第3話.1-2
昼休み。
ケイは一階の学食にやってきていた。
今朝、母から逃げたために弁当を受け取れていなかったからだ。
とりあえず券売機で唐揚げ定食の券を買い、学食カウンターへ。そして定食を受け取り、ゆっくりと腰を据えられる席を探した。
並ぶ八人掛けの横長テーブル。大概は友人同士で集まって食べており、一つ席を空けて別のグループが集まっていた。
ケイはそんな密集地帯を避け、比較的に空いている端の席へ。
平和的で安穏とした空気。ざわざわと騒がしいが、その大半は和やかな笑い声。その中でする独りの食事は、いささか気恥ずかしいものがある。
「まあ仕方ないわな」
苦笑ひとつ、食事を開始。
唐揚げ定食には白飯に沢庵、それに味噌汁が唐揚げの盛り合わせに付いてくる。そんな定食のメインである唐揚げは六つ。その内の一つを摘み上げて食す。学食のラーメンなどの麺類は、市販の安い物を使っているためか味がチープだと言われている。しかしこと唐揚げに関してその心配はなかった。手作りならではのサクサクとした食感、またしっかりと下味をつけており非常に良い。
そして自販機で買った緑茶を飲んだところで、斜向かいに女子生徒が腰を下ろした。
サラサラの黒髪を背中まで流した、幸薄そうな文学少女風の生徒。歩く時などは下を向いていそうな気の弱さが一見で読み取れる。
そんな彼女をケイは一方的に知っていた。
姓は水瀬。名はミカ。学年は一年。所属は普通科。
しかし、普通科に属しながら学年最高位の学力を保持するつわものである。
ケイは味噌汁を啜りながら彼女をマジマジと観察。
ミカはヒロと同じクラスに属しており、何度か目にしたことがある。そのたびに思っていたが、やはり彼女はいつも寂しげにしている。
気が弱いのでなかなか友人が作れない者を、ケイはたびたび目撃してきた。そしてそういうとき、決まって声を掛けてしまうのが藤崎ケイという少年であった。
何気ない様子で呼び掛けてみる。しかし彼女は無反応。どうやら呼ばれたのは自分ではないと思っているようなので、もう一度呼び掛けてみる。
「なあ、水瀬さん」
「ハ、ハイッ!」
彼女は条件反射みたく振り向いた。その顔は思いもよらぬ呼び掛けに驚き、やがて見知らぬ相手に向ける警戒心へと変わった。
ケイはそんな相手とどんな会話をするべきかと考え、頭に浮かんだ言葉を口にする。
「えーと、一人なら何か話さない? 俺も一人だから暇なんだよね」
咄嗟に出た言葉とはいえ、何処のナンパ男だよ、とケイは胸中で悔いる。実際、相手からの返答は戸惑いを纏ったものだった。しかし、こうなっては
「いいじゃん、二人で食べた方が
「いえ、その、私は一人がいいんで……」
「ええなんでさー」
なんだか、段々と自分が軽薄な人間に思えてきた……。
それから一方的に話し掛けてみたのだが、不意に「すみません」と断りを入れられ、彼女はさっさと別の席へと移っていった。怒ったのではなく、おそらく迷惑と思われたのだろう。彼女の表情にはその色が見て取れた。
「少ししつこかったな……」
そう反省して、ケイはその後は追わなかった。気分を害してしまったことを胸中で謝りつつ、食事を再開。そして食事が三割ほど進んだときだった。
「や、どうも」
すぐ側から聞こえた女性の声は、ケイが毎日のように聞いている声。
芳野ヒロがそこにいた。
彼女は一冊の雑誌と丼の載ったトレーをテーブルに置くと、そのまま隣に腰を下ろした。そして確認する目でケイの昼食をちらりと見る。
「そっちは唐揚げ定食? 私はラーメン。でもあんまり好きじゃないんだよね、ここのラーメン。やっぱり安い麺と安いスープを使ってるから味が安っぽい」
「そんなこと、誰でも知ってることだろ?」
「それはそうなんだけさ。わかっててもたまに食べたくなるんだよね。ほら、臭いものを嗅いじゃうみたいな。仕方ないと言えば仕方ない現象なんだよ、きっと」
ヒロは丼を持ち上げてスープを啜った。すこし男らしい。
「うん、やっぱり美味くない」
そう評した彼女だが、その顔は納得の形を取っていた。なにを納得したのかは、ケイにもわからない。長い付き合いなのだが、こういうところは未だに理解できないのだ。
そんな彼女との出会いは、中学一年の夏休みのことだった。
藤崎宅から自転車で一〇数分ほどの所に、林に囲われた神社がある。その裏手には溜め池があり、当時のケイはそこへと釣りに行くことをマイブームとしていた。
その日も蝉の鳴き声が立ち籠める中、釣り竿を片手にひとり通っていた。
――ねえ、魚なんて釣ってどうするの?――
声を掛けられたのは、木陰で休憩をしているときだった。
ちょうど耳に掛かる長さの髪に、馴れ馴れしい笑顔。白いワンピース姿の少女がそこに佇んでいた。
――きみ、名前はなんて言うの?――
少女に尋ねられ、ケイは唐突なやつだな、と思いながらも答えた。
――藤崎ケイ。おまえは?――
――芳野ヒロ。男の子みたいな名前でしょ――
そう言った彼女は、そのまま近付いてきてケイの耳元へ。何事かと困惑するケイに彼女は隠し事を教えるように囁いた。
――じつはね、私、未来が見えるの――
またもや唐突なことを、とケイは思った。
――嘘くさいな。未来なんて見れるはずないだろ――
――うそじゃないよ――
――じゃあ、なにか未来のことを教えろよ。見えるんだろ?――
――いいよ――
するとヒロはケイの手を取った。そのとき、彼女の腕に火傷の跡があるのを見る。いったい何で出来た跡だろうか。そう疑問に思ったのも束の間、ヒロが繋がった手を顔の高さまで持ち上げる。それを目で追うと、ヒロと目が合った。
何故かどきっとした。
――私達はね……――
ごくりと息を呑むケイを前に、ヒロはにんまりと笑った。
――私達は恋人になるでしょう――
――こい、びと……――
ケイはしばらく呆然としていたが、繋がった手に気付いて払い除けた。ヒロは突然のことに驚いていたが、ケイの耳が赤いことに気付き、くすくすと笑った。
それが、藤崎ケイの初恋だった。
そしてその年の夏休みは、また別の出会いの時でもあった。
ある日、溜め池へ行くと、そこには三つの人影があった。
ヒロと並んで座る少女と、すこし離れて佇む少年。
それが、三木スミレと浅見キイチとの出会いだった。
それからは四人で遊び回る日々となり、その中心にはヒロの存在があった。
彼女がいるから、皆は集まっていたのだろう。
事実、ケイがそうだったのだ。
と。
「お、ヒロもラーメンかよ」
突然に聞こえた第三者の声で記憶の世界から現実に舞い戻ったケイは、そちらを見やった。キイチとスミレがいた。二人はトレーを手に側に腰を落とした。キイチはラーメンで、スミレはうどんのようだ。
ケイはそんな二人に言う。
「なんで揃いも揃って安い麺類ばっかりなんだよ」
「うるせえよ。校則を破ってバイトしてる奴と同じ経済状況と思うなよ。俺だって美味いラーメンが食いてえよ」
「それでも食いたいのはラーメンかよ」
男二人の言い合いに続くようにスミレが言う。
「じつは私も金欠なのよ。残りの手持ちは二〇〇円。あとでコーヒー牛乳を買いたいから無駄遣いはできないし。はあ、私もバイトしようかなあ……。どう思う、ヒロ?」
「うーん、そうだなあ……。コーヒーと言えば、なんで大人ってコーヒーをブラックで飲むんだろうね。砂糖とミルクを入れた方が飲みやすいのに」
「いやいや、私はバイトについて聞いたんだけど?」
こんな実りのない会話はいつものこと。大概は誰かが話題を提供し、残りの者がそれに冗談で返す。これが四人の通例だった。そうして駄弁って時間を浪費し、気付けば何十分と流れているのだ。ちなみに今日の話題は、学園祭。
「クラスの出し物の手伝いとか面倒なんだよなあ」
そう言ったケイに対してキイチは賛同し、スミレは呆れた様子で肩を竦めたのだが、ヒロが唐突な言葉で返してきた。
「ひとつ、クラスの出し物の手伝いをしなくていい方法があるけど、聞く?」
これに飛びついたのは男子二人。興味津々に次の言葉を待った。
「方法は簡単。部活を始めればいい。部活の出し物で忙しいからってことにすればね。でも、今から既存の部活に入部するのもなんだし、私達で新しく部でも作らない?」
奇策だろうとでも言いたげなヒロに対し、男子二人は期待して損したとため息。
「結局は出し物を手伝わないといけないんだろ? 論外だ。それに、いちいち部活を作るなんて面倒臭すぎる。俺は御免だ」
ケイが拒否を示したところで、昼休み終了の予鈴が鳴った。食後のお茶を飲んでいた頃だったので、タイミングとしては悪くない。教室に戻ろうと席を立とうとした。が、ケイは袖を引かれて強制的に再着席。
「な、なにすんだよ!」
裾を引っ張った張本人を見据える。視線の先にはヒロ。
「ケイ。ちょっと話があるんだけど……」
昔から彼女の行動は唐突だった。それに幾度となく振り回されてきたものだ。そしてそういうとき、彼女は決まって憎めない笑顔をする。
しかしこの時のヒロの目には、真剣と言うべきか、切羽詰まったものがあった。
なんだよ、と問うと、ヒロは周囲を見回した。誰もいない。キイチとスミレも気付いた様子もなく去っていく。そのことを確認し、ようやくケイの耳元に唇を近付けた。
「なっ――」
いきなり何を、と驚きと胸の高鳴りに戸惑ったケイの心。それに無慈悲な冷水を浴びせ掛けるように、ヒロはその言葉を囁いた。
「ケイ。私さ、死ぬことになるかもしれない」
「……はあ?」
つまらない冗談を言われたと思った。
しかしヒロは持参した雑誌をテーブルに差し出すことで本気であることを証明する。
「お前、これって……」
「うん。だから……」
それでも耳を疑う少年に向けて、少女は気遣うような苦笑いを浮かべ――告げた。
「私、死ぬことになるかもしれない」
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