第7話.1-6

 夜。

 アルバイトは校則で禁止されているが、ケイはコンビニで労働に勤しんでいた。

 そんな労働現場である駅前のコンビニは、なかなか客入りが途切れない。しかし稀にぷつりといなくなる時がある。それは、仕事帰りのサラリーマンが去ったあとに来た。

 クーラーの音がいやに大きく聞こえるほどの静寂。

 やることもないのでぼんやりしていていると、アルバイト先の先輩である城山しろやまが話し掛けてきた。

 城山はケイよりも四つ年上のフリーターで、雰囲気は一風変わっており、自身の世界にのめり込んでいそうな、そんな感覚を抱かせる人だった。

「……暇だね」

 ケイはそうですねと同調する。

「このコンビニの隣に雑居ビルがあるでしょ。あそこに会社があった頃は、こうして暇になる時間もあまりなかったんだけどね」

「へえ、そうなんですか」

 このコンビニに隣接して建つ雑居ビル。五階建てで、打ちっ放しコンクリートの簡素な外観。今やすべての会社が退却したそこは、窓ガラスは割られていないし、スプレーなどによる落書きもなくて保存状態は比較的に優良だった。城山の話によると、つい数年前までは会社が入っていて、それなりに社員達が出入りしていたらしい。しかし不況の煽りに加え、ビルオーナーが突然に家賃を値上げしたため、逃げるようにビルから会社が無くなったのだとか。噂では来年の夏に取り壊され、新しくマンションが建つらしい。

「古い物を壊して新しい物を建てる。時代の流れってやつなのかな」

 城山は感慨深そうにぼやき、ふと思い出す。

「話は変わるけど、ケイの学校ってそろそろ学園祭なんだって?」

「はい。とは言っても、盛り上がってる奴もいれば、そうでもない奴もいますけどね」

「じゃあケイはどっちなの?」

「興味は無くない、と言ったくらいですかね。ああ言うのって、たいてい女子がやる気を出しますよね。クラスも、部活の方も」

 そんなところで、伝票整理をしていた店長の仲濱なかはまが事務室から出てきた。

 白髪の混じった頭の中年男性。大学時代はラグビー部に属していたらしく、確かに体は大きい。しかし今となっては、その昔にあったという筋肉質な体は見る影もない。もはやまん丸と肥えて下っ腹も出ており、頬や顎にも脂肪が付いている。そのため、目は普通にしていても細くなり、常に半分閉ざした状態である。

 そんな仲濱が「なんの話?」と同年代の会話に参加する気楽さで声を掛けてきた。

「あ、仲濱さん。今日の仕事はもういいんですか?」

 ケイが言うと、仲濱は苦笑いを浮かべた。

「あのね、藤崎くん。確かに僕はパソコンに向かって伝票整理とかしてるけど、僕の仕事は事務作業をすることだけじゃないんだよ。知ってた?」

「え、そうなんですか?」

「そうだよ! 今更に気付いたの?」

「いえ、知ってましたけどね」

「……藤崎くんってさ、たまに性格悪いとか言われない?」

「あはは、たまにだなんて……」

「さすがに言われないか」

「しょっちゅう言われてますよ」

「うん、きみはすこし反省しようか」

 冗談もそこそこに、仲濱が話を戻した。

「っで、なんの話をしてたの?」

「学園祭の話です。俺の学校、そろそろなんですよ」

「へえ、学園祭ねえ。うん、いいよね、学園祭。彼女とかと回れたら楽しいよね」

「彼女がいれば、そう思うかもしれませんね」

「いないの?」

「いませんね」

「もったいないなあ。高校生なんて無責任に恋愛を経験できる時期じゃない」

「無責任って……」

「そりゃあ限度はあるけど、僕の年齢になると何事も責任が付き纏うんだよね」

「仲濱さんの年齢になると、どうしても結婚前提のお付き合いになりますもんね」

「あはは、まあね……。ま、僕のことは置いておいて、あの子とかどうなの? ほら、時々きみをからかいに来るじゃん。前髪を片側に流した、あの子」

「前髪を……。もしかしてスミレのことですか?」

「あ、そうそうスミレちゃん。あの子、いいよね。なんて言ったって優しそう。あの柔らかい笑顔とかすごい癒されるよね。僕、あんな優しい娘がほしいな」

「それ、見た目で騙されてますよ」

「そうなの?」

 ヒロ、スミレ、キイチ。この三人はたびたびからかいにやってくる。それだけに、ここのコンビニ店員とはすでに顔見知りとなっていた。

 どうやら仲濱はスミレが気に入っている様子。

「そっか、騙されてるかあ……。それはそうと、もう時間だから上がっていいよ」

 仲濱が壁掛け時計を指差す。見ると、終業時間を指していた。

「あ、本当ですね。じゃあお先に」

「はい、お疲れ様」

「城山さんも、お疲れっした」

「うん、じゃあね」

 そしてロッカーのある事務室に入ろうとしたところで、仲濱に呼び止められた。

「あ、そうだ。藤崎くん、来週のシフトをちゃんと確認して帰ってね」

「了解です」

 返答して事務室に入ると、ケイは着替えながら壁に張られた来週シフト表を見る。

 張り出されているシフト表は、仲濱がバイトの希望を聞いて店のパソコンで作成しており、印刷は事務室の家庭用プリンターを使用している。

 ケイは自身のシフトを確認し、ついでによく顔を合わせるバイト仲間のシフトも確認すると、最後は仲濱のシフトを確認。

 それらの行動に深い意味はない。ただ、これから一緒の時間を共有する相手を知っておこうと考えただけだ。

「へえ、仲濱さんって朝早くから入ってんだ……」

 仲濱のシフトから出勤時間を知ったケイは、同時にそれに気付く。

「……なんだ、これ?」

 シフト表の端。そこに黒く擦れたような汚れがあった。何気なくシフト表を捲る。毎週、先週分の上に重ねて張り出されるので、捲った所には先週分のシフト表がある。そこにも黒い汚れがあった。いったい何の汚れなのか。指先で摩り、確かめてみた。

「インクか?」

 プリンターの故障だろうか。

 この事はちゃんと店長である仲濱に報せておくべきか。

 そう考えたが、これ程度の汚れが付くくらいならば問題ないかと考え直し、結局は報せるようなことはせず、ケイは裏口から外へと出ていった。


 ピピッとハンディカムが録画停止の音を鳴らした。

「ま、今日はこのくらいかな」

 撮影者はケイの様子を撮り終えると、満足げにほくそ笑んだ。

「良いが撮れた。本当に、ケイを選んで良かった。これからも期待してるからね」

 と。

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