4.ダンジョンで人を助けるのは云々

 下町から見上げる王城のあかりは、きらきらとして、とても綺麗だった。まるで、無数の宝石の群れ。

 そこにはきっと、見たことも無い美しい人たちがいて、温かいベッドと、美味しい食事があるのだろう。


 酒場のゴミ捨て場で残飯を漁りながら、ルミリアはずっとそんなことを考えていた。

 自分には縁のない世界。

 恐らく、何百年たっても辿り着くことのできない、遠い遠い場所。


 服の下に隠したペンダントに触れる。

 この宝石を売れば、きっとまとまったお金が手に入る。

 今みたいなみじめな生活からは抜けられる。


 でも、それはやっちゃいけないことだ。


 失くしてはいけないものがある。

 譲ってはならないものがある。


 それが何か、と訊かれても困ってしまうが。


 少なくとも、ルミリアにとってそれは、このペンダントだった。


 生活のため、お金のため。

 このペンダントを手放すようなことは、あってはならない。


 遠い昔、このペンダントを受け取ったとき。

 お母さんと、そんな約束をした。


 良くは覚えていないけど。

 そんな気がしていた。



 ある日、ルミリアの前に一人のエルフの老婆が現れた。

 ルミリアの姿を見ると、老婆は驚いて言葉を失ったようだった。


「お前さん、ひょっとしてセイバークォーツを持っているかね?」


 怪しい感じがしたが、泥棒の類には見えない。

 素直にうなずくと、ルミリアは胸元からペンダントを取り出して見せた。


 宝石を一目見て、老婆はぼろぼろと涙をこぼした。


 それからルミリアの身体を強く抱きしめて。


「おお、こんなところで。ようやく見つけることができました」


 しわしわの手でもみくちゃにされながら。

 ルミリアは、とにかくさっさと離してほしいとしか思っていなかった。



 それが、大賢者ルビーとの出会いだった。




「ルミリア、起きてくれ。まずいことになった」


 クラナスの声で、ルミリアは眠りの世界からダンジョンの中に帰ってきた。

 随分と昔の夢を見ていた気がする。

 まぶたに触れると、かすかに濡れていた。


「なにー?なんか出た?」


 簡易結界で守られているとはいえ、モンスターに発見されると厄介なことになる。

 魔法の杖を握ると、ルミリアは見張りをしているクラナスの方に向かった。


「そうではない。どうやら、アーシュが独りで行ってしまった」


 ぎょっとして、ルミリアは一気に目が覚めた。

 アーシュが寝ていた辺りを見ると、もぬけの殻だ。

 慌ててクラナスのところに駆け寄ると、クラナスは黙って地面の一点を指差した。


 そこには、指で土を削ったと思われる書き置きと。


 ルミリアのペンダントが残されていた。



『オイラには何もできることが無い。

 オイラがいると、二人の足手まといにしかなりません。

 二人は強いから、二人だけなら何とかできると思う。

 頑張って、地上を目指してくれ。

 オイラのことは気にしないで、探さないでください。

 それと。

 こんな目に遭わせてしまって、ごめんなさい』



「うぁの、ぶぁか!」


 ルミリアは大声で怒鳴った。

 怒りで全身が震えている。

 この怒りは。


 自分に対する怒りだ。


「クラナス、すぐに出発するわよ」

「追いかけるのか?」


 ルミリアはクラナスを激しく睨みつけた。


「あったりまえでしょ!」


 地面に置かれたペンダントに大股に近付いて。

 ルミリアはしゃがみこんだ。


 セイバークォーツの輝き。

 失くしてはいけないもの。

 譲ってはならないもの。


(私は、バカだ!)


 ペンダントを拾い上げると、ルミリアはぎゅうっと握りしめた。


 緋色の塔に入って。

 何不自由ない暮らしをして。

 ルミリアは忘れてしまっていた。


 自分が、貧しい孤児であったことを。

 アーシュのように、生きることに一生懸命であったことを。


 それでいて、自分の中に裏切れない輝きがあったことを。


 ルミリアの言葉は、態度は。

 どれだけアーシュを傷付けたことだろう。

 追い詰めたことだろう。


 二度とこんな危ない場所に近付かないでほしいとの思いからの行動だったが。


 大間違いだ。

 ルミリアは強く後悔した。


「ルミリア、ダンジョンからの脱出だけを考えるなら、このままアーシュを置いていく方が生存率は上がるかもしれない」


 クラナスの言葉に、ルミリアは自分の耳を疑った。

 この蛮族バーバリアンは何を言い出すのだろうか。


 ふらふらと立ちあがって、クラナスの顔をじっと見た。

 クラナスは、冷静にルミリアを見つめ返してきた。


「それでも、追いかけるのか?」


 ルミリアはペンダントを強く握った。

 掌が痛むほどに。血がにじむほどに。


 生存率。

 足手まといなんていない方が、生き残ることはできる。


 ルミリアはクラナスを睨んだ。

 視線で、相手を殺さんばかりに。ありったけの憎悪を込めて。


 生きるため。

 自分だけでなく、貧しい家族のためにこんな場所に入り込んできた子供。


 セイバークォーツの輝きの向こうに、誰かの影が見える。

 母と、もう一人。


 失くすな。

 譲るな。


 とても大きな背中。


「私は、置いていくなんて絶対しないの。主義なの。文句ある?」


 吐き出された言葉を聞いて。

 クラナスは、ふっと相好を崩した。


「解った。自分はルミリアに従う。さあ、アーシュを探しに行こう」




 迷宮の片隅で、アーシュは膝を抱えて座り込んでいた。

 二人から離れて、だいぶ歩いてきた。地図なんて持って来ていないし、もう自分が何処にいるのかも判らない。


 でも、それで良かった。

 アーシュなんて、いない方がマシなのだから。



 大家族の中に産まれて。

 アーシュは、兄弟たちの中で一人だけ、取り立てて特技の無い存在だった。

 手先の器用さも、足の速さも、自然に対する知識も、魔力マナの扱いも。

 どれも平均。上手にできることなんて何も無かった。


 兄や姉たちは、出稼ぎのためにすぐに自立し、次々に家を出ていった。

 それぞれの理由はあるとは思うのだが。

 家を出て行った兄弟たちからは、その後全く音信が無かった。

 幼い弟や妹たちの世話をするために、アーシュは家に残り続けた。


 しかし、家を出た兄弟からの仕送りが無いままでは、貧しさは変わらなかった。

 ある程度の年齢になったアーシュは、何も出来ない自分がそこにいるよりも。


 せめて、いなくなった方が一人分の食い扶持が減って生活が楽になると。


 そう考えて、家を飛び出してきた。



 自分一人くらいなら、なんとかやって行けるだろう。

 最初、アーシュは楽観的に捉えていた。


 だが、世の中はアーシュが思っているよりはずっと厳しかった。

 元より、アーシュには特技と呼べるようなものは何もない。

 そんなハーフリングの子供に任せられるような仕事など、あるはずもなかった。


 アーシュは、自分が食べていくことすらままならず。

 町はずれの馬小屋の藁の中で、震えながら眠りにつく毎日だった。


 このままでは、飢えて死ぬだけだ。

 アーシュは一念発起して、冒険者のパーティーに潜り込み、ダンジョンに入ってみることにした。


 うまいこと王国の迷宮探査団にガイドとして接近し、行動を共にすることはできた。

 宝箱を前にするところまではいった。


 だが、結局のところお宝には巡り合うことは無かったし。


 罠に引っかかって、ルミリアを危険な目に遭わせてしまっただけだった。



 がさがさという物音がした。

 ハーフリングは耳が良い。特技とまではいかなくても、気配を感じることに関しては少しは長けているつもりだ。


 モンスターが近付いて来る。

 それが判っても、アーシュは動こうとしなかった。

 ただじっと、その時が訪れるのを待っていた。


 暗がりの向こうから、にゅるにゅるとうごめくものが姿を現した。


 くすんだ緑色の、不気味なつるが絡み合った巨大な植物。

 一番太い幹のようなつるには、毒々しい色彩の大輪の花が咲き誇り。

 その花弁の中には、肉食獣を思わせる鋭い歯列が見え隠れしていた。


 食肉植物、ヒュージプラントだ。

 根は無く、太くて長いつるを触手のように操って自ら移動し、獲物を捕らえて。

 花の中にある口で噛み砕き、栄養として吸収する。

 恐ろしくも、獰猛なモンスターだった。


 ヒュージプラントはアーシュの存在に気が付くと、真っ直ぐに向かってきた。

 数本のつるが、アーシュの足下にまで伸びてくる。

 それを見ても、アーシュはまだ動かなかった。


 アーシュなんて、ここにいても、何の意味も無い。

 いなくなった方が、ずっと良い。


 アーシュは顔を上げた。

 すぐ近くに、ハードプラントの真っ赤な口が迫っている。


 このまま、モンスターに食べられてしまえば。

 いらないアーシュは、ここからいなくなることができる。


 つるが、アーシュの脚をからめ捕った。

 ぎりぎりと、猛烈な力で締め上げてくる。

 そのままアーシュの身体を引き寄せて、口の中に放り込もうというのだろう。


 もう終わりだ。

 後は、目を閉じて我慢していればいい。


 でも。


 がちんがちん、というハードプラントの歯が噛み合わされる音が聞こえて。

 アーシュの目から、ぼろぼろと涙が落ちた。


「怖いよ。怖いよぅ。怖いよぅ」


 震える声が、喉の奥からあふれ出した。



「伏せなさい!」



 まぶしい閃光と共に、焔の球がハードプラントを直撃した。

 物凄い悲鳴が上がり、アーシュの脚を掴む力が緩まった。


 次の刹那には、アーシュの目の前にクラナスが飛び込んできていた。

 アーシュに向かって伸ばされていたつるが、大剣の一閃で全て切り払われる。


 さっきよりも更に大きな悲鳴が響き渡った。

 ハードプラントの花弁が激しく揺れ動き。

 がっちがっちと激しく歯を噛み合わせて威嚇してくる。

 クラナスはアーシュをかばうように、ハードプラントに向かって仁王立ちした。


「大丈夫か、アーシュ!」


 アーシュは何も言えなかった。

 呆然と、クラナスの背中を見つめていた。


「ダメ、もうほとんど魔法使っちゃった。虎の子使うから、二人ともじっとしてて」


 ハードプラントの背後に、ルミリアがいた。

 クラナスがハードプラントの注意を引き付けている間に、呪文の詠唱を進める。

 胸元のペンダントを手に取ると、ルミリアはその宝石を頭上高くに掲げた。


 魔術の力を増幅させる宝石、セイバークォーツ。

 透明な輝きが、ルミリアの呪文を強化する。


爆裂エクスプロージョン!」


 ハードプラントの内部で、空間が縮退して小規模な爆発を作り出した。

 小規模、とは言っても物体を破壊するには十分過ぎるものだ。

 猛烈な勢いで広がる爆発の勢いに飲まれて。

 ハードプラントの体は内側から粉々に粉砕され、そのまま破裂した。



 花弁やらつるやら、良く判らない臓物やら。

 ハードプラントの破片が辺り一面に飛び散って。


 クラナスとアーシュは、巻き添えを喰らって、頭からぐっちゃぐちゃのどろどろを浴びせられた。


「アーシュ、大丈夫だった?」


 付近にはもうモンスターの気配はない。

 ルミリアはアーシュに駆け寄った。


 でっかいぐちゃぐちゃと、ちっちゃいぐちゃぐちゃ。

 ちっちゃい方がアーシュだろう。

 顔のある辺りを拭いてやると、薄汚れたアーシュの泣きっ面が出てきた。


 ルミリアの顔を見ると、アーシュの表情は更に歪んで。

 声を上げて泣き始めた。


 アーシュの様子を見てほっと胸を撫で下ろすと。

 ルミリアはアーシュの頬に優しく触れた。


「ごめんね、私、強く言い過ぎてしまった。アーシュのこと、もっと考えてあげるべきだった」


 しばらく、アーシュはひたすらに泣き声をあげていたが。

 やがて、意味の分かる言葉を発するようになった。


「臭いー、すごく臭いー!」

「そっちかよ!」


 確かに物凄い匂いだった。

 ハードプラントのあれこれが飛び散って、辺りはすっかり悪臭の坩堝るつぼだ。


 でっかいぐちゃぐちゃ、クラナスが顔をぬぐって、ぶはっと息を吐いた。


「確か、湯が沸いている部屋があったはすだ。そこに行こう」


 ルミリアのローブにも、粘液やら何やらが染みを作っている。

 まずは綺麗になってから、ということで。


 臭い一行は、ぞろぞろと移動を開始した。




 このダンジョンを作った奴は、やはり頭がおかしい。

 最初にこの部屋を見たとき、ルミリアはそう思った。そして、今回も改めて思った。


 扉を開けた先にあるのは、綺麗に磨き上げられた石で造られた、大きな浴槽だ。

 中身は、良い加減のお湯で満たされている。

 つまり、この部屋はそのまんま、お風呂というわけだ。


 ダンジョンの中に、お風呂。


 湧水といい、このお風呂といい。

 死なない程度の落とし穴といい。


 このダンジョンを作った奴は、間違いなく遊んでいる。

 アトラクションか何かだと思っているのではなかろうか。実に腹立たしい。


「じゃあ二人とも、ちゃっちゃと綺麗にしてきちゃって」


 とりあえず汚れのひどい男性陣からなんとかした方が良い。

 レディーファーストとかそんなことを言っている場合でもないだろう。ルミリアはクラナスとアーシュを先に入れようとした。


 が、アーシュはルミリアのローブの裾をぎゅっと掴んだまま、動こうとしなかった。


「何?泣くほど臭いんでしょ?」

「クラナスと一緒はいやだ」


 この期に及んで、わがままか。

 ルミリアはがっくりとうなだれた。


「もー、まだわがまま言うの?少しでも時間節約したいんだから」

「わがままだけど、そういうことじゃなくて!」

「どういうことよ?」


 うーっと、何か言いたげにアーシュがルミリアを見上げてきた。

 いつになく強い意志を感じる。

 なんだろう、としばらく考えてから。


 ルミリアはようやく思い至った。


「アーシュ、あなた、ひょっとして、女の子なの?」


 恥ずかしそうに、アーシュは小さくうなずいた。




 ルミリアとアーシュは、一緒に湯船の中に浸かった。

 普段は中性的というか、男の子のような恰好をしているから気が付かなかったが。

 服を脱いでみれば、なるほど、アーシュは女の子だった。


 子供っぽいと感じていたのは、年齢的なものもあったが。

 女性的な顔立ちや、声の高さからそう思えてしまうところもあったのだろう。

 出るところは出ているし、全てが薄っぺらいルミリアと比べれば、全然女の子だ。


「あんまりじろじろ見るなよ」

「いや、女の子として見れば、アンタ結構可愛いなと思って」


 アーシュはぶすっとむくれた。


「それが嫌なんだよ」


 家を出て一人で生きようとしてから。

 アーシュは自分が女であることを隠してきた。

 色々と舐められたり、女というだけで危ない目に遭うこともあるからだ。


 確かに、荒くれ者の多い冒険者稼業においては、それは正しい判断かもしれない。

 アーシュなりに色々と考えた結果なのだろう。


 やれやれ、とルミリアは肩の力を抜いた。


「アーシュ、このダンジョンから出たらだけど」


 ぴくん、とアーシュが身体を震わせた。

 その様子を見て、ルミリアは目を閉じて話を続けた。


「人のことは言えないけどさ、あなた、冒険者向いてないわ。違うことを考えた方が良い」

「でも、オイラ、なにもできないし」


 何もできない。

 そう、確かに「今は」そうだろう。


「とりあえず、緋色の塔にいらっしゃい。あなた一人のお給金ぐらいなら、私から出せる。丁度小間使いが欲しかったのよ」


 部屋の片づけが天才的に下手くそなルミリアが、掃除要員を必要としているのは確かなことだった。

 あの研究室を綺麗にしてくれるのなら、お金なんて喜んで払ってやる。


「まあ、その辺にあるものは勝手にいじらないでほしいけどね。多分ダンジョンの宝箱よりひどい目に遭うわ」


 片目を開けて、ルミリアはアーシュの顔色をうかがった。

 アーシュは、ぽかんとルミリアの方を見ている。


 ふふっ、と小さく笑って。


「ちょっと考えておいて」


 ルミリアは再び目を閉じた。


 かすかに、アーシュのすすり泣く声が聞こえる。

 お湯が温かい。

 クラナスには悪いけど。


 アーシュが泣きやむまで、もう少し時間がかかりそうだった。

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