13-8


 万全をし、万難をはいし、慎重に慎重を重ね、隠密行動にてっしてきたというのに、最後の最後に、敵と遭遇してしまった。


 なぜ気付かれたのか、気になるところではあるけれど、今は考えても、仕方ない。なにか不手際でもあったかと、反省するのは後でいい。


 可及的かきゅうてきすみやかに、解決するべき問題が、すぐそこにまで、せまっているのだから。


「よっと!」

「ぐるるるっ……!」


 こちらに向けて、獰猛どうもうな獣のようにうめごえを上げながら飛びかかってきたハットリジンゾウの繰り出した、凶悪な形状をしている小太刀による斬撃を避けながら、俺は魔方陣を障壁にして安全を確保しつつ、後ろに下がって距離を取る。


 とりあえず、相手の一撃どころか、奴が身体をよじったことで飛び散った、気色の悪い飛沫しぶきにも、触れたくない。いや、触れてはいけない。


 あの黒いドロドロには、絶対に触るなと、俺の本能が告げていた。


「はっ! ずいぶんと、元気そうじゃないか!」

「がああああっ……!」


 まずは様子見と、俺から声をかけてみたけれど、まともな返事は返ってこない。


 しかし、それも当然か。もうすでに、奴はその見た目すら、尋常なものではない。その両目は、マグマのように赤黒く輝き、不自然な骨格は、なんとか人の形を保っているものの、異様に発達した筋肉と、異常に伸びた両腕が、不吉にうごめく。


 それに、よく見れば、奴の全身をおおっているボロボロの衣類も、どうやら、ただの布ではないらしく、ドロドロと流動している。パッと見た印象は、御庭番と名乗っていたハットリジンゾウらしく、忍び装束のようだけど、どうやら、違う。


 あれは、衣装というより、奴の体内からにじした、不吉な黒い力、そのものだ。


「ふしゅううう……!」 


 気が付けば、もう日も落ち始めた夕焼けの中で、万年筆から落とされた黒い染みのように、異形の男が、不気味な吐息を漏らしながら、こちらをにらみ、たたずんでいる。


 その光景は、軽くホラーだが、とはいえ、すくんでいる暇はない。


「……っ!」

「おっと! ずいぶんと、やる気じゃないか!」


 幽鬼とでも呼ぶべき怪物と成り果てたハットリジンゾウが、ゆらゆらと、それまで意味もなく揺らしていた細長い身体を、一瞬で深く沈み込めたかと思えば、爆発的な加速と共に、こちらへと突っ込んで来たので、障壁を展開しながら、手早く避ける。


 そう、避ける。受けてはならない。


 やはり、あの黒い力に、直接触れるのは、危険すぎる。


「――王統おうとう創造そうぞう!」


 とりあえず、少しでも身を守るものが必要なので、俺は着慣れた装備を創り出し、この身にまといながら、さらに魔方陣を展開しつつ、機をうかがう。


 そう、こうなってしまったら仕方がない。ここは気持ちを切り替え、ポジティブに行こうじゃないか。これもチャンスと、開き直ってしまおう。


 八百比丘尼やおびくにがいる以上、あの黒い力への対抗策は、必ず用意しなければならない。


 だったら、あいつで色々、試してやろう。


「それにしても、前と違って、えらくスリムになったじゃない、かよ!」

「があああっ!」


 俺が展開した魔方陣から放たれた無数の魔弾は、狙い通りに、ハットリジンゾウの全身へと命中したけど、目立った効果は確認できない。獣のような雄叫びを上げてはいるものの、少なくともダメージはなさそうだ。


 こちらの放つガトリングのような速射を物ともせずに、恐ろしいほど鋭敏えいびんな動きと加速で、真っ直ぐ俺の方に向かって来る。


 この前、富士山で遭遇した時は、雪男を思わせる、もっと横にも大きい巨体だったはずなのに、今のあいつは、見た目からして、ずいぶんと様変わりしていた。


 それは、時間が経過したせいで、あの黒い力に、奴の身体が馴染なじんだせいなのか、それとも、あれからさらに、なにを手を加えられたからなのか、それは分からない。


 イメージとしては、飽和ほうわしていたものが、圧縮されたという印象だろう。しかし、なんにせよ、より厄介になったということだけは、確かなようだ。


「ぎぎぎぎぎっ!」


 とはいえ、こちらからいくら話しかけ、挑発しても、返事をするどころか、人語を解しているのかすら怪しい様子を見ると、理性どころか、自我すらなさそうなのは、これまでの、黒いドロドロに飲み込まれた奴らと同じか。


 だとすれば、まだ対処のしようがあるとも言えるけど、裏を返せば、あの黒い力に触れて、飲み込まれでもしようものなら、俺もああなってしまう可能性があるということなので、気は抜けない。


 さあ、どうする?


「そらよっと!」

「じいいいいいいっ!」


 とりあえず、周囲の魔素エーテルを集めて障壁にし、そのままぶつけてみたけれど、効果はなしだ。ひるむどころか、一瞬の足止めすらできない。


 どうやら、先ほどの魔弾もそうだが、あの黒いドロドロに触れた瞬間、それぞれを構成している魔素が侵食され、飲み込まれてしまうようだ。


 これは、なかなか厄介である。


「それなら、これはどうだ!」

「……っ!」


 ならばと、俺は視点を変えて、魔素を直接ぶつけるのではなく、その魔素を着火剤として使い、発生させた火炎を使って、ハットリジンゾウを包み込む。


 前回の富士山では、この方法で、一定の効果があった……、はずなのだが。


「ぐおおおおっ!」


 全身を炎に巻かれたジンゾウが、空気をつんざくような咆哮ほうこうを上げたかと思うと、奴の肉体を覆っている黒いドロドロが蠢き、はじけ、肥大ひだいし、全てをむさぼる。


 ならば、威力が足りないのかと、そこからさらに魔方陣を追加して、大量の火炎を叩きつけてみたけれど、結果は同じだ。その全てが、あっという間に黒いドロドロと同化してしまう。


 この前と同じような攻撃だったので、慣れられてしまったからなのか、それとも、向こうがパワーアップしているのか。もしかしたら、奴の中で渦巻く黒い力の純度が高まっているせいなのかもしれないが、確証は持てない。


 なんにせよ、このまま続けても、あまり意味はなさそうだ。


「さて、それじゃ、次は……」

「ぐるるるるるっ!」


 とりあえず、眼前にまで迫ったジンゾウの放つ、その長い腕を活かした大振りを、ギリギリで回避しながら、相手の動きを確認する。


 相変わらず、自分で喉の奥を握り潰しているみたいなうなごえを上げながら、しかし無軌道というよりは、明確な殺意を持って、的確にこちらの急所狙ってくる様子は、獣というよりも、殺人マシーンといった印象か。


 その両手に握られている小太刀の扱いも、出鱈目でたらめというよりは、なんらかの訓練をんだ者による熟練の技のように見える。そして、素早い。少なくとも、初めて奴と戦った時よりも、富士山で遭遇した時よりも、ずっと。


 どうやら、自我はなさそうだけど、ハットリジンゾウという人間が、これまで蓄積してきた経験を、黒い力が引き出し、限界を超えて動かしているかのようだ。


「これなら……、どうだ!」


 とりあえず、さらなる検証を進めるために、ジンゾウの繰り出す猛攻を、奴が動くたびに飛び散る黒い飛沫まで含めて、完璧に避けながら、俺は相手の動きを誘導し、狙い通りの場所に到着してから、この見事な庭園に置かれた大き目の石を、思い切り蹴り飛ばして、その顔に向けて砲弾のように飛ばし、ぶつけてみる。


 小難しいことはやめて、初心に立ち戻り、物理で攻めてみようと思ったのだけど、はてさて、その結果は……。


「ぐおおおおっ!」


 ふむ、効果なし。


 狙い通り、かなりの質量がある大岩が、凄まじい勢いで頭に激突したというのに、ジンゾウの体勢を崩すことすら、できなかった。


 というか、奴の頭部に接触した大岩が、その瞬間から、見る見るうちに、真っ黒く染まったかと思えば、ボロボロと崩れていったという事実の方が、重要か。


 やはり、単純な物理攻撃は、まったく意味がなさそうだ。


「さてさて、どうしたもんかな……」

「ががががっ……!」


 まあ、ここまでは想定内というか、ある程度は分かっていたことなので、それほど驚きは感じない。相変わらず、意味不明な叫び声を絞り出すしかない相手に、同情というか、あわれみにも似た気持ちは沸くけれど、それだけだ。


 確かに、気を抜くのは不味まずい状況だけれども、これまでは、かなり勢い任せに撃退してしまった黒い力の詳細を、調査するだけの余裕は、まだまだある。


 なので、ここはもう少し時間をかけてでも、なにか手軽な有効打を見つけることができれば、今度の戦いに、大いに役に立つことだろう。


 だから、俺はさらなる様子見をするために……。

 

「おっと」


 なんて、次の手を考えていた俺に向けて、四方八方から、黒い苦無くないのような物が、雨あられと降り注いできたので、小さな魔方陣を複数展開し、衛星のようにグルグル回すことで、その軌道を変えて、弾き飛ばす。


 もちろん、黒い苦無に触れた瞬間から、俺の魔方陣は侵食され、ボロボロになってしまうわけだけど、苦無は宙に浮いているので、高速で叩き付ければ、そのくらいは十分に可能ということが、ここに証明された。


 どうやら、あの黒い力であっても、物理法則を完全に無視することまではできないらしいということが分かったのも、収穫といえば収穫だけど……。


 そんなことばかり考えてる暇は、なさそうだ。


「これはまた、団体さんの登場で」

「ぎぎぎぎぎぎぎっ!」


 当然ながら、先ほどの大規模な攻撃は、目の前にいるハットリジンゾウが、単独で仕掛けたものではない。それだけの力は、さすがの異形でも、持ってないようだ。


 というわけで、俺に対して攻撃してきたのは、ジンゾウだけではない。


 奴と同じように、庭のあちこちからあふれた、黒い泥のようなものからてきた忍者たちが、出てきた途端に、俺のことを一斉に攻撃しただけである。


 そう、忍者だ。どいつもこいつも、ハットリジンゾウと同じような格好をしているわけだし、とりあえずは、そう呼称して、なんの問題もないだろう。


 それが例え、全員が全員、正気を失った目をしながら、人間とは思えないような、不気味な呻き声を上げているとしても。


「うーん、さすがに多いな……」


 ざっと数えてみたら、富士山で戦った襲撃者と同じ人数だし、ハットリジンゾウの部隊は、どうやら、これで全員だと考えてよさそうだ。


 というわけで、それくらいを確認する余裕ならあるけれど、こちらを取り囲んで、全員で一つの生き物かのように、それぞれが連携し、高速で移動しながら、なにやら様々な飛び道具を投げつけたり、隙を見て斬りかかってきたりと、まるで嵐のような波状攻撃を仕掛けられてしまっては、さすがに、それぞれ一人一人の様子を確認するというわけにもいかず、俺はその全てをかわしながら、適当に考える。


 これだけ怒涛どとうのように攻められてしまうと、これ以上の検証をしようにも、正確な分析はできなくなってしまうから、困りものだ。


 それじゃ、どうしようかな……。


「ぐぎゃああああ!」

「……およ?」


 しかし、こうなってしまっては仕方がないと、俺が気合を入れ直した瞬間、突然の爆発と共に、黒い台風のように渦巻いていた忍者の一角が、悲鳴と共に吹き飛んだ。


 そう、俺が検証の継続を諦めようとしていた、まさに、その時……。


「大丈夫ですか! 統斗すみとさま!」

「どうした、なにを手間取っている?」


 黒い忍者が蠢く庭に、頼りになる二人が、やって来てくれたのだ。


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