9:〈少年が決めた結末〉

 10日後。闘技場が開催された。

 切り株をスプーンでくり抜いたような形状の闘技場。六万の観客席は階層ごとに区分けされ、中央の『戦場』に近いほど、王族などの身分の高い者が座ることとなる。

 だが、この闘技場の観客席以外は未完成だった。

 白髪のエノーマスが待機する通路は、工事が間に合っておらず、急拵えの措置で誤魔化してある。

 継ぎ接ぎだらけの通路は、まるでエノーマスの深層心理を表しているようだった。

 カティ、獣人、マイル=ギラパール娘……この町で多くの人と出会い、様々な問いを投げかけられた。

 明確な答えは出せていない。

 しかし、今は目の前の仕事を果たすことに集中する。

「エノーマス様、お願いします」

 闘技場の案内人に催促され、エノーマスは通路の奥に進む。

 薄暗い通路の果てには、鉄製の門が設置されていた。

 奴隷の男たちが鉄門を開く。

 息苦しい密閉空間に、砂混じりの風と歓声がなだれ込んできた。

 拓ける視界。

 改めて、闘技場の巨大さを思い知らされた。

 戦場の広さは、百を越える人間が戦っても余りが出るほど。対面の観客席に座る人は、顔を視認できないほど小さく見える。

 このような巨大施設があるのは王都くらいだろう。

「エノーマス様、ご武運を」

「ああ。ありがとう」

「も、勿体ないお言葉でございますっ」

 自然と出た言葉に、案内人が驚き、深々と頭を下げる。

 何かおかしいことでも言ったのだろうか。

 エノーマスは頭を切り替え、戦場に踏み込む。

 陰から、光の元へ。

 歓声が殊更強くなり、人々の視線がエノーマスに降り注ぐ。

 視界いっぱいに広がる風景は、巨大な蟻塚を連想させた。

 蟻塚で言うならば、女王蟻に位置する――王族。

 王族の席には、王子候補の青年が座ってる。そして、そこにはライザとマイル=ギラパール、その娘も肩を並べる。

 娘と目があった。

 次の瞬間、管楽器と打楽器の演奏が始まる。戦争で鼓舞のために演奏される曲だ。

 銅鑼が曲の締めを飾り、人々の興奮は落ち着き始める。

『これより! 闘技場完成の記念剣戟を行う!』

 六万の歓声を押しつぶすほどの大声が響く。不自然に反響する大声は、風の魔法による特性だ。

『戦士は、武貴族序列一位・ロード! 代表代理エノーマス=ロード! 不穏分子掃討に貢献した、その腕前、とくと御覧あれ!』

 自分をもてはやす言葉を、エノーマスは聞き流していた。

 ――今日は曇ってるなぁ。

 薄い雲の幕に覆われた空を見上げ、アナウンスが終わるのを待つ。

『最強の一族に相対するは、国家転覆を企てたベリオスの幹部!』

 エノーマスが出てきた門とは、対面の門が開かれる。

 そこから出てくるのは、デキミアの仮面を被った敵だった。捕縛される際、手酷く痛めつけられたのか、ボロボロな服から生傷を覗かせている。

 ライザに勝てなかったとは言え、獣人の実力から鑑みれば相当なものと考えていい。

 事前にライザから染血状態で戦うように命じられており、通路で待機している間に、点眼は済ませていた。

 紅い眼が、デキミアを映す。

 獣人と闘ったあの夜以来の、再会。

 記憶とは多少異なり、思ったよりもデキミアは華奢だった。捕まってから、ろくな食事を取っていないだけかもしれない。

 しかし、なぜだろうか。デキミアを見ていると既視感のようなものを抱かずにはいられなかった。

 デキミアは、獣人のものと同じ小刀を素振りし、峰を自分の額に軽く当てる。

 精神統一か何かの儀式は分からないが、エノーマスは剣を引き抜き、構えた。

 小刀の切っ先が下がる。

 同時に――爆発的な脚力で肉薄してきた。

「――!?」

 手負いとは思えぬスピードに、反応が遅れる。が、染血の前では、ほんのわずかなラグでしかなかった。

 刃と刃がぶつりあい、甲高い音を鳴らす。

 デキミアは先手を活かして、攻勢を維持しようと乱撃を放ってきた。

 太刀筋は獣人に似ており、エノーマスは体術を警戒して防御に回る。

 しかし、その警戒は杞憂であることがすぐに分かった。

 デキミアの一太刀は軽く、こちらのガードが揺さぶられることはない。

 その上、デキミアは右腕を負傷している。よほど深刻なのか、必死に隠そうとする仕草が、負傷の看破へと繋がった。

 どう足掻いても、デキミアに勝てる見込みはない。

 ――生身だったらどうだったかな。

 人間がいくら努力をしようとも、ロードには絶対に勝てない。

 染血があれば、腕の傷一つ、一時間もしない内に完治してしまう。獣人との戦いで負った傷は、跡形もなく回復していた。

 エノーマスが少しでも力を入れれば、デキミアを獣人と同じように殺せた。

 だがエノーマスは戦闘に集中出来ていなかった。

 原因は、闘技場に漂う異質な雰囲気。

 観客たちが血眼になって同じ言葉を怒鳴り散らし、酷く興奮している。

 殺せ、殺せ、殺せ。

 六万の人間が一丸となって人殺しを求めていた。

『30秒経過……!』

 ここにいる観客たちは、仮面が死ぬまでの時間で損得が決まる。

 ――馬鹿馬鹿しい。

 他人の殺し合いを楽しむなんて気が狂っている。

 ちらりとエノーマスはライザを見た。

 意外なことに、ライザは薄く笑っている。

 まさか、ライザがこんな低俗な遊びを気に入るとは思ってもみなかった。

 ――兄さんも、武貴族というわけか。

 裏切られたような気持ちになる。

 ライザは、自分と同じ視点を持っていると思っていた。

 ――なら、ボクは何なんだ?

 急に世界から自分一人が孤立するような感覚に陥った。

 ――ボクはどうしてこんなにも客観的に見られている?

 エノーマスも武貴族だが、このような殺し合いは楽しめない。

 むしろ、その逆――吐き気がした。

 噎せる空気。

 熱を帯びる欲望。

 人の狂気。

 ――息苦しい。

「……っ!」

 剣が、小刀に巻き取られる。

「しまっ――」

 手から剣が離れた。

 ほんの僅かな間を置いて、刺突が迫る。

 眼球を射抜こうとする一撃を、エノーマスは紙一重で躱した。

 いくら染血で皮膚が硬化していても、柔い箇所は存在する。当たっていたら、間違いなく即死だった。

 ――相手に当てる気があれば、の話だが。

「どういうつもり?」

 疑問を投げかけたのは、エノーマスだった。

 今の一撃は、わざとタイミングを遅らせて、避けるように仕向けていた。

「……」

 沈黙に徹するデキミア。

 エノーマスが戦闘から意識を遠のけさせていた理由は、実力差から来るものではない。

「……もしかして、死にたい?」

 先ほどから、デキミアには一切の殺気が感じられなかった。

 こくり。

 精も根も尽きたのか、うなだれるようにデキミアは首肯する。

「そっか。なら、苦しまないように一瞬で決めるよ」

 剣を拾い、構える。

 デキミアは小刀を落とし、跳ねやすいように首を伸ばした。

 歓声とも怒声とも判別が付かない大声に包まれ、エノーマスは狙いを定める。

 ――殺さずに組み伏せることも出来る、か。

 不意に、娘の言葉が脳裏をよぎった。

 馬鹿な想像だ。吐き気がする。

 剣を振るう――その刹那。

 デキミアの破けた服から、右腕の包帯に気づいた。

「……っ」

 血が滲む包帯――

 既視感が強くなる。

 負傷した右腕――

 頭が痛い。

 華奢な身体――

 全ての符号が一致してしまった。

 エノーマスは、剣の構えを解く。

 観客席から沸き上がる罵声を無視して、デキミアの仮面を乱雑に外した。

 仮面の下。頭部がさらけ出され、獣の耳が立つ。

 間違いであってほしいと思った。勘違いであってほしいと願っていた。

 だが、現実は目の前にしかない。

「な、んで……?」

「殺しなさい……」

 恨めしく呟き、睨んでくるデキミア。

「どうして、あなたが!」

「早く……殺しなさい!」

「答えてくださいよ!! !!」

 デキミア――カティは落とした小刀を拾い直し、エノーマスに斬りかかる。

「早くしなさい! さもないと、殺すわ……!」

 高圧的な物言いだったが、彼女の焦りは目に見えていた。

「ボクを殺さなかったくせに!」

 今度はエノーマスがカティの小刀を奪い、無力化する。

「……っ」

「何かの間違いですよね……? あなたがベリオスの幹部だなんて……!」

「何も、間違いはないの」

 今まで見たこともない、憎しみに染まった顔。それは彼女に似つかわしくなかった。

「すべては復讐よ!」

 闘技場にカティの叫びが轟く。

「私たちは奴隷の子として産まれ、毎日が生きるために必死だった! 居場所も、食べ物も、服も……私たちには何もなかった! たった一つのパンでさえ、夢のようなごちそうだったの……!」

 エノーマスの知らないカティが、そこにいる。

 ただただ呆然と彼女の言葉に耳を傾けるだけだった。

「どうしてこんな辛いを思いをしなきゃいけないの!? 人として生きれず、獣としても生きれない……! 私たちは、何者なの!? どうして、誰も私たちを救ってくれないの!?」

 カティの心は美しい、とエノーマスは思っていた。

 しかしそれは、自分が彼女に押しつけた自分勝手なイメージでしかなかった。

「すべては国のせい! すべては貴族のせい! だから、私たちは――ベリオスを作ったのよ!」

 カティは眉間にしわを寄せ、目を細める。

「兄は言ってた……! ベリオスは世界を変えるって。人を救うって。……でも、私は、そんな綺麗事じゃない。私は、貴族がひたすら憎かった」

 憎悪がこちらに向く。


「あなたたちが憎い!!」


 カティに向けられた憎しみは、胸を抉り、心にぽっかりと穴を空けた。

「母を奪い、兄を奪い、何もかもを奪った……あなたたちが憎い!」

 泣きながらカティは言う。

「エノー……!! さっさと私を殺しなさい……! さもなくば、あなたが死ぬわっ!」

 エノーマスは喉元に刃を突きつけられているような感覚に陥った。

 カティの目は本気だ。いますぐにでも小刀を手に取って、こちらを殺しに来るだろう。

 ――何が正しいのか。

 ――何が間違っているのか。

 獣人の呪いが、心臓に蔦を這わせ、絞り上げる。

 誰が悪い?

 何が悪い?

 誰が正しい?

 何が正しい?

 答えは出ている。

 エノーマスは剣を握りしめ――そして、刃を深くまで突き刺した。

「何をしているの……エノー?」

 剣は、闘技場の地面に深々と埋まっている。

 ――正しいのは、カティさん。

 ――間違っているのは、ボクだ。

「ボクは、あなたを殺したくない」

 この町で、人を殺す理由を問われた。

 殺さなければ殺される。それは自分が考えた。

 仕事だから殺す。それはライザが教えてくれた。

 そのような人殺しの免罪符は――間違っていた。

「甘ったれないで……! 君は、兄を殺した仇よ! 今なら、殺せるわ……!」

 カティが小刀を手に納める。

「それでも構いません」

「馬鹿ね、救いようのない大馬鹿ね! 無駄死によ!」

「だって仕方ないじゃないですか」

 エノーマスは、自然と笑ってしまった。


「ボクは、あなたが好きなんだ」


 人を好きになる。そんなことは初めてだった。

「死んでほしくないと思うのは、当然ですよ」

 カティの顔から毒気が抜かれ、負の感情が消える。

 呆れるようで、それでも嬉しそうにカティは言った。

「君の心は眩しいくらい、綺麗だね」

 想いが通じ合えた。

 エノーマスは溢れる気持ちを抑える。

 今はカティを救うことが先決だ。

 まずはライザに掛け合い、この剣戟を中止させる。

 エノーマス一人の力なら、無理かもしれない。だがライザが協力すれば可能だった。

 ――こんなことは、もうやめよう。

 どんなことが起きようとカティを守り続ける。

 彼女が今まで受けてきた悲しみを、自分が埋めていこう。

 ――そう、これから二人で……

「騒々しいゴミめ」

 風が、通り過ぎる。

「あ……れ……?」

 どくんどくん。

 酷い目眩がする。

 どくんどくん。

 心臓が破裂しそうなほど強く脈打つ。

 どくんどくん――


 一振りの刀が、カティの胸を貫いていた。


「だから言っただろう、エノー。女は裏切るってね」

 まるで初めからそこにいたかのように、エノーマスとカティの間に現れたライザ。彼はカティの身体を蹴り飛ばし、刀身を抜いた。

「カティさん!!」

 一目散にカティに駆け寄る。

「エノー……?」

 カティの傷口からは取り止めもない血が溢れていた。

 傷口に手をあてがい、必死に血を止めようとする。

「嘘だ……嘘だ……こんなこと……!」

 この手でカティを守ろうと思った。

 この手でカティを救おうと思った。

 なのに、彼女の血を止めるには、自分の手はあまりにも小さすぎた。

「そう、だね……。嘘……ついてて……ごめんね……」

「しゃべらないでください……!」

「でもね……君と、いた時間が…………楽しかったの……。すごく……いとおしかったの。あぁ…………できるものなら――」

 痛いはずなのに、

 辛いはずなのに、

 瞬きすら出来ないはずなのに、

「ただのパン屋の娘として……君に会いたかったなぁ……」

 カティは笑った。

 それっきり、カティは動かなくなった。

「あ……あぁ……!」

 柔らかい笑みの表情は、凍てついている。

 喪失感が、心を白濁で埋めていく。

 人を失うとは、これほどまでに辛いものなのか。

 そう、つまりそれは、

 ――

 心が壊れていくのを感じる。その中で、唯一残されたものは――憎しみだけだった。

「良い勉強になっただろう、エノー。女は遊んでやるくらいが、ちょうど良い。感情移入なんてするから、こんなことになったんだよ? エノー、分かってるよね?」

「どうして……」

「ん? 何か言ったかい、エノー?」

 全力でライザに刃をぶつける。

「なんで殺したぁあああああああああああ!!」

 憎悪に表情を歪ませ、エノーマスは吠えた。

「誰に剣を向けている、エノー? このゴミと同じになりたいのかい?」

「この人は、ゴミじゃない!!」

 とても大切な人だった。初めて、人を好きになった。

 自分のことなんて、どうなってもいい。そう思えるくらい、守りたかった人だった。

「なんで、殺した! なんで……! なんで、殺したんだよ!!」

「冷静になりなよ、エノー。自分が言っている意味、分かっているのかい?」

「あんたの方こそ! 気づかないのか!? 自分が、しでかしたことに、気づけないのかよ!?」

「口の効き方も悪くなって……。まったく、本当に女ってのは悪影響しか与えないものだよ。俺は悲しいよ、エノー」

 ここにきてようやく、エノーマスはライザの狂気に気づかされる。

 自分はとんでもないモノに教えを請い、育てられてきたのかを悟った。

「クズが……!」

「なんだって?」

「あんたもあそこで笑ってる、クズ共と同じだ!」

「これはこれは……困ったね」

 エノーマスの猛攻は、軽々といなされている。

 これでは稽古と大差がない。

 だが、普段の稽古だからこそ、その癖を熟知している。

 僅かに見せる一瞬の油断。

 強者ならではの油断に、エノーマスは刃を突き立てた。

 その一撃は、ライザの左肩を貫く。

 鮮血が飛び散る。

「……やってくれるね」

 エノーは剣を抜こうとして、その刃を掴まれていることに気づいた。

 まるでライザの身体ごと石化してしまったかのように、剣はピクリとも動かない。

「君の選択は、それでいいんだね、エノー?」

 うっすらと開かれた目から、射殺すような殺気が放たれる。

「――っ!」

 剣が引き抜かれた。その次の瞬間、エノーマスは刀の峰で側頭部を殴られる。

 揺れる脳と視線。

 目の焦点が合わず、エノーマスは膝を折り、俯せとなった。

「ふぅ……。期待外れもいいところだよ、エノー。ここまでゴミに汚染されていたとはね」

 ライザに与えた傷が回復していく。まるで時の流れが数十倍にも速まっているような光景だった。

「反省だよ、エノー。は・ん・せ・い」

 何か嫌な予感がする。

「皆様方、我が愚弟が失礼しました」

 通る声でライザは観客に言い放つ。

「愚弟が台無しにしてしまった皆様方の賭ですが、ここは一つ、私に任せてください」

 ライザが指を鳴らす。

 すると、先ほどカティが出てきた門から、二桁を越える人が現れた。

 老若男女の集団。

 ボロボロの身なりから、奴隷かと思われた――が、

「……っ!」

 見知った顔がある。

 彼らは、スラム街にいた人々だった。

「――ベリオスの残党、百人斬り」

「やめろ……兄さん、あの人たちはベリオスじゃない……! 違うんだ! だから……お願いだから、やめてくれ……!」

「実はね、俺はそのゴミと約束をしていたんだよ」

 ライザはエノーマスの剣を逆手に持ち、そして――

 ざんっ!

 持ち主であるエノーマスの腰を突き刺し、磔にした。

「あがぁ……!」

「君がゴミを殺せたら、あそこにいる無実なスラム街のゴミ共を解放してやるとね」

 ライザは微笑のまま、悪魔のように囁く。

「これは君が出した答えだ、エノー。そこでしっかりと見ているんだよ?」

 エノーマスの視線の先、スラム街の人々が恐怖に怯えている。

 その中で、見つけてしまった。

 二つのパンを渡した老婆。その隣には――パンをくれた女の子。

「さあ、掃除の時間だ」














 灰色の曇天の下、エノーマスは町の中を徘徊する。

 フラフラと身体は揺れ、何度も転けた。

「ボクが、殺したんだ……」

 殺した。みんなを殺した。

 仕事だから。殺して当然。

 仕事だから。

 仕事だから問題ない。

 悪くない……悪くない?

 ――悪い。

 悪い。悪い。悪い。

 自分の全てが間違っていた。

 そして殺した、あそこで生きていた人々を。

 ――ボクが、カティさんを殺したんだ。

 のそりと立ち上がるエノーマス。

 そこに、小さな影が体当たりする。

「……っ」

 小さな影は、テッドだった。

 元気で悪戯好きの少年。その面影はなくなっていた。

 テッドの顔は、怒りと憎しみに染まる。

「返せよ……!」

 唸るように叫び、エノーマスから離れた。

 ぽたり、ぽたり、と赤い雨が降り始める。

 テッドの手には――鮮血に濡れたナイフ。

 腹部に熱を感じ、エノーマスは腹を触る。

 その手は、真っ赤な血で染まっていた。

「返せっつってんだよ……! カティねーちゃんを! みんなを! この人殺し!」

 声を上擦らせながら、テッドは言う。

「てめぇさえいなければ……誰も死ななかった! 返せよ! ひとごろし!」

 エノーマスは何も言えない。

「なんでだよぉ! なんで、奪ったんだよ……! 返せよ……! 返してくれよぉ! てめぇ、強いんだろ!? なんで、カティねーちゃんを助けてくれなかったんだよ! てめぇなら、守ってくれるって、信じてたのにぃ!」

 膝に力が入らず、エノーマスは前のめりに倒れた。

 そこにテッドがナイフを何度も、何度も、何度も――

「なんで!」

 テッドの問いが続く。

 エノーマスはその問いに答えず、一切の抵抗もしなかった。

 ――これは罰なんだ。

 犯した罪に対する罰。

 痛みがすべてを許してくれるような気がして、すべてを受け入れた。

 やがて、曇天から無色の雨が降る。

 雨粒は激しさを増し、エノーマスの血を広げていく。

 遠のく意識の中、雨音に混じり、馬車の音が聞こえた。

 それが死の迎えだと思い、エノーマスは薄く笑う。

 自分もカティと同じところに行けるのだと、安堵した。

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