11-5


 それはまったく、幻想的な光景だった。


「わあ、夕日が海に輝いて……」


 その見事な様子に、俺の口からは、思わず感嘆のため息が漏れてしまう。


 ゆっくりと、水平線の向こうへと沈んでいく大きな太陽が、まるで今日という日を惜しむかのように、最後のきらめきを放って、静かな海を、茜色に染めている。


 どこか懐かしいような、その暖かな光は、穏やかな波間に反射して、まるで見事な万華鏡のように、まばゆい輝きを放ちながら、刻一刻と景色を変えた。


 潮風が心地いい。波の音が耳に優しく、海の匂いが、心を落ち着かせる。


 それは五感に訴えかける、大自然の生み出した芸術だ。


「はあ、本当に……」


 しかし、だからこそ、残念でならない俺の口から、今後は残痕ざんこんのため息が漏れる。


 だって、仕方ないじゃないか。


「これで隣にいるのが、むさくるしい男じゃなければ、最高なのに」

「はっはー! 奇遇だな、こっちも同じようなことを、考えてたところだ!」


 苦虫を噛み潰したような顔をしているであろう俺の隣にいるのは、どこかの映画で見たことがあるような、時代錯誤で古典的すぎる海賊ルックに身を包んだ、ほとんどコスプレしてるようなヒゲづらのおっさんだというのだから、せっかく最高の景色だというのに、色んな意味で、台無しだ。



 まったく、無念である。



 ここは、トライコーンの海賊団を名乗る悪の組織が所有している海賊船……、そうまさに、遊園地などのテーマパークで見るような、コテコテな海賊船の甲板上。


 似たような海賊船を引き連れて、悠々と海原を疾走する旗艦きかんにて、その主にして、この海賊団をひきいるキャプテンである渦村かむらと、俺はこうして、対面している。


 とはいえ、これは別にシリアスな状況ではないし、特別なことでもない。


 ただの、定期的に行っている視察である。


「というか、いい加減、陸に上がって、そこで会いましょうよ」

「いやだね! 俺様は海の男だ! そんな簡単に、愛する船から離れないのさ!」


 なんだかよく分からない持論を、胸張って主張する渦村を見ていると、もはや反論するのもバカバカしい気がするから、不思議なものだ。なんというか、このあまりに今の時代から浮いている、おかしな格好のせいだろうか。そういう意味では、得なのかもしれないなと、俺は自分で自分を、納得させる。


 だって、ここに来るまで、そこそこ大変だったし。


 大黒だいこくさんたちと別れてから、とりあえず、この海に浮かぶ海賊船に最も近い海岸線にまで移動して、そこから魔方陣を足場に、ぴょんぴょんと飛んで来たわけだけど、可能な限り目立たないように配慮した結果、かなり気を使った移動になって、やっと到着したら、こうしてもう、日も落ちるような時間になってしまったのだ。


 まあ、体力的には、まったく問題ないんだけれど、あくまで気分の問題である。


「なんて、本当のことをいうと、もう海の上の方に、すっかり慣れちまってるから、平衡へいこう感覚がそっち寄りになりすぎて、もうむしろ、動かない地面の上に立つと、逆に酔っちまうだけなんだけどな。はっはー!」

「そうですか……、それはまあ、お大事に……」


 確かに、船酔いならぬ、陸酔いというものがあるのは知っているけれど、なんで、むしろ誇らしそうなんだ、この男……、とは思っても、俺は深くは突っ込まない。


 こういうタイプの人間に、真面目に付き合うだけ、損をするのはこちらだと、俺は骨身に染みて、分かっているのだった。


「でも、俺だって、まったく陸に上がらないわけじゃないんだぜ? たまには酒場で仲間たちと一杯やるし、綺麗なおねえちゃんとも、楽しみたいしな!」


 なんとも海賊らしいことを言いながら、満面の笑みを浮かべる渦村からは、こっちをからかう気なんて、微塵も感じないから、余計に性質たちが悪い。


「まっ、そのためには、まずこの船で、浴びるほど酒を飲んで、むしろ酔っぱらってからじゃないと、全然調子が出なくてよ! ベロンベロンの、へべれけでもいいっていうなら、俺だって、ちゃんと会議に参加する気はあるんだぜ?」


 いや、本当に性質が悪いな!


「こっちとしては、そんな状態で来られても、困るんですけど」

「まっ、だろうな! だから俺は自主的に、この船の上にいるってわけだ。だから、むしろ感謝してくれても、いいんじゃないかい?」


 なんだか無茶苦茶なことをいいながら、渦村は実に海賊らしく、ニヤリと笑う。


 まったく、気が付いたら、なぜかこっちが無理を言って、向こうのことを困らせているみたいになっているのだから、困りものだ。


「はいはい、感謝してますから、しっかり仕事はしてくださいよ」

「はっ、任せろって! 海の上なら、真面目な男だぜ、俺は!」


 とはいえ、俺は別に反論しないし、妙に格好つけた仕草で、ビシッと親指を立てている渦村に、どう見たってお前は、真面目には見えないと、言うこともない。


 こっちとしても、やることさえやってもらえれば、文句はないわけで。


「とはいえ、海の状況は、さっき報告した通りさ。まったく、穏やかなもんだ」


 しかし、もはや日常的に海の上に居座り、監視を続けている渦村が言うことには、どうやらその、やるべき仕事というやつが、今のところはないようだけど。


 まあ、それは別に、さっきの会議でも聞いたから、分かっていることだし、今日の目的は、こうして直接会って、その仕事ぶりというか、ちゃんと仕事をしているのか確認することだから、特に問題はない……、と思ったら。


「とはいえ、それがおかしいっていえば、おかしいんだけどな」

「……うん? どういうことですか?」


 相変わらず、ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべながらも、どこか真面目な目をして、穏やかなな海をながめる渦村が、口を開いた。


「つまりは、静かすぎるって話だ。この国は今や、悪と正義で真っ二つ、そこら中で戦闘が起きてるってのに、国家守護庁こっかしゅごちょうの奴らは、海からは、まったく攻めこもうともしやがらない。まあ、海上保安庁とかは、平常運転だけど、正義の味方の皆さんは、本当に大人しいもんだ」


 そして、なんだか突然、まともなことを言い出したのだから、びっくりだ。


 でも、そこには確かに、国家守護庁の行動に対するぬぐいきれない違和感の提示と、聞くべき意見がふくまれていた。


「そうか、確かに……」

「なっ? おかしいだろ? ここは島国で、周囲は海に囲まれてるんだ。普通なら、戦況の有利不利なんて関係なく、誰がどう考えたって、海路は最重要なはずなのに、奴らは見向きもせず、なにもしないってことを、してやがる」


 眉根を寄せながら、肩をすくめる渦村の言う通り、これは悪と正義の、雌雄を決する戦いだというのに、どうにも向こうは、最善を尽くしているとは思えない。


 どうやら、表面上の戦況が有利ということで、俺の目も、曇っていたようだ。


「どう考えたって、不自然だ。どうかしてる。おかしい。まるで、外のことなんて、どうでもいいみたいな振る舞いだ」


 おちゃらけなように、すその長い海賊コートを芝居がかった仕草で、ひらひらとしている渦村の意見は、なんだか的を射ているような気がする。


「俺にはどうも、奴らが今のままの戦い方で、俺たちを倒して、そのまま勝ち切ろうとしてるとは、ちっとも思えないないね。まったく、気味が悪いぜ」


 なんだかこうして、まともなことを言っていると、その海賊姿も、さまになっているような気がしてくるから、不思議なものだ。


 それにしても……。


「つまり、国家守護庁には、なにか別の算段があると……」

「かもな。まあ、もしかしたら、奴らが、ただマヌケなだけなのかもしれないが」


 いつも通り、軽い口調で、そう言いながらも、そんなことはまったく思っていないという表情の渦村に、俺もうなずく。


 やっぱり、調べれば調べるほどに、国家守護庁の……、というよりは、それを指揮している人間の行動には、キナ臭さを感じずにはいられない。やっぱり、そこには、明確な意図が、隠れている気がする。


 国家守護庁の統括者……、神宮司じんぐうじ権現ごんげんの思惑、か……。


「まっ、今の俺から言えるのは、こんなところか。どうだい、役に立っただろ?」

「ええ、驚くくらいに」


 おどけた調子で、海賊帽を脱ぎながら、わざとらしく、もしくは、うやうやしく、その頭を下げた渦村に対して、俺は素直に、感謝を示す。


 どうやら、もっと警戒を強める必要があると、気を引き締めることができたのは、本当によかった。


 いや、もう、本当に、よかったんだけれども。


「というか、そういうことは、もっとしっかり、会議とかで発言してくださいよ」

「そういうなって! 俺はああいう、かしこまった空気が苦手なんだよ! ああっ、思い返しただけで、肌がムズムズしてくる!」


 なんというか、やっぱり真面目になりきれないところが、この人がこの人たる所以ゆえんなのだろうか……。


「まっ、ラム酒でも飲んでりゃ、話は別だけどな! はははっ!」

「はあ、それはまた、難儀ですね……」


 とはいえ、まずは今回の視察が、思ったよりも有益になったと、喜ぶベきだろう。


 こうして、貴重な意見を聞けたこともそうだけど、まるで、いつも酔っぱらってるみたいな海賊も、どうやら海の上では、ちゃんと真面目に、働いてくれているらしいということが、確認できたことだし。


「ってなわけで、俺としては、もう暇で暇で、仕方ないわけだ。おわかり?」

「はいはい、分かってますよ」


 それならば、こちらとしても、仕事に対する対価は、きちんと用意しておこう。


「ちゃんと我慢して働いてくれたら、それなりの見返りは用意しますから、それまで楽しみにしててくださいな」

「へえ、そいつはいい! 巨大な悪の組織を従える総統閣下は、このいやしい海賊に、まったくどんな報酬を下さるっていうのかな?」


 わざとらしく、慇懃いんぎんに、へりくだって見せる渦村は、楽しそうに笑っている。それならば俺は、この自由気ままな海賊が、退屈しないだけの状況を提示しよう。


 恩や情ではなく、ギブアンドテイクで繋がるというのも、悪の組織として、そして海賊として、まったく悪くない。


 いやむしろ、それこそが、俺たちらしいというのものだ。


「そうですね。俺が世界を征服したら、海は全部、渦村さんに任せるっていうので、手を打ちませんか?」

「いいね! そいつはご機嫌だ! 世界の王と、海賊王が手を組めば、恐いものなしすぎて、逆に困っちまうかもな! はーっはっはっはっ!」


 夢みたいなことを、平然と言い放った俺を、海賊は笑う。


 でもそれは、そんなこと、できるわけがないという、侮辱ぶべつ嘲笑ちょうしょうではない。


 俺たちならば、必ずできるという、信頼に似た確信の証だ。


「それじゃ、ますはそのために……」

「ああ、俺たちの、勝利のために!」


 俺の言葉に、渦村が続く。


 そう、互いの目的は一致している。報酬も十分だ。


 だったら……。


「正義の味方を、ぶっ飛ばす!」


 やることなんて、決まってるじゃないか。


「それじゃ、酒でも飲んでくか? 夜はまだまだ、始まったばかりだぜ!」

「残念ですけど、遠慮しときますよ。俺はまだまだ、未成年なんで」


 こうして、もうしばらくの間、俺はこの、陽気な海賊たちに囲まれながら、美しく沈む太陽を、満天の星空を、たっぷりと堪能してから、帰路に着いたのだった。


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