8-2


「さて、これは一体、どういうことなのかしらね……」


 その美しい顔に、氷の微笑びしょうを張り付けた樹里じゅり先輩の、あまりに優しすぎる声色こわいろに、思わずこちらの臓腑ぞうふちぢがり、硬直してしまう。


 なんだか、デジャブな状況だけど、さっきの祖父ロボとマインドリーダーの時とは違い、これは冗談ではないし、残念ながら責められているのは、俺自身だ。


 正直、きもえすぎて、仕方がない。

 いくら覚悟していても、恐いものは、恐いのである。


「あ、あのですね……」


 いかん、一瞬で喉が渇いて、上手く言葉が出てこない。


 先日、完成したばかりのヴァイスインペリアル中央総本部ビル最上階に存在する、俺のためというには豪華すぎる居住スペースのリビングにて、俺はエビルセイヴァーの面々に囲まれながら、床に正座しつつ、身体を小さくしていた。


 いや別に、誰にそうしろと言われたわけではないのだけれど、火凜かりんあおいさんに、ここまで連れてこられて、そこで待っていた恐ろしい空気をまとう樹里先輩とひかり、それから、なんだか申し訳なさそうな桃花ももかと顔を合わせてしまうと、どうも自発的にそうするべきだと、思ってしまっただけである。


 本当は、気分的には、今すぐ土下座でもしたいくらいだ。


「ああ~ん? なに言い訳しようとしてるのよ! この、この!」

「いや、うん、俺が悪いのは分かっているので、蹴るのはやめてください……」


 とはいえ、さすがに痛いのは嫌なので、俺は正座の姿勢をたもちつつ、ひかりの放つ蹴りの連打を、ギリギリで回避しておく。


 まあ、その怒りは、十分すぎるほどに、理解できるのだけれども……。


「えーっと、皆さんは、一体どこまで、お知りになっているのでしょうか?」

「ふーん、どこまでだと思う? ねえ、どこまでだと思う?」

「そうですね。どこまでの話なのか、統斗すみとさんの口から、聞きたいものです」


 とりあえず、正確な状況を確認しようと、おそおそる話を切り出してみた俺に対し、当然のことながら、頬を膨らませている火凜と、真顔の葵さんはない。


 ううっ、身から出たさびとはいえ、どうしよう……。


「えっと、桃花さん?」

「い、言ってない! 言ってないよ! 昨日の夜にあったことなんて、わ、わたし言ってないよ! あ、あの……、い、言えない、よ……」


 正座している俺の隣で、これまた自発的にだけれども、顔を真っ赤にしながら座り込んいる桃花に、それでも事情を聞いてみようかと思ったけれど、ああしかし、その反応だけで、おおよその事情は、さっせてしまった。


 やっぱり、バレたんだなぁ……。


「うふふ……。なにも言わなくても、分かる事ってあるのよ、桃花ちゃん……?」


 いつものように、優しく笑ってくれているというのに、なぜか直視することができない樹里先輩の言うことは、よく分かる。


 正直な話、隠し事が苦手な桃花の態度から、昨日の夜になにかあったと推測するのは簡単だろうし、そこからさらに突っつけば、例え具体的な事情を漏らさなかったとしても、その態度から、いくらでも答えを見つけることができたのだろう。


 うんうん、桃花は嘘がつけないから……。


「とはいえ、やはり直接聞かないと、分からないこともあるわけです……」

「ご、ごもっともだと思います……」


 まあ、別に隠そうとしていたわけでもないので、いいのだけども、まるで鉄仮面のような冷たい表情の葵さんに問い詰められると、どうしても委縮いしゅくしてしまう。


 やはり、いくら自分で決めたこととはいえ、どうしても後ろめたく感じてしまっているという現実は、いなめないのである……。


「なら、どうして桃花が、この家の鍵を持ってたのか、教えてもらいましょーか?」

「うぐっ、そ、それはですね……」


 いやしかし、見るからに不機嫌そうな火凜から、まずは軽いジャブといった感じで放たれた質問に対する答えを、俺は軽々かるがるしく口に出すことができない。


 だって、まさか桃花と一夜を共にした後に、二人で朝を迎えて、ベッドとか色々と片付けた後で、彼女を家まで送った別れ際に、もっていた合鍵を渡しましたなんて、馬鹿正直に言うことは、さすがに躊躇ためらわれてしまう。


 というか、いまさら、合鍵はさらに複製して、みんなに渡すつもりだよ、とか言い出すのは、それは本当に、受け入れてくれるなら、そのつもりなのだけれども、今は

どう考えても、火に油をそそぐ結果にしかならないことは、明白だった。


 こうなれば、ああ、みんながここで俺を待っていたのは、その桃花が持ってた合鍵を使ったからなんだなぁ、ははーん、みたいなことだけ考えて、現実逃避してしまいたいくらいである。


 しかし、残念ながら、今はそんな悠長ゆうちょうなことをしている余裕は、まったくない。


「この、この! 桃花先輩を、無理矢理汚すだなんて! 不潔よ、このケダモノ!」


 もはや段階を踏むことなんて忘れて、怒り狂ったひかりの奴が、執拗しつように俺に攻撃を続けているので、なんだかもう、一発や二発は受けてやるべきじゃないのかと、自分でも思い始めたところだが、まだそういうわけにはいかなかった。


 そう、間違いは、正さないと……!


「いや待て! 無理矢理なんかじゃないぞ! ちゃんと双方、合意の上だ!」

「す、統斗くん! なんだか恥ずかしいよ!」


 うん、いかん、どうやら俺は、混乱しているようだ。それにしても、顔を真っ赤にしながら、慌ててる桃花も、可愛いな。


 なんて、これまた現実から逃げている場合ではない。

 状況は、刻一刻と悪化している。


 とはいえ、これも全て、俺の責任だ。


 本当は、なんというか、あくまでも、みんなに自分の気持ちを伝えて、それでも、軽薄けいはくな俺と一緒にいてくれるのか、決めてもらおうと思っただけで、こんな直接的というか、肉体的というか、言い訳無用の事態にまで踏み込むような勇気は、チキンな俺にはなかったわけだけど、これも全て、自然な流れというやつで、こういうことになってしまったわけである。


 でも、後悔はしていない。


 俺だって、悪の総統なのだ。自らの行いによる責任は、果たさなければならない。


「うふふふふふっ……。なんにせよ、これは由々ゆゆしき事態よね……?」

「ええ、まったくです。もはや均衡きんこうは、完全にくずってしまいました」

「は、はい、ごめんなさい……」


 なんて、格好つけたところで、今の俺では、暗く笑う樹里先輩と、氷のように真剣な表情を崩そうともしない葵さんに、情けなくも平謝りするのがせきやまである。


 こういう時に、どうすれば場を上手く収められるのか、経験にとぼしすぎる俺には、どうしても分からなかった。


 いや本当に、ふしだらな男で、言い訳のしようもありません……。 


「もう! どうすんのよ! どうするつもりなのよ! 統斗!」

「この変態! スケベ! 色情魔! 考えなしの、裏切り者!」


 だけれども、地団駄じたんだんで激昂げきこうしている火凜と、怒りに任せて暴れているひかりの様子を見てしまえば、このまま嵐をやり過ごそうなんていうのは、あまりに無責任で都合のいい、最低の行為だということは、分かっている。


 だからここで、逃げてはいけないのだ。


「い、いや、責任なら、ちゃんととるぞ! 桃花のことはもちろん、許されるなら、みんなのことも、俺が死ぬまで!」


 なので、ここは正直に、自分の本心を、みんなにぶつける。


 いや、まあ、こんな処刑場のような空気のど真ん中で、情けなく正座までしているような状況で、しかも、なんだか格好つけてるけど、よく聞いたら、あまりにも外道すぎることを、なに大声で宣言してるんだと、言われてしまうかもしれないけれど、これが俺の本心なのだから、仕方がないじゃないか。


 誰に馬鹿にされようとも、見下されようとも、幻滅されようとも、関係ない。自分の気持ちを曲げるようなことを、俺はするつもりがない。


 悪の総統は、わがままなのだ。


「うふふ……、そう、統斗くんの気持ちは、分かったわ……」


 だがしかし、そんな俺の身勝手すぎる、普通ならあきれて、見捨てられてもおかしくないような情けない宣言を受けたというのに、樹里先輩は、まるで慈愛に満ちた女神のように、にこやかに、笑っていた。


 その瞬間、俺の背筋が、ゾクリと震える。


「それなら、今ここで、みんな一緒に、責任、取ってもらいましょうか?」


 その笑みは、ゾッとするほど、妖艶ようえんだった。


「……へっ?」


 思わず、俺の思考がフリーズして、マヌケな声を上げてしまうくらいには。


「それでは、桃花さんは、そこで黙って見ていてください。もう一人だけ、思い切り抜け駆けしたのですから、仕方ないですね」

「う、うわわわっ! ちょっと、葵ちゃん、なにするの!」


 そして、まるでそれが合図だったかのように、音もなく動き出した葵さんが、桃花の背後に回り、どこから取り出したのか、真っ赤なロープを使って、目にも止まらぬ早業はやわざで、あっという間に拘束してしまった。


 なんて、悠長に実況している余裕はない!


「い、いや、いやいやいや! ちょっと、待って、待ってくれって!」

「な、なによ! いまさら逃げようったって、そうはいかないわよ!」

「火凜先輩は、そっち押さえてください! ほら、暴れるな、バカ統斗!」


 それと同時に、俺に飛びかかってきた火凜とひかりが、強引に俺の手足を掴んだかと思えば、そのまま縛り上げようとしてくる。


 い、いかん! やろうと思えば、力任せに抵抗することもできるけど、色んな意味でがある俺としては、強く拒否することができない!


「お、おい、みんな、落ち着け! いや、落ち着いてください! お願いします!」


 そしてそのまま、まるで生け贄のように緊縛されてしまった俺は、なにもすることができず、目の前の光景に対して、悲鳴に似た声を上げて、懇願するしかない。


 この一瞬で、事態はまさに、激変していた。


「さ、さあ! いい加減、観念しなさいよ! で、でも、あんまりこっち見るな!」

「私は見られても構いませんが。というより、ちゃんと見てください、統斗さん」


 それぞれの役目を終えて、俺と桃花から離れた火凜と葵さんが、いきなり、突然、止める時間もなく、あまりにまぶしい行動に打って出た。


 火凜は、恥ずかしそうに震える手で、自らの上着に手をかけて、チラチラとこちらのことを気にしながらも、その服の中に隠れていたアンダーウェアを、白日はくじつもとへとさらしてしまったかと思えば、その下着にすら、手を伸ばそうとしている。


 葵さんは、真顔のままで大胆に、身につけていたロングスカートに手を伸ばして、まったく躊躇ためらう様子も見せずに、留め具を外したかと思えば、そのままスルリと脱ぎ捨ててしまったので、その美しいおみ足と、隠すべき下着が、あらわになってしまう。


 そんな二人の艶姿あですがたから、俺は目が離せない。


「うふふ、これでようやく、統斗君と一つになれるのね……」

「ひ、ひかりだけ仲間はずれになるのが、イヤなだけなんだからね!」


 気が付けば、いつの間にやら下着しか身につけていない樹里先輩が、チロリと舌を舐めながら、頬を紅く、呼吸を荒くしながら、その目に毒すぎる蠱惑的な谷間を強調するように揺らしながら、自らの下着のホックを外してしまう。


 ひかりはひかりで、顔を真っ赤にして、涙目で悪態をつきながらも、なぜかむしろ見せつけるように、でも勇気を振り絞っているかのように、ゆっくりと、少しづつ、自分の洋服を一枚一枚脱ぎ去って、子供っぽい肌着姿になろうとしている。


 もはや猶予ゆうよは、一刻いっこくどころか、一秒いちびょうもなかった。


「あ、あわわわわっ、なんとか、なんとかしないと……!」


 しかし、だがしかし、俺の脳ミソは空転くうてんを繰り返すだけで、妙案みょうあんは出てこない。


 多分、おそらく……、いやきっと、間違いなく、この四人が、こんな突拍子とっぴょうしもない行動に出てしまった原因は、俺と桃花の関係が劇的に変化してしまったことにあるということは、想像そうぞうかたくない。ようするに、俺の軽率けいそつな行動が原因で、それまで、ギリギリの均衡きんこうたもっていたタガというやつが、外れてしまったのだ。


 なので、これから一体、どんな破廉恥はれんち狂騒きょうそうが巻き起こってしまうのか、それはもはや、想像する必要すらないほどに、明確だった。


 明確だけど、迷走だった。いやむしろ、暴走だった。


 とはいえ、だけど、死ぬまで責任を取ると言った以上、ここではじ外聞がいぶんもなく逃げ出すなんていうのは、もはや無責任を通り越して、人間としての存在価値がわれ、間違いなく失格の烙印らくいんが押されるというか、そもそもの問題として、確実にみんなを傷付けるだけなので、それは俺としても、それこそ死んでも、したくない。


 というか、まさに恥も外聞もなく言い切ってしまえば、みんなを受け入れること、それ自体には、俺にいささかの戸惑とまどいも、躊躇ためらいも存在しない。いやむしろ、それは喜ばしいことであると、誰に恥じることもなく、断言できる。


 とはいえ、とはいえである。


 シチュエーションには、こだわる派の俺としては、こんなよく分からない、理性も吹っ飛んでしまったような状況で、色んな意味で引き返せない体験を、みんなとしてしまってもよいものかというか、正直な話、もう少し、なんとかしたい!


 とはいえ、これほどまでに、のっぴきならない状況は、当事者ど真ん中の俺では、もはやどうにもできないというか、八方塞はっぽうふさがり……!


「――っ!」


 と、極限まで追い込まれた俺の超感覚が、一つの気配を感じ取る。


 それは、尋常ではない速度で、こちらに、俺の元に向かっていると、俺の本能が、魂が、歓喜と共にうったえた。


 ……これは!


「おっ、いたいた! 統斗ー、ようやく見つけたぜー!」

「ち、千尋ちひろさん!」


 そして、救世主は現れた。


 このリビングに渦巻うずまく異常な空気に、まるで頓着とんちゃくすることもなく、ひょっこりと現れた快活かいかつな女性が、まったくいつもの調子で、床にへたり込んでいる俺に対して、嬉しそうな笑顔を見せると、スタスタと真っ直ぐに、こちらに来てくれる。


「いやー、探しちゃったよー。それじゃ、よいしょっと!」

「お、おわっ!」


 そしてそのまま、突然の乱入者の登場によって、まるで凍り付いたように、動きを止めてしまったエビルセイヴァーをすり抜けるようにして、すみやかな接近を果たした千尋さんが、軽々と俺のことをかかげ、スタスタと歩き出す。


「あっ、統斗! 逃げるな、待てー!」

「統斗さん! どこに行くんですか!」

「いや、逃げるわけじゃないし、俺にもどこに行くんだか、分かんないんだよー!」


 ようやく、火凜と葵さんが立ち直った頃には、千尋さんは優しく俺を抱えながら、このリビングの窓を上げて、ベランダにまで出てしまっている。


 これから、なにが起こるのか、なんとなくさっした俺は、下手な言い訳を叫びつつ、はる彼方かなたの地上に目をやるのが、精一杯だった。


 おおう、やっぱり、高いなぁ……。


「はっはっはっー! 悪いな! 統斗はいただいて行くぜ!」

「う、うわあああ!」


 次の瞬間、妙に格好良い捨て台詞を残しながら、千尋さんは、当然のことながら、まったくおくすることなく、ひらりとベランダを飛び越えて、空中へと身を投げる。


 そんな彼女の腕の中で、重力に引っ張られて、ただただ地面へと落ち続けながら、またしても俺は、避けられない問題を、先送りにしてしまったのだった……。


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