第8話.幕間-1

 コンビニの裏口から出ると、街灯が点在するだけの暗い路地に出る。賑やかな表通りから一本路地に入っただけで、そこはまったくの別世界。まるでサバイバルナイフで世間から切り取られたように、明確な隔たりを感じてしまう。

 アルバイトも終えて外に出たケイは、視界の端に人影を見つける。

 道端に放置されたビールケース。そこに腰を下ろす見覚えのある少女――杉島アヤがいた。彼女はケイが出てきたのを見計らってすっと立ち上がる。

「待ってたよ」

「俺を?」

「そう。さっき表の通りからコンビニで働く藤崎の姿が見えてさ。っで、観察してたら事務室に入っていったから、ああ帰るんだなって思って、ここで待ち伏せしてたんだ」

 アヤは学校の制服を着ていた。聞くところによると、この近くの予備校に鹿島スズと一緒に通っているらしく、今はその帰りらしい。

「なるほど、それでわざわざ待ち伏せを……。それじゃあ俺は帰るんで。さよなら」

「まあまあ、そう言わず。コーヒーでもおごってよ」

「なんで俺が……」

「だってアルバイト禁止じゃん、うちの学校」

「うっ」

「黙っとくから、ね」

 こうなっては逆らえない。ケイは仕方なさそうにため息をつき、裏口から店内へと戻った。そしてホットの缶コーヒー二つを手に戻る。

「はいよ。ありがたくお飲みなさい」

 ケイが恩着せがましくして手渡すも、アヤは気にした素振りもなく受け取ると、温かい缶で暖をとるように手の平で転がす。

 そんな彼女に、ケイはかねがね気になっていたことを尋ねることに。

「お前と鹿島さんって、どういう経緯で知り合ったんだ?」

 常に笑みの杉島アヤ、感情を見せない鹿島スズ。まるで「類は友を呼ぶ」という故事に正面から喧嘩を売る二人の関係にすこし興味があったのだ。

 しかし返ってきた答えは、その主観を覆すものだった。

「似てるからね、私達」

 コーヒーを一口含んでから、アヤはあっさりと言い切った。

「まあ似てるって言っても、家庭環境が、だけどね」

 杉島家と鹿島家は隣同士らしい。その上、娘が同い年ということもあって意気投合。以降、家族ぐるみでの付き合いが続いていたそうだ。

 しかし。

「そんな私達のご両親は、私達が高校生になってしばらくすると、お勉強にうるさい人達になっちゃったわけですよ、これが」

 高校進学にあたり、進学科に進んだスズを見て、アヤの両親は劣等感を抱いた。なぜ自分の娘は普通科なのか。鹿島家の娘の方が、自分の娘よりも優れているとでも言うのか。その感情は、いつしかスズの両親に知られるところとなり、反感を買った。

「以来、スズも私も、両親の威厳を示す道具に使われるようになりましたとさ」

 アヤは嘲笑する、両親の見栄を小馬鹿にするように。

「でも、お前らは仲が良いよな」

「子供の喧嘩に介入する親は馬鹿。親馬鹿か、馬鹿親かは別にしてね。それと同じで、親の喧嘩に参加する子供も馬鹿だってこと。私達は馬鹿になりたくないんだよね」

 にかりと笑みを浮かべたアヤは、ふと思い出したように言った。

「でもさ、普通科でも凄い人はいるよね。もちろん、全体的なレベルは進学科の方が上だけどさ。ほら、水瀬ミカさん。あの人、普通科なのに学年トップでしょ。その上、実家がラーメン屋で、その手伝いをしてるって言うんだから頭も下がるよね」

「へえ、あの人ってラーメン屋の娘なんだ」

「そうそう。聞いた話だけど、専門雑誌に載ったこともあるんだって」

「それは凄いな」

 水瀬ミカの人物評は噂でよく耳にする。

 外見は気の弱そうな女子生徒だが、学業成績は優秀で品行は慎ましい。教師からすれば、お手本のような生徒に違いない。

 そんな彼女が何故に進学科ではなく普通科なのかと、ケイはずっと疑問を抱いていた。しかし今の話を聞いて、何となく察しがついた。

 おそらくラーメン屋の手伝いのためだ。

 進学科は普通科よりも一日の授業数が多く、その分、帰宅時間も遅くなる。飲食店はどうしても食事時が混む。進学科ではその時間帯に間に合わないと考え、普通科を選択したのだろう。まさにお手本のような娘さんだと、ケイは感心した。

 そんなところでアヤが問う。

「ねえ、今度は私から聞いてもいい?」

「なに?」

「あのさ、藤崎達四人って中学生来の付き合いなんだよね?」

 四人。ヒロ、キイチ、スミレを合わせた四人のことだろう。

「聞いた話だと、藤崎だけが中学校は別だったらしいじゃん」

「そうだけど、それがなに?」

「なんで他校の子と遊んでたの?」

 それは自然な疑問。遠くの友人よりも、近くの友人と仲良く遊べばいいのに。その程度の疑問だったに違いない。

 それに対してケイは答えにくそうに苦笑を浮かべた。

「なんて言うのかな……。あの頃の俺には友達がいなかったんだ」

 藤崎家は元々この町に住んでいたわけではなかった。ケイが小学六年生になった頃に引っ越してきたのだ。そして新しい学校に胸を高鳴らせていたケイを出迎えたのは、クラスメイト達による試験だった。

 ケイの前で一人の生徒が犬のように這いつくばり、その周囲で皆が口々に言うのだ。

 ――さあ、踏めよ藤崎――

 ――ほら、藤崎くんもやりなよ――

 ――なに黙ってんだよ。はやく踏めよ――

 それは、仲間に入るための通過儀礼。踏み絵。そこに這っている奴を踏んづけて、俺達の仲間だと証明しろと皆は言っていたのだ。

 嘲笑を浮かべ、踏め、踏め、踏め、と囃し立てるクラスメイト。

 あまりの光景に愕然としたケイだが、結局はそれを無視した。

 以降、ケイは周囲に無視されるようになった。孤立。しかしそれでいいと思った。あんな馬鹿らしいことに付き合うくらいならば、これでいい。

 とは言え、いつまでも孤立していたわけではない。

 中学校に進学する際、いじめられていたクラスメイトは他の学校へと転校していき、それを契機にケイも無視されなくなったのだ。

 しかしケイの心には猜疑心が残り続けていた。

 クラスメイトなど信頼できない。学校の友達など信用できない。

 だからケイの交流の仕方にはとある法則が出来上がっていた。

 基本的には受動的。相手から話し掛けてくるならば対応する。そうでないのならば関わらない。もしも能動的になるとすれば、相手が受け身の場合に限る。そういう孤立した相手ならば、徒党を組んで誰かを貶めるようなマネはしないだろうから。

 ゆえにケイは中学一年生の夏休みを、ひとり溜め池へと釣りに行って過ごしていたのだ、誰とも関わりたくなかったから。

 しかしそんなときにヒロと出会い、好きになってしまった。理由は知らない。思春期特有の浅い理由かもしれない。だけど、それでも好きなってしまったのだ。だから関係を維持しようと躍起になっていた、交流法則に外れながらも。そういう中学生時代。今となっては、間違いなく黒歴史。人生においての恥部。永遠に心の奥底に仕舞っておきたい過去。決して誰にも話せない。当然、ヒロ達にもだ。

 なのに、当時のケイはとある過ちを犯した。

 ヒロ達の通う中学校は隣町で、自転車を二〇分ほど走らせれば着く距離だった。だからヒロ達とは案外容易に会えていた。しかし中学二年生になった頃から、ケイは不安を抱くようになる。高校生になれば、今までのようには行かないだろう。きっと四人は離れ離れとなってしまう。俗な話だが、学力という点で四人は差があった。それが漠然とした不安を抱かせたのだ。

 ならば、そうなる前に……。

 ――なあ、ヒロ。ちょっといいか?――

 それは中学三年生になったばかりの頃。

 ケイはヒロを校門の前で待ち構え、出てきたところを呼び止めた。彼女はすこし驚いた様子だったが、場所の移動を提案するとすんなりついてきた。

 そして近場の公園で、ケイは“あの行動”に出てしまった。

 過ちを犯してしまったのだ。

 その数日後、ヒロが唐突な提案を打ち出した。

 ――高校はさ、四人みんなで同じ学校に通おうよ――

 いつもの神社でなされたこの申し出にキイチは呆れていた。そんな理由で高校を選べるかと。彼らしい反応だとケイは思った。事実、キイチの学力は四人の中で抜きん出ていたのだ。が、そんな彼のためにとヒロはとある高校に目をつけていた。それが、いま四人の通っている高校。ヒロはキイチに進学科を薦めたのである。

 ――確かにそこなら家からもそう遠くはないし、偏差値的にも悪くはない、か……。それに普通科ならヒロとスミレも行けるだろうが、さて――

 キイチはケイを横目にした。彼が言わんとしていることは容易に想像がついた。

 ――もちろん、ケイには勉強を頑張ってもらうから――

 ヒロが言った。

 ケイはなにを勝手な、と抗議しようとしたが、彼女が頑張ってね、と微笑みかけてきたことで口を噤み、そして姉のマユに頭を下げる次第に事が運んでしまったのである。

 だが、本当は心の中で安堵していた。

 情けない話だが、この四人の関係は続くんだとホッとしていたのだ。

「どうしたの、藤崎?」

 ケイが黙り込んだのをアヤは訝しげに見ていた。が、彼女は何やら勘違いを起こしたようで、あ、と声を上げて口を押さえる。

「ご、ごめん藤崎。今は色々と大変なのに」

「え?」

「だって、その、芳野さんってたしか……」

「ああ、そのことか」

「そのことかって……」

「お前まで気にしなくていいって。でも、気持ちはありがたく受け取っとく」

 そのときのケイの笑みは、アヤが今までに見たことのない引き攣った笑みだった。気疲れした笑み。色々な感情を胸の奥に押し込んだ時に出る、下手な笑み。自分に何が言えるだろうか、とアヤは思った。しかし考えてみても、今のケイが抱える重石を取り除ける言葉など出てくるはずもない。

「えっと、ごめんね藤崎。バイトで疲れてるのに、いろいろと話させちゃって」

「べつにいいよ」

「そう……。私、行くね。あんまり遅いと、流石に親が心配するし。じゃあね」

 そう言って背中を向けたアヤだが、ふと振り返った。

「藤崎、なにか困ったことがあったら相談して。私、出来ることは協力するから」

 ケイはすこし驚いた。まさか彼女に気遣われるとは思ってもいなかったのだ。そうしてアヤがいなくなったところで、ケイは吐息を洩らす。

 ヒロのことは誰にも話していない。それでも学校内に広まってしまっているようだ。

 ケイは星空を見上げ、思った。

 この話が広まるのは良くないな、と。


 アヤが呼び止められたのは、ケイと別れて程なくしてからだった。

「杉島さん」

 表通り。夜とは言え、人の目は周囲にたくさんある場所だ。

 声に振り返ると、そこには見覚えのある人物がいた。

「あ、あなたは……」

「杉島さん。さっき、出来ることは協力するって言ってたよね?」

「……え?」

 たしかに言った覚えのある言葉。だがそれは、藤崎ケイに向けての言葉だ。

 しかしそんなことは眼前の人物にとって瑣事のようだった。

「さっそくだけど、協力してもらってもいいかな?」

 言葉の意味を理解できてないアヤを余所に、眼前の人物はにんまりと笑った。

 その右手にはハンディカムが携えられていた。

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