8-3


「じゃじゃーん! へへっ、到着だぜー!」

「お、おおっ! ここは!」


 嬉しそうに笑っている千尋ちひろさんに、大人しくお姫様抱っこされながら、俺は目の前に広がる光景に対して、素直に感動してしまう。


 まあ、状況が状況なのだけど、ヴァイスインペリアルの総統としては、この様子を見てしまうと、万感ばんかんの思いというやつを、いだかずにはいられないのだ。



 自らの無責任な行動によって、エビルセイヴァーのみんなに囲まれ、せまられていた俺を、高層ビルの最上階から飛び下りるという大胆不敵な方法で、その場から颯爽さっそうと連れ去った千尋さんは、そのまま軽々と俺を抱えながら、音もなく見事に着地を成功させると、疾風はやてのように走り出して、一目散に地下へと向かった。


 そして気が付けば、勝手知ったる地下本部を駆け抜けて、俺にとっては、懐かしさすら感じる空間へと、こうして足を踏み入れた……、というわけである。


模擬もぎ戦闘場せんとうじょう……、もうすっかり、元に戻ってるじゃないですか!」

「だろだろ? 綺麗になっただろ?」


 ここは地面の下だというのに、一般的なスポーツ競技場より、かなり大きな余裕を持って整備されたドーム状の空間は、圧迫感も、息苦しさも、まったく感じない。


 模擬戦闘場という名前の通り、悪の組織の人間が、激しい戦闘訓練を日常的に行うために用意されたスペースは、俺にとっても、思い出深い場所の一つだ。


 右も左もわからない、新米悪の総統だった頃には、ここで千尋さんに、よく稽古けいこをつけてもらったし、俺が命気プラーナに目覚めたのも、まさしくこの場所である。


 そして、なまじ巨大な空間だったばっかりに、悪魔マモンが暴れた結果、気が遠くなるほどの瓦礫がれき土砂どしゃに埋まってしまう前まで、訓練といえば、やはりここだった。


 そんな思い出の場所が、こうして往年おうねんの姿を取り戻したというのは、俺にとって、やはり嬉しい事実なのである。


 うんうん、よかった、よかった……。


「とはいえ、まだまだ修理完了ってわけじゃないんだよなー! 疑次元ぎじげんスペースも、まだ使えないから、オレは全力で暴れるなって言われてるし。まあ、そっちはマリーが頑張ってくれてるから、待つしかないんだけど」


 なんて、俺は見た目の印象だけで、お気楽に考えてしまったけれど、どうもまだ、完全に元通りというわけではないようだ。


 疑次元スペースというのは、我らがヴァイスインペリアルが誇る天才博士、マリーさんが開発した超技術であり、一定の範囲に疑似的な空間を上塗りし、その範囲内がどれだけ破壊されたとしても、その疑似空間を破棄はきすることで、無機物の状態を破壊される前にまで戻してしまうという、とんでも発明である。


 元々は、俺たちヴァイスインペリアルのお家芸みたいな技術だったのだけれども、これまた悪魔マモンに地下本部を破壊された影響として、現在のところは、実質的に使用不可能な状態が続いているのだ。


 しかし、今はもう色んな意味で、大分だいぶん余裕も生まれたことだし、なにより、それを修理しているのは、あのマリーさんなのだから、心配なんてする必要はない。


 あの人なら遠からず、むしろ以前よりもパワーアップさせるくらいの勢いで、破壊された技術の数々を、取り戻してくれることだろう。


「だけどさ、ここまで綺麗に直ったら、なんだか嬉しくなっちゃってさ! 思わず、統斗すみとにも見せてやろう! って思って、探してたんだけど……」


 そして、天真爛漫てんしんらんまんに喜びながら、楽しそうに笑っている千尋さんの気持ちは俺にも分かるし、こちらにとっても嬉しいお誘い……。


 だったんだけど。


「にししっ! そしたら、なんだか面白そうなことになってるじゃんか!」

「ぐはっ!」


 タイミングが、良かったのか悪かったのか、あまりといえばあまりの現場を見られてしまったことを思い出し、俺は思わず、うめいてしまう。


 いかん、いまさらながら、恥ずかしくなってきた。


「いやー、お邪魔しちゃ悪いかなとは思ったんだけどさー! なんだか統斗が困ってるっぽかったし、とりあえずさらってみたんだけど、迷惑だった?」

「いや、そんなことはないです……」


 正直な話、かなりの窮地きゅうちだったので、千尋さんの登場によって救われたと言っても過言ではないわけだけど、しかし、だからといって、助かったと言ってしまうのは、みんなに悪い気がして、口にできなかった。


 誰が悪いかと聞かれたら、それは間違いなく、俺自身なのだから。


「ならよかったよ! それにしても、統斗もすみけないな~。このこの!」

「むぐっ、いや、そんなこと、ないですよ……」


 なんだか暗い気分になってしまい、手足の拘束を外して、ようやっと地面に降りた俺のことを、そのまま千尋さんが抱き締めて、からかうようにほっぺたをつついてくれたけど、あまりいいリアクションはできなかった。


 でも、このまま落ち込んでばかりもいられない。


 俺はもう、覚悟を決めたのだから……!


「それで~、あの五人とは、どこまでシちゃったのかな~? えいっ!」

「ちょ、ちょっと、どこをまさぐってるんですか!」


 なんて、多少シリアスになりそうだったのに、俺のことをぎゅっと抱きしめている千尋さんは、その魅力的な肢体したいをこすりつけるようにしながら、その手をいきなり、俺のデリケートな部分に伸ばして……。


 いやいや、それはまずいって!


「ま、まだ全然、そんなんじゃ……!」

「ウソつくなって! そんなんじゃないのに、あんなことになるかって!」


 うん、反射的に否定してしまったけれど、千尋さんのいうことが、正論である。


 正論ではあるのだが、だがしかし、こんな過激な密着している上に、あやしい手つきで好きにされているような状態で、それを素直に認めてしまうというのも、なんだか抵抗があるというか、恥ずかしい。というか、とっても恥ずかしい。


 とはいえ、嘘をついて隠しても、仕方ないというか、意味はない、か……。


「そ、その、桃花ももかとは、ちょっと、ありましたけど……」

「おっ、そうかそうか! へへっ、そいつはめでたいな!」


 いやしかし、要するに、俺が自分以外の女性と関係を持ったという話を聞かされているというのに、本当に嬉しそうな千尋さんというのも、不思議な女性である。


 まあ、その破天荒はてんこうさが、彼女の数えきれない魅力の一つではあるのだけれど。


「うんうん、れが大きくなるのは、いいことだからな! オスのステータスだぞ!」

「……そういうもんですか?」


 なんというか、それはライオンとか、トドとかセイウチとか、そういう獣の流儀りゅうぎであって、人間的にはむしろ、そんなことを誇示こじしていたらマイナスな気がしないでもないけれど、そんなことを思うのは、いまさらといえば、いまさらか。


 悪の総統である俺が、体面を気にするなんて、おかしな話である。


「そういうもんだって! だから……」


 まるで励ますように、太陽みたいな笑顔を見せてくれた千尋さんが、最後に優しく抱きしめてくれると、俺から離れ、力強く、背中を叩いてくれた。


 さあ、気合を入れよう。


「群れをたばねるオスは、ちゃんと根性見せないとな!」

「……はい!」


 どうやら、俺が向き合うべき人が、来たようだ。


「――見つけた! こんなところにいたのね、統斗! 今度は逃がさないわよ!」


 この模擬戦闘場に飛び込んできたのは、火凜かりんだった。


 俺のことを、走り回って、探してくれたのだろう、少し肩で息をしているけれど、その目にしっかりと、炎のような意思を宿した彼女が、そこにいた。


 ちなみに、ちゃんと服は着てくれているので、一安心である。


「……分かってる。もう逃げないよ」

「う、うん、なかなか、いい心がけじゃない! そ、それじゃあ一緒に……」


 もしかしたら、抵抗されると思ったのか、素直すなおに従う素振そぶりを見せた俺に、むしろ肩透かたすかしを食らったように、火凜はなんだか、気合をがれた様子だけど、もちろん話は、これで終わりなんかじゃない。


 いやむしろ、ここからが本番だ。


「だから、教えてくれ」

「……えっ?」


 こちらにやってくる火凜の目を見ながら、俺は切り出す。

 疑問の声を上げた彼女に向けて、真っ直ぐに。


「火凜は俺に、なにをして欲しい?」

「な、なによ、いきなり……」


 あまりに突拍子とっぴょうしのない問いかけだと思ったのだろう、火凜は怪訝けげんそうな顔をして、首をかしげるばかりで、答えを聞かせてくれない。


 でも、これこそが、俺が知りたいことなんだ。


「俺は、火凜の望むことだったら、なんでもしてあげたいと思ってる。けど、それは火凜が、本当にして欲しいことを、してあげたいんだよ」


 これが、俺の本心だ。


 俺は火凜の……、そして、みんなの望むことならば、なんだって叶えてあげたい。そのためだったら、どんな努力だってするつもりだし、苦労だっていたわない。


 でも、さっきのアレは、あきらかに望んであんなことをしたというよりは、ただの暴走というか、暴発みたいなものだ。


 それじゃあ、やっぱり意味はない。


「だから、ちゃんと言葉にして、教えてくれ。お前の望みを、希望を、願いを」


 本当にやりたいことを、やりたいようにやらないと、意味なんて、ないのだから。


「火凜は、俺に、なにをして欲しい?」

「す、統斗に、し、して、して欲しいことって……!」


 というわけで、まずはハッキリと、相手の意思を確認したいわけだけど、なんだか火凜は顔を赤くして、口ごもってしまった。


「そ、そそそそ、そんなこと、言えるわけないでしょ! ……バカ」


 いや、俺としては、もうちょっと広い意味というか、普遍的ふへんてきな意味で、して欲しいことをたずねたつもりだったのだけど、どうもタイミング的に、具体的な秘め事を想像してしまったようで、火凜が慌てて手を振りながら、真っ赤になってしまった。


 うーん、そんな火凜も、可愛いな……、なんて言ってる場合ではない。


 もしかして、友情に厚い火凜のことだから、他のみんなに遠慮して、自分の本心を言えないのかもしれないし、それはそれで、俺としては困ってしまうわけで……。


「うんうん、いきなりそんなこと言われても、恥ずかしくって、自分の本心なんて、なかなか見せられないよな! まったく、初々ういういしいぜ!」


 そんな、なぜかにらいのような状況になってしまった俺と火凜が、ちょっとだけ困った空気になりかけたところで、明るい声を上げてくれたのは、悪戯っぽく笑った千尋さんだった。


 彼女はまるで、名案を思い付いた子供のように、嬉しそうに飛び跳ねている。


「だったら、こういう時は……」


 そして、本当に楽しそうに、なぜか格好良いポーズなんて決めながら、ウキウキとした様子で、千尋さんは続ける。


「勝負で白黒つけるんだ!」

「……はい?」


 そんな、まさしく突拍子のない千尋さんからの提案に、俺と火凜は、二人揃って、呆気にとられたような、マヌケな返事しかできないのだった……。


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