11-1


「あれ? 珍しいですね、朱天しゅてんさん。こんなところで、一人だなんて」

「ああ、お前か。なに、ちょっとした野暮用やぼようだ」


 ヴァイスインペリアル中央本部ビルの地下にめぐらされた廊下にて、目的地へと向かう途中だった俺は、もうすっかりと見慣れた顔を見つけ、遠慮なく声をかける。



 そのくらいの気安さが、今の俺と、彼女にあることが、なんだか嬉しい。



 あのバレンタインデーから、もうすでに、二週間ほど経っているけれど、俺たちを取り巻く状況は、それほど変わっていなかった。


「資料をいくつか、向こうから持ってくるのを忘れてしまってな。取りに戻っていただけさ。この程度で、姫様のお手をわずらわせるわけにはいかない」


 朱天さんのいう資料とは、本日の会議で使うためのものだろう。彼女の両手には、上品な風呂敷に包まれた複数の荷物が、積み重なって抱えられている。


「あっ、それじゃあ、手伝いますよ」

「そうか、悪いな」


 朱天さんの荷物は、それほど重そうではなかったけれど、かさばって見えたので、俺は無遠慮に手を伸ばし、おおよそ半分くらいの包みを、強引に受け取ってしまう。


 そんなこちらの、ある意味では暴挙を、朱天さんは微笑んで受け入れてくれた。


「さあ、竜姫たつきさんも待ってるでしょうし、急ぎましょうか」

「ああ、そうだな。とはいえ、姫様なら先ほどから、向こうにいるお前の御両親と、楽しそうにお話をしていたから、退屈はされていないと思うが」


 そして、俺と朱天さんは、二人で並んで、同じ方向へと歩き出す。


 まあ、向かう先は、一緒だし。


「ええっ? それはなんだか、ちょっと怖いなぁ……」

「ふふっ、なんだ、姫様に聞かれて、困る話でもあるのか?」


 思わず不安が口に出てしまった俺に、楽しそうな笑顔を向けてくれる朱天さんと、仲良くおしゃべりなんてしながら、二人で地下会議室へと向かう。


 本日はそこで、悪の組織同盟による、月末報告会が開かれる予定なのだった。


「いえいえ、もちろん、そんなことは、ありませんけど……、あっ! そういえば、あの話って、考えてくれました?」

「おい、話をらすな……、って、あの話? 一体なんのことだ?」


 とはいえ、始まるまでは自由時間というわけで、俺と朱天さんは、こうして呑気のんきに世話話をしながら、のんびりと目的地へと向かう。


 確かに開始時間は決まっているけど、それにはまだ、余裕があるのだ。


「いやだなぁ、バレンタインのお返しをするので、ホワイトデーには、なにか欲しいものがありますかって、前に聞いておいたじゃないですか」

「ぶっ」


 というわけで、俺は今この時を、謳歌おうかすることにする。


 なんにせよ、あの朱天さんが、慌てたような顔をして吹き出すなんて、貴重な姿を見られたことは、望外ぼうがいの収穫かもしれない。


「だ、だからっ! あれは、あくまで義理であって、別に、そういう意味のあれではないと、言っただろうが! せっかく作ったのに、捨てるのは勿体なくて……!」

「うんうん、分かってますって」


 その頬を赤く染めながら、なにやら早口で捲し立てている朱天さんに、俺は大きくうなずきながら、荷物を持ち直す。


 しかし、あまりに可愛らしい反応に、なんだか嬉しくなってしまうけど、まずは、あのチョコをおくったのは自分だと、認めてくれただけでも、大きな前進か。


 この前、お礼を言いに行った時には、あれは自分からのものじゃないと、これまた顔を真っ赤にしながら、言い張っていたし。


「でも、せっかく手作りで、いただいたわけですし、お返しはしますよ。というか、したいです。させてください。お願いします!」

「わ、分かったから、もう少し、声を落とせ! 誰かに聞かれたら、どうする!」


 そういう経緯もあるので、ここは少しばかり無理矢理にでも、朱天さんから言質げんちを取っておいた方がいいだろうと、俺は強気に、話を進めてしまう。


 こういうのは、思い切りも大切なのだ。


「あっ、それってつまり、俺からのお返しを、受け取ってもらえるってことですね。いやー、よかった、よかった!」

「……お前は、妙なところで、頑固だな。まったく」


 とりあえず、こちらからの押しが強すぎるアプローチにも、朱天さんはあきれた顔をするものの、その口元には、柔らかい笑みを浮かべてくれている。それはとっても、魅力的な表情で、なんだかドキリとしてしまう。


 でも、これで目標は達成だ。そう、悪の総統というやつは、プレゼントすら強引に押し付けるのである。ふっふっふっ、なんという傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞い……。


「とはいえ資金源は、あくまで俺のポケットマネーですから、申し訳ないですけど、あんまり高価なものは、勘弁してくださいね?」

「ああ、分かったよ。それじゃ、なにか、考えといてやるから……」


 まあ、そうは言っても、無いそでは振れないので、情けない提案をしてしまった俺に向けて、朱天さんは苦笑しながらも、肝要かんように受け入れてくれた。


 そう、如何いかに悪の総統といえど、この財布は有限なので、あまり無茶はできない。あくまでも。俺の気持ちを届けたいわけなので、やっぱりそこは、自分で身銭を切るのが、せめてものすじだろう。


 あとは、みんなの希望を聞いて、俺の予算と相談してから、最高の贈り物ができるように、品物を選んで……。


 うん、やることは多いけど、なんだか楽しそうで、ワクワクしてくる。


「そういえば、この前、竜姫さんが……」

「ははっ、そうなのか? そうそう、姫様といえば……」


 こうして俺と朱天さんが、なごやかな空気の中、お互いの肩が触れ合うほど近寄り、仲良く並んで歩きながら、楽しくおしゃべりをしながら、目的地へと向かっていた。


 その時だった。


「あっ」

「あっ」


 丁度、別の方向から伸びている廊下との合流地点で、あまりにも見知った女性陣と遭遇して、驚きの声を上げたのは、果たして誰だったのか。


 とりあえず、その瞬間に少しだけ、この場の空気が固まったのを感じる……。


 あるいは、冷え込んだことを、だろうか。


「おはようございます、統斗すみと様。本日も、さわやかな朝ですね」

「おっす、統斗! 今日も元気に、おはよー、おはよー!」

「むにゃにゃ~、おはよ~、統斗ちゃん~……、ちょっぴり眠い~」


 俺に向けて、いつもと同じように、美しい笑みを浮かべながら、丁寧にお辞儀したけいさんと、満面の笑顔で、元気に手を振る千尋ちひろさんと、ちょっぴりズレてるメガネの下に手を伸ばし、コシコシと目をこすっているマリーさんには、特に変わった様子は見られない。まったく、いつもの調子である。


「あ、ああ、おはよう、みんな……」


 とりあえず、俺に対しては。


「……あら、いたのですか、八咫竜やたりゅうの鬼女」

「……ああ、いるともさ、ヴァイスインペリアルの魔女」


 背筋が凍るような冷たい視線で、契さんが俺の隣にいる女性をにらむが、朱天さんも負けてはおらず、燃えるような瞳で、睨み返している。ていに言えば、恐ろしい。


 まるで、この場の空間がゆがんだような不安を、感じずにはいられない。


「へー! ほー! ふーん! なんだか二人は、とっても仲良しに見えるなー?」

「う、うるさい! 黙れ! 黙れと言っている!」


 ニヤニヤと笑っている千尋さんは、まるで茶化ちゃかすように、ピョコピョコと俺たちの周りを飛び跳ねているけれど、それに耐えられないのか、朱天さんが必死になって、なんとか止めようとしているけど、手に持った荷物のせいで、されるがままだ。


 でも、その気持ちは、ちょっぴり分かる。


 これではまるで、一緒に入るところを冷やかされている小学生男女のようだ。


「本当よね~。あれだけ統斗ちゃんのこと悪く言ってたのに、気付いたらべったりだなんて~、とんだ尻軽よね~」

「貴様ら……! どうやら、命が惜しくないようだな!」


 そして遂には、眠そうな目をしながらも、辛辣しんらつなことを言い出したマリーさんに、どうやら朱天さんの堪忍袋も限界のようで、怒気どきも隠さず声を荒げる。


 とはいえ、それでも手に持った荷物を放り出さないのは、立派だと思います。


「……ふんっ! おい、統斗。付き合う相手は、ちゃんと選んだ方がいいぞ。こんな奴らと一緒にいたら、お前まで駄目になる」


 でも、そうやってムキになって相手を挑発するのは、やめた方がいいと思います。


「分かりました。どうやら、地獄に送り返して欲しいようですね、鬼女……」

「なんだ、喧嘩かー? よっし! やるならやるぜ! やってやるぜー!」

「うふふふふ~、寝起きのワタシは~、ちょっ~と機嫌が悪いわよ~?」

「なんだ、やる気になったのか? だったら、容赦はしてやらんぞ……」


 ああ、ほら、もはや敵意を隠そうともしない契さんに、なにやら盛り上がったのか腕まくりなんてしている千尋さんと、そのメガネの下で、恐ろしい笑みを浮かべてるマリーさんを、その右目を細くして睨んでいる朱天さんが、まったく一歩も引かないもんだから、もはや雰囲気は、最悪といってもいい。


 というか、さすがにいつまでも、傍観者ぼうかんしゃを気取ってる場合じゃないか。


「はい、そこまで」


 とりあえず、最悪の空気が、最悪の事態に発展する前に、俺はさっさと前に出て、みんなを止めることにする。


 これから、ここにいる全員が、同じ場所に向かうというのに、こんなことをしてる場合ではないのだ。


「まったく、みんな大人なんですから、こんなところで、いきなり喧嘩なんて、始めないでくださいよ。しかも、こんな朝早くから」


 なんというか、色々とあって、俺たちを取り巻く環境は、劇的なまでに変化したと思っていたのだけれども、どうやら、契さんたちと朱天さんの仲の悪さは、出会ったときから、まったく変わっていないようだった。


 俺としては、もう少しでいいから、なごやかな雰囲気をお願いしたいのだけれども。


「ほら、みんな仲良く、仲直り!」

「うっ、わ、分かったよ……」


 まあ、だからといって、いきなり全員で肩を組んで、笑顔で互いをたたうような関係に、いきなりなって欲しいなんて、俺も思っているわけではないので、あくまでみんなには、大人としての大人な対応を求めるために、強く出る。


 どうやら、朱天さんは分かってくれたようで、申し訳なさそうな顔して、その怒気を引っ込めてくれたので、こちらとしても、一安心だ。


 だって、ここは他人の目もある、廊下の真ん中なのだから。


「ほら、契さんも、千尋さんも、マリーさんも!」

「統斗様が、そうおっしゃられるのなら……」

「ちぇー、喧嘩はなしかー。まっ、了解了解!」

「むう~、統斗ちゃんの~、いけず~」


 こちらの我らが最高幹部の皆さまも、まあ、なんとか落ち着いてくれたようだし、これ以上は、危険な領域にフルスロットルで突っ込むこともないだろう。


 今のところは、これで十分ということで。


「うんうん、それじゃ、行きますよ。そろそろ時間ですから」

「かしこまりました、統斗様。準備はすでに、整っております」

「はーい! よーし! 会議だ会議だー! 頑張るぜー!」

「ふわ~あ、寝ないようにしなくちゃね~。まだ眠いけど~」

「ああ、そうだな。まったく、騒がしい連中だ……」


 俺はみんなを引き連れて、この廊下の先にある会議室へと向かう。


「よーし! 今日も一日、頑張りますか!」


 そこで待つ仲間たちと、俺たちの未来を、話し合うために。


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