8-9
そして舞台は、整った。
「……そろそろいいかな?」
まだ座り慣れないソファに、なんとか腰を落ち着けながら、俺は
先ほどから、なんども、なんども、その動作を繰り返しているけれど、時間を指し示すはずの、その針が、少しも動きやしないのは、自分が緊張しているせいだということは、この
正義の味方を撃退し、採石場から戻ってきた俺たち二人は、葵さんからの希望で、彼女の家を
というわけで、当り前だけど、現在この家にいるのは、俺と葵さんだけだ。彼女のご両親については、お父様は夜までお仕事で、お母様の方は、近所の奥さま友達と、
それでも、リスクはあると思うけど、今回は、葵さんの希望なら、なんでも叶えてあげたいので、こうなれば、万が一の時には、彼女のご両親に、土下座でもなんでもしてみせる覚悟である。うん、そのくらいなら、お安いものだ。
とにもかくにも、そういうわけで、彼女の家にやって来た俺は、まずリビングで、二人でお茶を楽しんでいたのだけれども、しばらくしてから葵さんに、ちょっと準備がありますので、もう少ししてから、私の部屋に来てくださいと言われて、こうして時が過ぎるのを、ジリジリと待っていた……、というわけである。
だがしかし、
どこからか、シャワーの音が聞こえた時は、思わず立ち上がり、そちらに向けて、ふらふらと歩き出しそうになってしまったけれど、俺はちゃんと我慢して、まさに、忠犬の
「よ、よし!」
こうして、はやる気持ちを抑えながら、俺は葵さんが待つ、彼女の部屋へと、少しだけ急ぎ足で、向かうのだった……。
「え、えっと、葵さん、もうそろそろ、よろしいでしょうか……?」
「はい、お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした」
何度も来たことがあるので、さすがに迷うこともなく、すんなりと到着した扉を、震える手で叩いた俺は、部屋の中から聞こえてきた葵さんの声に、背筋を伸ばす。
さあ、いよいよだ。
「どうぞ、入ってきてください」
いつものように、冷静な声色で、葵さんがお許しを出してくれた。
俺はそのおかげで、幾分か落ち着きながら、冷たいドアノブに手をかける。
「それじゃ、失礼します……」
さらに、きちんと深呼吸してから、冷静になった俺は、
「……って、な、なんですか、それ!」
そして、次の瞬間、俺の冷静さはどこかに吹き飛び、驚きのあまり、腰を抜かしてしまいそうになりながら
でも、それも、仕方ないじゃないか!
「あ、葵さん! どうしたんですか、その格好!」
「はい、
俺のことを出迎えてくれた葵さんの様子は、いつもと、まったく同じだったけど、その服装は、先ほどまでと、まったく違う。
それは、一言でいえば、下着だった。上下共に
それは確か、ベビードールと呼ばれる下着のはずだ。
そう、下着。下着姿だ。どこからどう見ても下着姿の葵さんが、それを隠すこともなく、いつもと同じように、静かな瞳で、こちらを見ている。
そのアンバランスさに、思わずドキドキしてしまう俺だった。
「……もしかして、似合っていませんか?」
「い、いえいえいえ! そんなことはありません! 」
しかし、あまりに予想外すぎて、感動よりも、驚きが先に出てしまった俺の様子を見てなのか、葵さんが小首をかしげてしまったので、慌てて
いや本当に、似合ってないなんて、ありえない。あどけなさの残る、少女な年頃の葵さんが、大人っぽい下着を、色っぽく身につけているなんて、背徳的すぎて、頭のネジが何本か、吹き飛んでしまいそうだ。
いや、もう実際、吹き飛んでるか。
「でも、どこで買ったんですか、その下着……」
「これは、統斗さんに喜んでいただこうと思いまして、クリスマスの前に、
しかも、こんな素晴らしいものを、俺のために用意してくれたと聞いてしまえば、嬉しくないわけがない。なんというか、
「でも、こうして本当に、統斗さんにお披露目することができて、よかったです」
「葵さん……」
そう、本当に、感無量だ。
あの地獄のようなクリスマスと、悪魔の襲撃を切り抜けて、葵さんとこんな関係になれるだなんて、本当に、奇跡のような幸せだった……。
「さて、それでは」
「……うん?」
なんて、俺がちょっとだけ、感傷に
そして……。
「あはーん」
なんとも、気の抜けたというか、
「うふーん」
えっと、その、なんだ、うん……。
「……あの、葵さん?」
「はい、なんでしょうか、統斗さん」
なんだか、いたたまれなくなってしまって、思わず声をかけてしまった俺の態度を気にする風もなく、謎のポーズをやめてくれた葵さんが、なんてことはない様子で、可愛らしく首をかしげている。
うん、そっちの方が、さっきまでよりも断然、素晴らしい。
「それは一体、なにをしてらっしゃるのですか?」
「ああ、これはですね」
そして、普段通り、静かな瞳の葵さんが、眉一つ動かさず、落ち着いた声で、俺の口から
「こうすれば、
「だから、それは絶対に、読む本を間違えてますから……」
なんというか、前にもこんな会話をした覚えがあるけれど、こうなってしまうと、むしろ葵さんが、どんな本を読んでいるのか、気になってしまう。
いやでも、今はそんなところに、興味を抱いている場合じゃない。
「うーん、なかなか難しいですね……」
こちらの反応が、どうやら予想と違ったらしく、葵さんが不思議そうにしている。その姿は、それはそれで非常に愛らしというか、思わずキュンとしてしまうけれど、さすがに、このままの調子だと、彼女が望む空気には、なりそうにない。
そしてそれは、俺としても、望まぬ展開というやつだ。
だったら、どうするべきなのか?
そんなことは、決まってる。
「それでは、私はこれから、どうすればいいのでしょうか?」
「えーっとですね……」
表情こそ、あまり変わらないものの、困ったように動きを止めてしまった葵さんのもとへ、俺は気持ちを入れながら、そっと近づく。
そう、こういう雰囲気づくりは、二人で一緒に、積み上げていくものだ。
だから、恥ずかしがってる場合じゃない。
「別に、特別なことを、無理にしなくても、大丈夫ですよ」
「……?」
俺は、自分が王子様になったつもりで、セクシーな下着に身を包みながら、子供のようにベッドの上で座り込んでいる葵さんの頬に、手を当てる。
彼女のぬくもりが、俺の鼓動を早くした。
「葵さんは、そのままの方が、絶対に可愛いんですから……」
「あっ……」
そしてそのまま、自分の素直な気持ちを、彼女にぶつけながら、俺はゆっくりと、ゆっくりと、吸い込まれるように、この顔を近づける。
「好きです、葵さん……」
「んっ……」
そして、俺と彼女のくちびるが、しっとりと、触れ合った。
「……統斗さんと、キス、してしまいました」
「ええ、そうですね」
それでも、葵さんの表情は変わらない。
変わらないけど、真っ赤になった彼女の顔が、俺にとっては、どんな宝石よりも、輝いて見える宝物だった。
「……これ以上も、してくれますか?」
「もちろん、葵さんが、お
彼女が喜んでくれれば、俺も嬉しい。
そんな単純な原理に導かれ、俺は、俺たちは、ただひたすらに、くちびると共に、お互いの思いを、何度でも重ね続ける。
「はあ、あん……」
葵さんの口から
「……って、そういえば、俺まだ、シャワーとか浴びてないんですけど、汗臭くないですか? なんだったら、すぐに俺だけ……」
そうして、しばらく
なんというか、一応は戦闘の後なわけだし、葵さんの全身からは、ボディソープの良い匂いしかしないわけで、そうなると、なんだか、なおさら、恥ずかしかった。
「いえ、大丈夫ですよ」
「あむっ……」
しかし、そんな
それだけで、俺の心は
「お風呂は、この後で、ゆっくりと、二人で一緒に、入りましょう?」
「……ええ、それはいいですね。大賛成です」
この後で。
そんな葵さんの言葉に、俺はただ、子供のように喜んでしまう。
そう、なにもすべてが、この
王子様とお姫様が結ばれて、そこでおしまい、終了です、なんて無責任な結末は、こっちから願い下げだ。
俺と彼女の二人舞台は……。
「さあ、葵さん……」
「ああっ、統斗さん……!」
幕を下ろすには、まだ早い。
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