3.ダンジョンで一山当てるのは云々

 夜明けを告げる、王城の鐘の音が聞こえる。

 窓の外から射し込む光に照らされて、ルミリアは目を覚ました。すっかり研究に夢中になって、眠り込んでしまったらしい。


 長椅子からむっくりと起き上がると、胸元に手をやる。

 堅い感触がある。ペンダントに付けられた宝石だ。

 それを確認してほっと息を吐くと、ルミリアはぐーっと伸びをした


 緋色の塔にあるルミリアの研究室は、ごちゃごちゃの荒れ放題だった。

 ルミリアは古今東西にある、ありとあらゆる攻撃魔法を調べていた。そこかしこに文献やら巻物スクロールやら魔法の道具マジックアイテムやらが転がっている。

 下手に片付けようとすれば、魔法が暴発して大惨事が発生する。それが恐ろしくて、誰もルミリアの研究室には手が出せなかった。その結果としての、この散らかりようだった。


 自分にしか判らない部屋の中の小路を通って、ルミリアは窓の方に近付いた。

 塔の高い位置にあるこの窓からは、王城の中庭を見下ろすことができる。

 いつも通りの時間、いつも通りの場所で。

 聖騎士パラディンのジャスティンが、剣技の鍛錬を始めていた。


 毎朝、雨の日も風の日も、ジャスティンは欠かさず決まって訓練をおこなっていた。

 聖騎士パラディン見習いとして王城に入って来てから、ずっとだ。

 ルミリアはたまたま徹夜明けのときにそれを見かけて以来、気になって観察をし続けてきた。


 王国の紋章の入った大盾タワーシールドを前に構えて、激しく押し出す。

 シールドバッシュ。

 そこから、剣での一撃。聖騎士パラディンの剣技は、力強く、それでいてどこか優美だ。

 ジャスティンの動きを眺めていると、ルミリアはうっとりとしてくる。


 見た目の格好良さだけではない。

 こうやって、日々の努力をないがしろにしていない。真面目な努力家。

 そこもまた、魅力の一つなんだよなぁ、と。


 ほやぁん、と目尻を下げたところで。



 ルミリアは現実に帰ってきた。




 ルミリアが目を覚ますと、ダンジョンの冷たい地面の上だった。

 最初こそ寝付けなかったが、実際に眠ってみれば研究室での椅子寝とそれほど大差は無かった。

 胸元のペンダントの感触を確認する。うん、大丈夫。


 辺りは、天井からのぼんやりとした光に照らされている。

 そうか、陽の光など無いんだと気が付いて。

 ルミリアは時計を確認した。

 時刻はもうすっかり朝だ。知らない間にぐっすりと眠ってしまっていたみたいだった。


 ぐっすり?


 ルミリアは慌てて飛び起きた。

 交代で見張りをする手はずであったと記憶している。


 クラナスの姿を探すと、焚火のところで朝食の支度をしていた。


「ご、ごめん、クラナス」

「構わない。魔術師ウィザードは魔力の回復が第一だ」


 クラナスはさらりとそう応えて笑った。

 最初から、ルミリアの分は自分が見張りに立つつもりだったのかもしれない。


 申し訳ない気持ちでいっぱいになって、ルミリアはその場に縮こまった。


 ふと、そういえばアーシュはどうしたのだろうかと思って、周りを見ると。

 昨日眠ったときと全く同じ位置で、のんきに寝こけていた。


「えーっと、アーシュは見張り替わってくれた?」

「疲れていたのであろう。一晩ぐっすりと眠っていた」


 なる、ほど。


 ルミリアはアーシュの方に歩み寄った。

 アーシュは斥候スカウトだ。

 しかも駆け出しで、スキルなんて何も持っていない。


 魔力の回復とか、そういったこととは一切無縁。

 さらに言えば、見張りってそもそも斥候スカウトの仕事なのではなかろうか。


「起きろやぁー!」


 ルミリアはアーシュを全力で蹴っ飛ばした。




 ジャスティンたちと合流するには、とにかく上の階層を目指すしかない。


 強制転移テレポーターでルミリアとアーシュが吹き飛ばされた後、ジャスティンが考えそうなこととしては。

 一時ダンジョンから脱出して、態勢を立て直すか。

 あるいは即座に二人の救助に向かうか。

 このどちらかに限られるだろう。


 魔術師ウィザードで、後列からの攻撃の要であるルミリアと。

 いかに怪しげで信用できないとはいえ、ガイドのアーシュを失ったのだ。

 真面目な性格のジャスティンが、二人を置いて脱出したり、無視して更に下の階層に行くとは思えなかった。


 恐らく、ジャスティンは二人を見つけるため、一階層ずつしらみ潰しに探索を進めているはずだ。

 上に向かえば、必ずどこかで合流できる。

 ルミリアたちは地図を作りながら、慎重に上へと向かう道を探し始めた。



 大剣を手に入れて、クラナスの戦闘力は格段に上昇した。

 しかしクラナスには、魔術師ウィザードであるルミリアと、何にもできないアーシュの盾になってもらう必要がある。

 不必要な戦闘は、なるべく避けて通らなければならない。


 そう、言い聞かせておいたはずなのだが。


 アーシュは、そんなことには全くお構いなしだった。

 宝箱を見つけると、もう何も考えずにすっ飛んで行ってしまう。

 不用意にフタに手をかけてしまう。


 毎回それを止めるのが大変だったし。

 結局止められずに罠にはまって酷い目に遭うこともあった。


 これでまた、強制転移テレポーターなんか喰らってしまった日には目も当てられない。



「アーシュ、いい加減にしてほしいんだけど」


 湧水のある小部屋で休憩を取った際、ルミリアはいい加減堪忍袋の緒が切れてしまった。


「今の私たちの置かれている状況を考えて。宝箱とか、そんなものに構ってる余裕はないの」


 ルミリアに激しい剣幕で責められたが。

 当のアーシュは、少しもめげなかった。


「だって、もし上の階にいって、他のメンバーと合流したら、オイラはクビでしょう?」

「そりゃ、まあそうね」


 アーシュは、ガイドと偽って迷宮探査団に近付いてきた。

 斥候スカウトだと自称しているが、見る限りその経験も随分と怪しいものだ。

 正直、ここまでの道のりではお荷物としてしか機能していない。


 ジャスティンたちと合流したら、アーシュの嘘については報告しなければならないだろう。

 少なくとも、ガイドとしての役割は任せられない。


 それにもし、アーシュがガイドでも、熟練の斥候スカウトでも無いのだとしたら。

 むしろ、こんな危険な場所にいてはいけないのだ。


 クビ。

 というよりも、一般人として避難してもらう必要がある。


「困るんだよ。オイラはどうしても稼ぎを作らなきゃいけないんだ。ダンジョンにいる間に、一山当てたいんだ」


 すっかり観念して、アーシュは自分の身の上を語り出した。



 アーシュの家は、大家族だ。兄弟が多い。

 貧しい家族の迷惑にならないように、アーシュも早くに家を飛び出したのだという。


 しかし、食い扶持を探すといってもなかなかうまい仕事が無い。

 そんな中、手っ取り早い稼ぎ口として、ダンジョン探索を思い付いた。


 ダンジョンの中には、どっさりとお宝が隠されている。

 冒険者たちはそのお宝を持ち帰って、街の酒場でいつも派手に遊んでいる。


 それはとても魅力的だったが。

 残念ながら、力の無いアーシュ一人では、ダンジョンのモンスターにはまるで歯が立たない。


 そこで、アーシュは飛びっきり腕の立つパーティーに潜りこもうと考えた。


「・・・それが、私たちってワケ?」


 ルミリアは呆れかえってため息も出てこなかった。


 まあ確かに、国王の勅命で召集、結成された強者揃いのパーティーだ。

 腕が立つかと言われればそうだろう。


 その分、世情にはうとかった。

 こんな浅い考えのハーフリングの子供一人に騙されてしまう程度なのだ。

 ルミリアは自分で情けなくなってきた。


「で、そのせいで、ここでこうして一人の魔術師ウィザード窮地きゅうちに立たされているんですけどね」


 ぎろり、とアーシュを睨みつける。


 確かにアーシュの身の上には同情はする。

 だが、それはそれ、これはこれ、だ。


 人を騙してパーティーに入り込んで。


 強制転移テレポーターでぶっ飛ばされて。

 仲間からはぐれて。

 命からがら逃げ回っている真っ最中。


 そんな状況で、罠がかかっているかもしれない宝箱を、片っ端から開けようとされてしまったら。


 怒らない方がおかしいだろう。


「いやそれは悪かったよ。でも、半分くらいは自分のせいだとも、言えなくは、なくない?」

「言・え・な・い!」


 ルミリアは完全に怒り心頭だった。

 火でも噴き出しそうなその勢いに、アーシュはしょげかえってしまった。



 ぷりぷりと腹を立ててその場を離れたルミリアと入れ替わりに。

 クラナスが、アーシュの隣に並んだ。


 小さなアーシュは、クラナスの腰の位置よりも背が低い。

 クラナスはそっとその場にしゃがみ込むと、アーシュの目を真っ直ぐに見た。


「アーシュの気持ちはわかる。だが、背伸びをしすぎて、自分を危険な目に遭わせてしまっては、元も子もない」


 クラナスの言葉に、アーシュはふるふると首を横に振った。


「オイラはクラナスのおっさんみたいに腕が立つわけでも、ルミリアみたいに魔法が使えるわけでもないんだ」


 アーシュは斥候スカウト。とは言っても全くの駆け出しだ。

 戦う技術も、ダンジョンで生きる技術も何も持っていない。


 それでも何とかして、宝を手に入れなければならなかった。


「慌てることは無い。出来ることからやっていけばいい」


 クラナスの言葉は、静かで優しい。

 言っていることも間違ってはいないだろう。

 しかし、それでもアーシュはそれに従うことはできなかった。


「そんな悠長なことを言ってる間に、弟とか妹が餓死したら」


 はっとして、アーシュは口をつぐんだ。


 クラナスはじっとアーシュの顔を見つめていたが。

 そのまま、何も言わずに立ち上がると。

 ルミリアの方に歩いていった。



「アーシュ」


 出発の前に、ルミリアがアーシュに声をかけてきた。

 また文句でも言われるのかと、アーシュはげんなりとした。


「これ、先に渡しておくわ。手切れ金」


 ルミリアは首からペンダントを外した。

 今まで、衣服の下にしていたので判らなかったが、かなり大きな宝石が付いている。

 その澄んだ透明な宝石を握ると、ルミリアはアーシュの掌に乗せた。

 プラチナのチェーンがさらさらと流れて、宝石の輝きの上に更なるきらめきを彩った。


「何これ?」


 アーシュは宝石とルミリアの顔を交互に見比べた。

 ルミリアは、無表情だった。


「だから手切れ金よ。このダンジョンから出たら、もう私たちを追いかけてこない、っていう」


 アーシュの胸の中が、カッと熱くなった。


 これは、ほどこしだ。

 恐らくあの後、ルミリアはクラナスから何か聞いたに違いない。


 アーシュはペンダントをルミリアに突っ返した。


「いらない。馬鹿にしてるのか?」


 アーシュの中で、悔しさが渦を巻いた。


 どんなに苦しくても、つらくても。

 アーシュは、物乞いになったつもりは無かった。


 これをやるからあっちに行けなど。


 アーシュにできることなど何もないと、そう宣告しているようなものだ。

 小さなプライドが、アーシュの中で粉々に砕け散って。

 その破片が体のあちこちに刺さって、ちくちくと痛んだ。


「そう」


 アーシュの手からペンダントを受け取ると。


 ルミリアは、今度はアーシュの手首を握った。


 アーシュの指を一本ずつ開いて。

 小さな掌の真ん中に、ペンダントの宝石を置いて。


 そのまま、ぐっと、強く握らせた。


「じゃあ、これがあなたの報酬になるように、しっかりと働きなさい」


 有無を言わせない声色だった。


 立ち尽くすアーシュを残して。

 ルミリアはそれ以上は何も言わずに、黙ってその場を離れた。


 アーシュはただペンダントを握りしめて。

 声を殺して、泣いた。




 その後、アーシュは大人しくルミリアとクラナスについてきた。宝箱を見つけても、走って行くことは無くなった。無駄口を叩くことも無かった。


 それどころか、一言も口を聞かなかった。


 クラナスが心配そうに何度か振り返ったが。

 ルミリアは、アーシュの顔を見ようともしなかった。



 一行は、十五階層まで登ってきた。アーシュが静かだったので、かなりはかどった感じだった。

 モンスターにもほとんど見つからずに済んでいる。この調子なら、すぐにダンジョンの外にまで到達できるかもしれない。


 その日は、早めにキャンプを張って、野営の準備を始めた。

 節約はしているのだが、簡易キャンプの休憩だけでは、ルミリアの魔力が追いつかなくなってきていた。


「もう少し慎重に、こまめに回復しながらでも構わないと思うが?」

「ううん、そんなことしてたら、いつまでも外には出れないもの」


 ルミリアは、一刻も早くジャスティンたちと合流したかった。

 当然、自分のこともあるが。


 何より、アーシュをこれ以上ダンジョンにはいさせたくなかった。


 食事のときも、眠りにつくときも。

 アーシュはやはり何も言わず、黙ったままだった。

 ルミリアが渡したペンダントを、ただずっと強く握りしめていた。



「あのペンダントは?」


 アーシュが寝た後、見張りに立つルミリアにクラナスが話しかけてきた。


「ああ、母の形見」


 クラナスの問いに、ルミリアはあっさりとそう答えた。


 記憶にもほとんど残っていないような遠い昔。

 何かの折に、エルフの母からルミリアに渡されたものだ。


 母の顔など、もう全く思い出すこともできないのに、

 不思議と、あのペンダントが母からのものだということだけは、ルミリアはしっかりと覚えていた。


「でっかい宝石だし、それなりの金額にはなるでしょう」

「いいのか?」


 ルミリアは軽く肩をすくめてみせた。


「宮廷魔術師ってお給料良いし、私、あんまりお金使わないから」

「いや、そうではなく」


 クラナスが慌てているのが滑稽こっけいで、ルミリアは思わず笑ってしまった。

 その笑顔を見て、クラナスは何とも言えない奇妙な気持ちになった。


「思い出なんて、ほとんど無いのよ。だから、あってもなくても変わらないわ」


 実際、ルミリアは母のことを良く覚えていなかった。

 父もそうだ。ルミリアには、両親の記憶というものが全く無い。


 気が付いたときには、王都の下町で一人でゴミを漁っていた。

 ただ、首から下げていたペンダントだけは、ずっと大切に持っていた。


 それだけのものだった。


「セイバークォーツ」


 クラナスがポツリとつぶやいた。


「あら、よく知ってるわね」


 ペンダントに付いている大きな透明の宝石。

 セイバークォーツは、その名前だ。


 そこそこに珍しい石であり、魔術の効果を高める力がある。

 魔術師ウィザードにしてみれば、結構な価値があるものだった。


 クラナスが、じっと何も無い空間の一点を見つめている。

 どうかしたの、とルミリアが声をかけようとしたところで。


「ルミリア、母の名前を覚えているか?」


 クラナスの問いに、ルミリアは静かに首を横に振った。


「残念だけど、覚えてない。だからこそ、思い出も何もいらないのよ」

「そうか」


 そのまま、クラナスは黙り込んだ。



 二人の話し声を聞きながら。

 アーシュはうっすらと目を開けて、ただじっと横になっていた。

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