9-2


「先輩、旅行に行きましょう」

「……えっ?」


 俺からの突然すぎる提案に、いつもたおやかな樹里先輩も、その可憐かれんな口を大きく開いて、彫像のように固まってしまう。


 その様子に、俺はなんだか、ドキドキしていた。




 竜姫たつきさんと朱天しゅてんさんをまじえて、ケーキ屋さんでみんなそろって、わいわいと楽しんでから翌日、確かに楽しかったけど、楽しすぎて、結局この後どうするかとか、少しも決めることができなかったので、こうして俺は改めて、樹里じゅり先輩の元を訪ねている。


 やっぱり、こういうことを、いつまでも先延さきのばしにするのは、よくない。


 というわけで、一念発起いちねんほっきした俺は、自分がやると決めたことを、結果はどうあれ、最後までやりげるべく、なけなしの勇気を振り絞って、ある意味では、大胆すぎるかもしれない提案を、樹里先輩に持ちかけることにしたのだ。


 とはいえ、他のみんながいるとはなづらい気がして、こうして樹里先輩が、休憩室に珍しく一人でいる時を狙ったのは、俺が臆病だからと言われても、否定はできない。


「えっと、あのですね、実はさっき、急な休みができちゃいまして、それで、もしも先輩の予定がいてれば、というお話なのですが……」


 しかも、固まってしまった樹里先輩から答えを聞く前に、こんな言い訳を、あわててまくててしまうのだから、否定はできないどころか、まさに俺こそ、臆病者の見本であると、満場一致で認められても、おかしくないか。


 いやだって、断られたらどうしようって、どうしても思っちゃうし……。


「そ、それに、その、休みといっても、ちょっとした小旅行というか、あの、どこか近場で、一泊くらいできたらなって……」


 でも、急な休みができたというのは、このための嘘ではない。いや本当に、さっき顔を合わせた祖父ロボに、たまには休めと言われて、強制的に休日を押し付けられてしまったのは、純然じゅんぜんたる事実である。


 だから、それをいい機会と考えて……、って、俺は一体、誰に言い訳してるんだ。


「え、えっと、旅行って、二人きりで?」

「は、はい、一応、そのつもりです……」


 そんな風に、なんとか少しでも落ち着こうと、色々と考えていたせいか、ようやく反応してくれた樹里先輩からの問いかけに、思わず声が裏返ってしまった。


 うう、恥ずかしい……。


「その、泊まるのも、二人きり……?」

「うっ、あの、先輩が、おいやでなければ……」


 いきなりすぎて、しばらく固まってしまったようだけど、流石さすがにもう、しっかりと状況を理解した様子の樹里先輩から核心かくしんせまられて、心臓が飛び上がる。


 でも、ここで逃げるようなことを口にするのは、やっぱり違う。もう、顔から火が出てしまいそうだけど、らすようなことは、したくない。


「いやその! もちろん、先輩がよければの話で、無理にとは……!」


 なんて、心の中で格好つけたはいいけれど、まるで、言い訳でもするかのように、早口が飛び出てしまうのは、やっぱり俺という人間の、未熟さというやつだろう。


 ああ、もう少しでも余裕を持った、大人の男になりたい……。


「だ、大丈夫! 無理なんかじゃないわ! ううん、むしろ、あのっ! えっと!」


 しかし、そんな俺にけずおとらず、普段は大人っぽい樹里先輩が、耳まで真っ赤になりながら、慌てたように、強く強く、俺の手を取り、にぎめた。


 そして……。


「う、嬉しい、から……」

「あっ」


 恥ずかしそうに、小さな声で、それだけつぶやく先輩は、破滅的に可愛すぎた。


「え、ええっと、それじゃ、明日の予定は……」

「うん、もちろん大丈夫よ! ちゃんとバッチリ、空けておくから!」


 こちらからの提案に、樹里先輩が、嬉しそうにうなずいてくれる。


 それだけで、俺の気持ちは軽くなり、心がはずむ。目の前の先輩に負けないくらい、自分のほっぺたが赤くなっているのが分かるほど、あっという間に身体が熱くなってしまうけど、これはまさに、幸せな高揚感というやつだ。


 まあ、言ってしまえば、総統である俺が決めてしまえば、強引に、樹里先輩を明日休みにすることだって、不可能ではないのだけれど、それよりも、やっぱりこうして本人に、どうするか決めてもらうというのが、大事な気がする。


 やっぱり、無理矢理というのは、よろしくないしね。


「そ、それじゃ、先輩は、どこか行きたいところとか、あります?」

「う、うん、あのね……!」


 こうして、俺と樹里先輩は、まるで子供みたいにウキウキしながら、楽しい旅行の計画を、二人だけで決めたのだった。




「あっ! おはようございます、樹里先輩!」

「うふふ、おはよう、統斗すみと君!」


 そして、あっという間に、旅行当日。のぼはじめたばかりの太陽の光と、清廉せいれんさすら感じる冬の寒さの中で、しっかりと待ち合わせの時間通りに来てくれた先輩を、俺は笑顔で出迎でむかえる。


 ゆったりとしたデザインのロングワンピースに、仕立ての良いコートを合わせて、大人っぽく着こなす樹里先生の、美しい髪を止めている、以前、俺がプレゼントした四葉のクローバーが愛らしいヘアピンに、朝日が反射して、まぶしかった。


「あっ、あれかしら?」

「うん、そうみたいですね。それじゃ、行きましょうか」


 ちゃんと朝の挨拶をわして、おしゃべりに花を咲かせていると、しっかり事前に調べていた通り、定刻ぴったりにやって来たバスに乗り込んで、俺と先輩は、今回の目的地へと向かう。


 まだ早朝ということもあって、俺たちの他に乗客はいなかったこともあり、仲良く並んで座れたのが、単純に嬉しかった。


「おっ、今日はまた、いい天気になりそうですよ、先輩!」

「本当、よかったわ。雨が降ったら、なんだかやっぱり、寂しいものね」


 流れるように進むバスの車窓から覗く風景が、ビルの群れから少しづつ、冬らしい自然の中へと切り替わり、寒々さむざむしくも、どこかおごそかな山の景色へと変わっていく。


 その変化に、俺はしっかりと、覚えがあった。


「でも、いまさらですけど、いいんですか? 貸し切りなんて」

「ふふっ、大丈夫よ。父からは、ちゃんと許可をもらってるから」


 とはいえ、あの時は、俺は一人でバスに乗っていたので、こうしてすぐ隣で笑ってくれる樹里先輩がいるだけで、気分はかなり、高揚こうようしている。


 そう、今回の旅の目的地は、樹里先輩のお父さんが所有しているペンションだ。


 流石に、休みといっても、状況が状況なので、あまり遠出をしてしまうと、移動に時間をとられすぎて、ゆっくりできないということで、近場でどこにしましょうか、という話になったとき、先輩から提案されたのが、そこだったのだ。


 なんというか、あそこは俺にとっても、色々と、思い出深すぎる場所でもあるし、なによりも、樹里先輩の望みなら、俺に異論はない。


 というわけで、俺たちはこうして、旅情りょじょうを楽しむという意味もあり、山奥にあるペンションまで、のんびりとバスで向かっているというわけである。


「えーっと、ちなみに、お父様には、今回の旅行のこと、なんて説明したんです?」

「うふふ、なんて説明したと思う?」


 でも、そうなると当然、どうしても気になってしまうことを、おそおそる切り出した俺に向けて、樹里先輩はなんだか、悪戯いたずらっぽく微笑んだ。


 ううっ、その仕草しぐさはチャーミングだけど、ちょっぴり怖いです、先輩。


「ふふふっ、心配しなくても、大丈夫よ。今回は、桃花ももかちゃんたちと使うからって、嘘ついちゃったから。それに、今のお父様なら、統斗君の組織と提携ていけいしたおかげで、お仕事も上手くいってるみたいだし、本当のことを言っても、むしろ、もっと仲良くなっておけと、許してくれたかもしれないわよ?」

「う、うーん、それはどうかなぁ……。多分、それでも、というか、絶対に、全力で反対されるんじゃないかと思いますけど……」


 樹里先輩は、楽しそうに笑っているけど、自分が彼女の父親だったら、少なくとも俺のような男と娘が、二人きりで、しかも泊りがけの旅行をするなんて、考えただけでも、到底受け入れることはできないだろうことは、想像にかたくない。


 ああ、ごめんなさい、まだ会ったことのないお父様……。

 必ず責任を果たして、娘さんを幸せにして見せます……。


 なんて、むしろ先輩のお父さんに知られたら、烈火れっかのごとく怒られそうな誓いを、ひっそりと胸に秘めた俺を乗せて、バスは進む。


「おっと、ここですね」

「あらあら、もういちゃったの?」


 先輩と二人なら、時間なんて、あっという間に過ぎてしまう。


 目的のバス停で降りた俺たちは、山のさわやかな空気を楽しみながら、ここから少し歩いた先にあるペンションへと向かった。


「あっ、先輩、荷物は、俺が持ちますから」

「いいの? うふふ、ありがとう、統斗君……」


 それほどけわしくはないけれど、それでもやっぱり起伏きふくはある山道を、二人で並んで歩いたら、見覚えのある立派なログハウスまで、すぐである。


「うーん、到着!」


 先輩から受け取った鍵を使って、ぬくもりを感じる木製玄関ドアを開けば、とても落ち着く木の香りが、俺たちを出迎えてくれた。


 しっかりと電気も通っているので、近くのスイッチで灯りを付ければ、絶妙に配置された照明のおかげで、朝からだけど、雰囲気も満点だ。


「さてと、どうします、先輩? とりあえず、まずは遅めの朝食でも……」


 とりあえず、まだ風が冷たいので、玄関の扉をしっかりと閉め直してから、ソファに荷物を降ろし、さてこれから、というところで、俺の動きは止まってしまう。


 いや、止まらざるをえない。


「あ、あの、樹里、先輩……?」

「…………」


 なぜなら、樹里先輩に突然、後ろから、抱き締められてしまったからだ。


「ごめんね、統斗君……。もう、私、我慢、できないみたい……」


 背中にいる先輩の顔を、俺は見ることができない。


 でも、彼女の震える声を聞けば、俺がどうすればいいのか、どうしたいかなんて、考えるまでもない。


「……大丈夫ですよ、樹里先輩」


 だから俺は、強く、強く、こちらを抱き締めている彼女の腕を優しく解き、身体の向きを入れ替えて、今度は正面から、真っ直ぐに向かい合い、自分の方から、先輩のことを、強く、強く、抱き締める。


 さあ、自分の思いを、つらぬこう。


「それは多分、俺もですから」

「あっ……」


 思いを受けとめ、思いを返す。


 それは信じられないほどに、幸せな体験だ。


「ああ、好きよ、大好き、統斗君……!」

「愛しています、樹里先輩……!」


 こうして、まだ日も高いどころか、日が昇り切ってないうちに、俺と先輩は互いの思いをぶつけ合い、一つになったのだった……。


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