8-5


 そして、静かな時間が訪れた。


「ふう……」


 先にシャワーを浴び終えた俺は、懐かしさすら感じる自分のベッドに、浅く腰かけながら、なんだか落ち着かない気持ちを、ため息にして吐き出している。


 確かに、静かな時間だけど、これはむしろ、嵐の前の静けさとでもいうべきか。



 模擬戦闘場もぎせんとうじょうでの一戦いっせんを終えて、俺は勝者の権利を行使こうしするために、大人しくなってしまった火凜かりんを連れて、久方ぶりに、自分の実家へと戻ってきていた。


 さすがに今の状況では、あの高層ビルの最上階に戻るのは、どう考えても自殺行為だろうし、かといって、他にあてがあるわけでもない。まだ少し日も高いので、俺の両親は、まだ間違いなく本部で働いているので、二人きりになれるといったら、ここくらいしか思いつかなかったというわけである。


 ちなみに、俺と火凜の勝負を見届けた千尋ちひろさんが、とても満足そうに笑いながら、俺のことを探しているだろう他のみんなについては、なんとかするから安心していてくれと、太鼓判たいこばんしてくれたので、素直に任せることにした。


 千尋さんにかかれば、エビルセイヴァーのみんなを翻弄ほんろうして、俺と火凜の行方を、見事に隠し通すくらいは、朝飯前だろうから、まったく心配はしてない。


 ただ、別れ際に、後は若い二人で、たっぷり楽しんでくれよな! みたいなことを言われてしまったのは、なんだか気恥ずかしかったけれど……。



「お、お待たせ、しました~……」

「あっ、う、うん、お待ちしてました~……」


 なんてことを、ぼんやりと考えていたら、俺の後にシャワーを使っていた火凜が、部屋の扉を開けて入ってきたので、慌てて出迎える。


 いや、まあ、なんだ。軽く身体を動かしたから、とりあえずシャワーを浴びたいというのは、俺と火凜の一致した考えだったわけだけど、いざこうして、一応は別々にとはいえ、二人して湯上りみたいな状態で対面すると、緊張してしまう。


「えっと、そのシャツ、小さくない?」

「う、うん、大丈夫……」


 しかも、火凜の着ているのが、彼女の私服ではなく、俺が渡した、俺が使っている学校指定のワイシャツというのだから、なんだか落ち着かない。


 それに、体格の関係上、どうしたって俺のシャツは、火凜が身につけるには大きめなので、あれでは下に、なにもいてないように見えてしまうというか、白いシャツから伸びる、彼女のすらりと美しい脚がまぶしいと言うか、なんというか……。


 ちなみに、あれは俺が着てくれと強要したわけではなく、火凜の方から、シャワーを浴びた後に着る物が欲しいからと言われたので、貸しただけだということを、ここに釈明しゃくめいしておこうと思う。


 いや、本心としては、むしろ俺の方から、土下座してでも頼むべきだったと考えてしまうくらいの、眼福がんぷくなのだけれども。


「えっと、となり、いいかな……?」

「あ、ああ、もちろん!」


 そんな扇情的せんじょうてきすぎる姿で、恥ずかしそうにつぶやいた火凜に対して、俺の声が思わずうわずってしまったからといって、一体誰が責められるというのだろうか?


 いつもは気安きやすく、俺と馬鹿話をしている火凜が、頬を赤く染めながら、チラチラとこちらを見ながらも、少しうつむいている様子は、壊滅的に可愛らしい。


 まだ触れてもいないのに、近くで感じる彼女の体温が暖かすぎて、こっちの体温も跳ね上がってしまいそうだった。


 だがしかし、だがしかしである。


「…………」

「…………」


 こうして、小さなベッドに並んで座ることになった俺と火凜は、どちらも口を開くことなく、だんまりを決め込んでしまって、いきなりの沈黙が痛い。


 正直に言ってしまえば、俺は思い切り、緊張しているのだった。


「あっと、その……、あははっ、この部屋、ちょっと暑いかな?」

「えっ、あ、あの、あたしは、だ、大丈夫、うん、大丈夫……」


 外はまだ、冬の寒さが厳しいとはいえ、ここはエアコンの効いた室内で、しかも、俺も火凜も風呂上りということで、なんだか汗ばんでしまう気がして、とりあえずの話題として持ち出したのはいいのだが、くるまぎれと言わざるをえない。


 これだけ近くにいるというのに、相手の目も見れないというのは、致命的といえば致命的なほどに、自分が浮足立っている証拠な気がする……。


「そ、そう? それじゃ、あんまり暑かったら、そのシャツ脱いでもいいから」

「そ、それは、ちょっと……」


 ならばと、今度は意識的に、すぐ隣にいる火凜に目を向けてみたのはいいけれど、なんだか、彼女の素肌に、俺のワイシャツが張り付いて、わずかに透けているように見えてしまい、さらにドキドキしてしまう。


 というか、ドキドキしてしまう……!


「このシャツの下、なにも着てないから……」

「そ、そうなんだ……」


 しかも、俺の不躾ぶしつけな質問のせいで、火凜の口から、驚愕の真実があきらかになってしまい、その瞬間に、むしろ部屋の温度が、一気に上昇したような気さえする。


 い、いかん、頭の中が、だってきた……。


「……そうなんだ」

「……うん」


 なんだか、色んな意味で、オーバーヒートしてしまい、さっきと同じ言葉を、同じように吐き出した俺に、いつもとは違って消極的な火凜は、ただ頷くだけだった。


「…………」

「…………」


 そしてまた、沈黙だ。


 これは、いけない。よろしくない。


 この状況で動かなければいけないのは、どう考えても俺の方だ。さっきは火凜に、あれだけ熱烈な口付けを強要し、さらには、その後で自分の部屋に連れ込むなんて、言い訳無用な行動を起こしているのだから、ここでヘタレるなんて、いくら俺が悪の総統だろうと、許されるわけがない。


 そんなことは、分かってる。

 分かっているけど、動けない。


 その理由は……、やっぱり分かっている。


 火凜は、俺の知り合いの女性たちの中で、もっとも気兼きがねない友人関係というか、男女の壁すら感じさせない、遠慮のない付き合いだった。


 そんな、ある意味では最高に心地よかった火凜との関係を、こうして大きく進めることで、なにかが変わってしまうのが、こわいのだ。大事な友達を失ってしまうような気がして、おそろしいのだ。


 だけど、そんなことは、ただの感傷で、俺のエゴでしかない。


 それも、分かっている。分かっているからこそ、踏み出さなければならない。


 いや、踏み出したい。それが自分の、やりたいことだ。


 だって、俺はこんなにも、彼女のことを、大切に思っているのだから。


「な、なあ、火凜……」

「あの、ね……」


 だけど、俺が勇気を振り絞って、自分の思いを伝える前に、その口を開いたのは、彼女の方だった。


「勝ったのは、統斗すみとなんだから……」


 その可憐なまつ毛を震わせながら、それでも、俺の勇気なんて比較にもならない、強い覚悟を感じさせる瞳で、真っ直ぐに、俺のことを見つめながら……。


「好きにして、いいよ?」


 まるで、神聖な宣言のように、彼女は告げた。


 その瞬間、俺の中の、大事な部分が、火凜への愛おしさで溢れてしまい、狂おしいほどに暴れて、壊れてしまう。


 もうダメだ。限界だ。


「……分かった。好きにする」

「あっ」


 震える火凜の髪に、優しく触れながら、俺は彼女に、優しく微笑む。


 我慢なんて、する必要はない。

 心配なんて、する必要はない。


 俺は俺で、火凜は火凜だ。だったら、それでいいじゃないか。


「だから、これは勝者からの命令なんだけど……」


 躊躇ちゅうちょなんて、する必要はない。


 俺は俺のして欲しいことを、火凜に伝える。


「火凜も、火凜の好きなようにすること! 遠慮なんかしたら、許さないからな?」

「……うん! もう、統斗ったら、仕方ないな~! 本当に、悪い男なんだから!」


 その通り、笑顔の火凜が言う通り、せっかく、あんな勝負をして、主導権を握ってみせたというのに、俺からの提案は、ある意味では、責任の放棄とも言えるだろう。


 だけど、それでいい。それでいいと、俺は思う。


 これは、二人の問題なんだ。


 どちらか片方が、一人で悩んだり、苦しんだり、責任を感じる必要なんてない。


 二人の関係の責任は、二人で一緒に、とろうじゃないか。


「はははっ! そうなんだよ、俺ってば、どうしようもなく、悪い男なんだよ」

「あははっ! やっぱり、悪の総統だもんね~」


 これまでにはない距離感で、お互いを見つめ合い、あられもない格好で、お互いを抱きしめ合いながらも、俺たちは、いつものように、軽口を叩き合う。


 なにが変わっても、この関係だけは、変わらない。


「なあ、火凜……」

「ねえ、統斗……」


 それでも、なにが変わろうとも、お互いを求め合う二人の影が、一つに交わる。


「んっ……」

「あんっ……」


 こうして、俺と火凜の、熱い熱い時間は、いつまでも続くのだった……。


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