9-3


 というわけで、せっかく遠出とおでをしたわけだけど、俺と樹里じゅり先輩は、近くの山を散策するどころか、外に出るようなことは、まったくせず、それはもう、朝から夜まで、じっくりと、ねっとりと、ところかまわず、まともに食事をとることすら忘れ、獣のように愛を確かめ合っていた、というわけである。


「うーん、我ながら、堕落だらくしきっている気がする……」


 熱いシャワーを浴びて、幾分いくぶんかスッキリしたので、今さらのように自らの所業しょぎょうを振り返ってしまった俺は、色んな意味で、頭が痛くなってきた。


 なんというか、あきらかに淫蕩いんとうおぼれすぎているというか、怠惰たいだれすぎているというか、欲望に素直すぎるというか、ダメ人間一直線な気がする……。


 いや、まあ、悪の総統ならば、それで正しいのかもしれないけれど、それはそれとして、それでいいのか的な自問自答を止められないのが、現実というやつだ。


 もちろん、自分の行いに、後悔なんてないけどれ、それでもなんだか、もう少し、理性的というか、スマートな余裕というものを、目指していきたい。


 とりあえず、もっとモラルある悪の総統をスローガンに、頑張るべきか……。


「……っと、いけない、いけない。樹里先輩を、待たせちゃうな」 


 なんて、反省していても仕方ない。今はそれよりも、絶対に、優先するべきことがあるので、俺はさっさと身体からだいて、下着をけ、先輩の用意してくれたバスローブをちゃんと着込きこんで、彼女の元へと向かう。


 よし、気持ちを切り替えて、今を楽しむぞー!


「あっ、統斗すみと君。ねえ、コーヒーでよかったかしら?」

「ええ、ありがとうございます、先輩! うーん、いい香りだ!」


 というわけで、刹那的せつなてき享楽きょうらくに走った俺を、樹里先輩は笑顔で迎えてくれる。


 それだけで、俺の人間性がどうこうだなんて、どうでもいい問題に思えるのだから不思議なものだ。うん、やっぱり今が幸せなら、それでいいよね!


「食材がほとんどないから、簡単なものしか用意できなくて、ごめんなさいね?」

「いえいえ、十分すぎますよ! さあ、ご飯にしましょう!」


 樹里先輩は謙遜けんそんしているけれど、昨日、買い出しに行かなかったことを考えれば、少ない食材ながらも、テーブルの上に並んでいるのは、ご機嫌な朝食だ。


 ふわふわのオムレツに、見事な焼き色のトーストと、鮮やかなサラダ。さらには、暖かそうなスープまで……! これで文句をいうなんて、お門違かどちがいもはなはだしい。


「いただきまーす!」

「ふふ、いただきます」


 空腹には勝てず、急いで目の前の御馳走ごちそうに手を付けてしまった俺に続いて、笑顔の樹里先輩も、上品な仕草でスプーンを手に持ち、スープに口を付けている。


 これこそまさに、幸せな朝食というものだろう。


「ふふふっ……、あっ、ごめんなさい」

「うむっ? どうしたんですか、先輩?」


 穏やかな時間を、のんびりと楽しんでいると、不意に笑みをこぼした樹里先輩が、恥ずかしそうに口元くちもとおさえる。


 その様子は、なんだかとっても魅力的で……、幸せそうだった。


「うん、あのね……、この場所で、統斗君と楽しい思い出を作れたのが、なんだか、とっても嬉しくて……」


 そして、少しだけ悲しそうに、ひかえめな笑顔を見せてくれた先輩は、どうしようもないくらいに、美しかった。


 でも、そうか、そうだったんだ……。


 どうやら、樹里先輩がこのペンションに来たいと言ったのは、この場所で起きた、色々な意味で衝撃だった出来事に、思うところがあってのことだったようだ。


 だったら、いや、だからこそ、俺は自分の正直な気持ちを、彼女に伝えたい。


「まだまだ、終わりじゃないですよ、樹里先輩! ここだけじゃなく、もっともっと色んなところで、これからずっと、楽しい思い出、作りましょうよ!」

「……そうね、うん、そうよね!」


 確かに、あれは俺にとっても、忘れられない思い出だけど、それは決して、そして絶対に、嫌な思い出なんかじゃない。


 先輩との思い出は、俺にとって、どんなものでも宝物だし、その宝物を、これからずっと、増やしていきたいと、本気で思っている。


 だから……。


「うふふ、ありがとう、統斗君……」

「そんな、こっちこそ、ありがとうですよ、樹里先輩」


 こんな俺の言葉で、目の前の女性が、嬉しそうな笑顔を見せてくれるのが、本当に本当に、幸せだった。


「ごちそうさまでした! いやー、美味しかったです、」

「ふふっ、喜んでもらえて、よかったわ」


 さて、そんなことをおしゃべりしているうちに、美味しい食事をとり終えて、もうすっかり大満足である。


「それじゃ、片付けしちゃうわね」

「あっ、俺も手伝いますよ」


 とはいえ、お腹がいっぱいになったからと、即座になまけてしまうのは、この素敵な朝食を用意してくれた樹里先輩に、悪すぎる。


 なので、俺もテーブルから食器を運んで、皿洗いに精を出すことにした。本当に、これくらいしかできなくて恐縮だけど、とりあえず、精一杯頑張ろう。


「ふんふ~ん……、あっ、先輩、それも俺が洗いますよ」

「ありがとう、統斗君。うふふ、助かるわ」


 だけど、一人なら億劫おっくうになりそうな洗い物だって、こうして先輩と並んでやれば、まったく苦ではないし、むしろ楽しかったりする。


 こういうのはやっぱり、誰とやるかで、気分がまったく……。


「……あっ」


 そんなことを考えていたら、まだ冷たい水が流れるシンクの中で、俺と樹里先輩の指が、偶然だけど、触れ合った。


 その暖かさに、まるで引き合うように、二人の指はからう。


「ねえ、統斗君……」

「先輩……」


 さらにそのまま、自然な流れで、俺たちは見つめ合い、お互いの唇を近づける。


 いや、さっき反省したばかりだけど、こればっかりは、仕方ない。昨日の今日で、感触が残っているというか、さっきのベッドでのこともあるし、まだ火照ほてりが引いてくれないというか、これもまた、いい思い出になるからというか……。


 ピピピピッ……、ピピピピッ……、ピピピピッ……、ピピピピッ……!


 なんて、俺が自分自身に言い訳をしていたら、けたたましい……、いや別に、好きだから自分で選んだ着信音なわけだけど、今の気分では邪魔でしかない騒音が、まだ俺の荷物が置きっぱなしになっているペンションの入り口から、うるさいほどに鳴り響いているのが、聞こえてきてしまった。


 これはまたもや、台無しってレベルじゃない。


「……電話、出てきますね」


 さすがに、急な連絡を、そのまま放置して、無視するわけにもいかないので、俺は断腸だんちょうの思いで、先輩にことわりを入れてから、急ぎ原因の解決に向かう。


 こんな俺でも、悪の総統として果たすべき責任は、分かっているつもりだ。


「もしもし?」

『おおっ、統斗! せっかくの休日なのに、悪いの!』


 電話の向こうから聞こえてきた祖父ロボの声には、あせりもなければ、あわてた様子も見られない。まったくいつもの調子すぎて、安心感すら覚えてしまう。


 それだけで、いくらか自分かホッとしているのを感じるけれど、しかし、ちゃんと要件を聞くまでは、まだ安心はできないか。


「大丈夫だけど、なにかあった?」

『いや、別に大したことでもないんじゃが、一応は、お前の耳にも入れておこうかと思っての。なに、すぐ終わる話じゃ』


 そして、普段とまったく変わらない祖父ロボが、あっさりと、告げた。


『例の、マーブルファイブとかいう正義の味方が、さっきまた、攻めてきたぞい』

「……へえ、意外と早かったな」


 なるほど、祖父ロボからの連絡は、確かに悪の総統としては、聞いておくべき情報というやつだった。


 しかし、かなりしっかりとダメージを与えたつもりだったんだけど、こんなに早く再戦を挑んでくるなんて、なかなか根性あるなと、思わず感心してしまう。


『とりあえず、ひましてた怪人三人と、マリーが相手しておるから、特に問題ないが、まあ一応、連絡だけはしておこうと思ってな』

「そうなんだ……、うん、分かった。連絡サンキュー」


 とにかく、色々と気になることはあるけれど、祖父ロボに任せておけば、間違いはないだろうし、俺はことが終わってから、報告を受ければ十分な案件ではある。


 あるんだけど……。


『じゃあの、休日なんじゃから、あんまりハリキリすぎず、しっかり休めよ』

「お、おう、大丈夫だって。それじゃ、また後で~……」


 なにやら、いやらしい声色で、こちらに釘を刺してきた祖父ロボからの通話を切りつつ、俺の心の中では、微妙なモヤモヤが広がってしまう。


 それは別に、嫌な予感というわけではない。


 これはまったく、別の問題だ。


「……ふう」

「どうだった、統斗君? なにかあったのかしら?」


 とりあえず、心配そうに様子を見に来てくれた先輩に、事情を説明しないとな。


「ああ、大丈夫ですよ。ちょっと正義の味方が、攻め込んできただけですから」

「そうなの、よかったわ。みんなに、なにかあったわけじゃないのね」


 その通り。まだ別に、たいしたことが起きたわけでもないし、ただ悪の組織として、平常運転してるだけなので、心配する必要なんて、まったくない。


 それは当然、分かってる。

 確信と共に、分かってはいる。


 しかし。


「ええ、そうなんですけど……」

「……向こうの様子が、気になるのね?」


 確かに、先輩の言う通り、俺はどうしても、気になってしまう。


 みんなが心配だから、というわけではなく、もっと単純に、予定になかった出来事が起きた上、それに対して、みんなが慌ただしく働いてくれていることを考えれば、自分はゆっくり休んでいていいのかと、どうしても考えてしまう。


 なんだか、悪いことをしているような気がして、落ち着かなくなってしまうのは、もしかしたら、俺の悪いところなのかもしれないけれど、気になってしまうと、もう頭から離れない。


 俺という人間は、やっぱりどこまでいっても、ただの小市民なのだった。


「それなら、今日はもう、帰りましょうか?」

「あっ、でも……、いいんですか?」


 樹里先輩が、こちらを気遣きづかってくれるけど、本当だったら、今日の夕方辺りまで、二人でのんびりして、それから帰る予定だったのに、これでは俺のわがままで、早めに切り上げることになってしまう。


 それはやっぱり、どうしても、先輩に悪い気がするし……。


「あら、もちろんよ」


 だけど、そんな情けない俺を、女神のような先輩は、笑顔で受けれてくれる。


「だって、もうこれで最後ってわけじゃ、ないでしょう?」

「……ええ、そうですね!」


 それがなによりも、俺にとっては嬉しかった。


 そう、これで最後なんかじゃない。これからは、いつだって、どこにだって、好きな時に、好きな相手と、共にあることができるのだから。


「うふふ、それじゃ、次は統斗君に、どこに連れて行ってもらおうかしら?」

「ははっ、今日の分の埋め合わせもしますから、期待しててくださいよ!」


 この素晴らしい先輩と、何度でも、何度でも、最高の思い出を、作っていこう。


「よしっ! それじゃ、戻りましょうか、俺たちの街へ!」

「ふふっ、ちゃんと帰る準備をしてからね?」


 こうして俺と先輩は、急いで身支度を整えて、ワープを使って一瞬で、楽しい旅行から、悪と正義の戦いの渦中かちゅうへと、戻ることに決めたのだった。


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