合えばいいのに、と思ってしまう。

 そうして視線をさまよわせて校舎の屋上へと至ったとき、ミカは思わず立ち上がる。

 あれは、まさか……。

 愕然と立ち尽くすミカ。周囲は、普段は物静かな彼女が物音を立てたことに驚いていたが、当の本人はまったく意に介していなかった。それどころではなかったのだ。

 視線の先では、一人の女子生徒が屋上の落下防止の欄干を乗り越えようとしていた。

 まさか、自殺?

 ミカは走り出していた。向かうは屋上。理由は単純。止めなければ、と思ったのだ。しかし何故に止めなければならないのだろうか。それはわからない。だけど、止めなくてはならないと思ったのだ。そのために走った。

 気付けば必死になっていた。必死に走っていた。

 最後に必死になって走ったのは、いつだったろうか。

 高校生――違う。

 中学生――たぶん違う。

 小学生――だったかもしれない。

 運動会だったか、体育の授業だったか、休み時間だったか、もしかすると放課後だったかもしれない。どれにせよ、懸命に走ったのはずいぶんと久しぶりだった。

 そうして屋上のドアの前に到着したミカは、そのままノブに手を掛けた。まさにそのとき、話し声を耳にする。なのでドアをすこしだけ開け、隙間から屋上の様子を窺うことに。そこには藤崎ケイと自殺しようとしていた女子生徒の姿があった。何かを言い合っている。それを見てミカは出ていくべきかを思案。そうこうしていると話が終わったらしく、女子生徒が屋内に戻って来ようとしていた。ミカはあたふたと隠れられる場所を探したが、姿を隠せる場所がない。しかし時間がないと悟り、隅の方に体を寄せた。体は隠れていないが、せめてもの努力を試みたのだ。ドアが全開する。女子生徒が開けたのだ。ミカは息を呑む。緊張で冷や汗に滲む。しかしその女子生徒はミカに気付いた様子もなく、そのまま階段を下りていった。ミカは深い吐息をつく。見つからなくて良かった、と。常時ならばいざ知らず、今は見つかるわけにはいかなかった。彼女とケイとの会話を聞いてしまって今では。ミカは聞いてしまった会話の内容を脳内で整理する。聞き間違いの可能性はない。たしかに二人は話していたのだ、誰かを殺すと。

「いや、それだと語弊があるよね」

 殺すと言っていたのは、女子生徒の方だ。聞こえた会話が確かならば、鹿島さんと呼ばれていた彼女をケイは説得していたようだった。

「どうしよう。とんでもないことを聞いちゃったかも……」

 まさか自殺を止めようと思って来てみたら、殺人計画を聞いてしまうとは。

 そのとき、ミカは床に落ちている写真に気付いた。先まではなかったはずだ。となると、あの鹿島という子が落としたのだろう。何気なく拾い、むっと顔を顰めた。

「なにこれ、気持ち悪い……」

 写真の中の光景に、思わず正直な感想が洩れた。

 もしや、これが今の話に関係しているのだろうか。

 それはどうして?

 考えてみたが、まったくわからない。

 どうする。

 このまま見なかったことにするか、それとも。

 ミカはぐっと喉の奥に力を込め、飛び降りるような勢いで階段を駆け下りた。そして目的の人物の背中をすぐに捉えた。先ほどの少女――鹿島スズである。

「あ、あの!」

 ミカが出来うる限りの声を張って呼び止めると、スズは立ち止まって振り返った。階段の中腹のため、自然と相手がミカを見上げる形となる。

「私ですか?」

 スズが感情の薄い声で応じると、ミカは頷いた。

「あ、あの……。その……」

 あなたは人を殺す気なんですか、と直球に問い掛けて良いのか、と迷いを覚えた。なんて行き当たりばったりな行為に出てしまったのか。無意識に体が動いたのは間違いないが、それにしても言葉くらいは事前に想定しておくべきだった。

 スズが小首を傾げる。どうやら不審に思っている様子。

「用がないのなら、もういいですか?」

「あ、ちょっと待って」

 息を飲み、ミカは意を決した。

「さっきの屋上での会話を聞いちゃったんですけど……。本気なんですか?」

 結局、問いは真っ直ぐなものだった。

 仮に否定されるのならば、それでよい。ただ自分が恥を掻くだけだ。しかし肯定されたときは、果たして自分はどうするべきなのだろうか。

 ミカの困惑を余所に、スズはあっさりと答える。

「そのつもりです」

 簡単に、悪びれた様子もなく、彼女は言ってのけた。

「そんなの間違ってる!」

 衝動的にミカは怒鳴った。

 スズは周囲を見回す。どうやら人がいないことを確認しているようだ。

「すみませんが、あまり大声は出さないでもらえますか? 今は誰もいなくて良かったけど、注目を浴びるのは苦手なんです、私」

「どうしても人を殺す気なんですか」

「人の話は無視ですか……。まあ、いいですけど」

 スズは小さな吐息を洩らしてから返答。

「決定されたことを今さらに変更はできません」

「そんな無責任な言い方……。自分で決めたことじゃないですか!」

「いいえ。これは決まっていたことです。言わば運命のようなもの」

「運命の所為にするな! 自分の判断でしょうが!」

 ミカは怒鳴りつけると、スズの側をすり抜け、階段を駆け下りていった。

 無責任が許せなかった。自身の判断でラーメン屋を開業させた父、そしてそんな夫に自分の判断でついていった母。そして苦労を重ねた両親の背中を見て育ったがゆえに、責任というものにはひとかどの想いがあったのだ。

 階段を駆け下りながら、ミカは心を決めようとした。

 彼女がそのつもりならば、私はその蛮行を止めてやろう、と。

 しかし、ふと立ち止まる。

 でも、そうなると店の手伝いが出来なくなるかもしれない。

 それは……。

 いや、いやいやいや。

 ミカはかぶりを振る。

 そんなことで、どうして殺人を見逃せると言うのか。

 手伝いが出来なくなるから仕方なかったなど理由にならない。理由にしたくない。

 それではまるで両親のために殺人を容認したみたいじゃないか。

 そうしてミカはふたたび階段を駆け下り始めた。

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