定期考査、いつもの風景、当たり前の風景

そんな風にして、テスト前の一週間は終わり、テストを迎えた。

ぬかりはない。あるとすれば、漢字ミスか計算ミスぐらいなものだろう・・・。

また、たいして悪くもない成績をとって、たいして喜びもせず、たいして悲しみもせず、大したことのない成績表がやってくるのだ。

そして、大したことのない友達がやってくる。

「久しぶりだなあ、お前」

彼はケン、斎藤ケン。サッカー部に所属していた。入部当初からかつてない程の輝きを放っていた彼に対して、部活面をアピールしたい学校側と、それに押しつぶされるサッカー部側は、彼の登場を嬉々として迎え入れた。しかし結局、夏休み前には「自分にはサッカーは向いてない」と宣言し、去って行った。どの人間も彼の自主退場を引き留めようとした。サッカー部顧問はもちろん、外部コーチ、クラス担任、学年主任、ファンの女子生徒。「俺はね、ああいう義務的なサッカーは嫌いなんだ。もっと、やりたいときにやりたい。やりたくないときはやらない。そうでありたいんだ。サッカーに限らず、人生においてもね」彼が僕に言った言葉だ。

その辺にいるアメリカ人を連れてきて、この件について相談すれば、きっと日本の教育批判が山ほど飛び出してくることだろう。

「久しぶりだな、ケン」

「あぁ、久しぶり。一週間ぶり・・ぐらいか?まぁ、気持ちはわかるけどね」

「一週間ぶりぐらいだ。僕に自習は不向きなんだよ、わかってくれるだろう?来たくないときには来ない」

「あぁ・・・、俺の言葉か、それ。」

「そうだよ、ケンがサッカー部を辞める時に、僕に言った言葉だよ。」

「俺はあれから、少しだけわかったことがある。世の中に義務は必要だ。ただし、例外が存在する」

「ケンらしくないじゃないか?自分の言ったことを曲げるなんて?」

「それぐらい、今日の俺は疲れているということだよ。なんだよ、あの国語総合のテスト?まったく、ふざけていやがる。」

「現代文の問題だろう?あれは確かに不意打ちだった」

「不意打ちどころのレベルじゃないぞ?教科書読め、って言っといて、なんで教科書からださねえんだ?」

ケンは身を震わせ、顔を真っ赤にして怒っていた。

「落ち着きなよ、あの鬼才がやることだから・・・」

「鬼才もいいところだ。ほかの教科の難化はわかってた。これまでのは遊びだ、って口揃えてどの教科も言ってからな。だけど、国語・・・。国語だけは許せねえ・・・。」

国語の試験が終わったとき、、いっせいにため息がつかれた。僕でさえも、少し頭が痛くなった。

「んあー、まあ中間で稼げてるはずだから、赤点はないはずだし、まあいっか」

「いいじゃないか、僕は中間テストに出てないから、一発勝負だぞ?」

「あぁ、そうだっけ・・・。お前、ホントとよく学校来ない度胸あるよな」

「僕は上昇意欲はない、下降意欲もないけどね。」

「何はともあれ、俺にもお前にもうれしい冬休みだ。俺はバイトをやるぞ。出会いを探すんだ」

「アルバイトにそれを求めるやつ、初めて見たよ・・・。ふつう、遊ぶ金がほしいとかそんなもんだろう?カッコつけて、社会勉強とかさ・・・。」

「出会いは社会勉強だ」

「この学校には君のファンが山ほどいるだろう?」

「それはもはや過去の話。この学校の女はアホだ。俺がサッカー部から消えてから今、三流程度のプレーしかできない二年の奴が皆の王子様さ。ワックスでベタベタの髪型がイケメンの秘訣だ。あいつがエースとか呼ばれてるんじゃ、この学校はいつまでも予選大会で準優勝で終わりさ」

「君が嫌いそうなタイプだね・・・。」

「まさしく、大嫌い。それよりも、西高の女はいいぞ・・・。あいつらは、程よく頭が良い。学力とか、試験の成績の話じゃないんだ。なんというか・・・品があるというか・・・」

「知性を感じる」

「そういうことだ。知性を感じる。」

「知性のない女は?」

「大嫌いだ」

「ちなみに、バイトはなにをするんだ?」

「清掃」

そこに出会いがあるのだろうか。

僕は少し笑った。たいしたやつではないが、ユーモアを持っている。

「ハイ、みんな座って。帰りのHR終わらせちゃうからねー。」

クラス担任がやってくる。

「えーっと、まぁ、早帰りなわけだけど。もちろん、帰り道にどこかで寄って打ち上げをしようなんて公立高校みたいなマネはだめだよ。これは大丈夫だね」

「あと、文理選択の進路調査を出してない人がいます。その人はあとで職員室に来てください。まぁ、これは本人の意思に任せまーす。」

僕のことだ。

「あとは・・・ないね。日直は日誌と掃除忘れずに。クラス委員は配布物、配ってくれたのかな?あぁ、大丈夫?オッケ。」

「それじゃあ、日直、号令」

ガタガタと椅子から立ち上がる音がして、気のない挨拶が飛ぶ。

担任は颯爽と教室から出ていく。周囲を田んぼに囲まれたこの高校は、教員が利用するような適当な飲食店がない。ちゃんと食べようとすると、バスで15分はかかる最寄り駅に向かわなければならない。すると、教員たちの昼食といえば、出前の弁当か、自前の弁当ということになる。担任は、重度の出前ユーザーであることで有名だ。

「さて・・・」

少し独り言が漏れてしまう。せっかく、テストで早く帰れるというのに、職員室に行かなければならないなんて、面倒くさくて仕方がない。

「お前のことだろう?進路調査未提出者?」

ケンがやってくる。

「その通りだよ。怒られるかな?」

「さぁ・・・、でも、面倒くさいことになるのは間違いないだろうな。なぜ出さない?」

「なぜ。文理が決まらないからだよ。別に将来の夢とか、なりたい職業があるわけじゃない。得意教科で決めようにも、特に得意不得意があるわけでもない。君はどうやって決めた?」

「あえていえば、得意教科かな。俺は数学が好きだ。数学のためなら努力できると思った。だから理系を選んだ」

「合理的な選択だ。だけど、僕にはそういうヒントがあるわけではない。そもそも、文理に分ける必要はどこにある?あるべきは、卒業した時の進路先を見たときに、文系だった理系だったという結果論だ。違うのかな?」

「さぁ・・・・。俺にはお前の言っている意味がわからないな。生きていく中で、文系理系という分かれ道ができた。たったそれだけのことだろう?」

「確かに。それはそれで正解なんだ。わかってる。」

「とにかく、あの担任のところに向かうべきだろうな。弁当の受け取りはもう終わってるだろう」

「その通りだ。」

「じゃ、俺は帰るよ。またな」

「それじゃ」

ケンはバッグをもって教室を出ていった。おそらく、彼は出会いを求めでどこかに行くんだろう。

「いくか・・・」

僕も荷物をまとめて、職員室に寄った後にすぐ帰れる準備をする。

テストの全日程が終わったので、生徒たちは気が抜けたのか、教室でおしゃべりを楽しんでいる生徒が多い。この後、どうせ何か理由をつけて出かけていくのに違いない。

僕はそんな明るい教室を出て、職員室へと向かう。

職員室からこの教室は、一番遠い。何せここは四階で、職員室があるのは教室棟のとなり、管理棟の一階にある。

教室棟から管理棟へは、二階と三階に渡り廊下が通っている。屋根はあるものの、壁はない。

冷たい風が、僕の顔を打ち付ける。

ふと空に視線を向けると、冬独特の薄暗い空。

分厚い雲が太陽の光を遮り、それはちょっとした喪失感を人々に与える。

僕は、冬のこの雰囲気が好きでたまらない。


「あぁ、来たね。未提出者くん」

僕が呼びかけると、担任が顔を上げた。

やはり出前の弁当を食べている。

「えぇっと・・・。進路調査票はもって・・・るわけないか」

「はい、すいません」

「いや、別にいい。ええっとね・・・。一枚予備があったんだけど。どこにしまったけなあ・・・。」

ガタガタと机の引き出しを開ける。

この学校の教員は、基本的に整理が苦手なのだろうか。見渡すと、殆どの教員の机には、書類や提出物の山があり、机の周りは教科書だのノートだのが散乱している。

殆ど、机として作業するスペースがない。

「ああ、見つけた見つけた。うーん、これだよなあ・・・。おととしのとかじゃなければいいけど・・。」

発行日が書かれているであろう右上のほうをじっと見つめる。

「オッケーーオッケー。ちょっと待ってて。コピーしてくるから。」

僕と彼の弁当を置いてきぼりにして、コピー機のほうへ駆け寄っていく。

こういうとき、何をするべきなんだろうか。黙って立っているのが一番合理的なのだろうが、棒立ちするのもなんだか馬鹿馬鹿しい。

向かい側の机で、見かけたことのある男子生徒が彼のクラスの担任から怒られている。

テストが終わったこともあってか、職員室は生徒でごった返していた。

「ホントすいません。いや、再試でなんとか成績はしますんで・・・」

そしてたいてい、そんなことを考えていると、待ち時間はすでに終わっている。

「いやあ、ここのコピー機も駄目だねえ。何回かに一回はつまるんだよ。いっつもつまるんじゃないかって冷や冷やするよ」

その時、ガタッガガガガという何かが詰まった音がすると、警告を示す電子音が鳴った。

「ほうらね。あっ、しかも南条先生だ。あの音楽の先生が使うといっつも詰まるんだよ。ありゃ、ツイてるね。」

コピー機の前で、若い女性教師がため息をついてるのが見える。

その時、その南条先生がこちらを一瞬見て、僕であることを認識したのか、僕に向かってほほ笑んだように見えた。

芸術科目は選択制なので、音楽の授業はとっていたないから僕のことを知る由もないはずだ。

なんだか、その微笑みが僕の頭の中に焼き付いた。簡単にいって、美しかった。

「それで・・・。ハイ。進路調査票ね。これ、終業式までには用意しといて。」

「わかりました、ありがとうございます」

「でさぁ、なんで出さなかったの?最近、学校来なかったのと何か関係ある?学校やめようとしてますとか?」

「辞める気はありません」

「じゃあなぜ?」

「よくわからないんです、文理選択をすることの意味が。だからどちらに選択していいかわからなかったし、提出のしようもなかった」

「おー。なるほどね。なるほど・・・。」

担任は手で顎をさすり、僕の言葉を飲み込もうとしていた。

「でもさ、進路学習でもやったよね?その意味について。」

「希望する進路、職種にむけ、日々の学習授業をより専門化するため、でしたっけ。」

「その通り。それじゃあ不十分なわけだ?」

「僕には希望する進路もありませんし、なりたい職業もありません」

「漠然と、大学には行こうという目標はある」

「はい。ただなんとなく。それが最も無難な気がするから」

「ふむ、なるほど。じゃあもし、高校生が文理選択をしなかったら、世の中はどうやって文理にわけられるんだろう?」

「結果論です。大学入試、専門学校入試、就職試験・・・。これらが終わったとき、結果論としてそれが文系であったのか、理系であったのか。それにそもそも、文理に分ける必要性はないのではないでしょうか」

「確かに、世の中を文理に二分する必要性は、生徒だとわからないよね。でも考えてごらん。もし、文理に分けなかったら、君たちは現文も日本史も数学も理科もやることになるんだろう?もちろん、そういう学校もあるんだろうけど、それはイレギュラーな場合だ。つまり、ある程度専門化することは、楽をすることなんだ。」

「はあ」

「あと、こっち側としては、生徒がどんな進路先を選ぶのか、予想することができる。うん、これが一番のメリットだね。つまり、保険なわけさ。」

「はあ」

「まぁ、俺から言ってもあんまり伝わらないよね。俺だってまだ若者世代だし。杉田先生が呼んでるよ。君と話したがってるみたいだ。」

「えっ?杉田先生が?」

「うん、アイツは俺と話さなきゃだめだな、って」

「わかりました」

「書庫別室にいるから。図書館のさ。わかる?」

「わかります、大丈夫です。」

「そう・・・。まあ、思う存分話してきてよ。あの人、天才だから。俺は昼飯食べなきゃいけないし、テストの丸付けしなくちゃいけないし、成績入力に授業の出席日数確認・・・大変だあ。」

担任が頭をかきむしる。

「じゃあ、以上です。行っていいよ。」

「失礼します」

担任の机を離れる。

職員室を出ていく際、さっきの向かいの机をみてみると、まだ彼は怒られていた。彼の担任は、勉強不足が原因なんだと彼に説教をしていたが、まずこの時間が無駄だ。机に縛り付けてテストの解き直しでもさせるほうがまだマシになるだろう。

コピー機の南条先生は、まだコピー機と格闘していた。

職員室を後にする。

目的地に向かう途中、会話に勤しむ女子生徒二人とすれ違う。

「ねえ、ウチの学校って、なにが強みなんだろうね?」



それは図書館だ。

明治時代に源流がある我が校は、ある一人の物好きな老人によって創始された。管理棟の端には、彼の銅像が建てられていて、忘れ去られた過去の遺物としてもなお、力強く真正面を見つめ続けている。横に書かれた我が校はじまりの歴史はこうだ。

彼の家は大地主で、土地の権利だけで裕福な暮らしをすることができた。彼には優秀な家庭教師が付き、非常に頭の良い青年となって、やがて地主としての跡を継いだ。

そんな彼が興味を持ったのが、とにかく洋書だった。純粋文学、自然科学、医学、法学、哲学・・・。彼は多岐にわたるジャンルの本をかき集め、そして立派な書庫を持つまでになった。

そして、その噂を聞きつけた作家や思想家、事業家らが彼の書庫を訪ねた。こんな地方部に、東京から客がやってくるのは珍しいことだったので、彼は初めのうちは敬意をもって迎え入れた。

しかし、彼の元を訪ねた客は苦しくも情報不足のあまり、日本の古い、伝統的な考えに縛られるばかりで、彼の持っていた知識力に劣った。彼はもちろん失望したわけで、そこで日本の将来性を危惧し、私塾を開講することにした。これが、我が校源流の誕生である。

開講当初は、なかなか人が集まらなかったが、蔵書物に誘惑された人々が入講し、東京に戻った私塾生がその存在を広めると、瞬く間にインテリが集まった。

そのあと、私塾は教育制度に支配される学校となり、戦後、新しい制度の下、大学となった。いずれも彼の蔵書物は丁寧に保管され、新しい洋書を増やすだけでなく、また国内書についても保管されるようになった。

大学が軌道に乗ると、付属校が設置される。我が校のことだ。

「教養こそ真の力なり」、彼のモットーであり、我が校の建学の精神である。ごくごくありふれた建学の精神だ。彼はとっくの昔の人間で、忘れ去られた過去の人物だが、その精神は生き残りつづけたのだ。

その証拠に、我が校設置の際には、大学が持っていた蔵書物の一部が寄付され、ちょっとした私立図書館が設立された。大学本部の図書館の蔵書数には遠く及ばないものの、図書館としてはなかなかのもので、建前上は来校関係者や周辺住民も利用できるとされている。

それが、我が校最大の、強みなのだ。



僕は書庫別室のドアを開ける。



         これが、すべての悲劇の始まりなのである。

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