9-1


 幸せって、なんだろう。


 誰しもが、一度ならずとも考えてはみるけれど、なかなか明確な答えを出すことは難しい、まさしく人生における命題めいだいともいえる、難問なんもんなのかもしれない。


 もちろん、この世界には、数多くの幸福というやつが、そこら中にあふれているなんてことは、若輩者じゃくはいものの自分でも、分かっているつもりだ。


 例えば、大きな目的をげたときに感じる達成感や、充足感なんかは、それをそのまま幸福感とえても、つかえないだろう。


 もちろん、そんな御大層ごたいそうなことじゃなくても、美味しい食事に舌鼓したつづみっているときは幸せだし、今の季節なら、こたつでだんをとったり、お風呂なんかをのんびりと楽しむだけで、十分すぎるほどに幸せだ。


 もっと言ってしまえば、愛する家族や仲間たちと、一緒に過ごしているだけでも、信じられないくらい、幸せだ。


 いやはや俺という人間は、本当に幸せすぎる男で恐縮きょうしゅくだけど、それでも、あえて言わせてもらえるならば、幸せってなんだろう、なんて考えていられる時点で、それはもう、十分に幸せだということなのだろう。


 ああ、本当に、幸せで、幸せで、困ってしまいましゅ……。


「うう~ん……」


 そんな、よく意味が分からないことを、回らない頭でぼんやりと考えながら、俺はようやく、いや、ようやくなのかすら分からないが、目をます。


 本当に、なにが幸せって、こうして暖かい布団の中で、特にかされるでもなく、自然と目が覚めることほど、幸せなことも、そうそうない。


 そんな当たり前のことを、俺はまどろみの中で、じっくりとめる。


「……ああ、今日もいい天気だなぁ……」


 まったく重さを感じさせないのに、非常に暖かい羽毛布団につつまれて、素晴らしい肌ざりのシルク製布団カバーを楽しみながら、柔らかなベッドに身体を預け、自堕落じだらくに目を向けた先の、シンプルながらも温かみのある木製の窓から広がっている静かな森が、美しい朝日で輝いている光景に、さっそく心がいやされる。


 いやー、本当に、ここに来て正解だった。


「ううーん……!」


 さて、とりあえず起き上がろうと、暖かい寝具の誘惑を跳ね除けて、身体を伸ばしながら深呼吸してみれば、ログハウスらしくさわやかな木の香りがして、気持ちいい。


 それがなんだか、心身ともにリフレッシュできたと実感させてくれているようで、気持ち良い朝の目覚めを演出してくれている。


 ああ、落ち着くなぁ……。


「って、あれ? ちょっと寝すぎちゃったか……」


 ようやく、少しすっきりしてきた頭で、ベットの隣を確認してみると、いるはずの人の姿がない。どうやら、俺より先に起きて、どこかに行ってしまったようだ。


 ぐるりと部屋を見渡してみても、この立派なつくりをしてるログハウスに相応ふさわしい、落ち着いた調度品の数々は目に入るけど、残念ながら、肝心の彼女の姿を、見つけることはできなかった。


 うーん……、ちょっと寂しい。


「よっと!」


 とはいえ、別にあせる必要もないし、俺は気持ちを切り替えながら、身体を起こして軽くベッドに腰かける。


 失礼ながら、生まれたままの姿をしているので、なんだか恥ずかしくなって、近くにある布団を使って下半身を隠す羽目になってしまっているけれど、ここはしっかり暖房が効いているので、まったく寒くはない。


 ただ少し、あまり馴染みのないというか、久しぶりに来た場所なので、どう動いていいのか分からず、俺はしばらく、ベットから動けないでいた。


 えーっと、洗面所とかは、向こうだっけ……?


「あっ、起きたのね。ごめんなさい、ちょっと、シャワーを浴びたくて……」


 なんて言い訳をしつつ、俺が怠惰たいだにぼーっとしていたら、思わずはっとしてしまうほど美しい女性が、しとやかに扉を開けて、この部屋へとやって来た。


 いや、戻って来た、と言った方が正しいか。


「うふふ、おはよう、統斗すみと君……」


 それはまさに、女神のような立ち姿だった。


 純白のバスローブを、まるで衣装のように美しく羽織はおり、その髪の毛をキラキラと輝かせながら、優しく微笑んでいる様子は、あまりにまぶしすぎて、見惚みとれてしまう。


 まるで絵画のような、その光景に、俺は息をむしかない。


「……う、うんっ! おっ、おはようございます、樹里じゅり先輩!」


 そんな歴史に残る芸術品のような女性に、男として反応してしまったことが、妙に恥ずかしくなってしまい、強引な咳払せきばらいで誤魔化ごまかしながら、爽やかさをよそおって、俺は朝の挨拶をしぼす。


 まあ、あまりに不自然すぎて、まったく誤魔化せてないだろうけど。それはそれでかまわないというか、気にしても仕方ない。


 もう俺たちは、そんなことで恥ずかしがるような関係では、ないのだから。


「ふふっ、ごめんね? あんまり可愛らしい寝顔だったから、起こせなくて」

「い、いえいえ、大丈夫ですよ。おかげで、ぐっすり眠れました」


 軽やかなステップで、こちらにやって来た樹里先輩が、楽しそうに、幸せそうに、ニコニコと笑いながら、俺のすぐ隣に腰を下ろす。


 彼女の香りが、ふわりとこちらの鼻をくすぐって、なんだかむずがゆくなってしまうけど、それは決して、悪い気分ではない。ああ、悪い気分で、あるはずがない。


 これはむしろ、幸福の予感というやつだ。


「……でも、自分も先輩の寝顔、見てみたかったかな?」

「うふふ、それはまた、次の機会にね……」


 どちらからともなく、互いの手と手を重ね合わせながら、俺と樹里先輩の距離が、また近づく。そのために身をよじった先輩の、短めなバスローブから伸びる長い脚がなまめかしくて、ドキドキしてしまうけど、逃げたりはしない。


 それはもう、いまさらというやつだ。


「んむっ……」


 まるで導かれるように、自然と触れ合った唇から伝わる柔らかさを、ぬくもりを、優しく分け合い、激しく交わる。


 幸せすぎる二人の時間が、しばらく流れた。


「……ねえ、統斗君? このまま、もう一度……」

「ええ、お望みでしたら、何度でも……」


 気が付けば、バスローブが乱れてしまって、しどけない格好になってしまった樹里先輩が、清らかな女神というよりは、みだらな妖婦ようふのような瞳で、しっとりとこちらを見つめているので、俺も当然、それにこたえようと……。


 ぐー。


 ……思ったのだけれども、あえて表現するなら、そういう間の抜けた音が、自分の腹から飛び出してしまって、俺は思わず、動きを止めてしまう。


 残念ながら、これでは雰囲気が台無しだ。


「うふふっ、先に朝食にしましょうか?」

「ははっ、そうですね」


 とはいえ、繰り返しになるけれど、焦る必要なんて、まったくない。


 それぞれ、軽く身だしなみを整えた俺と樹里先輩は、笑い合いながら、ベットから立ち上がり、そっと手をつなぎながら、仲良く並んで歩き出す。


 そんな穏やかな時間が、なんだかとても嬉しくて、いとおしかった。


「でもその前に、俺もシャワー浴びてきますね」

「それじゃあ、統斗君が出てくるまでに、色々準備しておくわね」


 さあ、今日という一日は、まだまだ始まったばかりで、これからなにが起こるのかなんて、考えただけで、心がおどる。


 これこそまさに、幸せというやつだろう。


「おおっ、それは楽しみだなぁ。期待してますね!」

「……んっ、ふふっ、任せて!」


 優しく微笑む樹里先輩と、軽く口付けをわしてから、俺は調子はずれな鼻歌を、おさえることもできずに口ずさみながら、シャワールームへと向かう。


 うん、やっぱりこれは、幸せだ。



 それでは、ここにいたるまでの経緯を、この幸せを噛み締めるためにも、ゆっくりと思い返すことにしましょうか。


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