10-7
「……っ! しっか……! おい……!」
声が、どこか遠くから、あるいは、どこか近くから、声が聞こえる。
しかし、よく聞こえない。反応ができない。身体が動かない。なにも分からない。思考がまとまらない。まとまらない、まとまらない……。
頭が痛い。
突き刺すように、切り裂くように、叩き潰すように、
だけど、今はこの痛みしか、確かなものがない。
だから、俺はそれにしがみつき、どこかへ
そう、まだなにも、終わってなど、いないのだから。
「さむい……」
なんとか、口を開くことはできた。それに
どうやら、一瞬とはいえ、完全に集中力が途切れたせいで、自身の周囲に展開していた魔方陣を維持するどころか、カイザースーツすら、解除されてしまったようだ。
しかし、その
「……っ! しゅ、
「よし! こっちを見ろ! そのまま、気をしっかり持て!」
その身を叩く吹雪を物ともせずに、まだ動けない俺に肩を貸しながら、どこかへと力強く向かっているのは、その
いつも
「もうしばらくの
まだ上手く動けない俺を
「おい、しっかりしろ! 目を閉じるな!」
「だ、大丈夫です……」
そこは、どこかに繋がっているような広い
洞穴の奥へと進み、厄介な暴風から逃れ、俺の身体を一瞬で
「ちっ、なにか、
「そ、それなら、俺が……」
しかし、少しだけマシになったとはいえ、この気温の低さは、どうしようもない。
朱天さんが、この小さな洞穴を
このまま……、このままでは、二人とも、まずいと、俺は意識を掻き集めながら、炎を出すための魔方陣を……。
「ぐうっ!」
「だから、無理をするなと……!」
しかし、今の俺では、一度途切れた集中力を取り戻すのは難しく、この頭の中で、
どうやら、最後の神器に、
まるで、こちらを
「こうなったら、仕方ないか……。くっ、勘違いするなよ!」
「は、はい……?」
そんな役立たずの俺を支えながら、なにやら、その赤に染まっている肌を、さらに紅潮させながら、朱天さんは覚悟を決めたような顔をして、その身に纏っていた重く冷たい甲冑を解除すると、突然、いきなり……。
俺のことを、抱き締めた。
「……えっ、あの」
「だ、黙れ! なにも言うな!」
もちろん、その甲冑の下は裸だった……、なんてわけもなく、ちゃんと動きやすい服を着ているわけだけど、それにしたって、これだけ密着すれば、もちろん柔らかいわけで、いい匂いがするわけで、意識しちゃうわけで。
そして、なにより……。
「……朱天さん、あったかい、です」
「だ、だからっ! 黙れと、言っただろうが……」
彼女のぬくもりが、冷たくなっていた俺の身体に伝わる。
それは、あまりにも緊急措置で、正しい行為ではないのかもしれないけれど、今の俺にとっては、なによりの特効薬だった。
それに、なんだか恥ずかしがっている朱天さんが、たまらなく可愛いし。
「ありがとう、ございます……」
「ふん、礼などいらん」
なんとか顔を見て、お礼を言いたかったけれど、まるで赤ん坊を抱く母親のように密着した朱天さんの表情は、俺からは見えない。でも、いつもは厳しい彼女の声が、ぶっきらぼうな口調でも、優しく聞こえて、心地いい。
そして、穏やかな時間が、しばし流れる。
「……あの、どうして、あの状況で、俺を助けるなんて、無茶を?」
「お前は、非常に不本意だが、姫様にとって、大事な人間のようだからな。なにかあったら困ると思った。ただ、それだけだ……」
これまでのことを考えたら、ありえない距離で、ありえない人物と抱き合っているという事実に、なんとなく沈黙を避けたくて、おずおずと切り出した質問に対して、朱天さんが、ぶっきらぼうにではあるけれど、答えてくれた。
彼女の言い方は、いつものように、厳しかったけれど、この触れ合った胸と胸から伝わる鼓動の高鳴りに呼応するように、俺の身体が、熱くなる。
「しかし、お前の方こそ……、本調子でもないのに、無茶をするな」
「あっ、バレてました……?」
まだ動けない俺のことを、優しく抱き直してくれた朱天さんに、さらりと言われてしまった事実を、俺は
というか、この状況で、
しかも、こんな無防備に抱き締められているような状態で、どんな言い訳が通じるというのか、むしろ知りたい。
「でも、よく分かりましたね? 自分では、上手く隠せてたと思うんですけど……」
「そのくらい、見てれば分かる……」
なんて、朱天さんは簡単にいうけれど、こちらとしては、あれでも一応、頑張って普段通りにしていたつもりだったし、多分だけど、エビルセイヴァーのみんなにも、そして
でも、朱天さんは気付いた。
気付いて、俺を助けてくれた。
それだけ注意して、彼女は俺のことを見ていてくれたのだと、俺のことを心配してくれていたのだと……、
「……なあ」
そんな朱天さんが、俺の頭を
「どうして、あの時……、雪崩に飲み込まれそうになった時、その身体で、お前は、自分ではなく、こちらを助けようとした?」
「……はい?」
しかし、それは俺にとって、よく意味が分からない問いかけだった。
「今のお前でも、自分の身を守るくらいは、できたはずだろう?」
「うーん……、そうですね……」
確かに、朱天さんの言う通り、俺はあの時、他の仲間たちを守るために、魔方陣を展開できたのだから、それを使えば、俺自身を守ることも、可能だっただろう。
しかし、それは俺からしてみると、後から考えたら、そういうこともできたという話でしかない。
「なんだか、気付いた時には、身体が勝手に動いてたといいますか……。自分でも、よく分からないんですけど」
「はっ、なんだ、それは……」
例えば、あえて理由を考えるなら、単純に雪崩に巻き込まれたら、人数が多い側はバラバラになってしまうと、色々大変だけど、すでにほとんど単独行動のような状況で孤立していた俺ならば、一人でどこかに流されても、動きやすいからだとか。
そもそも、あの状況で俺一人、あの場所に
それらを考えた結果、もちろん竜姫さんの結界は信用していたけれど、より確実な方法を取りたかっただけだとか、色々と理由を
しかし、それは結局のところ、言い訳めいた
結局のところ、人間が
「お前は本当に、悪の総統なんて名乗っていながら、お人好しなやつだよ……」
「そうですか? 自分ではあんまり、そう思わないですけど……」
でも朱天さんは、そんな俺を
しかし、俺としては、自分のことをお人好しだなんて思ってないので、そんな風にされてしまうと、むず
さっきの件だって、俺は自分のやりたいようにやっただけであり、少し考えれば、責任ある立場の人間としては、あまりにも無責任な行動だったともいえるだろう。
俺としては、もちろん、あの雪崩に飲まれても生き残り、その後は、一人で山頂を目指すつもりだったけど、もしかしたら、あそこで死んでいたかもしれない。
自らの不調を
だけど、朱天さんに助けてもらったおかげで、俺がこうして、五体満足でいられるというのが、確定した事実であり、今という現実だ。
だから、朱天さんには、感謝しかない。
「……このお礼は、いつか必ず、しますから……」
「そんな
しかし、今の俺では、なにもできない。
それでも、せめて約束だけでもと思ったのに、朱天さんは、どこまでも優しくて、強くて……、暖かかった。
「それに、お前には、師匠の件で、借りがあるからな。だから、礼なんて、言われる義理はない……」
朱天さんの師匠……、といえば、あの
でも、あれだって、俺は自分の好きにしただけで、誰かのためってわけじゃない。だからもちろん、彼女が恩を感じる必要なんてない。
「……うん」
けど今は、もう少しだけ、朱天さんの優しさに、包まれていたかった。
「……ううっ、しかし、寒いな……。おい、大丈夫か?」
「……もちろん、俺は大丈夫、ですよ……」
とはいえ、状況は好転しない。朱天さんは、俺を抱き締め続けてくれるけど、この気温の低さでは、それ以外の解決方法を見つけなければ、共倒れになりかねない。
しかし、そんな瀬戸際だというのに、俺の中では、二つの力が荒れ狂い、ますます痛みを増していく。それはもはや、不快どころか、不愉快だった。
そのせいで、俺はともかく、朱天さんが寒さに震えているなんて、許せない。
ああ、そうだ……。
そうだった。
「……ただ、ちょっと、気分が
「お、おい? どうした?」
俺は心配そうな朱天さんの胸の中で、確固たる決意を持って、意識を集中する。
本当に、いつまでも甘い考えだった自分自身が、心底腹立たしい。
そもそも、神器の力だかなんだか知らないが、それがどれだけ強大な力だろうと、今は俺の中にある、俺の力だ。いつか馴染むだろうなんて、悠長なことを考えること自体が、大きな間違いだったのだ。
俺が使う力に、俺が振り回されるなんて、本末転倒もいいところだ。意味がない。ふざけるな。馬鹿にするのも、
はっきり言えば、ムカついた。
だから俺は、俺の中で暴れる力を、神話の時代に
当然だ。
そのくらいの我が通せないで、なにが悪の総統か……!
「――はっ!」
俺の意思に、俺の力が応え、周囲の
真っ暗だった洞穴に、少しだけ、光が差した。
「これで、もっとしっかり、休めますね」
「お前という奴は、だから、無理をするなと……」
驚いたような、怒ったような、
「でも、急がないと、竜姫さんたちに、先を越されちゃいますよ?」
「……そうだな。ああ、分かったよ」
そして、俺のことを、まだ抱きしめながらも、ちょっとだけ離れて、
さあ、ここからが本番だ。
頂上で合流しよう! なんて格好をつけたくせに、その張本人が遅刻するなんて、まったく笑い話にもなりはしない。
向こうには、竜姫さんも、エビルセイヴァーのみんなも、頼れる戦闘員たちもいるのだから、俺たちだって、急がないと……。
「……だけど、もうちょっと、このままでも、いいですか?」
「ふん……、好きにしろ……」
だから、その前にちょっとだけ、英気を養おうと、俺と朱天さんは、小さくても、暖かい炎にあたりながら、お互いのことを、抱き締め合った。
そして、
「――
「――
もうすっかりと、身体の方も温まり、動けるようになった俺たちは、それぞれが、戦うための
とりあえず、まだ本調子とはいえなくても、カイザースーツの維持くらいはできるようになったことだし、問題はないだろう。
そうだ。俺と朱天さんが揃っていて、問題なんて、あるはずがない。
「それじゃ、行きましょう、朱天さん!」
「ああ! ここからは、お前について行ってやるさ!」
こうして、情けない悪の総統と、美しき鬼は、二人だけで笑い合いながら、お互いの拳を合わせ、いまだ荒れ狂う吹雪の中へと、並んで飛び出して行くのだった。
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