7-10


 そして、美しく日は暮れた。


「わあっ、やっぱり綺麗……」

「本当に、この景色だけは、格別だよなぁ……」


 しついシルクのカーテンを開け放ち、嬉しそうに微笑んでいる桃花ももかの隣で、俺も彼女と、似たような表情を浮かべながら、眼下がんかの光景に、目を細めるしかない。


 俺たちの生まれ育った街が、暗い夜に負けないように、そこかしこで、キラキラと暖かな輝きを放っている。


 そのまるで宝石箱のような風景は、俺たちにとって、かけがえのない宝物だ。


 このヴァイスインペリアル中央総本部ビルの最上階に、俺のためだけに用意されたという豪華すぎる家には、まだ全然慣れないけれど、これが見られるというだけで、肩身の狭さも、忘れてしまいそうである。




 あの後、邪魔者を退しりぞけた俺たちは、それを忘れるためというわけではないけど、あれから大いに、二人きりのデートを楽しんだ。


 とりあえず、カラオケでストレスを発散して、ウインドウショッピングを楽しみ、そろそろ太陽が沈みそうな頃には、今日は少し遅くなっても大丈夫という桃花の提案に従って、夕飯を彼女に作ってもらうことになり、スーパーで食材を買い込み、自由に使える上に、素晴らしいキッチンがあるこの家へ、二人で来たというわけだ。


 つい昨日は、みんなの活気かっきあふれていた場所だけど、桃花と二人きりだと、確かに少し静かな代わりに、なんだか落ち着くというか、安心できる。


 そして、正直な話、まるで新婚みたいとか思ってしまい、ドキドキしてる……。


「それじゃ、ちょっと待っててね!」

「あっ、手伝うよ! まあ、食器洗いと、皿出しくらいしかできないけど」


 なんて、邪念にまみれた俺に、気付いているのか、いないのか、エプロンを見つけた桃花が、楽しそうに笑って、腕まくりなんてしながら、一人でキッチンへと向かってしまいそうになったので、リビングで棒立ちしていた俺も、慌てて後を追う。


 料理に関しては、俺はずぶの素人だし、たいしたことはできないので、桃花の邪魔になってしまうかもしれないけれど、だからといって、彼女に全て任せて、俺はソファでボケっとしてるというのは、どうにも申し訳なく感じてしまう。



 それに、こういう時間も、二人でやると楽しいものだと、俺はもう、知っていた。



「えへへ、完成ー!」

「おおっ、いい匂い!」


 そうして、わいわいと料理を楽しみながらも、桃花のおかげで、感動するほど見事なまでに出来上がり、美しく盛り付けされた夕飯を、俺たちは二人で協力して、慎重にテーブルへと運んでいく。


 さあ、お待ちかねの、ディナーの時間だ!


「それじゃ、いただきま~す!」

「うん、いただきます!」


 鮭のムニエルは表面がカリカリで、身はとてもジューシーだし、ロールキャベツのクリーム煮はトロトロで、その上、さっぱりとしたコンソメのスープと、俺も野菜を切るのを手伝ったサラダまで揃ってる。


 いや本当に、ごはんが進むこと進むこと……。


「ごちそうさま! いやー、美味かった! もう、ずっと食べてたい!」

「はい、おそまつさまでした! えへへっ、そう言ってくれると、嬉しいな!」


 至福の時間を、たっぷりと堪能して、すっかり満足したけれど、まだまだずっと、こんな時間が続いて欲しいと思うくらいには純粋に……、幸せだった。


「よし、洗い物おしまい! それじゃ、この後は、ちょっとゆっくり休もうか」

「うん、そうだね! えへへ、手伝ってくれて、ありがとう、統斗すみとくん!」


 そして、二人で後片付けを終わらせた俺たちは、のんびりとした時間を楽しむ。


「うわわっ、まるで映画館みたい……」

「シアタールームって、凄いんだなぁ……」


 ここに来る途中、レンタルショップで借りてきた映画を、この絢爛豪華けんらんごうか邸宅ていたくに、当たり前のように容易されていた設備で、楽しんでみたり。


「よっ、とっ、はっ!」

「むむむっ、やるな、桃花!」


 再びリビングに戻って、大画面テレビで、最新ゲームで遊んでみたりと、俺たちは無邪気なまでに、たっぷりと満喫まんきつした。


 ああ、こんな瞬間が、永遠に続けばいいのに……。



 だけど、どんなに楽しい時間にだって、どうしても、終わりの時は、やってくる。



「おっと、もうこんな時間か。桃花、そろそろ……」


 最高の時間は、あっという間に過ぎ去ってしまう。気が付けば、残酷な時計は針を進めて、もうこれ以上は、少し遅くなっただけ、なんて言えなくなってしまう。


 俺は胸の奥に寂しさを押し込みながら、覚悟を決めながら、桃花を、彼女の家まで送ろうと、立ち上がる。


 大事な話は、そこでしよう。


「え、えっとね……?」


 そう、思っていたのだけれども、なぜか桃花が、恥ずかしそうに目を伏せて、その頬を紅く染めながら、切り出した。


「その、あの、実はね……。わたし、ちょっぴり嘘ついてた……」

「う、嘘? 桃花が?」


 あまりにも突然の告白すぎて、思わず困惑してしまったけれど、そう口にした本人からは、それほど深刻な空気を感じない。


 いやむしろ、照れていると言った方が、正しいか。


「うん、えっと、今日はね……、本当はね……」


 そして、彼女は、桃花は、まるで勇気を振り絞るようにしながら、続ける。


「お母さんと、お父さんには、友達の家に、お泊りするって、言ってあるの……」

「……えっ?」


 その瞬間、俺の心臓が、大きな音を立てて、跳ね上がる。


「あのっ! あのねっ……」

「う、うん……?」


 ああ、そうか、そうなんだ……。


 本当に、自分自身の弱さには、心底嫌になる。俺が勝手に考えていた決意なんて、彼女のそれに比べれば、あまりの軽さに、比べることすら、おこがましい。


 桃花は、強い。本当に、くらむほど、強かった。


 だったら……、だったら、俺も。


「わたし、統斗くんの部屋に、行きたいな……」


 本当の意味で、覚悟を決めよう。




「えっ、えへへっ、なんだか、緊張しちゃうね……」

「そ、そうだな……」


 あわい照明の下で、大きすぎると思っていたキングサイズのベッドに、二人で並んで腰を下ろしながら、俺と桃花は、お互いの目を見ることすらできない。


 れずとも、すぐそばで感じる彼女の体温で、こちらの身体の芯まで、熱くなる。そのせいか、上手く言葉がまとまらない。まとまってくれない。


 でも、言わなくちゃいけないことは、伝えなくちゃいけないことは、分かってる。


 だから、俺の方から、言わなくてはいけない。


 言わなくては、いけないんだ。


「あ、あの、桃花……」

「す、統斗くん! あ、あのね!」


 なのに、なんとか口を開こうとした俺よりも、桃花の方が、早かった。


「まだ、ちゃんと、言ってなかったと思うから、ちゃんと、ちゃんと言うね……」


 自らの胸元で、ぎゅっと両手を握り締めながら、桃花は、少しだけ深呼吸をして、せていた目を、ハッキリと、こちらに向ける。向けてくれる。


 だから俺も、情けない俺も、せめて、それをしっかりと、受け止めよう。


「わたし、統斗くんが、好き……、うん、わたし、統斗くんのことが、大好き!」


 まるで、口に出すごとに、その思いを確かめるように、桃花は言葉をつむいでいく。嬉しそうに、楽しそうに、不安そうに、愛おしそうに……。


 色々な感情が、混ぜこぜになったような、素敵な顔で、彼女は笑う。


 笑ってくれる。


 それは、本当に桃花らしい、真っ直ぐな、どこまでも真っ直ぐな、告白だった。


「こんな俺でも……?」

「こんな統斗くんだから、だよ」


 自分でも、分かっていることだけど、俺は……、十文字じゅうもんじ統斗という人間は、あまり上等な人間ではない。自分勝手で、嘘吐きで、すぐ楽をしたがるし、一人ではなにもできないし……、さらには、悪の総統なんて、やっている。


 しかも、女性関係に関しては、最悪といってもいいだろう。すでに三人の女性と、深い仲にありながら、婚約者までいて、その上で、こうしてまた不誠実にも、新たな関係に踏み出そうというのだから、無責任なんて言葉では、片付けられない。


 俺という人間が、まさしく、最低の男だということは、分かっている。



 だけど桃花は、そんな最低な俺の手を、そっと握ってくれた。



 だったら、俺の答えは、決まってる。


 最初から、決まりきっている。


「俺も、桃花が好きだ。本当に、本当に、大好きだ……!」


 さあ、覚悟を果たそう。


 誰にどんな罵倒をされても、そしりを受けても、構わない。

 俺は俺の、やりたいことを、やるだけだ。


 これでもう、俺たちは、元の関係には、戻れないのかもしれない。これまで通り、みんなで気軽に集まって、気ままにおしゃべりをして、馬鹿みたいに笑い合い、夢のように楽しむことも、できなくなってしまうのかもしれない。


 この新たな一歩が、俺たちの……、俺と、みんなの、これまで関係を、跡形あとかたもなくぶち壊すことに、なってしまうのかもしれない。


 だけど、そんなことは、関係ない。


 今だけは……、今だけは、関係ない。


 そして、もとうように、かれうように……。


「桃花……」

「統斗くん……」


 俺と彼女の唇が……。



 初めて、触れた。


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