14-7


 そして、俺はついに、辿たどいた。


「――っ!」


 みんなのおかげで、最後の壁を突破した俺の目の前に広がっていたのは、あまりに異様な光景だった。


 ひび割れた大地から、ドロドロとした黒い力が、周囲の倒壊した建造物に、まるで蜘蛛の巣のようにからみつき、筋肉の収縮のように、脈動している。


 その様子は、はっきり言って生理的な嫌悪感しかかない気味の悪さだったけど、かまっている暇はない。俺の狙いは、そこにはない。


 この不気味な光景の、中心にこそ、用がある。


「あれか……!」


 そう、あれだ。あれとしか、言いようがない。


 座標と周囲の位置関係を考えれば、間違いないのだが、見慣れた国会議事堂の姿は見えず、ただそこにあるのは、地面に半ば埋まった、黒い巨大な球体だった。


 まるで、精密に模写された風景画の中に、適当に垂らされた油絵具のように、その黒点はのっぺりとして、立体感どころか、現実感すらない。


 そして、こんなにも接近しているというのに、神器の力を使っても、その内部が、果たしてどうなっているのか、まったく見えない。


 あそこにあるのは、ただ虚無だけだ。


「よっと……!」


 だけど、そんなことで、ひるんではいられない。


 ここまで来ればと、俺は加速しながら、進路上の邪魔な黒い力を一斉いっせいに破壊して、強引に突破をはかる。破壊しても、破壊しても、こちらにせまる黒い触手を、ひたすらに切り抜け、見る見るうちに増えていく包囲網を、強引に突破する。


 さすがに、これ以上は、足を止めないと厳しいかというタイミングで、この身体をつかもうと、四方八方から伸びる触手をギリギリで避けながら、俺は全力で踏み切り、弾丸のように飛翔して……。



 正体不明な、黒い円の中に、飛び込んだ。



「さて、と……」


 さあ、ここから目指すべき場所は、分かっている。


 竜姫たつきさんの反応は、国会議事堂の地下からのものだった。ならば単純な話として、どんな障害があろうとも、ただ下に向かえばいいだけの話だと……、思っていた。


 思っては、いたのだが……。


「これは……、どっちが下なんだ?」


 背中に走る怖気おぞけを隠しながら、思わずれた俺のつぶやきを、聞く者はいない。


 それは、分かっている。もう嫌というほどに、理解している。


 もしかしたら、ハットリジンゾウや、先ほどの神宮司じんぐうじみたいに、黒い力に操られた怪物が、大挙たいきょして待ち受けているかもと思ったが、その心配は必要なかった。


 そもそも、そんな怪物どころか、床や壁すら、存在しないのだから。


 まるで、空間の裂け目に飲み込まれるみたいに、もしくは、静かな水面みなもに飛び込むように、巨大な黒い球体の内部へと、とぷりと侵入した俺を待っていたのは、完全なまでの、恐ろしい漆黒だった。


 煮凝にこごりのような闇にかって、上下どころか、左右すらも、区別できない。自分が落ちているのか、のぼっているのかすら、判断がつかない。当然ながら、誰もおらず、通信も通じず、相談できる相手もいない。


 なにも見えない、なにも感じない、なにも分からない。


 分かるのは、この暗闇の中にいる限り、自分という存在が、ジワジワと侵食されてしまうような、不快感だけだった。


「……ちっ!」


 俺の舌打ちも、当然、誰にも届くことはない。


 天叢雲剣あまのむらくものつるぎの力で、俺を丸ごと飲み込もうとする空間そのものを、破壊する。


 しかし、いくら破壊しても、この黒い球体そのものが消滅することはなく、一瞬の油断すら許さない、永遠に消えない圧迫感が、俺という存在を押し潰すだけだ。


 八咫鏡やたのかがみの力で、自らの命気プラーナを最大限に高めることで、黒い力の侵食をふせぐ。


 この身にまとったカイザースーツに、輝く命気を送り込み続けることで、侵食される速度を遅らせると同時に、ダメになった部分を即座に破棄、修復を繰り返すことで、なんとか時間は稼いでいるが、現状維持が精一杯。


 そして、八尺瓊勾玉やさかにのまがたまの力を使っても、なにも見えない。


 このままでは、どこに向かっていいのかすら、分からない。目印なんて存在しない完全な黒の中では、そのままの意味で、自分の位置を見失ってしまう。


 今の状況は、悪いと言わざるをえない。



 だが、それでも俺は、自分で決めた前へと向けて、進むしかないのだ。



『むか~し、むかし、あるところに、とても傲慢ごうまんな一族がおったそうな……』


 そんな俺の耳に、いきなり、八百比丘尼やおびくにの声が届いた。


 まるで、孫を寝かしつける祖母のように……。


『天を開き、地をおさめた一族は、まさに栄華を極め、この世の春を謳歌おうかし、目もくらむような繁栄の限りを尽くしていたが……』


 朗々ろうろうと、あるいは淡々たんたんと、静かに聞こえる老婆の声の出所が、分からない。


『その傲慢さゆえに、欲が出た』


 この黒い力の中を、しゃがれた声が、不気味に反響を繰り返している。


 どこだ、どこにいる……。


『この星に生きる命の循環をつかさどる、龍脈の力を手にしたい』


 意識を集中する俺を、嘲笑あざわらうかのように、老婆は続ける。


『もはや、そんな必要などないというのに、それはいつしか、悲願となった。なにを犠牲にしようと歯止めの効かぬ、欲望に成り果てた……』


 遥かいにしえの昔話を、まるで体験したかのように。


『そして、ある時、生まれた時から龍脈に触れることができた王の血筋が、それでも自在には操れぬという現実に対し、焦燥し、怒り、なげき、蛮行におよぶ……』


 だがしかし、他人事のように。


『王の血筋の中で、もっとも龍脈の力と適合した王妃を、生きたまま、星の流れへと落とし込み、生きたまま、星の流れに溶かし込む……』


 老婆の話は、滅茶苦茶だ。そんな無茶に命をけるなんて、荒唐無稽こうとうむけいですらある。


『さすれば、星の循環は、生きたまま循環に加わった意思によって、手足のように、操ることができるであろう……、なんて夢物語を、誰もが信じた……』


 しかし、そこには決して無視できない、真実味があった。


『夫である王にわれ、臣下に望まれ、民に願われ、なにも知らぬ王妃は、おろかにも知らぬがままに、心を決める……』


 老婆の語り口は、穏やかですらあった。


『そして、あわれな女王おうひは、愚かな決意と共に、龍脈に消えた……』


 しかし、その奥に潜む激情を、見逃すことはできない。


『大いなる星の流れに沈み、ちっぽけな人の意思なぞ、泡のように消え失せる……、かと思われたが、王妃は耐えた、耐え切った!』


 老婆は、話を盛り上げる語り部のように、叫ぶ。


『国の子である民を思い、国の父であり、愛する夫である王を想い、その思いにすがくようにして、耐えに耐えて、耐え抜いた!』


 老婆は、悲鳴のような声で、ただ叫ぶ。


 まるで、なにかを吐き出すように。


『龍脈との同化を果たした王妃は、喜び勇んで、皆の元へと戻るため、そして、皆の喜ぶ顔を見るために、深い地の底から、飛び出した』


 しかし、いきなりトーンが落ちた老婆の声からは、即座に感情が消え失せ、どこか無機質にも思える空虚くうきょさに満ちていた。


 これでは、さすがに見つけにくいが………。


『しかし、そんな愚かな王妃を待っていたのは、信じていた民から向けられる恐怖、そして愛した王からの、拒絶だけだった……』


 どこからか聞こえる老婆の声に、少しの悲哀が込められた気がして、俺は、それを逃すまいと、意識を集中する。


『個の意思という不純物が混ざり込むことによって、龍脈の流れはゆがみ、異物である王妃が、まるで重石のように、循環をよどませる……』


 深く、深く……、老婆の声を、とらえるために。


『本来ならば、生と死が、陰と陽が、正と負が、釣り合っていたはずの大きな流れに落ちた重石は、底へと沈み、死を、隠を、負をふさめ、蓄積し、その存在へと固着されることで、さらに大きな異物になっていく……』


 俺ならできると、強く信じて……。


『気が付けば、もはや、死の化身と成り果てていた王妃は、人の姿すらしておらず、無限に広がる黒い汚泥おでいとして、帰還を果たしたのだ』


 不吉な伝説を語る老婆を、見つけるために……!


『その身をよじるだけで、ただ歩くだけで、死をらす王妃を、受け入れる者などおらず、待っていたのは、この世に生きる全ての命による抵抗と、無情にも、愛する夫により突き立てられた、絶望の刃だけだった……』


 俺は耳を澄ませて、老婆の話を聞きながら、その感覚をます。


 この耳を、目として使うために。


『おお、憐れなる王妃よ! 愛する者のために、その命を捨てたというのに、結局は愛する者に裏切られた、愚かなる王妃よ!』


 ……そこか!


 盛り上がる老婆の激情を、確かに掴み、俺は暗闇の中で、目を開く。


『……こうして、再び龍脈の底へと、押し込められた王妃は、その身の内に怒りを、悲しみを、絶望を、悪夢を、死をみながら、ただ待った……』


 さあ、俺にはもう、見えている……!


『ただただ、待った……、無限にも思える時間を、ただひたすらに……』


 そこで待つ老婆に向けて、俺は神器の力を使い、周囲の暗黒を一直線に破壊して、ただ闇雲に、突き進む。


『しかし、ああ、しかし! 愚かだが、愛しい子供たちのおかげで、時は動いた!』


 その愚かな子供とは、結託けったくしていた神宮司のことだろうか。それとも、あの老婆に操られていた八咫竜やたりゅう黒縄こくじょうだろうか。もしくは、奴の望み通りに、まんまと三種の神器を破壊した、俺のことかもしれない。


 それとも、これまで、この世界に生きてきた、全ての人間のことだろうか。


 だけど、そんなことは、どうでもいい。


『そして、遂に! ああ、遂に! 封印は解かれるのだ!』


 感極まった老婆の絶叫は、もう目の前に……!


『こうして、再び現世へと帰還した王妃は、死という救いを、この世に生きている、全ての愛する子供たちへと、あたくすのでした……』


 ……そこだ!


「めでたし、めでたし……」

「勝手に、終わらせるなよ……!」


 不気味な笑みを浮かべながら、むすびの言葉を、呪詛のように吐き出す老婆の顔を、この目で直接、確かにとらえた。


 ドス黒い漆黒を抜けた先の空間……、巨大な魔方陣にも見える、複雑怪奇な紋様が描かれた足場の中心に、奴はいる。


「ひっひっひつ、役目を終えた役者が、いったい、なんの御用かな?」

「悪いけど、俺はあんたの、出来の悪い脚本に乗った覚えはないんでね……」


 その不可思議な足場に、しっかりと着地した俺を、余裕たっぷりの態度で、嘲笑あざわらう老婆と向かい合いながら、ただひたすらに、意識を集中させる。


 ようやく、ようやく、辿り着いた……!


「勝手に終わらせられちゃ、困るんだよ……」


 俺は決意を言葉して、力に変える。


 そう、まだなにも、終わっていない。


 奴の思い通りに、終わらせてなど、なるものか。


「終止符を打つには、まだ早い……!」


 さあ、決着は、ここからだ!


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