9-8


「もー! またズルしたでしょ! 卑怯よ、統斗すみと!」

「いや、これはただ、コマンド入力しただけだから! ただの必殺技だから!」


 テレビ画面に映し出された決着の文字に、納得いかない様子で文句を付けながら、ひかりが俺の肩を、パシパシと叩いてくる。


「こうなったら、もう一回よ!」

「いや、もう寝ようぜ……」


 そして、完全に目がわっているひかりは、再びコントローラーを操り、さっきと別のキャラクターを選択すると、もう何度目かも分からない再戦を要求してきた。


 どうやら、俺と彼女の熱すぎる戦いは、もう少しだけ、続くようだ……。




 先ほど俺の部屋に突入してきた少女からの要求は、実にシンプルだった。


 ひかりと勝負しなさい! 負けた方が、勝った方のどんな命令でも、絶対に絶対に聞かないといけない、デスマッチよ!


 というわけで、逆らうだけ無駄なのは分かっている俺は、ひかりの希望通り、その条件を丸々飲んで、とりあえずこうして、手近なテレビゲームで勝負することにしてあげた……、というわけなんだけども。


「あー! どうして勝てないのよ!」

「経験の差が出たな……」


 残念ながら、結果はもうすでに決まったと、断言してもいいだろう。


 というか、ここまで下手なのに、どうして自分で、格闘ゲームなんて選んだんだ、ひかり。素人の突飛とっぴな動きに、経験者ほど翻弄ほんろうされるみたいな話は聞くけれど、このレベルだと、そんな奇跡すら起こらないぞ、ひかり。


 これでは、手を抜いて負けようにも不自然になりすぎて、どうしようもないので、結果的に、俺がただひたすらに、勝ち星をかさねるだけになったいる。


「なあ、さすがにもう、逆転は不可能だと思うんだけど」

「……もう、仕方ないわね!」


 さすがに、あきらめたらしいひかりが、やっとコントローラーから手を放してくれたので、俺はホッと胸をおろろす。


 というか、本当は一発勝負だったはずなのに、あまりにあっけなく、速攻で負けたために、駄々だだをこねて、なぜかひたすら連戦することになったけれど、結果は、俺の全勝だったのだから、あきらめてくれないと困ってしまう。


 まあ、なんによせ、長かった戦いに、ようやく終止符しゅうしふが打たれたわけである。


 うん、よかった、よかった……。


「そ、それじゃ、やく、約束だからね……、ほ、本当はイヤだけど、こうなったら、あ、あんたの言うこと、な、なんでもいいから、聞いてあげるんだから!」


 なんて、気を抜いた俺に、彼女にしては珍しく、顔をせて、声まで震わせているひかりが、勝者の権利を行使こうししろと、なぜか上から目線でせまってくる。


 そういえば、そういう話だったっけ。


「うーん、だったら……」

「な、なによ……」


 それなら俺は、今のひかりにして欲しいことを、素直に伝えることにする。


 すっかり夜もけてきたし、もうそろそろ、いい頃合いだろう。


 ここからは、大人の時間というわけで……。


「自分の寝床ねどこで、さっさと休め」

「……はあ?」


 子供はそろそろ、寝る時間である。




「うーん、どうするべきか……」


 とりあえず一人になった俺は、電灯を消して、暗くなった自分の部屋で、ベッドに横になって、布団をしっかり被りながら、自問自答を繰り返していた、


 こればっかりは、自分自身の問題だ。逃げることはできない。


 もちろん、先送りにしても、根本的な解決にはならない。決断はするべきで、その覚悟なら、とっくの昔に決めたはずだ。


 だけど、ああ、それなのに……。


「……うん?」


 そうして、俺が目の前の大問題から、目をらし続けていると、俺の部屋の扉が、ひっそりと開く音がした。


「…………」


 そして、その開かれた扉を通って、小さな少女が、彼女にしては珍しく、静かに、なにも言わず、黙ったまま、こちらのベッドに近づいてくる。


「お、おい、ひかり……」

「う、うるさい、バカ統斗……」


 そしてそのまま、呆気あっけにとられて、マヌケにも、止めることを忘れてしまった俺のすきをついて、少女は、ひかりは、ごそごそと、俺の寝ているベッドに、布団の中に、恥ずかしそうに、こちらを見ないまま、もぐんできた。


 まだ冷たかった布団が、彼女の体温の分だけ、熱くなる。


「……勝者の命令は、絶対じゃなかったのか?」

「そ、そうよ? あ、当り前じゃない!」


 もぞもぞと、その小さな身体を動かして、ベッドの中央に……、というか、こちらに寄ってくるひかりのために、俺も寝ていた向きを変え、彼女をむかれるように、顔と顔を、鼻と鼻がくっ付く程の近さで、突き合わせてしまう。


 暗闇の中でも、ハッキリと分かるほど、真っ赤になったひかりが、そこにいた。


「だったらお前は、なにしてるんだよ」

「だ、だから、自分の寝床で、休んでるんでしょ!」


 そしてひかりは、うるんだ瞳で、こちらを見ながら、震える手で、俺の寝間着の胸のあたりを、ぎゅっと掴む。


「ここが、ひかりの場所なんだから……」


 それだけ、ぽつりとつぶやく彼女は、反則的に、いとおしい。


「まったく、しょうがないなぁ……」

「し、しょうがないのは、そっちでしょ……」


 さすがに、ここまでされて、ひかりをこの布団から叩き出すのは、あまりに外道な行いに思えて、俺は苦笑を隠しながら、現実を受け入れることにする。


 まあ、これだって、悪くはないさ……。


「よしよし、それじゃ、このまま寝るか。お休みー」

「って、ちょっと待ちなさいよ!」

「へぶちっ!」


 そして、そのまま健康的に、睡眠という休息をとろうとした俺に向けて、ひかりは速攻で、こちらの寝間着をつかんでいた指に力をめると、そのまま真っ直ぐに、少し上方に位置することになっていた俺のあごに、頭突きをかましてきた。


 避けることのできない一撃を受けて、俺は悲鳴を上げるしかない。


「な、なにをするのだ……」

「なにをするのだも、そっちでしょ!」


 そして、目も覚めるような一発を、見事に決めたひかりは、その怒りもあらわに、馬鹿な俺の襟元えりもとに、掴みかかってくる。


「あんたね……、ここまでして手を出さないって、どうなってるのよ!」

「は、はあ? お前いきなり、なに言い出して……」


 それはもう、悲鳴のような激情だった。


「だからっ! どうして、統斗は、他のみんなには、手を出したのに、ひかりには、まだなんにもしないのよ! この……、ド変態の、エロ男のくせに!」

「ぐはっ!」


 あまりに直球で、逃げようがない真実を、全速力で投げつけられて、俺は一瞬で、瀕死ひんしどころか、死んだといってもいいだろう。


 それだけのことを、俺はかさねたのだ。

 ならばそれから、その痛みから、苦しみから、もう逃げることは、許されない。


 これはただ、逃げ続けた馬鹿な男が、ただ勝手に、傷ついたように振る舞っているだけの、けた自己憐憫じこれいびんでしかない。


「い、いや、あの、それは……」

「統斗は、統斗は……」


 そう、そんな最低な俺よりも、傷ついている少女が、ここにいるのだから。


「ひかりのこと、嫌いなの……?」


 それは悲鳴よりも切ない、哀しみの吐露とろだった。


「……そんなわけないだろ」


 いつも元気なひかりの、そんな声を、そんな顔を、俺は見たくない。見たくなんてなかったのに、彼女をそうさせたのは、俺の意気地いくじのなさだ。


 だから俺は、心からの気持ちを、彼女に送る。


「そんなこと、あるわけない」


 もう二度と、彼女にこんな思いを、させないように。


「俺は、ひかりのこと、好きだよ」

「……そっか、そうなんだ」


 この腕の中の、小さな少女が、壊れてしまわないように、俺は、ただひたすらに、そっと優しく、抱き締める。


 少しでも、この思いが伝わればと、願いながら。


「へへへっ、ひかりも、不本意だけど、あんたのこと……、好きよ!」


 そして、さっきまでの悲しみが嘘のように、まぶしい笑顔を見せてくれた彼女から、その言葉を聞けただけで、俺の心はたさせる。


 そう、この気持ちには、嘘がない。あるはずがない。


 たとえ、誰に最低とののしられても、胸をって、そう言える。


「でも、だったら、もっとちゃんと、ひかりのことを、愛しなさい!」

「いや、それは分かってるんだけど……」


 そう、もちろん、分かっている。

 分かっては、いるんだけども、そこがまさに、問題だった。


 俺のひかりに対する思いは、本物だ。それはもはや、好きどころか、臆面おくめんもなく、愛していると言い切れるほどに、思っている。


 しかし、だかしかし、これまたあえて、臆面もなく言ってしまえば、俺とひかりの関係が、元々もともと近すぎたというか、なんというか、もはや友達というより、家族というカテゴリーに入ってしまうほどに、遠慮えんりょのなさすぎるものだったという事実が、いまさらのように、俺の決断をにぶらせていた。


 正直にいってしまえば、ひかりとそういう関係になるということに対して、まるで妹というか、もしかしたら娘に対して、言い訳できない行為を強要するような禁忌きんきを感じて、どこか怖気おじけづいてしまったというのが、真相なのだろう。


 でも、それは結局、ただの言い訳でしかなく、俺という情けない男の、勝手な思い込みだということは、分かっている。


 要するに、俺にはまだまだ、覚悟が足りなかったということだ。


「というか、なんだ、お前はその、そういうことして、大丈夫なのか?」

「はあ? なにあんた、ひかりが小さいからって、舐めてるの?」


 そう、こうして自分から、俺のベッドに潜り込んでくれた少女に比べれば、本当に俺の覚悟なんて、どれだけ薄っぺらいものだったのかと、恥ずかしくなってくる。


「あのね、ひかりは確かに、あんたより、他のみんなより、ちょっぴり年下だけど、ほとんど年齢、変わらなんですけどー?」


 確かに、そうだ。その通りだ。ひかりは決して、俺の妹でも、娘でもない。


 気高くも、美しい、一人前のレディなのだ。


「だから、いいの! ひかりがいいって言ってるんだから、いいの!」


 まるで永遠の誓いのように、俺の目を真っ直ぐと見つめる少女は、震えながらも、その決意の強さを示すかのように、俺のことを、めた。


 だから、俺はここで、もはや何度目になるか分からないけれど、今度こそ……。


 覚悟を決める。


「……分かったよ。それじゃ、本当に、いいんだな?」

「う、うん……」


 触れ合った胸と胸を伝わって、互いの心臓が高鳴る音を交換しながら、息がかかるほど近くで、小さくうなずく少女の腰に、俺はそっと、手を伸ばす。


「ただ、あの、ちょっと……」


 そんな俺を受け入れながら、ひかりが小さく、小さくつぶやく。


「ちょっとだけ、優しくしてね……?」


 その瞬間、俺の理性は、消し飛んだ。


「それはもちろん、お姫様……」

「んっ……」


 俺の唇と、ひかりの唇が、そっと重なる。


 もう子供は眠る時間だけれど、ここからは、そう……。


 大人の時間だ。


「あっ、あっ、統斗、統斗……!」

「大丈夫、これからも、ずっと一緒だ……」


 こうして、本当に遅くなってしまったけれど、俺は自らの決意を……。


 自分の思いで、つらぬいた。


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