第5話.1-4
人が死ぬと言うことは、その人の声をもう聞くことが出来ないと言うことだ。
人が死ぬと言うことは、その人の笑顔をもう見ることが出来ないと言うことだ。
昨日まであった当たり前が、唐突に姿を消すと言うことだ。
それは、今まで自分を構成していたパズルのピースが欠けるようなものだと思う。
だから人は悲しむのだ。心の何かが欠け落ちた悲しみに涙するのだ。
しかし稀に他のピースでその穴を埋める者がいる。
希望。淡い希望――いや、願望か。
あいつは死んでない。
そんな願望にすがってしまう者がいるのだ。
ヒロの死は自殺とされた。
首吊りというありふれた自殺法に、また現場状況がそれを物語っていたらしい。
後日、ケイはキイチとスミレを伴って芳野家を訪れた。出迎えてくれたのは、ヒロの母親であるカオル。通されたのは、リビング。先日、ヒロが首を吊った場所である。そこのテーブル席にケイ達は腰を下ろす。それぞれが疲れた顔で向かい合う。その中、ケイが代表して定型文のようなお悔やみの言葉を述べた。練習していただけに声が詰まることはなかった。悲しみなどで喉を詰まらせると思っていただけに、若干の驚きを覚える。カオルはありがとうと無理な笑みを作った。相手を不安にさせる笑み。だが、それも仕方ない。娘を唐突に失ったのだ。明るい笑みなど期待するべきではない。そう思う一方で、大切な人を唐突に亡くしたとき、人は涙することさえ忘れてしまうのかと思った。彼女は泣いていなかった。むしろ泣くことを拒否しているようにさえ見えた。泣いてしまうと、娘の死を認めてしまうことに繋がるから。こんな状態で、彼女に疑問をぶつけることは出来ない。そう考えたケイを余所に、キイチが呆気なく問うた。
「あの、どうしてヒロは自殺なんてしたんですか?」
死を認めたくないとする相手に向けた無慈悲な問い。
カオルはなにかを言いたげに口を開けたが、それは声を発するには至らなかった。結局、口は閉ざされ、しばらくして首が横に振られる。
わからない。
それが彼女の返答だった。
「じゃあ遺書は?」
カオルはまた首を横に振る。
なにもかも全てがわからない、と。
おそらく、まだ娘の死を受け入れられないのだろう。その胸中には淡い期待が抱かれているに違いない。浮ついた感覚。夢を見ているような現実感の無さ。目を覚ませば、また娘の笑顔を、笑い声を聞くことができると、そんな期待を抱いているのだろう。
その気持ちがケイにも痛いほどわかった。
芳野ヒロを知っている者ならば、彼女が自殺するなど想像すら出来なかっただろう。
だからこそ、心の整理が未だにつかないのだ。
「なにもわからないのよ」
ふと、項垂れた格好でカオルが言った。
「あの子が学校から帰ってくる前に買い物を済ませておこうと思って、一時間ほど出掛けて帰ってきたら、あの子が首を吊ってて……」
「そうですか」
返答したキイチがすぐに席を立った。あまり長居するのも良くないと考えたようだ。その意図を読み取ったケイとスミレも続いて席を立つ。
カオルは、今日はありがとうね、と礼を言って玄関まで見送りに来てくれた。
そうして靴を履いて芳野家を出たところで、ケイはカオルに呼び止められる。何だろうか。疑問に思いつつ歩み寄ると、彼女は耳元で囁いた。
「ヒロさん――あの子がいつも迷惑を掛けて、ごめんなさいね」
カオルはヒロのことをさん付けで呼ぶ。出会った頃からそうだ。また、昔から彼女は娘との距離を推し量っているようにも見えた。それらのことを当初は変だな、と思っていたが、今となってはそういう家庭もあるのだろうと納得している。
ケイは「いえ、そんなことないですよ」と返答しようと思った。
でも、なんだかそれは嘘が過ぎる気がした。
ここは社交辞令よりも、思ったことを素直に言うべきだと思った。
ケイは首をゆっくりと横に振る。
「いえ、慣れてますから」
そう答えると、何故かカオルはすこし安堵したように微笑したのだった。
人は、大切な人を失ったとき、どのような感情を抱くのだろうか。
また、最後にはどのような感情に行き着くのだろうか。
それは、体験者にしかわからないことなのだろう。
ヒロが死んだからと言って、ケイの日常に劇的な変化はなかった。
今までどおりに学校へと通う。自分が思っているほど衝撃ではなかったのか、それともヒロが生きていた当時の生活を続けることで、ひょっこりと彼女が現れてくれるのを期待しているのか。それは本人にもわからなかった。
そんな日常が狂いだしたのは、ヒロの自殺から幾日か経った頃だった。
学校から帰宅した際、ケイはついでに郵便受けを確認。すると、中に藤崎ケイ宛ての封筒が一通。差出人を確認。名無し。いったい誰だろうか。首を捻りつつ封筒を開いてみると、中には手紙とDVDが入っていた。手紙を読みながら自室へと向かう。『是非ともご堪能ください』。手紙の内容の意味がまったくわからない。ひとまず自室のレコーダーでDVDの内容を確認してみることにした。
そして手紙の文面の悪辣さを理解する。
映像が流れる。画質からして、家庭用ハンディカムによる撮影だろう。そしておそらくは三脚などで固定されている。映像に、手持ちによるブレが見られなかったのだ。画面には夕日の差し込むリビングが映っていた。何処かで見たことのあるリビング。それがヒロの家のリビングだと気付いたところで、床と水平に固定されていたカメラが上を映す。輪を作った縄が天井からぶら下がっていた。次にカメラは下へと動き、床を映した。横たわるヒロがいた。ぐったりとしていて、尋常ではないことが見て取れる。ケイは画面をさらに凝視する。おかしい。疑問がある。ヒロの首元に縄の跡があったのだ。強く、ぎりぎりと締めたような跡。これはどういうことだ。ヒロを縄から下ろした後の映像か。しかしその場に居合わせたが、誰も撮影なんてしていなかった。そんな疑問はすぐに解けた。カメラは床を映したまま固定されていた。しかしそこに、誰かの足が映った。ヒロとは別の誰かがそこにいる。その人物はヒロの体を移動させる。以降は、床に映った人影の映像。その誰かがヒロを抱えて椅子に乗り、天井に吊された輪へと持ち上げる。そして次の瞬間、がくんと彼女の体が落ち、縄がびんっと伸びた。そうして天井にぶら下がる少女のシルエットが、その床に浮かび上がった。
そこで映像が途切れる。
ケイは何も言えず、黒くなった画面を呆然と見詰め続けていた。意味がわからない。いったい自分は何を観ていたのか。視界が現実を否定するように捻れ歪んだ。不意に床が傾く。ケイは慌てて床に手をつき、体を支えた。そこで気付く。床は傾いてなどいない。ただ、自分の体が傾いただけなのだと。あまりのショックに、脳が正常に機能していないだけなのだと理解した。胸を締め付ける強烈な衝動に、思わず嗚咽する。
「これが、自殺……?」
ケイは無意識にぽつりと呟いた。
自殺じゃない。他殺だ。
ヒロは首を吊って死んだんじゃない。
誰かに縄で絞め殺されたんだ。
誰かに自殺と見せ掛けて殺されたんだ。
これは、れっきとした殺人事件だ。
ケイは拳を握り込み、床を殴り付けた。憎き犯人の顔面を殴るように。
激情が暴走していた。腹の底からふつふつと沸き上がってきた熱が脳を沸騰させる。理性を弾き飛ばす。体に熱がこもる。心臓が激しく鼓動を打つ。心臓が膨脹しているような錯覚。そのとき、なにかが咽喉に這いずり出してきた。とある言葉。片隅に残った理性で、それを抑えつけようとして――やめた。言ってやる。やってやる。そう心に言い聞かせたと同時に、その言葉はどす黒い声を伴って発せられた。
「……殺してやる」
ヒロを殺した犯人を、見つけ出して殺してやる。
そう心に言い聞かせた。
大切な人を失ったケイが行き着いたのは――殺意だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます