進路相談じゃなかったの?
図書館は図書館棟として独立しており、ただ本の貸し借りをするだけでなく、読書用のスペースや、調べ物や自習をするためのスペースが設けられている。
図書館に収まりきらない、というか特別な管理を必要とする蔵書物に関しては、地下の大きな書庫に収められている。
書庫別室は、書庫に入る扉がある廊下の奥にある。書庫までの廊下は頻繁に利用されるためか、まだまだ小奇麗で歩けないこともないが、その奥は暗く、ジメジメしていて、ひどく陰気くさい。
もともと、昔は「体罰部屋」、「取調室」「牢屋」と呼ばれていたらしい。真偽はわからないが、おそらくはそういうことだ。この独特の陰気くささはそんな歴史を孕んでいるのだろう。
時代の変化とともに、体罰部屋ではなくなり、今は生徒会の書類保管庫になっていた筈だ。何人かの生徒が出入りしていくのを見たことがある。
鬼才天才こと、国語教師、杉田先生も。
そう、今目の前にいる、杉田先生も。
「おう、待ったぞ。かなり遅い。極めて遅い。俺は待ちくたびれた。」
「すいません」
「いや、いい。これから君に話さなければならないことに比べれば、時間を無駄にしたとはいえ、結局は飯を食う時間に充てられた。有益だったんだ」
まさか、ここで?
この部屋で食べる気にはならない。
埃臭く、薄暗く。
長机が何個か並べられており、椅子がそこに収納されている。
無造作に散らばる紙、おそらくは生徒会の資料であったものだろう。
そして、地下であるため窓はない。頼りない換気扇があるのみだ。
書庫のほうには、たしかエアコンや立派な換気扇が整備されているが。
さすがは、かつて「牢屋」と呼ばれていただけのことはある。
杉田先生は、奥の壁に向かって置かれた机に腰を落ち着かせていた。
「何をボケっと突っ立っているんだ。座ってくれ。」
僕は適当な椅子を引きずり出し、そこに座った。
「それで・・・、進路のこと、ですよね」
「違う」
「違う?」間抜けな声が出た。
「違う。そんなものは勝手にしろ、適当に書いておけ」
「えーっと・・・。進路、文理選択についてと伺っていますが・・・。」
「あぁ、文理選択。うん。その件で呼んだが、それは君を呼び出すダシでしかない。もしそれで悩んでいるのなら、相談に乗ってやってもいい。一枚、紙を用意して右側に文系、左側に理系と書くんだ。ちょうど真ん中に鉛筆をたて、倒れたほうに進めばいい。」
「えっ」
「冗談ではない。そうすればいい」
そんな適当なことがあるか。僕はこの件に関して、めいいっぱい考え、悩んでいるというのに。
「直感的に言えば、君は理系に向いていそうだがね」
杉田先生は、五十代中盤。見た目は既におじいちゃんといった感じで、前髪だけがきれいに禿げ上がり、残った髪の毛はだんだんと白髪になっている。仕立ての良いスーツを着ている。少しぶっきらぼうな性格で、生徒から先生から、鬼才や天才と呼ばれている。
「・・・それで、本当の要件というのは」
「ふむ。それだ。非常に難しい。これだけ時間があったのに、俺は未だどう伝えればいいのか悩んでいる。俺がこれを話すことによって、君が俺のことを気が狂っていると思うのではないかと、不安に思っている。だけど俺は話さなくてはならない」
「はぁ・・・」
既にこの言動は気が狂っている。杉田先生に対して、そんなことを指摘するのは意味がない。
「漠然に言えば、これは君についてだ。君が少し・・・そうだな、変わっているというか、優れている、というと少し語弊があるが・・・。特別な能力があるのかもしれない、というささやかな推測の話だ」
「僕が?」
「もちろん、学力だとか成績の話じゃない・・・、人間性、というのが一番近い」
成績も関係ない、人間性?
小学生のころ、「いつも落ち着いていて、冷静に行動しています」と総評に書かれていたが・・・。
それは、また別の話なのだろう。
「そうだ。こんな伝え方はどうだろう?」
杉田先生は、ポンと手をたたいた。
「君は、現代文明についてどう思う?」
突然の急展開だ。現代文明?
「非常に巨大で、すべてが効率的に設計されている・・・と思います」
「そうだ、その通りだ。非常に巨大。すべてが効率的。君も俺も、何かしら、文明的な一部として、歯車の役割を果たしている。そこに、原始的なものは排除され尽くした。非常に人間的。極めて人間的。それが今日の人類だ」
「はい。」
「時に、原始人とはいかなる存在であったのだろう?現代人とは何が違ったんだろう?」
ますます意味がわからない。
「・・・原始人は動物の延長線でしかなかった。現代人と原始人の違いは、脳の容積やら文化やら違うのでしょうが、そこにある。現代人は、人間的。原始人は、動物的。まったく本質が異なる。」
「うん。素晴らしい。パーフェクトだ。原始人は動物的。」
「それが一体、何に繋がるのでしょうか?」
「原始人が現代人に移行していく中で、何が失われ、何を得たのだろうか?漠然と、何があったから原始人は現代人へとシフトチェンジが出来たのだろうか?」
杉田先生が足を組み替えた。
僕は少しずつ苛立ってきた。イライラする。これは結局、何になる?結論にたどり着くまで、長すぎる。
実はゴールなき会話なのではないだろうか?意味のない会話、無意味な会話。杉田先生は僕を暇つぶしに使っているだけではないだろうか?
大体、それが僕の特別な能力とやらにどう繋がるというのだろうか?
「先生、いい加減にしてください。この会話は何に収束するのでしょうか?」
杉田先生は、フッとにやついて、頭をポリポリと掻いた。
「結論を急がないでくれ。もう答えに近づく。」
「はぁ・・・」
「さぁ、原始人には何があった?」
「ふん・・・・」
僕は、全力で杉田先生の言葉に耳を傾けようと試みる。
ただでさえ、僕の頭の中は苛立ちによって、脳内のフル回転を拒まれているのだ。その環境の中で一生懸命、今まで人生の中で一度も考えたことのないテーマについて考えなければならない。
原始人、現代人、何があった?
高度なコミュニケーションの確立。宗教じみた信仰体系の確立。倫理観の芽生え。
「太陽だとか、天候だとか、大いなるものへの信仰、でしょうか?」
「ふむ・・・、面白くはある。少し近い。けど違うんだ。」
「倫理観の芽生え?」
「違う。違うんだ。それは離れすぎた。」
「コミュニケーションの確立・・・?」
「それは語り尽くされた一般論に過ぎない」
「じゃあ、いったいなんだっていうんですか?」
僕は憤慨した。我慢の限界だ。
「さすがにわからないか。わからないのも無理はない。教科書にも、アメリカの
くだらない科学番組でも載ってない。要するに・・・。」
「要するに?」
「支配競争への勝利だよ。自然界における、ね」
支配競争・・・。生存競争ということか。
ほかの動物に対する、という意味でなら生存競争における勝利なんて、僕が挙げた一般論と同程度のものだ。
「先生、お言葉ですが・・・。」「人類には敵がいた。」
杉田先生は僕の言葉を遮った。目はギラギラと輝いている。現文の授業の時に、物語の核心に触れる時にする目だ。
「敵?それは・・・、細菌だとか、感染病だとかではなく?」
「もちろん、それらとは異なる。ゴリラだとか象だとか、ライオンだとかではない。もっと、別の存在がいたんだ。」
別の存在・・・。別の存在・・・・。恐竜?それはもう絶滅している。ドラゴン?それは想像上の動物にすぎない。宇宙人?妄想だ・・・。
「それはなんなんですか?」
「いわゆる、魔法使い、魔術使いだ。魔術を使える存在だ。」
ジョークか?極めてナンセンスジョークだ。
僕の特別な能力、とやらにはそうつながるわけか。
「もちろん、ジョーク、ですよね?」
「ジョークなわけがあるもんか。俺はいたって真剣だ。真面目な話をしている。信じてくれ、俺は頭が狂っているわけではない。」
正気じゃない。
頭が狂っている。気が狂っている。
魔法?魔術?そんなものがあってたまるもんか。そんなのが実在していいのはファンタジーの世界だけだ。
こんな話をしていた僕が馬鹿だった。時間の無駄だ。
僕は椅子から立ち上がった。
「先生、僕にはそのお話が理解できないと思います。お力になれず、申し訳ありません。」
僕はなるべく、杉田先生と目が合わないように、ドアの方へと体を動かした。
一歩一歩と、確かなる現実的な歩みを踏み出す。
「おい、待ってくれ。頼む、話を聞いてくれ」
杉田先生は僕を引き留めようとする。
僕には何も聞こえない。ここでは何もなかった。僕は杉田先生とファンタジックな妄想話をして、時間をつぶした。たったそれだけ。
「待てってば、いいか、魔法は存在する。ごくごく限られた人間に限ってね」
杉田先生は妄想話の続きがしたい。だけど僕は帰りたい。
現実へ、戻るんだ。
僕がそう決心した、その時だった。
バン!と破裂音が響き、白い光が発光される。
僕は思わず、立ち止まった。立ち止まるしかなかった。
白く光ったあと、その余韻の中で、光の破片達がわずかに虹色に散らばった。
空気が張り詰める。
一体、どういう仕掛けなんだ?
「創始者、町永憲朗にも関わってくる。君がご執心のね」
杉田先生はハッタリをかましているのかもしれない。僕を引き留めるために。
だけど、そんなことをして何の意味がある?ファンタジーじみた妄想話をふっかけて、それで僕を引き留めようとしている。なんのメリットもないように感じる。
挙句の果てには、大掛かりな発光装置?
そんな必要は、どこにもない。本当に?
「先生、どういうことなのか、一度ご説明願えませんか?そのうえで、判断してみようと思います。」
杉田先生の肩の緊張がほぐれた。
「それはいいことだ。」
僕は、今でもこれを後悔している。
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