8-4


「ルールは簡単! 相手に一発ぶちかました方の勝ちだ! そして当然、勝者は敗者のことを好きにできる! さあ、正々堂々、決着をつけるんだぜ!」


 事態じたいはまさに、急展開をむかえていた。


 いやいや、千尋ちひろさん。いきなり、そんなこと言われても、困ってしまうのですが、なんて正論を言うひまもなく、楽しそうな千尋さんの手によって、ちゃくちゃくと準備は整い始めている。


「ちょ、ちょっと、千尋さん?」

「えっ、えっ、えっと、本気なの?」


 当然のことながら、戸惑とまどう俺と火凜かりんだが、あまりに突飛とっぴな提案すぎて、呆然ぼうぜんとしていたこともあり、千尋さんの手によって、あっさりと、これから、格闘技の試合でも始まると考えるのならば、なんだかいい感じに距離を取って、向かい合ってしまう。


 いや、まあ、千尋さんが本気なら、俺と火凜が逆らっても、無駄なんだけども。


「よーし! それじゃあ、準備はいいかー!」

「いえ、まったく」

「もう、なんなのよ!」


 この模擬戦闘場もぎせんとうじょうの中央で、なぜか元気に腕を振り上げている千尋さんに向かって、俺と火凜は、それだけ言うのが精一杯だった。とはいえ、いつまでも呆気あっけに取られたままで、自分を見失ってばかりもいられない。


 さて、これから一体、どうするべきなのか……。


「もう、情けないぞ、二人とも! そんなことじゃ、戦場を生き残れない! さあ、悪の組織の人間だったら、欲しいものがあるならば、その力でつかるんだー!」


 とりあえず、テンションが上がっている千尋さんの言葉から、その真意を読み取りたいところなわけだけど……、でも、そうか、なるほど……。


 どうやら、やっぱり彼女は彼女なりに、俺たちのことを、考えてくれたようだ。


「……よし、やろう! いや、やってやるぜ!」

「ちょ、ちょっと! なにいきなり、心変わりしてるのよ!」


 俺は千尋さんに感謝しつつ、火凜と向き合う。当然ながら、向こうは困惑しているけれど、こちらは別に、心変わりをしたわけではない。


 いやむしろ、心を決めたのだ。


「それに、さっきはあんた、もう逃げないって言ってたじゃん!」

「うん、だから逃げずに、戦うことにした!」


 見るからに怒っている火凜に笑いかけながら、俺はかまえる。


 もちろん、こんなものは、ただの言葉遊びで、俺の本心は、なに一つ変わらない。別に彼女を怒らせたいわけでも、拒絶したいわけでもない。


 俺はただ、本心と本心で、火凜とぶつかりたいだけだ。


「さあ、俺が勝ったら、なんでも言うこと聞いてもらうぞ、火凜!」

「……ああ、もう! 分かったわよ!」


 どうやら、千尋さんと、そして俺が、引かないことをさとってくれたらしい火凜が、頭を抱えながらも、闘志を見せてくれる。


 どうやら、やる気になってくれたようだ。


「こうなったら、あたしが勝って、好きにしてやるんだから!」

「うむ、その意気やよし! かかってこい、火凜!」


 俺と火凜は、感情をしにして、正面から向かい合う。


 そう、それこそが、大切なんだ。


 つまり、必要なのは、きっかけというわけである。誰に遠慮することもなく、自分の思いを、相手にぶつける。そのための方法が、今回はたまたま、千尋さんの提案によって、こういう形になったにすぎない。


 大事なのは、自分の本当の気持ちを、さらけ出すことなのだから。 


「よしよし、二人とも、いい気迫だ! それじゃ、いくぞ~!」


 俺と火凜の様子を見て、満足そうな笑顔を見せてくれた千尋さんが、楽しそうに、その右手を高々をかかげてくれる。


 それでは、気合を入れますか!


「……始め!」

「はっ!」

「ふっ!」


 そして、笑顔の千尋さんが、その手を振り下ろすと同時に、俺と火凜は、お互いに向けて、真っ直ぐに走り出す。


 さあ、ここからが勝負だ。


「――いくよ!」

「――よっと!」


 律儀に先制を宣言して放たれた火凜の右拳を、ギリギリで半身はんみになることで、回避を成功させながら、俺はさらに一歩踏み込んで接近し、この手を伸ばす。


 しかし……。


「甘いっての!」

「くっ!」


 さすがに不用意すぎたか、こちらの行動は、鋭い目をした火凜に冷静に見極められてしまい、余裕を持って距離を取られたばかりか、むしろ不用心に伸ばした俺の手に向けて、回し蹴りを放たれてしまった。


 関節を強引に動かして、なんとか避けられたけど、その無駄な動きの分だけ、隙が生まれたことは、自覚している。


「あんまり、あたしを、舐めないでよね……!」

「そんな、つもりは、ないんだけどな……!」


 その僅かな、刹那のすきを見事について、一気にこちらに肉迫してきた火凜の放つ、拳と蹴りを織り交ぜたラッシュを、なんとか無傷でさばきつつ、俺は思考をめぐらせる。


 今回の勝利条件は、千尋さんルールにより、相手に一発、ぶちかました方が勝ちとなるので、軽々けいけいに攻撃を受けるわけにはいかない。


 ならば、俺が勝利を望むなら、むしろこちらの方から、なんらかの攻撃を仕掛ける必要があるわけだけど……!


「どうしたの! 逃げてるばかりじゃ、勝負にならないよ!」

「……っ! おっと!」


 こちらの鼻先をかすめた火凜の鋭い回し蹴りを、なんとか退き、かわせたのはいいけれど、その勢いを利用して、さらに加速する火凜の攻めに、四苦八苦だ。


 そもそもの問題として、俺はこの勝負に、果たして勝ちたいのだろうか? 勝てば相手を好きにできるという条件なのだから、ここはむしろ、俺が負けることで、火凜の本音を引き出す方が、重要な気もする。


 というか、敗北することで、火凜の好きにされてしまうというのも、俺としては、興味があるといえば、あるということは、否定できない事実なわけだし……。


「このっ! 真面目に、やりなさいよ!」


 だがしかし、そんなよこしまな考えは、即座に却下だ。


 俺がわざと負けるような真似をしても、それが分からない火凜ではないし、それで喜ぶような彼女でもない。


 それはただの、火凜に対する侮辱ぶじょくでしかない。


「ああ、そうだ、なっ!」


 だったら、俺はどうするべきなのか?


 もちろん、やるからには全力だ。とはいえ、ルール的な穴として、一発ぶちかます方法自体を、千尋さんが指定しなかったからとはいえ、ここで魔術を使うのは、なんだか違う気がする。火凜も変身せず、自らの火を操るという超常能力も使っていないので、ここはあくまでも、肉弾戦オンリーで考えていきたい。


 しかし、だからといって、いくら勝負とはいえ、全力で火凜を殴るなんて真似は、俺は決してしたくない。


 これは、男は女を殴るべきではないみたいな、フェミニスト的な話というよりも、もっと単純な、大事な人を傷付けてしまうかもしれない行為に対する禁忌きんきというか、不安感のようなものをぬぐいされるほど、俺という人間が、自らの能力の制御に対する自信を持てないという、未熟さからくるものだと思われる。


 そういう意味では、ちゃんとした格闘技を習い、こういう試合形式の勝負に慣れている火凜の方に、一日いちじつちょうがあると考えて、間違いないだろう。


 ならば、どうする?


 それが問題だ。


「ふっ! はっ! しっ!」

「よっ! とっ! はっ!」


 火凜の見事な拳を、俺は前に出ることで避け、しなやかな蹴りを、素早く回り込むようにしてかわしつつ、次の行動に備えて、互いに互いの呼吸を読み合う。

 

 まるで舞踏ダンスのように、俺と火凜は相手の一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそくに集中し、濃縮された刹那の中で、お互いの思考を読み合い、相手のことだけを考える。


「――いくぞ!」


 そんな幸せな時間の中で、俺はようやく、決意を固める。

 やっぱり、慣れないことは、するべきじゃない。


 俺は俺の、やりたいように、やるだけだ。


「そこだ!」

「きゃっ!」


 俺は一瞬の隙を突き、火凜が上段蹴りを放った瞬間、自らの身体を回転させながら素早く沈め、その勢いで足を出して、彼女の軸足じくあしはらける。


 当然の結果として、完全にバランスを崩した火凜が、可愛らしい悲鳴を上げた。


「よいしょっと!」

「な、なに? なんなの?」


 次の瞬間、火凜が倒れ込んでしまう前に、俺は即座に起き上りながら、彼女の腰と首に手を回して、支えるようにしながら立ち上がる。


 まるでダンスのポーズのように、てんあおいだ火凜に密着しつつ、俺は至近距離で、彼女のキラキラと輝く、綺麗な瞳と、見つめ合うことができた。


「火凜……」

「あ、あわわわっ!」


 そして、そのまま、まだなにが起きたのか、よく理解していない様子の火凜へと、俺は優しく微笑みながら、ゆっくりと、自分の顔を近づける。


 その結果……。


「んむっ……!」


 俺と火凜の唇が、柔らかな感触と共に、重なった。


「あむっ」

「んっ、んんん~っ!」


 しかし、それだけでは足りない気がして、俺は震える火凜の唇を、強引に、自らの舌を使って割り開き、彼女の無垢むくな口内へと、侵入を果たす。


 その瞬間、驚いた火凜の両腕が、俺の背中に回されたかと思うと、こちらのことを突き放すのではなく、いだくようにして、強く、強く、抱き締めてきた。


 それを合意と受け取った俺は、さらに深く、深く、彼女の心と繋がるために、恐る恐る差し出された火凜の唇を、むさぼるように蹂躙じゅうりんしていく……。



 こうして、俺は火凜に、熱い口付けを、一発みせたのだった。



「おお~! お見事だぜ、統斗!」


 よかった。どうやら、俺の渾身の口付けは、有効打と判断されたようで、無邪気に喜ぶ千尋さんから、歓声が上がる。


 お墨付きをいただいた俺と火凜の口付けは、まるます過熱していった。


「んまっ」

「あ、ああっ、んっ……」


 濃密な時間を、たっぷりと楽しんでから、俺が唇を離した瞬間、火凜の口からは、つやっぽい声が上がり、そのとろけた瞳は、名残惜しそうに、こちらを見ている。


 それだけで、当たり前だけど、俺の心臓は、ドキドキしっぱなしだ。


「は、はあ、はあ、はあ、はあ……」


 荒い息をこぼしている火凜は、まだまだ物足りなさそうに、じっとこちらのことを見つめながら、俺の背中を離してくれない。


 でも、それはこっちとしても、望むところだった。


「これで、俺の勝ちってことで、いいかな?」

「う、うん……」


 可愛らしく、しおらしく、恥ずかしそうに頷いた火凜が、ただただ愛おしい。


「そうか、それはよかった。んっ……」

「あっ、んむ……、あむ……」


 どうやら、勝負はついたようだけど、そんなことは関係ない。


 こうして、お互いに欲しいものを手に入れるために、二人の唇は、もう一度……、いや、何度でも、重なり合う。


 そう、俺も火凜も、やりたいように、やるだけなのだから。


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