杉田先生のファンタジー、僕の現実の所在
「元々、自然界に、というか動物界は一般的に想像される魔術の巣窟だ。魔術を扱えない動物など、人間を除いて存在しない。いわば魔術は野性的本能の一つだ。第六感とかな。古代人類もそうだった。進化の途上では、フルパワーで魔術が扱えたんだ。その頃は、人類は自然界と、ひいては動物たちと、仲良く共生していた。あるべきユートピアだ。輝く水辺、溢れんばかりの陽の光。しかし、人類の進化の過程の中で異常は起こった。」
「気づいてしまったんだ。自らが、自然界を支配しうる存在であることに。魔術を捨て、知性を獲得することで、自然界の支配権を獲得できることに。そして自惚れた。自分自身こそが、自然を支配し、管理することができると。むしろその責任があると。」
「無論、高等言語が確立される以前の話だ。そういった趣旨のコミュニケーションがとられていたわけではない。野生的な感覚の中で、そういった意識を芽生えさせていたんだ」
「反発した集団がいた。我々もまた自然の一部なのだ。たとえ、支配しうる能力を持っていたとしても、自然界の安定のためには、それを忘れるべきなのだ。ユートピアは永遠なのだ、と」
「反発した集団と、自然支配を目指す集団とで、進化が分裂した。支配集団は、次第に野生を捨て、知性を獲得していった。まさに禁断の果実だ。着実に、支配集団は自然界をコントロールしつつあった。反発集団は限りなく野生に近い存在であり続けた。魔術を扱えたし、自然界の中でユートピアを信じ続けた。とはいえ、支配集団の影響をある程度受けていたがね。」
「支配集団が完全に魔術を葬り去って、道具を扱えるようになると、次第に両者は衝突するようになった。これが支配競争だよ。自分たちと同じ姿かたちをした存在は明らかに邪魔だったからね。結局、支配集団が見事に勝利した。」
「ユートピアは崩壊した。生き残った反発集団は、身を隠さなければならなかった。砂粒を隠すならどこだ?木の枝を隠すならどこだ?つまりそういうことだ。反発集団は、確立されつつあった支配集団の文明に、溶け込んだ」
「そのようにして、自然界は人類文明の一部となった。反発集団はもちろん、他の動物たちも表立って魔術を扱うことはなくなった。新しい支配は、知性を基調とするものだからだ。知性は野性を嫌う。魔術は、完全に影の存在と化したのだ。」
「中世期になると、魔術を扱える存在は特異な存在となった。そうして、名づけられたのだ。魔術と魔術師・・・私は、この反発集団の生き残りのことを、エルフと呼ぶのが気に入っている。妖精だ。なんだか、幸運をもたらしてくれそうじゃないか?とにかく、物珍しくなっていた一般人類は、エルフたちの魔法を学問的に、知性的に解釈しようとしだした。もちろん、その時にはかつて自分たちの祖先が魔法を扱えたことなんて忘れてたんだ」
杉田先生は、足を組み替えた。
「どうだね?ここまでで、なにか感想だったり質問は?」
はっきり言って、飲み込むまでに時間がかかりそうだった。
「続けてください」
「いいだろう。日本でももちろん、魔法使いめいた存在に興味に思ったものが何人もいた。だが、そもそも西洋の科学には遠く及ばなかったため、知性的に解釈することが困難だった。それは奇跡や恐怖という言葉に流され、大した注目も浴びなかった。それが・・・」
「西洋文明の急速な流入によって変わった。鎖国の終焉、明治時代の始まり。そして町永憲朗」
「その通りだ。町永の当初の関心ごとは、確かに西洋文化としての学問にすぎなかった。自然科学に医学・・・。これらは、すぐに直結しただろうよ。何せ、これらの学問は、魔法の名を借りたインチキ商売が原点だったからだ。何らかの方法で、町永は魔法使い、ひいては我々エルフの話に触れたんだ。そこからは、町永はエルフの魅力に取りつかれ、その研究に没頭することになる。」
僕は、我々、という言葉にピクリと肩が動いた。
「奴がやったことは、単に西洋学問の享受じゃない。私塾の開講は、エルフの保護と研究そのものだったんだ。奴は激しく変化していたあの時代で、近代化という言葉の中で、知性が最高点を迎えたその時代の中で、国内のエルフをできるだけ掻き集めた。そして、その本質を理解しようと調べまわったことを文字に起こし、本に残した。」
「西洋の後追い・・・。知性的な解釈。野性の学問化。後追いという意味では、その時代に盛んにおこなわれていたこと、でしょう」
僕は思わず口走った。
「その通りだ。当初は後追いだったのかもしれない。しかし、俺は町永が西洋のレベルを脱したものだと考えている。超えたんだよ。現時点においても、町永が学術魔法におけるトップに君臨している。」
僕は確かに、町永憲朗にふとした興味を抱いていた。ごくごくありがちな学校設立ストーリーの一人なのだが、彼のストーリーには、いくつかの疑問点が残されていた。
まず、私塾がなぜ栄えたのか。
現在では、交通網の整備により、ちょっとした人口と物流を持つこの街だが、私塾が創始された当初は、大した町ではなかった。人口も極々わずかで、物流拠点からも離れていた。当然、学制だとか世の中の教育制度から遠く離れていた場所だ。江戸時代に誰かが寺子屋を作ったわけでもないし、また宗教的な意義がある場所でもない。東京の人々からすれば、この地は未開の地であっただろう。
次に、町永の目的。
日本の将来を危惧し、私塾を開講したわけだが、彼がよっぽどの読書家であることを加味したとしても、彼がなぜ辺鄙な田舎で私塾を始めたのか。
それから、町永の自著。
町永は、研究や調査と称した探究活動を確かに行っていたという。それらは全て、「西洋文化に関して」とされており、また彼はそれらの記録を手記にまとめている・・・が。
それらのほとんどは、重要記念図書だとか名づけられ、書庫に押し込められている。
また、大学の図書館にも行ってみたが、殆どは書庫管理とされていた。利用者は閲覧することさえ出来ない。閲覧することができるのは当り障りのない物ばかりだ。
僕の興味はそこにあった。
町永は何を調べ、何を書いたのか?
本当に、エルフだとかいうファンタジックを調べ、ファンタジーを書いたのか?
僕は信じられなかった。
だけど、否定できる根拠は特に見当たらなかった。常識を超える話をされると、僕の頭は混乱してわけがわからなくなる。
否定したい。だけど否定できない。おそらく、深層心理の世界では、僕は既にこれを現実として受け入れ始めている。
「それで、僕も、そのエルフだということですか」
「その通り。君もエルフだ。俺もエルフ。幸運に恵まれ、幸運を与えることができる人間」
幸運。僕がこの事態に直面している時点で、これは既に幸運ではない。
僕はエルフ、つまりは魔法使い。ちょっと偏屈な男子高校生。
全然納得できない。
僕は生まれてから、奇跡を起こしたことなどなければ、不思議な現象を引き起こしたこともない。偏屈に育った、どこにでもいるありふれた学生だ。
「先生。僕は魔法なんて使えません。それは僕の家族みんなです。もし、僕がエルフの子孫であるならば、僕の父や母もまたエルフでなければならない。そうでしょう?」
「もちろん。血統的には、という意味になるが・・・。」
「なら、僕はエルフではありません。そんな話を聞いたことがありません」
「言っているだろう?この人類文明は、知性を基調としている。野性を嫌うんだ。支配対象となったエルフが、無駄に魔法を扱ったりするとでもいうのかね?」
「たとえ魔法を使わずとも、この家はそういう血筋だと伝えることはできるでしょう。そのような話を聞いたことなんてありません。それに父と母は生真面目な性格ですから・・・・」
「地方銀行のセールスマンの父と、歯科医の母親。確かに生真面目な両親だ」
「その通りです。魔法なんてもちろん、エルフだって、あるいは、ラッキーだって下手すりゃ信じてません。そんな二人が、こんな壮大なファンタジーを隠してるだなんて思えません」
「君は親とまともに話していないんだろう?」
「・・・はい」
「両親は隠しているだけなのかもしれない。言いたいのに、言えないだけなのかもしれない。まあ、いずれも違うが」
「違う?」
「違うよ。おそらく、ご両親はこんな話一ミリも知らない。知る気だってないだろう。」
もはや、怪しいという言葉では表せなくなってくる。
杉田先生は、ペテン師としての才能があるのかもしれない。
「本能だよ。そのことを隠すのは。知られてたまるものか、これが本能にある。だから自身すら知らないし知りたくもない。」
「じゃあ、なぜ僕はエルフとしての血を残しているのでしょう?その調子なら、僕の先祖の中で、一般人類と子孫を残した時点で、エルフの血は薄まっているのではないでしょうか?」
「運命だよ、簡単に言えばね。科学的に言えば、種族保存則。自分の配偶者として相応しい人間を見つけたとき、結ばれずにはいられなくなる。運命の赤い糸。」
「赤い糸・・・。」
「君は、初対面の男女が顔を合わせたとき、我々の深層心理では何を考えていると思う?」
「初対面の男女?」
「ああ。」
嫌な予感、なんとなく社会ではタブーと呼ばれる気味の悪いグレー色。
「仲良くなれるかどうか、不安に思っている、とか?」
「まさか!わかっているだろう?生殖本能だよ。この世のどんな美しい言葉を並べ立てても、どんなに文明的知性的な言葉を並べたとしても、表現できないような心情。ドロドロとした気味の悪い気持ち。より優秀な遺伝子を残すために、適合者を探し出している。」
「・・・・」
わかっていたとしても、あえて口に出さないことが世の中には、ある。
そんなことを、杉田先生はいとも簡単に、当たり前のように言ってしまう。
「時代、文化の変化で、同性間にもそういった感情が芽生えるのかもしれないが・・・。とにかく、エルフの血はそのようにして残されている、と俺は考えている。永田もまた然り。一定の条件をクリアすると、その性質が開花というか、芽生える」
「一定の条件?」
「ああ。」
「それはいったいなんだっていうんですか?」
「エルフが当初、どのような存在であったか考えれば答えは簡単だ。」
非知性・・・。
「その通り。」
僕はまだ発声していない。だが、杉田先生は魔法使い。杖を一振りでなんだってできる。その杖が見えないだけだ。
「青少年者で、知性を獲得することができなかったエルフの血を引くもの。あんまり気持ちよくないかもしれないね」
「気持ちがいいはずありません。」
「だが、なんてことはない。君に知性なんてない。ちょっとばかし成績が良いだけ。日本の教育システムにうまく当てはまっただけ。純粋に人類文明と向き合った時、君には知性の欠片もないんだ。事実、それは君が真のエルフであることが証明している。」
杉田先生は僕の瞳の中をじっとみつめてきた。
「要するに、子供なんだよ。大人になりきれなかった歳喰い。君は大人にはなり切れなかった。」
「僕にだってまだまだ・・・。」
「確かに。現代文明、の上ではね。現代文明の上では、君はまだ子供で差支えない。精神的に未熟。大変結構。しかし、今話しているのは、我々のもっと原始的な本能の上での話なんだ。16歳なんんていえば、結婚して子供ぐらいいるんじゃないか?君は大人にはなれない。未来にわたってね。君の精神的な成長は終わった。センテンス・トゥ・デス。ちょっと違うけど、そういうことだよ。君はエルフになるしかないんだ」
「僕が魔法を使えるだなんて、証明されてないじゃないですか。そんなひどいことをよく・・・・、なんでもありません」
「いい。こんなことをストレートに言われるのは確かに不愉快だ。だが、君は間違いなくエルフだ。それを俺は感じとってる」
待てよ。杉田先生は、先ほどから虹色の閃光を出してみたり、俺の心理を読み取ったり、エルフとしての能力をフル活用している。なぜ?
「もっと、証明を出してください。僕が魔法を使えるというのなら、呪文の一つでも教えて下さい。」
「いいだろう。もちろん、呪文の必要はないが、おそらく簡単な魔法ならできると思う。」
杉田先生は机から腰を下ろし、近くにあったコーラのペットボトルを僕の机の前にもってきた。杉田先生が歩くとき、その革靴は、コツコツと気持ちのいい音を鳴らした。
僕はなにより、杉田先生がコーラ、というか炭酸飲料を飲むことに驚いた。
先ほどの通り、杉田先生は見た目から言えば品のいいおじいちゃんなのだ。いかにも緑茶を好みそうなタイプ・・・とかいう話ではなく。
魔法・・・、魔法・・・、魔法・・・。どう証明するという?
ゴトン、杉田先生はペットボトルを置いた。
「見るんだ。穴が開きそうな程、な。」
「えっ・・・。」
僕は従うしかなかった。最善の選択肢だ。
じっと見つめる。ずっと見つめる。なんてことのないコーラ。ありふれたコーラ。黒い。
僕はコーラが好きだ。学校内の自販機では、缶のコーラであれば150ミリリットルを100円で買える。財布が寂しい時の、丁度いい腹満たし。
プシュッという音。運が悪ければ、炭酸の勢いで中身が飛び出す。しゅわあっという音・・・。
シュワっ。シュワぁ?シュワシュワ?
とにかく・・・あの泡が・・・、泡?
ブクブクという泡。シュワシュワという炭酸。
炭酸・・・。
その時、コーラの水面が、少しずつ揺れ始めた。僕の体が一気に硬直する。
見ずにはいられない・・・。
最初は大きな波だったその揺れは、徐々に小刻みに波立ち始めた。
僕は驚いた。驚かずにはいられなかった。
机も揺れていないし、ペットボトルも揺れていない。
中身だけが、小刻みに揺れている。
集中力は途切れた。揺れはなくなった。
僕は一気に、体の硬直から解放された。体と心が疲れ切ってしまった。
放心状態。何も考えられない。何も受け入れられない。
「どうだ。揺れただろう?もちろん、種も仕掛けもない。なんの変哲もないコーラのぺとボトル。中身だけを揺らす方法は?」
「種も仕掛けもない証拠なんて・・・・どこにも・・・・」
「もちろん、その証拠はない。なんの変哲もないペットボトルだ。俺はそういうしかない。」
「えぇ・・・。そうでしょうね・・・。そうでしょうとも・・・。じゃあ、一体なんだってコーラだけが揺れるんです・・・・?」
「わからないとでも?」
「あぁ・・・。はい、なんでもありません・・・。」
「まぁ、いいだろう。今日は帰りたまえ。もう地上では夕焼けを迎えているはずだ。」
「はい・・・。」
「うん。あとそれと、もし今日のことを信じる気になったのなら・・・・。ここで魔法教室を開くつもりだ。エルフのための学校。まぁ、とにかく、明後日の放課後、またここに来てくれ。もっとも、教えるのは俺じゃなく、南条先生になるが・・・・。まぁいい。」
「覚えておきます・・・。」
「そうか。そうだな。考えを整理する時間は必要なものだ。たっぷり考えてくれ」
僕は、立ち上がった。もう理解ができない。
荷物を乱暴につかんで、さっさとこの部屋をはなれたかった。
失礼しますと言いかけた時、
「あ、あと斎藤ケン君も一緒だから。そのつもりで。」
一瞬にして、思考回路がストップした。
僕がこのとき描いていた世界が、ゆっくりと壊れ始める。
杉田先生のあの言葉は、そんな印象を与える言葉だったと、記憶している。
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