第12話.2-2

「アヤちゃんが、死んじゃった……」

「……え?」

 それはどういう意味だと困惑するケイは、ふとスズが握り締めている紙に気付き、そしてそれが何かの写真であることを認めた。

 なんの写真だ?

 頭で疑問符を浮かべるも、心では嫌な予感を察していた。それでも、その予感を否定するために確認を試みる。写真を握る手を解かせようとスズの手に触れた。すると彼女の手はあっさりと開かれた。滑るように地面へと落ちた写真。それを拾い上げる。握られていたためにしわくちゃだ。その皺を伸ばし、改めて写っているものを確認。そこには、テーブルの上に添えられた人間の頭部がひとつ。その側には開かれた学生手帳。杉島アヤ。その名前がしっかりと写り込んでいた。

「……うそ、だろ」

 途端、写真を中心に視界がぐにゃりと歪んだ。胃の中に何か異形なモノが蠢いているのではないかと勘繰るほどの吐き気をどうにか飲み込み、深い息を吐いた。そして見間違いであってほしいと願いを込め、ふたたび写真を見る。しかし写ったものが変わることはなく、激しく落胆させられる。

「ぁ、あ……ああ、そんな……」

 あまりにも悪趣味な光景。そこにあるのは、純粋な殺人ではない。残忍な趣向。ある意味で人間味があり、ある意味で人間性を逸した光景。

 昔、ケイは様々な拷問方法を収録した本を読んだことがあった。

 日本古来のものから、中世史、また近代史のものまでを収録した本。それを読んでいて、不快になった。とりわけ、中世ヨーロッパ時代のものに至っては人間性を疑った。拷問とは、対象者を痛めつけるものだ。それだけで気分を害されるが、中世ヨーロッパのものは拷問を執行する者の嗜好が著しく強い。人間を用いて遊戯を嗜んでいるのだ。そこから見えてくるのは、真っ黒な人間味。まず畜生では思いも至らない残虐さ。それこそ、読み終えてからの三日間を鬱々とした気分で過ごすほどだった。それは人間として当然の感情だろう。拷問器具などの解説を読んで、喜悦に表情を歪ませる者がいるとすれば、それは破綻者だ。成長の過程で大切な柱が歪んでしまった者。まず、まともな人間ではない。

 ケイは、いま見ている写真からその当時と同じ嫌悪感を覚えていた。

 怒りか、悲しみか。それは判然としないが、頭がどうにかなりそうだった。

 杉島アヤとは、高校から付き合いだ。

 悪い奴ではなかった。

 決して、こんな死に方をすべき者ではない。

 それがなんで、こんな死に方を……。

 なんで、死ぬ必要が……。

 まだ、未来のある少女なのに……。

 胸中で嘆く。心臓がいやに痛い。鼓動が不安定なリズムを刻む。

 ふとスズがなにかを囁いているのに気付いた。

「アヤちゃん、まだ告白もしてないのに……」

「――ッ」

 その言葉は、ケイの胸をさらに締め付けた。

 杉島アヤは浅見キイチに恋心を寄せていたことは、誰もが知るところだった。しかしその想いを伝える前に、凶人の手によって惨殺されてしまったのだ。

 これでは、あまりにも浮かばれない。

 きっと杉島アヤは悔しかっただろう。悲しかっただろう。

 ケイにはその悔しさがあまりにも鮮明に理解でき、心が張り裂けんばかりであった。

「藤崎くん。だれが、こんなことをしたんだろう……」

 スズの問い。おそらく彼女は明確な答えなど期待してない。ただ、なんでこんな酷いことをする人がいるのかと世界に向けて嘆き、そして自問したに過ぎない。

 ケイは何も言えないと奥歯を噛み締めた。

 まさにとそのとき、写真の裏面に小さな文字が綴られているのに気付く。

『是非ともご堪能ください』

「なっ――」

 ケイは思わず唸った。

 ヒロを殺害した者が送りつけてきた手紙。そこに書かれていた内容とまったく同じ文面が、この写真にもあった。

「なんで……。なんでお前がまた出てくるんだよ……」

 無意識に零れた声。

 スズはその言葉を不審に思い、そしてその言葉を出させたのが写真であることに気付くと、怪訝に思って写真を取り戻す。そこでようやくケイはハッとしたが、後の祭り。すでに彼女はその文面を目にしてしまっていた。

「……藤崎くん、この犯人に心当たりが?」

 スズの問いに、ケイは口をぐっと固く閉ざした。

 何故、もっとしっかりしていなかったのか。今、藤崎ケイは鹿島スズの気持ちが痛いほどわかるはずだ。大切な人を亡くした経験を持つ自分ならば、その気持ちがわかるはずなのだ。そして、もしも大切な人を殺した犯人がわかってしまったら、どのような行動に出てしまうのかも、余すことなく理解できていたはずだ。

 なのに何故、先の言葉を洩らしてしまったのだ。

「藤崎くん、教えてください」

「……」

「どうして教えてくれないんですか? それとも心当たりがあるけど、詳細にはわかっていないとか?」

 そのときのスズは異様な気配を放っていた。すこしの動作からでも相手の胸中を読み取ろうと、ケイの所作に合わせて見開かれた目がぐるんぐるんと動く。指先が動けば指先を見据え、喉を鳴らせば喉を見据えた。またスズが問い掛けてきた。小さく弱々しいのに、異様なまでに相手を圧迫する声。

「……鹿島さん」

 耐えかねて声を出した。しかし犯人の心当たりを言うわけには行かない。

 何故なら。

「もしも犯人がわかったら、どうするつもりなんだ?」

 そう問われると、スズは写真をポケットに差し込み、すっと立ち上がった。

「決まってるじゃないですか」

 そこには、先ほどまで悲しみに打ちひしがれていたか弱い少女はいない。目を涙で充血させながらも、その奥には冷酷に滾る炎を宿していた。

「駄目だ。鹿島さん、それは駄目だ」

 追うようにケイも立ち上がり、スズに制止を呼び掛ける。

「その写真を警察に届けよう。きっと動いてくれる」

「……それで?」

「え?」

「それで、どうなるんですか?」

 ケイを見るスズの目は、もはや自身の目的を邪魔する憎き相手を見る目となっていた。

「それで、いったいどうなるんですか? 仮に警察がすぐに動いてくれて、アヤちゃんを殺した犯人を捕まえたとして、それでその犯人はどうなるんですか? 死刑? 確実に死刑になってくれるんですか? すぐに死んでくれるんですか?」

「それは……」

「藤崎くん。私は、万が一の可能性も残さずに犯人には死んでいただきたいんです。だから、私が殺すしかないんです」

 警察にされる前に、犯人に確実な死を与えなければならないのだと。

「……鹿島さん。それでも、駄目だ」

 言えた義理ではない。今の彼女に、制止を呼び掛ける言葉など、どの口が吐けるのか。この屋上で、つい先日、ヒロを殺した犯人を殺してやると宣言したその口で、いったいどのような言葉を並べて説得できると言うのか。

 それでもケイは言った。

 しかしスズは不快げに眉根を寄せる。

「駄目? いったいなにが駄目なんですか?」

「殺しても、だれも喜ばない。死んだアヤだって――」

「アヤちゃんを出しに使うな!」

 スズはどうにか感情を抑え込むように歯を軋ませる。

「私が犯人を殺してもアヤちゃんは喜ばない。そんなことはわかってるんです。でも、やらないといけない。……これは、私個人のためにやるんです!」

 ケイは口を閉ざす。

 もはや彼女は決めてしまっている。

 ならば今更に藤崎ケイの言葉など届かない。届くはずがない。

「藤崎くん。犯人を教えてくれないのなら、それでもいいです。協力してほしいなんて厚かましいことも言いません。ですが、このことは誰にも言わないでください。せめて私が復讐をやり遂げるその時までは」

「鹿島さん……」

 力のない声で呟いたケイに背を向け、スズは歩き出した。確固たる殺意を胸に。

 それでも。

「待って、鹿島さん!」

 呼び止めると、スズはぴたりと止まった。しかし振り返らない。語る言葉はないと背中が告げている、その小さい背中が。

「なんですか」

 他をはね除ける、スズの固い声。それでもケイは続けて訴える。

「家族はどうすんのさ! 鹿島さんの家族は、絶対に悲しむって! だから――」

「ハンッ、家族が悲しむ?」

 背中越しでもわかった。そのとき、スズは馬鹿馬鹿しいと冷笑したのだ。

「あの人達は私を見ていません。私を通して、自分達を見ているんです。頭の良い娘を育てたという自分を見たいんです。誰も私を見てない。……ううん、アヤちゃんだけが私を見てくれた。だから、アヤちゃんがいなくなったら、私は孤独なんですよ」

「鹿島さん……」

 言葉がない。ここで藤崎ケイがどのような言葉を掛けても、そのいっさいが軽く意味のない言葉として処理されてしまうだろう。

「もういいですか。それでは」

 スズは屋上の扉を開き、そのまま姿を消した。

 ケイは彼女が去っていた扉を見詰めていた。今からでも追い掛けて説得を続けるべきなのではと、まだそんなことを考えていた。

 ふと先ほどまでスズが泣き崩れたいた位置を見やる。そこには涙による染みが出来ていた。

 悪行とは、泣き崩れていた人を、あそこまで憎しみで包み込んでしまうのか。

 今にして思うと、他人の殺意を目の当たりにしたのは初めてだった。きっとキイチやスミレには、藤崎ケイの姿が今の鹿島スズのように見えていたのだろう。

 空を見上げる。

 雲が一片だけ流れている。一定のスピードを保ち、時の流れに身を委ねている。

 そんな光景を見て、ふとスミレが零した言葉を思い出す。

 ――ねえ、ケイ。人は死ぬと何処に行くと思う?――

 ケイがスミレからそんな疑問をぶつけられたのは、今朝の下駄箱だった。おそらくヒロのことを想って口にした言葉だったのだろう。

 死後の世界。天国、地獄。もしくはそんな世界はなくて、ただただ無が続くのか。

 それは死んだ人間にしかわからないことだろう。

 でも仮に死後の世界があったとしたら、どうだろうか。

 芳野ヒロはいったい何処へ行ってしまったのだろうか。

 天国だろうか、地獄だろうか。

 そして杉島アヤは何処へ行けたのだろうか。

 あのような殺され方をした彼女は、ちゃんとした所へと行けたのだろうか。

 ケイの頭の中でスズの泣き声と、憎しみの籠もった声がいつまでも木霊していた。まるでテープレコーダーのように繰り返し繰り返し流れていた。


 ケイからやや離れた所で、ハンディカムを持つ人物がいた。

 その者はその様子を撮影し終わると、にやりと口許をほころばせたのだった。

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