8-10


「ということが、ありまして」

「なんで! なんで全部話しちゃうんですか、あおいさん!」


 つい昨日の出来事できごとを、まるで世話話のように、包み隠さず、あっさりと、みんなに話してしまう葵さんに、俺は絶叫するしかない。


 事態じたいはまさに、風雲急ふううんきゅうげていた。




 葵さんと尋常ならざる関係になった翌日、ありがたいことに休みが重なったので、俺たちはこうして、みんなで集まって、おしゃべりに花を咲かせていた。


 単純に広いからという理由で選ばれた、本部ビル屋上の大豪邸にある、大きすぎるリビングも、これだけの人数が集まれば、まったく寂しくない。


 寂しくは、ないんだけども……。


「なるほどー、葵ちゃんは、自分の部屋だったんだ。うーん、それもいいなー」

「もう、統斗すみとうるさい! それでそれで、実際のところ、どうだったのよ、葵!」

「はい、それはそれは、夢のような時間で……」


 なんだか、うんうんと頷いている桃花ももかと、俺のことを怒った火凜かりんが、かくすどころかおくする様子も見せない葵さんの話を聞いて、キャーキャーと盛り上がっている。


 それだけで、俺の背中を流れる嫌な汗は、止まる様子をみせてくれない。


「うふふっ、これは、これは問題ね、問題よ、問題よね? うふふふふっ……」

「このっ、バカ統斗! なんでひかりが、後回しなのよ!」


 そんな三人の側では、暗い笑いと自問自答を繰り返している樹里じゅり先輩が、なんとも不穏ふおんな空気をまとっているし、分かりやすく激昂げきこうしたひかりは、なんだか分からないことを言いながら、分かりやすくこちらをにらんでいる。


 もう、俺の胃袋は、さっきからキリキリと、悲鳴を上げっぱなしだった。


「まあ、統斗さまったら、大胆なんですね」

「たった数日で、一体なにをしてるんだ、お前は……」


 さらに、いわば婚約者の不義を聞かされているというのに、なぜだか楽しそうに、ニコニコと笑っている竜姫たつきさんと、こちらは常識的にまったく正しい反応を見せて、俺のことを思い切りさげすんだ目で見ている朱天しゅてんさんの視線が痛い。


 痛いというか、致命傷すぎて、もうすぐにでも、死んでしまいそうである……。


 というわけで、俺を含めて、総勢八人もいるのだから、寂しくない。

 寂しくは、ないけれど……。


 このにぎやかさが、まさしくはりむしろすぎて、今すぐ消えてしまいたい……。


「ううっ、どうしてこんなことに……」


 なんて、俺のうめき声にも似た、情けない疑問に、答える者はいなかった。


 いや本当に、先ほどまでは、非常に楽しかったのだ。わいわいと大騒ぎしながら、みんなで一緒にお昼を作って、全員で食事を楽しみ、テレビを見たり、ゲームをして遊んだりしながら、ただ笑って、優雅な午後を過ごしていただけなのだ。


 それはまさに、てんにものぼるような、幸せな時間だったわけだけど、ああ、しかし、気が付いたら状況は一変いっぺんして、まるでそこさかさまの様相ようそうだった。


 なにがきっかけで、こんな話の流れになってしまったのか、今となっては宇宙の謎よりも解明は難しいけれど、とりあえず、俺にとっては非常につらい状況になっているということだけは、くつがえせない現実である……。


「ちょっと! なに遠い目なんてしてるのよ! ほらほら、あんたも話して!」

「って、お前は鬼か、火凜さん……」


 まるで考える人のごとく、ソファに深く、深く腰を沈めていた俺と、強引に肩を組みながら、ニヤリと笑う火凜は、自身も当事者だというのに、まったく気兼きがねがない。


 それはそれで素晴らしいというか、うらやましくなってしまうのだけれども、だからといって、そこまで開き直ることは、今の俺にはできそうになかった。


「ねえねえ、それからどうなったの、葵ちゃん?」

「はい、統斗さんには、それはそれは優しく、エスコートしていただいたのですが、残念ですが、両親が帰ってくる前に、今日はお別れということになりまして……」


 しかし、とりあえず、無邪気に質問する桃花に対して、こちらも無邪気というか、無頓着むとんちゃくに全てを話してしまっている葵さんは、止めるべきなのかもしれない。


 まあ、もうほとんど最後までバラされてしまったので、今さらなんだけど……。


「私としましては、統斗さんには、あのまま両親と対面していただいて、ご挨拶でもできればと思っていたのですが」


 でもですね、葵さん。俺としても、あの時は、そういう覚悟を決めてましたけど、それは土下座してでも許してもらう的な覚悟であって、あの現場で、ご両親にご挨拶みたいなことになったら、話がこじれるだけで、物凄い修羅場だったと思います。


 とは口に出せない、チキンな俺なのである。


 とはいえ、ここまでなら、まだ居心地が悪いくらいで、済んだかもしれない。


「ねえ、ひかりちゃん……、どうして世界は、こんなに真っ黒なのかしら? まるで血の海みたいに、真っ黒ね、うふふふっ」

「うわーん! そんなこと、ひかりに聞かれても分かりませんよ! 悪いのは全部、あのスケベ野郎です! このっ、統斗の変態! ド変態!」


 俺のすぐ後ろで、チリチリと物騒な空気をあふしている樹里先輩と、その純粋な怒気どきを隠そうともしないひかりの方には、目も向けることもできない。


 まさに身を切るような重苦しい空気に、冷や汗が止まらないけど、それもこれも、全ては俺のせいなので、文句を言うのは、お門違かどちがいだ。彼女たちに、申し訳なく思うことはあっても、自分が可哀想だとは、これっぽっちも思わない。

 

 でも、これはさすがにまずいというか、なんとか、話を変えないと……!


「あ、あーっと、そういえば、竜姫さん! 八咫竜やたりゅうの方は、今どんな感じですか?」

「やめろ、やめろ! 貴様の薄汚い口上こうじょうに、姫様を使うな!」


 ぐうっ、俺の姑息こそく思惑おもわくに気付いたらしく、朱天さんに怒られてしまったけれど、まったく彼女の言う通りなので、ぐうの音も出ない。


 しかし、もはやこうなってしまったら、もう頼れるのは、竜姫さんだけなんだ!


「あっ、そうそう、そうなんです!」


 なんて、最低なことを考えていた俺に、竜姫さんが気にした風もなく、救いの手を差し伸べてくれた。この埋め合わせは、必ずしようと、俺は心に決める。


「実は、統斗さまのおかげで、新たに発見できた資料の解読に、そろそろ目途めどが立ちそうなんです! 少しづつですけど、新しい情報も見つかってますし、もう少しで、吉報きっぽうをお届けできるかもしれません!」

「おおっ、それは凄いじゃないですか! いやー、楽しみだなー!」


 とはいえ、竜姫さんの報告に対する、俺のリアクションには、嘘はない。本当だ。いや言えば言うほど、なんだか怪しくなってしまうけど、これは、この場の空気を、なんとか変えようと、もがいているわけじゃなく、純粋に感動しているのだ。


 ともすれば、停滞ていたいしかねない現状で、八咫竜のもたらしてくれる新情報が、新たな道を切り開いてくれるかもしれないと考えれば、こんなに喜ばしいことはない。


 本当に、八咫竜の皆さんには、感謝をしっぱなしである。


「よーし! この調子で、俺たちの平穏へいおんのために、頑張っていきましょう!」

「はい! 一刻でも早く、全てを解決して、私と統斗さまの結婚式を挙げるために、これからも、一生懸命、頑張ります!」


 その瞬間、空気が凍り付いた。


 いきおいだけで拳を突き上げた俺を見て、無邪気な竜姫さんが、嬉しそうに同じ動作をしながら、まったく自然に、そう口にした瞬間、この空間を支配していたはずの、時間という概念がいねんびついて、きしんだような音を立てながら、固まってしまう。


 動けない。動けない。

 全てが重くて、動けない……。


 俺が、みんなが、再び動けるよになるまで、一瞬だったはずなのに、時が止まっていたせいで、まるで永遠のように感じてしまう。


 ああ、本当に、ごめんなさい……。


「……統斗くん? どうしたの? 目が泳いじゃってるよ?」

「ねえねえー、ほらほらー、どうするつもりなのよー、統斗ー」

「そうですね、そろそろハッキリと、統斗さんの御意見を、お聞きしましょうか」


 なぜか笑顔なのに恐ろしい桃花と、ふざけてるように見えながら、俺の肩を掴んでいる手に力が入っている火凜に、能面のうめんのように無表情な葵さんが続く。


 とはいえ、この三人は、まだ軽症か……。


「いやあー! 統斗君! 私を置いて行かないでー! 統斗君統斗君統斗君!」

「はー? あんただけ結婚して、幸せになろうだなんて、ひかりが許さないわよ!」


 樹里先輩は、物騒な空気どころから、一目で分かるほどに錯乱してしまい、ひかりの方からは、もはや怒気を超えて、殺気すらはなたれているのを感じてしまう。


 ううっ、これは俺が、なんとかしないと……。


「皆さま、どうなさったのでしょうか……?」

「気にしなくてもいいのですよ、姫様。悪いのは全部、あの不埒ふらちなゲス男ですから」


 この中で唯一、竜姫さんだけが、不思議そうに首をかしげているだけで、その隣にいる朱天さんからの視線は厳しいけれど、もっとも平穏な空気の中にいた。


 その後光ごこうすら見えてしまいそうな雰囲気に、俺は引き寄せられるようにして、痛む頭をフル回転させて、震えるのどを開きつつ、なんとか言葉をひねす。


「そ、そういえばっ、竜姫さん! この前、みんなでケーキを食べに行くって約束、しましたよね! それ、これから行きましょうよ!」


 しまった、あわてすぎて、思い切り声が上ずってしまった。


 けど、それはいいとしても、ああ、俺の心に、罪悪感がチクチクと……。


「わあっ! よろしいんですか?」

「ええ、いい機会ですし!」


 俺からの提案に、竜姫さんは素直に喜んでくれているけれど、そんな彼女の純粋な願いを利用しているようで、心が重いどころか、死ぬほど痛い。


 こうなったら、許してくれなんて言えないけれど、せめて彼女を最高に楽しませてあげないと、自分で自分を許せなすぎて、どうにかなってしまいそうだ。


「なっ、みんなも、いいだろ? 代金なら、もちろん全部、俺が出すからさ!」


 そして、姑息こそくな俺は、実に悪の総統らしく、この空気をなんとか変えるためにと、露骨ろこつな買収作戦に打って出る。


 いや本当に、恥ずかしいやら、情けないやらで、涙が出そうだ……。


「えっ、本当に? わーい、やったー! 統斗くん、ありがとー!」

「なによ、ずいぶんと太っ腹じゃない。じゃ、それで誤魔化されてあげますか!」

「まあ、特に急ぐ話でもありませんし、今は紅茶を楽しむのも、いいですね」


 しかし、そんな俺の稚拙ちせつで、苦肉くにくすぎるさくに、桃花は素直に喜んで、火凜はニヤリと笑いながら、葵さんはいつもの落ち着いた表情で、乗ってきてくれた。


 もしかしたら、というか、その可能性の方が高いけど、全て分かった上で、あえて普段通りのリアクションをしてくれているのだとしたら、本当に彼女たちには、頭が上がらない。


「ふふふっ、楽しみですね、朱天!」

「姫様が、それでよろしいなら、自分はなにもいいませんが……」


 花のような笑顔の竜姫さんに、朱天さんは少しだけあきれ顔だけど、それでも主君しゅくんめるようなことはせず、ただ俺のことを、にらみつけている。


「おい、貴様! 姫様を悲しませるようなことをしたら……、分かっているな?」

「もちろんです。この命にえても、そんなことはしません」


 当然だ。それだけは、朱天さんに言われるまでもない。この命にえてどころか、この命がきるまで、俺は竜姫さんのことを、悲しませたりはしたくない。


 だから、そのためにも、せめて俺のくるまぎれな提案を、全力で盛り上げて、ケーキ屋さんでの時間を、最高のものにしないと、もはや誰にも、顔向けできない!


「ねっ、樹里先輩も! そうだ! 今度どこかに行きませんか、二人っきりで!」

「ふ、二人きり? 統斗君と、二人きり? ……うふふふっ」


 なので、まず俺は、もっとも追い込まれている様子の樹里先輩に、これからまた、新しく前に進むための一歩を踏み出しましょうと、お誘いをかける。


 本当は最初から、そのつもりだったけど、こうなってしまえば、時と場所なんて、選んでいられない。少しでも早く、愛する先輩の心労しんろうを、のぞいてあげたい。


 なんて、全ては俺の身勝手だけど、この気持ちだけは、本物だ。


「……こほん。そうね、じゃあ、ケーキ屋さんで、お茶でもしながら、ゆっくりと、今後のことを、話し合いましょうか」


 そんな最低すぎる俺の手を握りながら、ようやく調子を戻してくれた樹里先輩が、いつものように、女神のような笑みを見せてくれる。


 この笑顔を、もう曇らせることがないように、俺はなんだってしてみせる。


「ほらほら、ひかりも! 今日は好きなだけ、ケーキ食べていいからさ!」

「……仕方ないわねー! あんたのおごりなら、付き合ってあげるわよ!」


 さっきまで、不機嫌を絵に描いたように、ほほふくらませていたひかりも、なんとか気持ちを切り替えてくれたようで、今はこうして、俺に頭をでさせてくれている。


 そんな愛らしい彼女のことも、俺はもう、いやと言うまで幸せにしてやりたい。


 そう、そのための覚悟なら、もうとっくの昔に、決まってるのだから。


「お前、こんなことをしていたら、いつか地獄にちるぞ……」


 もはや怒るというよりも、さとすような口調になってしまっている朱天さんが、なんともいえない表情で、俺のことを見ているけれど、かまわない。


 確かに、俺の行動は最低で、もはや人間としての尊厳そんげんも落ちに落ち、このままでは地面じめんそこすら、一直線にやぶいきおいだ。


「ええ、それももちろん、分かってますよ!」


 だけど、それでも俺は、せめて胸を張って、答えてみせる。


 俺たちをむすぶ関係は、急すぎるほどに動き出し、あっという間に転がり出して、真っ逆さまに落ちていく。


 ちに、ちて、ちていく。


 だけど、それでいい。いまさら自分のことを、清廉潔白せいれんけっぱくな聖人だとるほど、俺は恥知らずではないし、そんなことには、興味がない。


 俺は、悪の総統なのだ。


 みんなが望んでくれるなら、俺は悪の総統らしく、例え地獄の底だろうとも、天国だってかすんで見える、楽園のような悪の帝国を、きずいてみせる。


 それが、身勝手な俺の、身勝手な覚悟だ。


「よーし、それじゃ、行きますか!」

「おー!」


 こんな自分と、共に歩むと言ってくれた仲間たちと、俺は再び歩き出す。


 さあ、俺たちの堕落だらくは、まだまだ始まったばっかりだ!


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