8-5
そして、静かな時間が訪れた。
「ふう……」
先にシャワーを浴び終えた俺は、懐かしさすら感じる自分のベッドに、浅く腰かけながら、なんだか落ち着かない気持ちを、ため息にして吐き出している。
確かに、静かな時間だけど、これはむしろ、嵐の前の静けさとでもいうべきか。
さすがに今の状況では、あの高層ビルの最上階に戻るのは、どう考えても自殺行為だろうし、かといって、他にあてがあるわけでもない。まだ少し日も高いので、俺の両親は、まだ間違いなく本部で働いているので、二人きりになれるといったら、ここくらいしか思いつかなかったというわけである。
ちなみに、俺と火凜の勝負を見届けた
千尋さんにかかれば、エビルセイヴァーのみんなを
ただ、別れ際に、後は若い二人で、たっぷり楽しんでくれよな! みたいなことを言われてしまったのは、なんだか気恥ずかしかったけれど……。
「お、お待たせ、しました~……」
「あっ、う、うん、お待ちしてました~……」
なんてことを、ぼんやりと考えていたら、俺の後にシャワーを使っていた火凜が、部屋の扉を開けて入ってきたので、慌てて出迎える。
いや、まあ、なんだ。軽く身体を動かしたから、とりあえずシャワーを浴びたいというのは、俺と火凜の一致した考えだったわけだけど、いざこうして、一応は別々にとはいえ、二人して湯上りみたいな状態で対面すると、緊張してしまう。
「えっと、そのシャツ、小さくない?」
「う、うん、大丈夫……」
しかも、火凜の着ているのが、彼女の私服ではなく、俺が渡した、俺が使っている学校指定のワイシャツというのだから、なんだか落ち着かない。
それに、体格の関係上、どうしたって俺のシャツは、火凜が身につけるには大きめなので、あれでは下に、なにも
ちなみに、あれは俺が着てくれと強要したわけではなく、火凜の方から、シャワーを浴びた後に着る物が欲しいからと言われたので、貸しただけだということを、ここに
いや、本心としては、むしろ俺の方から、土下座してでも頼むべきだったと考えてしまうくらいの、
「えっと、となり、いいかな……?」
「あ、ああ、もちろん!」
そんな
いつもは
まだ触れてもいないのに、近くで感じる彼女の体温が暖かすぎて、こっちの体温も跳ね上がってしまいそうだった。
だがしかし、だがしかしである。
「…………」
「…………」
こうして、小さなベッドに並んで座ることになった俺と火凜は、どちらも口を開くことなく、だんまりを決め込んでしまって、いきなりの沈黙が痛い。
正直に言ってしまえば、俺は思い切り、緊張しているのだった。
「あっと、その……、あははっ、この部屋、ちょっと暑いかな?」
「えっ、あ、あの、あたしは、だ、大丈夫、うん、大丈夫……」
外はまだ、冬の寒さが厳しいとはいえ、ここはエアコンの効いた室内で、しかも、俺も火凜も風呂上りということで、なんだか汗ばんでしまう気がして、とりあえずの話題として持ち出したのはいいのだが、
これだけ近くにいるというのに、相手の目も見れないというのは、致命的といえば致命的なほどに、自分が浮足立っている証拠な気がする……。
「そ、そう? それじゃ、あんまり暑かったら、そのシャツ脱いでもいいから」
「そ、それは、ちょっと……」
ならばと、今度は意識的に、すぐ隣にいる火凜に目を向けてみたのはいいけれど、なんだか、彼女の素肌に、俺のワイシャツが張り付いて、わずかに透けているように見えてしまい、さらにドキドキしてしまう。
というか、ドキドキしてしまう……!
「このシャツの下、なにも着てないから……」
「そ、そうなんだ……」
しかも、俺の
い、いかん、頭の中が、
「……そうなんだ」
「……うん」
なんだか、色んな意味で、オーバーヒートしてしまい、さっきと同じ言葉を、同じように吐き出した俺に、いつもとは違って消極的な火凜は、ただ頷くだけだった。
「…………」
「…………」
そしてまた、沈黙だ。
これは、いけない。よろしくない。
この状況で動かなければいけないのは、どう考えても俺の方だ。さっきは火凜に、あれだけ熱烈な口付けを強要し、さらには、その後で自分の部屋に連れ込むなんて、言い訳無用な行動を起こしているのだから、ここでヘタレるなんて、いくら俺が悪の総統だろうと、許されるわけがない。
そんなことは、分かってる。
分かっているけど、動けない。
その理由は……、やっぱり分かっている。
火凜は、俺の知り合いの女性たちの中で、もっとも
そんな、ある意味では最高に心地よかった火凜との関係を、こうして大きく進めることで、なにかが変わってしまうのが、
だけど、そんなことは、ただの感傷で、俺のエゴでしかない。
それも、分かっている。分かっているからこそ、踏み出さなければならない。
いや、踏み出したい。それが自分の、やりたいことだ。
だって、俺はこんなにも、彼女のことを、大切に思っているのだから。
「な、なあ、火凜……」
「あの、ね……」
だけど、俺が勇気を振り絞って、自分の思いを伝える前に、その口を開いたのは、彼女の方だった。
「勝ったのは、
その可憐なまつ毛を震わせながら、それでも、俺の勇気なんて比較にもならない、強い覚悟を感じさせる瞳で、真っ直ぐに、俺のことを見つめながら……。
「好きにして、いいよ?」
まるで、神聖な宣言のように、彼女は告げた。
その瞬間、俺の中の、大事な部分が、火凜への愛おしさで溢れてしまい、狂おしいほどに暴れて、壊れてしまう。
もうダメだ。限界だ。
「……分かった。好きにする」
「あっ」
震える火凜の髪に、優しく触れながら、俺は彼女に、優しく微笑む。
我慢なんて、する必要はない。
心配なんて、する必要はない。
俺は俺で、火凜は火凜だ。だったら、それでいいじゃないか。
「だから、これは勝者からの命令なんだけど……」
俺は俺のして欲しいことを、火凜に伝える。
「火凜も、火凜の好きなようにすること! 遠慮なんかしたら、許さないからな?」
「……うん! もう、統斗ったら、仕方ないな~! 本当に、悪い男なんだから!」
その通り、笑顔の火凜が言う通り、せっかく、あんな勝負をして、主導権を握ってみせたというのに、俺からの提案は、ある意味では、責任の放棄とも言えるだろう。
だけど、それでいい。それでいいと、俺は思う。
これは、二人の問題なんだ。
どちらか片方が、一人で悩んだり、苦しんだり、責任を感じる必要なんてない。
二人の関係の責任は、二人で一緒に、とろうじゃないか。
「はははっ! そうなんだよ、俺ってば、どうしようもなく、悪い男なんだよ」
「あははっ! やっぱり、悪の総統だもんね~」
これまでにはない距離感で、お互いを見つめ合い、あられもない格好で、お互いを抱きしめ合いながらも、俺たちは、いつものように、軽口を叩き合う。
なにが変わっても、この関係だけは、変わらない。
「なあ、火凜……」
「ねえ、統斗……」
それでも、なにが変わろうとも、お互いを求め合う二人の影が、一つに交わる。
「んっ……」
「あんっ……」
こうして、俺と火凜の、熱い熱い時間は、いつまでも続くのだった……。
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