9-7


「ううっ、風が痛い……」


 まだまだ冬の寒さが厳しい夜空の下で、身を切るような冷たい空気をかき分けて、俺はコートに頬をうずめながら、ひたすらに帰路を急ぐ。


 こうしてひとりになると、先ほどまでの大騒ぎを思い出し、みんなのことを考えて、余計にさびしく感じてしまう。


 それはもう、冬のせいだからでは誤魔化ごまかせない感傷かんしょうだった。




 結局、ひかりが大荒れしてしまったティータイムは、日が落ちて、暗くなってきたところでお開きとなって、みんなと一緒に帰宅することにした俺は、それぞれの家をぐるりと回って、全員を送ってから、自分の実家へと向かっている。


 さすがに、誰かと一緒ならともかく、俺一人だけで、あの広すぎる家を使うというのは、あまりにもわびしい気がして、落ち着かない。


 とはいえ、今夜は俺の両親も忙しいらしく、帰ってこないということだったので、わざわざ家に戻っても、誰もいないわけだけど、それはもう単純に、どれだけの時間をその場所で過ごしたかという、慣れの問題というやつになる。


 少なくとも、今の俺にとっては、やっぱり帰るといえば、あの家なのだ。


「……って、あれ?」


 そんな愛しの我が家に、ようやく帰って来た俺の目に飛び込んできたのは、なんというべきか、予想外の光景だった。


「おっそーい! なにしてたのよ、バカ統斗すみと!」


 うちの玄関の前で、一人の少女が、怒声どせいを上げている。


 その小さな体を、少しでも大きく見せたいのか、スカートだというのに大股開きで仁王立ちしながら、ぷりぷりとほっぺたをふくらませ、こちらをにらんでいる。


 これはまったく、予想すらしていなかった状況だ。


「……いや、お前の方こそ、なにしてるんだよ、ひかり」


 ついさっき、恐ろしい剣幕で飛び出して行った女の子が、俺の家の前で待っているなんて、正直に言えば、びっくりなわけだけど……。


 まあ、いいか。


「なんでもいいでしょ! もうっ! 寒いんだから、早く中に入れなさいよ!」

「……へいへい」


 俺は素直に、寒さで耳まで赤くしてしまっている少女を、我が家に迎え入れることにして、玄関の鍵を開ける。


 なんにせよ、ひかりとはちゃんと、話をする必要があるのだから。




「へっくちょん!」


 ようやく暖房が効いてきたリビングに、ひかりの可愛いくしゃみが鳴り響く。


「大丈夫か? ほら、ティッシュ」

「……うん、ありがと」


 今のところは大人しく、テーブルの前で椅子に座って、その足をパタパタしていたひかりが、ずびずびと鼻をかむ。


 まあ、見たところだと、別に熱が出たとか、風邪をひいたというよりは、外にいた分だけ冷えていた身体が温まって、おさえきれなくなったのだろう。


 とりあえず、心配する必要はなさそうだ。


「それで、もう一度聞くけど、なにしにきたんだよ?」

「別に、なんだっていいでしょ」


 俺からの同じような質問に、ねたようにそっぽを向きながら、同じような返答を繰り返すひかりには、どうやら、ちゃんと理由を聞かせてくれる気がないようだ。


 家に入ってから、もうずっとこの調子なので、正直な話、困ってしまう。


「うちの親父か、母さんに用があるなら、残念だけど、今日は帰ってこないぞ」

「知ってるわよ、ちゃんと聞いてきたから」


 とりあえず、ひかりの奴が国家守護庁こっかしゅごちょうで正義の味方をしていた時の元上司だった、俺の両親にかかわることかと、探りを入れてみたけれど、どうやらハズレか。


 しかし、すごい勢いで飛び出してから、どうしていたのかと思ったら、そんなこと聞きに行ったりしてたのか……。


 って、うん?


「……だったら、俺が帰って来なかったら、お前はどうするつもりだったんだよ?」

「別にー? 帰ってくるまで、待ってるつもりだっただけだし」


 またこの娘は、考えなしに、とんでもないこを考えて……。


 ひかりの動向は、俺の知るところではなかったので、当然ながら、下手をしたら、俺は向こうの家で一夜を明かして、今日は実家に帰らない、なんてことになっていた可能性だってあるのだ。


 そうなると、まあ、ある程度遅くなったら、あきらめるにしても、かなり長時間、こんな冬の寒空の下で、待ちぼうけを食らうことになったかもしれない。


 まったく、こうと決めたら、後先あとさきどころか、まわりのことさえ見えなくなってしまう性格は、どうやら変わりようがないようだ。


「そんなことより、ごはんよ、ごはん! おなかすいたー!」

「……はいはい」


 とりあえず、こうなってしまったひかりに対しては、下手に逆らってもこじれるだけということを、俺は経験から知ってる。


 なので、まだ夕飯を食べてないという彼女のために、俺は冷凍庫から、あらかじめ全てがアルミ鍋の中に用意されている冷凍うどんを取り出し、コンロにかけておいたわけだけど、もうそろそろ、いい頃合ころあいだろう。


 俺は台所に引っ込んで、丁度良く煮えた鍋焼きうどんを、鍋つかみを使って運び、テーブルの上に敷いた鍋敷きの上に置いて、目を輝かせているひかりに差し出す。


 これなら、料理のできない俺でも、簡単に用意できるから、ありがたい。


 冷凍食品、万歳。


「それ食べたら、ちゃんと帰れよ?」

「いやよ。今日はずっと、ここにいる」


 だかしかし、こちらからの最大限の譲歩じょうほに対しても、ひかりからの反応は、残念なことに、なしのつぶてだ。


「あのなぁ……、お前はちゃんと、そちらのご両親に説明を……」

「いただきま~す!」


 くっ、せめてちゃんと、ひかりが彼女の家族に、ちゃんと自分はどこにいるのか、教えているのかどうかくらいは確認したかったのだけど、失敗だったか。


 もうそろそろ時間的に、向こうのご家族に心配をかけていやしないかと、さすがに不安というか、ハラハラしてしまう……。


「はふはふっ!」

「ああ、もう、そんなに急いで食べると、危ないって!」


 とはいえ、こうして幸せそうに、うどんをすすっている少女を見てしまうと、心がやすらぐ気がしてしまうのだから、俺も甘いというか、他人のことはいえないか。


 本当に、しょうがないなぁ……。


「……ねえ、ちょっとこっちに来なさいよ」

「うん? なんだよ」


 さて、こうなってしまってはと、とりあえず俺も、なにか腹に入れようと、カップラーメンでも作ろうかと、再び台所に向かった途端、ひかりに声をかけられた。


 そんなに離れていたわけでもないので、俺はほいほい、彼女に近づく。


「ほら、あーん!」

「いや、いやいや、待て、待て!」


 そして、無警戒な俺に向けて、なぜか嬉しそうなひかりが、熱々あつあつになってる鍋焼きうどんをはしつかんで、思い切り、こちらに向けて突っ込んできた。


「むー、なに逃げてるの。ひかりちゃんからのほどこしは、ありがたく受けなさい!」

「いや、そういう問題じゃねえから!」


 不満そうに唇をとがらせるひかりには悪いけど、俺はその熱々うどんを、断固として受け入れるわけにはいかない。


 だって、すっごく熱いんだもんよ!


「あーん!」

「あつ、あつつ! だから、なんかの罰ゲームみたいになってるから!」


 こちらの口を狙う箸を、なんとか避けてはいるけれど、この距離だと、空中に舞う汁までは、完璧にはかわせない!


 というか、危ないっての!


「もう、だから、ちゃんと食べなさいよ!」

「無理! 無理無理! せめてちょっとは冷まして……、あっつい!」


 こうして、俺とひかりの、よく分からん大騒ぎは、しばらく続いた……。




「あー、ごちそうさまー。仕方ないから、これで満足ってことにしておくわー」

「はいはい、お粗末そまつさまでした」


 とりあえず、俺に向けて、執拗しつように熱々うどんを食べさせようとするひかりの猛攻をき、俺たちは、ようやく一息ついていた。


 いやはや、本当に、死闘すぎた……。


「それじゃ、ひかりはお風呂入ってくるから」

「おい、お前は暴君か。だから、そういうのはやっぱり、自分の家で……」


 本当ならば、さすがに風呂まではやりすぎというか、入ってしまうと、この寒さの中で家に帰るのは、かなり億劫おっくうになるはずなので、もっと強く止めるべき……、とは思うけれども、なんだか疲れてしまった俺から出てきたのは、この程度の制止だ。


 いやそれ以前に、ひかりに言われるがままに、お風呂を用意した時点で、同罪か。


 うん、なんだかもう、どうでもよくなってきた……。


「お風呂ー、お風呂―! 分かってると思うけど、のぞくんじゃないわよ!」

「だー! 分かってるよ!」


 なぜかウキウキとしてるひかりが、当り前の注意をしてきたので、俺も当たり前の返事を返して、あんに彼女の行動を、認めてしまう。


 これってやっぱり、まずいよなぁ……。


「ふんふ~ん! あっ、パジャマは、この前と同じの、使うからね!」

「はあ……」


 だけど、ここまできたら、もうひかりを止める気力は、俺には残っていなかった。


 こうなれば、なるようになれの精神で、乗り切ろう。


「……片付けするか」


 というわけで、俺はとりあえず、テーブルの上の、もう冷たくなった空き容器を、ゴミ箱に捨てるために、まずはざっと汚れを落とそうと、台所へと向かうのだった。




「…………」

「おっ、出てきたか。それじゃ、俺も入るかな」


 そして、さっさと片づけを終えて、しばらくリビングでソファに寝ころびながら、のんびりテレビを見ていると、さっきの宣言通りに、俺の部屋から、俺のパジャマを引っ張り出して、それを着たひかりが、無言でこちらにやって来た。


 その様子に、気になるところはあるけれど、とりあえず、お風呂が冷めてしまうともったいないので、俺は起き上って……。


「…………」

「うん? どうした?」


 しかし、立ち上がった俺の方に、やっぱり無言のままで、つかつかと近寄って来たひかりが、こちらの進路をふさいでしまう。


「なんで、覗きに来ないのよ!」

「ぬおっ! いきなりなにする、だあっ!」


 そして、なにやら意味不明なことを言い出したかと思うと、怒髪天どはつてんきながら、おそろしい剣幕けんまくで、俺につかみかかってきた。


「いやいやいや! なんで常識的な行動をとって、怒られるんだよ! 意味分からんというか、落ち着け! 落ち着け!」


 さらにそのまま、バタバタと手足を振って暴れるひかりをしずめようと、俺は彼女を軽くめて、頭を優しくでてやることにする。


 このままでは、家具に足の小指をぶつけたとかで、ひかりが怪我をしかねない。


「ふーっ! ふーっ!」

「よしよし、どうどう、恐くない、恐くない……」


 そうしているうちに、まるで獣のように、こちらを威嚇いかくしていたひかりの目にも、少しづつ、理性の光が戻ってきた。


 うんうん、やっぱり大事なのは、相手を思いやる、まごころの精神である。


「ああもう、そんなに暴れるから、パジャマがはだけちゃって……、ほら、あんまり動くなって、俺が直してやるから……」

「むううっ!」


 というわけで、元々サイズの合ってない俺のパジャマを着ている上に、バタバタと暴れてしまったせいで、その隙間から、可愛いおへそやら下着が見えてしまっているので、俺はボタンをめたり、生地を伸ばしたりして、体裁ていさいととのえてやる。


 よし、綺麗になった……、と思うんだけど、なぜか段々だんだん、ひかりから聞こえてくるうなごえが、大きくなってきてしまう。


「この、もうちょっと、空気読みなさいよ! このバカ!」

「な、なんだよ! 俺がなにかしたのかよ!」


 そしてついには、またもや怒りを爆発させたひかりが、再び暴れ出してしまった。


「うがあああ!」

「わわっ、だから、やめろって!」


 こうして、ひかりを落ち着けるのに四苦八苦した結果、俺がゆっくりと、お風呂に入るためには、すっかり冷えてしまったお湯を、温め直す必要があったとさ……。


 どっとはらい。




「やれやれ……」


 なんとか一区切ひとくぎりついたので、俺は自分のベッドに倒れ込む。


 気が付けば、もうすっかり遅い時間になってしまって、しかも、ひかりの奴が断固として帰らないとるので、精神的な疲労からも、妥協だきょうを選んでしまった俺は、目の前で自分の家族に説明するならいいと、許可を出してしまった。


 結局、友達の家に泊まると、また嘘をついた彼女を、まさか制止して、俺が直接、ひかりの携帯を奪って、懇切丁寧こんせつていねいに、お宅のお嬢さんは、男の俺だけしかない家に、泊まることになりますと言うわけにもいかず、黙認してしまったので、完全に共犯の立場におちいったのは、痛恨つうこんだったかもしれない。


 ああ、俺という人間は、どこまで悪人なのだろう……。


「とりあえず、今日はもう、ゆっくり寝て……」


 しかし、もはや後悔すらも面倒になってしまった俺は、ひかりのために客間を用意してやってから、この疲れを少しでも癒そうと、さっさと眠りの世界に逃避を……。


「ちょっと、統斗!」

「おお、今度はどうした……」


 しようとした瞬間、俺の部屋の扉をノックもせずに開け放ち、張本人のひかりがやって来たので、俺はベッドから身体を起こし、彼女を迎え入れてしまう。


 どうやら、俺と彼女の夜は、まだまだ終わらないようである……。


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