8:〈呪縛に囚われた少年〉

 掃討作戦の翌晩、マイル=ギラパールの館では、闘技場完成間近を祝う華やかなパーティが開かれた。

 パーティの来賓には王国の関係者が多く、王都から来訪してきた貴族や大商人などが肩を並べている。

 昨晩の過酷な戦闘を終えたエノーマスも、パーティに顔を出す。

 正直なところ、ベッドで休みたかったのだが、ライザに尻を叩かれながら参加することとなった。

 ライザ曰く――貴族に顔を売るのも、今後の仕事に繋がる。

 マイル=ギラパールからすれば、エノーマスはベリオスの幹部を打ち倒した功労者。ロード家というブランドに、これ以上の延びしろはないが、個人での名声は別だ。

 名が売れれば、恩恵も受けられる。

 ライザの考えは、そうらしい。

「ふわぁ……」

 マイル=ギラパールの演説を背景に、エノーマスは欠伸を漏らす。

「欠伸はみっともないよ、エノー」

「でも、昨日は本当に大変だったんだ……」

「分かっているさ。エノーのおかげで、作戦は恙なく終えたんだからね」

 エノーマスだけの力ではないが、掃討作戦は成功を収めた。

 ベリオスは壊滅。スラム街に住んでいた人々は強制退去という形で町を追い出した。

 だが、払った代償は大きい。

 私兵団の長クダリオが作戦後にどこを捜索しても発見されず、私兵団は宙づり状態。今後は、王国から派遣された軍が、憲兵を勤めることになっている。

「兄さんの方が凄いと思うけどなぁ……」

 話を聞けば、熾烈な掃討作戦を終えた後にも関わらず、ライザの服には血の一滴さえ付着していなかったらしい。

「俺は、力を見せて恐怖を与えただけさ」

「ふぅん……」

「それよりもエノー、雇い主から追加の依頼をされたよ」

 エノーマスは、嫌悪感を一切隠さずに表情に出す。

「そう嫌そうな顔をするものじゃないよ。悪い話じゃない。闘技場が始まったら――」

 ライザから軽い説明を受ける。

 数日後の闘技場の完成式典を終えた後、デモンストレーションに参加する。たったそれだけのことだ。

 気は乗らないが、大した仕事内容ではない。報酬も本来の倍の額を出してくれる上に、闘技場の来賓への宣伝にもなる。

 ライザの言うとおり、悪い話ではなかった。

 エノーマスは仕事を引き受けることをライザに伝え、その場から離れようとする。

「どこに行くんだい、エノー?」

「眠いから夜風に当たってくる」

「エノー」

 名だけを呼ばれ、エノーマスは気だるさと闘いながら立ち止まる。

「決して立ち止まっちゃいけないよ」

「……どういうこと?」

 ライザの言おうとしていることが咀嚼できず、エノーマスは聞き返す。

「作戦を終えた後から、悩んでいるようだからね。兄としての助言だよ」

 ――何が正しいのか。

 ――何が間違っているのか。

 獣人の呪いが芽吹き始める。

 自分が考えている以上に、あの呪いはエノーマスに影響を与えているようだった。

「悩みというのは、人を成長させる。悩んで、考えて、答えを出す。その答えを出した分だけ、人は成長できるものなんだよ。だから――時間をかけてもいいから、答えを出すといい」

 ライザの言葉は、呪いの締め付けを緩和させた。

 作戦前はカティのことで少しギクシャクしていたが、やはりライザはエノーマスにとって頼もしい兄だった。

「ありがとう、兄さん」

「なに、俺はエノーの答えに期待しているだけさ」

 ライザに見送られ、エノーマスは館の庭に出た。

 向かうは、自然と人工物が織りなす中庭。

 その中心に――マイル=ギラパールの娘がいた。

「あっ……」

 彼女と視線がぶつかる。

 貴族の一人娘ということもあり、淡紅色のドレスに身を包む姿は、可憐でありながら儚さを持ち合わせていた。

 なぜ彼女がパーティに参加せず、中庭にいるのか。それはエノーマスには分からない。

 ただ、次にエノーマスがすべきことは、

「失礼しました」

 この場から立ち去るということだった。

「ま、待ってください……!」

 娘はこちらに駆け寄り、エノーマスの袖を掴む。

「何か、ご用ですか?」

 相手に刺激を与えないよう、エノーマスは極めて丁寧に言葉を選んだ。

「あ、あの……」

 袖を掴む手は震える。

「――無理はしない方が良いですよ」

 自分のことを嫌っているのに、なぜ近づこうとするのか。エノーマスには理解できなかった。

 突き放すような一言を告げると、娘は驚いたような表情を作り、その後に悔しそうに唇を噛んだ。

「無理をしているのは……あなたのように思えます」

 娘が声を絞り出す。

「ボクは、無理なんてしてませんけど?」

「あなた、ひどい顔をしています」

「作戦で疲れてますので……」

 呪いの影響は、赤の他人でも悟られてしまうほど、エノーマスを強く縛り付けているようだった。

「私と変わらない歳なのに……人を殺しているんですよね……」

「それが、仕事ですから」

 途切れ途切れの会話が続く。

 娘と言葉を交わしてみたいとは思っていたが、今のエノーマスは会話を楽しむ余裕はなかった。

「殺す必要はあるのですか?」

 呪いが、ざわつき始める。

「……殺さなきゃ殺されます。誰だって死にたくない。自分が生きるには、他人を殺さなきゃいけないんです」

「あなたほどの強い人なら、他人を生かして組み伏せることができるでしょう?」

 ――人を傷つけたこともない子供が、知ったような口を聞くな。

 喉元まで出掛かった言葉を呑み込む。

「先の作戦では、ボクより強い男がいました。あの男から勝利を得られたのは、奇跡としか言いようがありません。それほどの強敵を相手に、殺さずに倒すことなど不可能――」

「その人とは、本当に戦わなければならなかったのですか?」

 論点がズレている。

 それを注意する間もなく、彼女は話を続けた。

「本当に、戦うべき相手は誰だったのでしょう?」

 何かに怯えるように娘は病的に呟く。

「本当に、殺し合う必要はあったのでしょうか? 戦わない道もあったのではないですか?」

 エノーマスは、悪夢を見せられているかのようだった。

 娘は獣人の手先で、呪いを増幅させるために、エノーマスの前に現れた。そんな悪夢。

「休まれた方がいい。ボクよりも酷い顔をしてますよ」

「私は……思い出してしまったんです……。ベリオスは怖い方たちでしたが、それでも優しい方がいました……」

 娘は正気を失いかけている。

 機を見て、人を呼ぼう。そう決めて、エノーマスは娘の話に耳を傾けた。

「その方が、教えてくれたんです。私を解放する代わりに、ベリオスはスラム街の人々についての対話の場を設けたい、と。そう、お父様に要求していたそうです」

 娘が服を強く引っ張り――


「なぜ、お父様は、ベリオスと対話をせず、あなたたちを呼んだのですか?」


 エノーマスは息を呑んだ。

 彼女の父、マイル=ギラパールという男の正体を、エノーマスは知っていた。

 町を歩いていれば、彼の悪評は自然と耳に入ってくる。

 支配欲と権力に魅入られた男。プライドを傷つけられたら、妻であろうと絞首台に登らせる。

 彼にとって、家族とは道具でしかない。この娘も、どこかの貴族と繋がりを持たせるだけに用意した――道具なのだ。

「私には、もう……誰を信じていいのか……分かりません」

 そっとエノーマスに寄り添う娘。

 娘を救うには、どうすればいいのか――それを考えるにしても、エノーマスの思考は、獣人の呪いに蝕まれ、まともな答えを出せなかった。

「この野蛮者が!! お嬢様に何をした!」

 中庭に、第三者の怒声が響く。

 若い男だった。派手な装飾の服装から見るに、貴族だろう。

「お嬢様。こやつら、武貴族は人殺しで地位を奪うような粗暴者たちです。あなたのような高貴なお方は関わってはなりません」

 男は娘の手を取り、エノーマスから引き離す。

「貴様、ロード家の者だな? お嬢様を誑かそうとは、身を弁えろ! この薄汚い人殺しが!」

「彼のことを悪く言うのは、やめてください! この人は私の――」

 なぜ娘が自分を庇うのか分からないが、エノーマスはこれ以上の騒ぎを起こしたくなかった。

「失礼しました」

「え……? ま、待ってください! あなたには、まだ伝えたいことが……!」

 エノーマスは背を向けて、歩き出す。

 歩きながら、娘の言葉を反芻させる。

 治まりかけていたはずの呪いが暴れ出していた。

 考えれば考えるほど、呪いは身体に刻み込まれていく。

「……疲れたなぁ」

 星空を見上げ、エノーマスは呟いた。

 こんな血生臭いところにいたくない。

 太陽のように明るい彼女の笑顔が、見たかった。

 カティに会いたい。



 呪いは、パン屋に近づくに連れて希薄になっていく。

 パン屋の裏口から入るも、がらんどうの店内は、耳鳴りがするほど静かだった。

 パーティから抜け出したエノーマスは、店内でただただ立ちすくむ。

 ここには誰もいない。カティも、テッドも、この町から出て行ったのだろう。

 しかし、不思議と別れにショックはなかった。

「あれは……?」

 テーブルの上。バケットの中に、歪なパンがいくつか入っている。

 それが自分に宛てたカティからのメッセージだと悟った。

 エノーマスはバケットのパンを一つ手に取り、頬張る。

「進歩ないなぁ……」

 苦みの強いパンをしげしげと眺めながら、自然と頬が緩んだ。

 もしも彼女が聞いていたら、目を三角にして怒っていただろう。

 そんな幻想に浸りながらエノーマスは店内を見回す。

 短い時間だったが、カティの存在がここまで大きくなるとは思ってもみなかった。

「残りは……持って帰るか……」

 すべてが終わったら、バケットのパンを褒美としよう。

 エノーマスはバケットを手に提げ、パン屋を後にする。

 ――ボクが一人前になれたら、カティさんを探しに行こう。

 長い旅になるだろう。

 しかし、その先に彼女が居るのなら、いくらでも進んでいける気がした。

 立ち止まっていられない。

 一人前になるためには、今よりも成長しなければならない。

 だから今は目の前の仕事を完璧に成功させる。

 次の仕事は、闘技場のデモンストレーション。ライザが捕縛したベリオスの幹部と闘うことになる。

 その対戦相手は知っている。

 ベリオスの幹部――デキミアだ。

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