10-7


「……っ! しっか……! おい……!」


 声が、どこか遠くから、あるいは、どこか近くから、声が聞こえる。


 しかし、よく聞こえない。反応ができない。身体が動かない。なにも分からない。思考がまとまらない。まとまらない、まとまらない……。


 頭が痛い。


 突き刺すように、切り裂くように、叩き潰すように、るように、あるいは、噛み砕くように、ズキズキと、ザクザクと、キリキリと、ミシミシと、メキメキと、ぐちゃぐちゃと、どろどろと……、めちゃくちゃだった。


 だけど、今はこの痛みしか、確かなものがない。


 だから、俺はそれにしがみつき、どこかへはじんでしまいそうな意識を、強引にあつめ、つなめ、すがりつく。


 そう、まだなにも、終わってなど、いないのだから。


「さむい……」


 なんとか、口を開くことはできた。それにともない、次々と感覚が戻ってくるけど、まず始めに感じたのは、それだけだ。


 どうやら、一瞬とはいえ、完全に集中力が途切れたせいで、自身の周囲に展開していた魔方陣を維持するどころか、カイザースーツすら、解除されてしまったようだ。


 しかし、そのてつくような寒さが、身を切るような痛みが、俺の意識を、さらにはっきりと、覚醒させてくれる。


「……っ! しゅ、朱天しゅてんさん……?」

「よし! こっちを見ろ! そのまま、気をしっかり持て!」


 その身を叩く吹雪を物ともせずに、まだ動けない俺に肩を貸しながら、どこかへと力強く向かっているのは、そのひたいに角を生やし、全身の肌を赤へと染め上げ、右目を黒い眼帯で隠した、美しい鬼だった。


 いつもきびしい彼女が、俺のことを、はげましてくれている。


「もうしばらくの辛抱しんぼうだ、あそこなら、少しは雪や風もふせげる!」


 まだ上手く動けない俺をかかえるようにしながら、朱天さんは一直線に、この吹雪の隙間から、チラリと見えた小さな洞穴ほらあなへと向かい、足を踏み入れる。


「おい、しっかりしろ! 目を閉じるな!」

「だ、大丈夫です……」


 そこは、どこかに繋がっているような広い洞窟どうくつではなく、山の一部を、スプーンでけずったような横穴だったけど、外と比べたら、天国にひとしい。


 洞穴の奥へと進み、厄介な暴風から逃れ、俺の身体を一瞬でおおった雪を払いつつ、朱天さんは周囲の安全を確認して、こちらを優しく気づかいながら、腰を下ろす。


「ちっ、なにか、だんをとれるものは……!」

「そ、それなら、俺が……」


 しかし、少しだけマシになったとはいえ、この気温の低さは、どうしようもない。


 朱天さんが、この小さな洞穴をにらむように見渡しているけど、そんなに都合よく、の材料だとか、毛布もうふなんかが、落ちているような奇跡は、起きるはずもない。


 このまま……、このままでは、二人とも、まずいと、俺は意識を掻き集めながら、炎を出すための魔方陣を……。


「ぐうっ!」

「だから、無理をするなと……!」


 しかし、今の俺では、一度途切れた集中力を取り戻すのは難しく、この頭の中で、うるさいほどに騒ぎ立てる痛みのせいで、魔方陣は形になることなく、霧散むさんした。


 どうやら、最後の神器に、八咫鏡やたのかがみに、少しづつでも近づいているせいで、俺の中にある天叢雲剣あまのむらくものつるぎ八尺瓊勾玉やさかにのまがたまの力が、より強く反応しているようだ。


 まるで、こちらをかすように、駄々だだをこねる子供のように、暴れ回っている。


「こうなったら、仕方ないか……。くっ、勘違いするなよ!」

「は、はい……?」


 そんな役立たずの俺を支えながら、なにやら、その赤に染まっている肌を、さらに紅潮させながら、朱天さんは覚悟を決めたような顔をして、その身に纏っていた重く冷たい甲冑を解除すると、突然、いきなり……。



 俺のことを、抱き締めた。



「……えっ、あの」

「だ、黙れ! なにも言うな!」


 もちろん、その甲冑の下は裸だった……、なんてわけもなく、ちゃんと動きやすい服を着ているわけだけど、それにしたって、これだけ密着すれば、もちろん柔らかいわけで、いい匂いがするわけで、意識しちゃうわけで。


 そして、なにより……。


「……朱天さん、あったかい、です」

「だ、だからっ! 黙れと、言っただろうが……」


 彼女のぬくもりが、冷たくなっていた俺の身体に伝わる。


 それは、あまりにも緊急措置で、正しい行為ではないのかもしれないけれど、今の俺にとっては、なによりの特効薬だった。


 それに、なんだか恥ずかしがっている朱天さんが、たまらなく可愛いし。


「ありがとう、ございます……」

「ふん、礼などいらん」


 なんとか顔を見て、お礼を言いたかったけれど、まるで赤ん坊を抱く母親のように密着した朱天さんの表情は、俺からは見えない。でも、いつもは厳しい彼女の声が、ぶっきらぼうな口調でも、優しく聞こえて、心地いい。


 そして、穏やかな時間が、しばし流れる。


「……あの、どうして、あの状況で、俺を助けるなんて、無茶を?」

「お前は、非常に不本意だが、姫様にとって、大事な人間のようだからな。なにかあったら困ると思った。ただ、それだけだ……」


 これまでのことを考えたら、ありえない距離で、ありえない人物と抱き合っているという事実に、なんとなく沈黙を避けたくて、おずおずと切り出した質問に対して、朱天さんが、ぶっきらぼうにではあるけれど、答えてくれた。


 彼女の言い方は、いつものように、厳しかったけれど、この触れ合った胸と胸から伝わる鼓動の高鳴りに呼応するように、俺の身体が、熱くなる。


「しかし、お前の方こそ……、本調子でもないのに、無茶をするな」

「あっ、バレてました……?」


 まだ動けない俺のことを、優しく抱き直してくれた朱天さんに、さらりと言われてしまった事実を、俺は誤魔化ごまかすこともなく、あっさりと認めてしまう。


 というか、この状況で、命気プラーナを使って動けるようになるでもなく、この無駄に痛み続ける頭の症状を軽減するので背一杯な時点で、隠すことなんて不可能だ。


 しかも、こんな無防備に抱き締められているような状態で、どんな言い訳が通じるというのか、むしろ知りたい。


「でも、よく分かりましたね? 自分では、上手く隠せてたと思うんですけど……」

「そのくらい、見てれば分かる……」


 なんて、朱天さんは簡単にいうけれど、こちらとしては、あれでも一応、頑張って普段通りにしていたつもりだったし、多分だけど、エビルセイヴァーのみんなにも、そして竜姫たつきさんにも、もちろん戦闘員たちにも、気付かれてはいなかったはずだ。


 でも、朱天さんは気付いた。


 気付いて、俺を助けてくれた。


 それだけ注意して、彼女は俺のことを見ていてくれたのだと、俺のことを心配してくれていたのだと……、自惚うぬぼれても、いいのだろうか?


「……なあ」


 そんな朱天さんが、俺の頭をでながら、柔らかい声で、尋ねてくる。


「どうして、あの時……、雪崩に飲み込まれそうになった時、その身体で、お前は、自分ではなく、こちらを助けようとした?」

「……はい?」


 しかし、それは俺にとって、よく意味が分からない問いかけだった。


「今のお前でも、自分の身を守るくらいは、できたはずだろう?」

「うーん……、そうですね……」


 確かに、朱天さんの言う通り、俺はあの時、他の仲間たちを守るために、魔方陣を展開できたのだから、それを使えば、俺自身を守ることも、可能だっただろう。


 しかし、それは俺からしてみると、後から考えたら、そういうこともできたという話でしかない。


「なんだか、気付いた時には、身体が勝手に動いてたといいますか……。自分でも、よく分からないんですけど」

「はっ、なんだ、それは……」


 例えば、あえて理由を考えるなら、単純に雪崩に巻き込まれたら、人数が多い側はバラバラになってしまうと、色々大変だけど、すでにほとんど単独行動のような状況で孤立していた俺ならば、一人でどこかに流されても、動きやすいからだとか。


 そもそも、あの状況で俺一人、あの場所にとどまったとしても、それは他のみんなを見失うという点において、あまり変わらないと思ったとか。


 それらを考えた結果、もちろん竜姫さんの結界は信用していたけれど、より確実な方法を取りたかっただけだとか、色々と理由をげることはできる。


 しかし、それは結局のところ、言い訳めいた後付あとづけでしかない。


 結局のところ、人間が咄嗟とっさにとる行動なんて、衝動的なものでしかないのだから。


「お前は本当に、悪の総統なんて名乗っていながら、お人好しなやつだよ……」

「そうですか? 自分ではあんまり、そう思わないですけど……」


 でも朱天さんは、そんな俺をいつくしむように、そっと抱き締めてくれる。


 しかし、俺としては、自分のことをお人好しだなんて思ってないので、そんな風にされてしまうと、むずがゆくなってしまう。


 さっきの件だって、俺は自分のやりたいようにやっただけであり、少し考えれば、責任ある立場の人間としては、あまりにも無責任な行動だったともいえるだろう。


 俺としては、もちろん、あの雪崩に飲まれても生き残り、その後は、一人で山頂を目指すつもりだったけど、もしかしたら、あそこで死んでいたかもしれない。


 自らの不調を考慮こうりょしても、俺は大丈夫だと信じた。だがしかし、朱天さんが助けてくれなくても、俺は大丈夫だったのか、それとも命を落とすことになったのか、今となっては、それは分からない。全ては結果論で、仮定の話にしかならない。


 だけど、朱天さんに助けてもらったおかげで、俺がこうして、五体満足でいられるというのが、確定した事実であり、今という現実だ。


 だから、朱天さんには、感謝しかない。


「……このお礼は、いつか必ず、しますから……」

「そんならんことを考えてる暇があるなら、身体を休めろ」


 しかし、今の俺では、なにもできない。


 それでも、せめて約束だけでもと思ったのに、朱天さんは、どこまでも優しくて、強くて……、暖かかった。


「それに、お前には、師匠の件で、借りがあるからな。だから、礼なんて、言われる義理はない……」


 朱天さんの師匠……、といえば、あの白奉びゃくほうについてだろうか。


 でも、あれだって、俺は自分の好きにしただけで、誰かのためってわけじゃない。だからもちろん、彼女が恩を感じる必要なんてない。


「……うん」


 けど今は、もう少しだけ、朱天さんの優しさに、包まれていたかった。 


「……ううっ、しかし、寒いな……。おい、大丈夫か?」

「……もちろん、俺は大丈夫、ですよ……」


 とはいえ、状況は好転しない。朱天さんは、俺を抱き締め続けてくれるけど、この気温の低さでは、それ以外の解決方法を見つけなければ、共倒れになりかねない。


 しかし、そんな瀬戸際だというのに、俺の中では、二つの力が荒れ狂い、ますます痛みを増していく。それはもはや、不快どころか、不愉快だった。


 そのせいで、俺はともかく、朱天さんが寒さに震えているなんて、許せない。


 ああ、そうだ……。


 そうだった。


「……ただ、ちょっと、気分が高揚こうようしているだけで」

「お、おい? どうした?」


 俺は心配そうな朱天さんの胸の中で、確固たる決意を持って、意識を集中する。


 本当に、いつまでも甘い考えだった自分自身が、心底腹立たしい。


 そもそも、神器の力だかなんだか知らないが、それがどれだけ強大な力だろうと、今は俺の中にある、俺の力だ。いつか馴染むだろうなんて、悠長なことを考えること自体が、大きな間違いだったのだ。


 俺が使う力に、俺が振り回されるなんて、本末転倒もいいところだ。意味がない。ふざけるな。馬鹿にするのも、大概たいがいにしろ。


 はっきり言えば、ムカついた。


 だから俺は、俺の中で暴れる力を、神話の時代にのこされた、神の遺産だという力を強引に、ただ強引に、


 当然だ。


 そのくらいの我が通せないで、なにが悪の総統か……!


「――はっ!」


 俺の意思に、俺の力が応え、周囲の魔素エーテルを掻き集めると、小さな魔方陣を展開し、そこに小さな、だけど確かな、炎がともる。


 真っ暗だった洞穴に、少しだけ、光が差した。


「これで、もっとしっかり、休めますね」

「お前という奴は、だから、無理をするなと……」


 驚いたような、怒ったような、あきれたなような、笑っているような、そんな声が、朱天さんの声が、俺の耳をくすぐって、心地いい。 


「でも、急がないと、竜姫さんたちに、先を越されちゃいますよ?」

「……そうだな。ああ、分かったよ」


 そして、俺のことを、まだ抱きしめながらも、ちょっとだけ離れて、らめく炎に照らされながら、ようやく、その顔を見せてくれた朱天さんは、満面の笑顔だった。


 さあ、ここからが本番だ。


 頂上で合流しよう! なんて格好をつけたくせに、その張本人が遅刻するなんて、まったく笑い話にもなりはしない。


 向こうには、竜姫さんも、エビルセイヴァーのみんなも、頼れる戦闘員たちもいるのだから、俺たちだって、急がないと……。


「……だけど、もうちょっと、このままでも、いいですか?」

「ふん……、好きにしろ……」


 だから、その前にちょっとだけ、英気を養おうと、俺と朱天さんは、小さくても、暖かい炎にあたりながら、お互いのことを、抱き締め合った。



 そして、わずかながらも、時は過ぎ……。



「――王統創造おうとうそうぞう!」

「――鬼炎万丈きえんばんじょう!」


 もうすっかりと、身体の方も温まり、動けるようになった俺たちは、それぞれが、戦うための装束しょうぞくを身にまとい、洞穴の外へと向かう。


 とりあえず、まだ本調子とはいえなくても、カイザースーツの維持くらいはできるようになったことだし、問題はないだろう。


 そうだ。俺と朱天さんが揃っていて、問題なんて、あるはずがない。


「それじゃ、行きましょう、朱天さん!」

「ああ! ここからは、お前について行ってやるさ!」


 こうして、情けない悪の総統と、美しき鬼は、二人だけで笑い合いながら、お互いの拳を合わせ、いまだ荒れ狂う吹雪の中へと、並んで飛び出して行くのだった。


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