7-9


状況は、ハッキリと、こちらに有利だった。


「調子に乗るなと言われてもなあ……」

「…………」


 先ほどまでの攻防……、というより、こちらからの一方的な蹂躙じゅうりんによって、誰がどう見てもボロボロになった忍者……、ハットリジンゾウが、それでも俺のことを、真っ直ぐににらみながら、ふらふらと立ち上がる。


 確かに、その様子には、鬼気ききせまるものを、感じないでもないけれど。


「どちらかといえば、こんな状況で、そんな大口を叩けるそっちの方が、個人的には調子に乗ってるんじゃないかと思うんだけど」


 周囲の気配を探ってみても、ここには、俺と桃花ももかと、邪魔者であるジンゾウ以外は誰もいないことが分かるだけだ。特にせまった危険も、恐怖も、感じられない。


 ここから逆転の一手を打てるというなら、それはそれで、見てみたいものである。


「悪は必ず、討たれるものだ……!」

「うん、実に正義の味方らしい御意見だけど、具体的なプランがないと、ただの虚勢きょせいでしかないから、格好つかないと思うぞ?」


 分かりやすいほどに、敵意に満ちたジンゾウが、俺と対峙しながらも、ジリジリと後退を始めた。その行動を見る限り、攻めっ気は感じないけれど、かといって、まだあきらめているようにも見えない。


 ふむ、なるほど……。


「……貴様のような悪人を倒すのに、策など必要ない」

「へえ、それはまた、どうして?」


 油断なく、少しづつ、こちらから距離を取ろうとしている忍者を、俺はあえて追撃することもなく、その動きを観察する。


 目測で、おおよそ数メートル。その気になれば、背中をひるがえして。駆け出すこともできるだろうに、ギリギリまで追い込まれているはずのジンゾウは、笑みすら浮かべながら、その場に立ち止まった。


 もはやこれまでと、あきらめた?


 まさか、そんなわけはない。


「簡単な理屈だ。この世は常に、因果応報……。他人を踏みつけ、自らの私欲のみを満たそうとする悪には、必ずむくいが、訪れる」

「ふーん、報いねえ」


 俺としては、そういう理屈は嫌いじゃないというか、悪の総統なんてやってるし、勧善懲悪は困るけど、悪意ある行動に対して、しかるべき鉄槌てっついくだるような話は、嫌いじゃないどころか、望ましく思う性質たちではある。


 とはいえ、しかし、奴の目を見れば、このズタボロになった忍者が、今さらそんな説法せっぽうを使って、俺の行いを正そうとしているわけじゃないことは、一目瞭然。


 奴の狙いが、別のところにあるのは、明白だった。


「そうだ。特に貴様のような、じんも知らず、も知らず、あさましい欲望におぼれ、それを満たすためなら、非道に非道を重ねることをいとわず、笑いながら他者を傷付け、悪逆の限りを尽くす、品性の欠片もない下劣な男……」


 なるほど、挑発か。


 つまり、先ほどから俺がやっていることを、そのまま返された形になるが、状況を考えれば……、追い込まれたジンゾウが逃げ出さず、あの場にとどまっていることを考えれば、その狙いは、簡単に予想がつく。


 要するに、なんでもいいから俺に、標的である悪の総統に、あそこまで来て欲しいというわけだ。怒りに我を忘れてでも、無様な負け犬の遠吠えと馬鹿にして、トドメを刺そうとするでもいい。


 なんでもいいから、迂闊うかつに、無警戒に、奴が決して目を向けない、地面に引かれた透明の死線デッドラインを、俺に踏み越えて欲しいのだろう。


 ふーむ、だったら、どうしようかな……。


「そんな外道には、必ずや天罰が……」

「そんなこと、ない!」


 だけど、その稚拙ちせつ罵倒ばとうに、声を荒げてくれたのは、俺ではない。


 そう、俺じゃない。


 いつだって、俺のすぐそばにいてくれる、可憐な少女……。


統斗すみとくんは、確かに悪の総統だけど、そんな悪い人じゃない……!」


 真っ直ぐな怒りを隠そうともせず、その手を強く、強く握りしめた桃花だった。


「黙れ、この裏切り者が!」

「――っ!」


 しかし、そんな桃花を、ジンゾウが、公儀隠密こうぎおんみつが、国家守護庁こっかしゅごちょうの人間が、無遠慮ぶえんりょに怒鳴りつける。


 ああ、まるで、自分が正しいとでも言うかのように、ただただ無遠慮に……。


 怒鳴りつけ、やがった。


「男にまどわされ、正義を捨てた売女ばいた共が、それ以上……!」


 さらに、その薄汚い口を開こうとするジンゾウに、俺は耐えられない。


 耐えられるわけがない。


「おい」

「――っ!」


 俺の声を聞いたジンゾウの動きが、完全に止まる。


 なにを感じ取ったのかは知らないけど、それはなかなか、良い判断だったと褒めてやってもいいのかもしれない。


 それ以上、桃花を、そしてみんなを、侮辱するような言葉を奴が吐いていたなら、俺自身でも、なにをするのか、分からないところだった。


「いい加減、黙れよ」


 俺は言葉を吐きだすことで、この胸の奥で渦巻く、ドロドロした重苦しい感情を、なんとか強引におさえつける。


 こんな気持ちを、桃花にも味合わせてしまったというのなら、やはりそれは、俺の落ち度でしかない。油断であり、怠慢たいまんだ。


 下手なことを考えていないで、さっさと勝負を付ければよかったと後悔しながら、俺はあっさりと、ジンゾウの狙い通り、奴の定めた死線に、足を踏み入れる。


「――ふっ」


 その瞬間、自分の狙い通りに事が運んだとでも思ったのだろう、その漆黒の頭巾の隙間から除くジンゾウの目が、勝利を確信したかのように、ゆるんだ。


 しかし、だからどうしたというのか。


 俺は自分の直感に従い、タイミングを合わせ、自分の後頭部に手を伸ばして、音速を超えて飛んできた小さな物体を、掴み取る。


「……なっ!」

「それで、これが天罰か?」


 驚いたように目を丸くしたジンゾウにも見えるように、俺は右手で掴んだモノを、軽く手の中でもてあそびながら、何回か上に向けて放ってやる。


 それは、簡単に言ってしまえば、弾丸だった。それもライフルなどで使われるのであろう、大きめの弾丸だ。


「まあ、ずいぶんと安直というか、くだらない罰だったわけだけど……」


 しかし、孤立しているように見えるジンゾウが、この状況で一発逆転を狙うなら、長距離からの射撃くらいだろうと思ってはいたのだが、まさか、そのまんまだとは、本当に笑わせてくれる。


 この程度の攻撃で、どうにかなると思われているのなら、それは悪の総統に対する侮辱であるとすら言ってもいい、甘い認識だ。


 この程度の危険なら、即座に超感覚で察知できるし、命気プラーナを使えば、対象が音速を超えていようと、対処は可能になる。なので、別に魔術の障壁を展開して、弾いてもよかったけれど、今回は分かりやすさを重視して、掴み取ることを選択した。


 そのくらいの余裕なら、俺にだってある。


「――っ! 皆、撤退を……!」

「ああ、それは、ちょっと遅いな」


 どうやら、ようやく、本当にようやく、こちらの狙い通り、絶対的な戦力差というやつを認識してくれたらしいジンゾウが、ひどく慌てた様子で、どこかの誰かに通信をしているようだけど、それもやっぱり、敵地に飛び込むなんて真似をしておいて、甘すぎる対応と言わざるをえない。


 本当に、どれだけ俺たちのことを舐められていたのかと思うと、まず怒りよりも、悲しみの方を先に感じてしまうじゃないか。


 こうなれば、これを教訓に、国家守護庁の皆さんには、認識を改めていただこう。


「な、なんだ? おい、どうした……! おい、おい!」

「あんたのお仲間なら、もう全員拘束したよ。この街に潜り込んで、色々と探ってたのやら、逃走経路を確保してのまで。それと当然、さっき狙撃してきたのも」


 仕方がないので、物分かりの悪い子供に向けて、噛んで含めるように、どう見ても切羽せっぱまっている忍者に対して、俺は説明してやることにする。


 お前たちは、ただ俺たちに、今まで泳がされていただけなんだよと。


「まあ、そんなことは、もう嫌というほど、分かってるだろうけど」

「……くっ!」


 いくら頑張っても、繋がることのない通信をやめて、ようやくジンゾウが、こちらに目を向けたわけだけど、そこに宿やどっていたのは、絶望という名の驚きだった。


「まさか、貴様……! 最初から、全部……!」

「ああ、知ってたよ?」


 当然だ。知らないわけがない。分からないわけがない。


 俺たちヴァイスインペリアルは、数多あまたの苦難を乗り越えた、悪の組織なのだから。


「そもそも、あんたたちみたいな不審者を、街に入れないこともできたんだけどさ、それだけじゃ、そっちもなかなか、諦めないだろ? そうなると、面倒だし」


 国家守護庁が、この街に対する囲い込みを解除したことで、物資や人の往来おうらい容易よういになったわけだけど、それは同時に、悪意を持った侵入者の発見が、難しくなったということでもある。


 しかし、そんなことが問題になるほど、俺たちは、やわな組織ではない。


 マリーさんの開発した防犯装置によって、無謀な敵対者を事前に補足して、侵入を防ぐくらいは、朝飯前なわけだけど、それだけだと、次こそは、次こそはと、それが成功するまで、延々と無駄な挑戦を繰り返されてしまう可能性もある。


「だからさ、あえて敵対者を招き入れて、好き勝手にさせた上で、完膚かんぷなきまでに、叩き潰してやることで、そんな下手な方法で、こっちに手を出しても無駄だと、理解してもらおうと思ったわけだ」


 ならば、そんな認識不足な相手には、明確な事実を分からせるためにも、荒っぽい手段が必要なこともある。


 こちらとしては、本気でやって、全力でやって、思い通りに事が運んで、それでもまだ、これだけの差があると自覚すれば、少しは大人しくなるだろう、という目論見もくろみだったわけだ。今回の一件は。


「とはいえ、そっちが流石に、例えば、この街の水に毒を混ぜるとか、無差別なことを恥も外聞もなくやらかそうとしてるなら、その前にぶっ飛ばそうとは考えたけど、どうやら、狙いは俺の暗殺だけみたいだし、、あんたたちが言い訳できないように、万全の体勢で向かって来るまで、普段通りにして、待とう……」


 もちろん、相手の値踏みは、たっぷりとした上で、決定は下している。


 つまり、この程度の奴らが、いくら俺の命を狙おうとも、まったく問題がないと、総合的に判断されたからこその、作戦だ。


 しかし、その作戦を成功させるためには、相手を警戒しすぎてしまえば、俺たちが侵入されたことを知っていると、こいつらに気付かれてしまうし、逆に警戒をおこたりすぎても、不信感を持たれてしまう可能性がある。


 だからこそ、しばらくは、でいようと、祖父ロボとの話し合いでも、そう決めたわけで、そのために、あくまでも普段通りに見える特別なシフトを、けいさんに組んでもらったり、千尋ちひろさんたち警備チームにも、無理をしてもらったわけだ。


 つまり、そこまでは予定通りで、順調だった……。


「そう、思ったんだけど……、さっ!」

「うっ!」


 俺は思わず、感情に任せて、この場から逃げようとしていたジンゾウに、魔方陣を展開して、はりつけのように拘束してしまう。


「なんで! よりにもよって! 人が! デートしてる最中に! 出てくるかな!」

「ぐべっ! だばっ! ぎぶっ! ずべっ! どがっ!」


 そのまま、俺の怒りに反応するように、魔方陣が明滅を繰り返し、その中央にいる忍者に対して、激しい衝撃波を送り込んでいるようだが、それも仕方ないだろう。


 確かに、予定通りで、順調だったわけだけど、それとこれとは、話は別だ。


 あくまでも、普通と同じ生活を送っていたと言えども、それでも、わざわざ俺一人で特訓したりと、それなりの隙は、作ってやったのに……!


「……まあ、それはいいさ」

「ぐううっ!」


 まあ、実際は、全然よくないわけだけど。


 命を狙われていると分かっていたけど、俺が桃花をデートに誘ったのは、そんな、どうでもいいこととは関係なく、単純に、俺自身が、そうしたいと思ったからだ。


 せっかく人が勇気を出して、一歩を踏み出したというのに、その出鼻でばなをくじかれるようなことをされれば、いくら温厚な俺でも、腹は立つ。


 だけど、今はそれよりも、許せないことがある。


「わ、我々を……」

「うん?」


 なぜだか知らないけれど、さらにズタボロになったジンゾウが、弱々しいうめごえを上げているので、俺は攻撃をやめて、話を聞いてやることにする。


 どうでもいいけど、聞き取りづらいので、もっとはっきり喋って欲しい。


「我々を、この後、どうする気だ……!」


 ああ、なんだ、そのことか。そんなことか。


「別に? なにもしないよ。あんたたちは、このまま、街の外に放り出すから、せいぜい泣きながら、自分のあるじのところに戻って、情けない報告でもしてくれ」


 仕方がないので、不安そうに瞳孔を開いているジンゾウに、こちらの意図を教えてやることにする。まったく、そんなにおびえなくてもいいのに。


「自分たちでは、手も足も出せずに、逃げ帰りましたってさ」

「……くっ!」


 もはや身動きすら取れない忍者モドキが、なにやらくやしそうに睨んでいるけれど、今さら、こんな小物を捕まえたところで、俺たちにメリットなんて存在しないので、もはや彼らの役割は、せいぜい生き証人として、役に立ってもらうことくらいだ。


 つまりは、もう用済みというわけである。


「ああ、だけど、その前に……」

「ぬぐっ!」


 とはいえ、まだ全てが、解決したわけじゃない。


「あんたは、あんただけは、彼女に、桃花に、謝ってもらおうか」


 俺は奴に、この無礼な男に、最後の機会チャンスを、くれてやる。


「なに……?」

「だから、謝れって言ってるんだよ。謝罪だ、謝罪」


 そう、これだけは、ゆずれない。ゆずるわけにはいかない。


 俺にとって、大事なものを踏みつけた人間を、このまま帰すなんて、ありえない。


上役うわやくに命令されたくらいで、暗殺なんて手段に手を染めるような正義の犬が、彼女たちを、正義にそむいてまで、自分の正義を貫いた桃花を、彼女たちを、侮辱するな」

「統斗くん……」


 俺の近くにいてくれる桃花が、マジカルセイヴァーが、国家守護庁を裏切ることになったのは、もちろん俺のこともあるだろうけど、理由はそれだけじゃない。


 そもそもの話として、悪魔マモンと、ヴァイスインペリアルの共倒れを狙った国家守護庁が、その戦いの決着が付くまで待機しろなんて命令を下したせいで、破滅的な状況に陥っていた自分たちの街を守るために、彼女たちは結果として、あの時、唯一この街に住む人々を助けようとして俺たちに、協力してくれたのだ。


 そんな彼女たちを、一体誰が、責められるというのだろうか。


「なにを……!」

「分かんないのか? 正義をかさて、なにしてもいいと思ってるような奴が、正義のためなら、正義すら裏切れるみんなを、馬鹿にするなって言ってるんだよ」


 まだ理解していない様子のジンゾウに、俺は教えてやる。


 守るべきものを守るために、その身の立場すら捨てることをいとわなかった彼女たちこそが、例え今は、悪の総統の親衛隊なんかに身をやつそうとも、間違いなく、誰に恥じることもなく、正義の味方だ。


 彼女たちが、正義の味方じゃないなんて、ありえない。


 悪の総統なんてやってるは俺は、そう信じている。


「ふざけるな……! 裏切り者は、ただの裏切り者だろうが……!」


 しかし、残念ながら、この残念な忍者には、それが理解できないようだ。


 ああ、残念だ……、本当に、残念だ……。


「はあ、分かった。もういいよ……」


 とはいえ、そんな残念に残念を重ねすぎたせいで、むしろ無残むざんな男には、いつまでも付き合っていられない。そんな時間の無駄をするくらいなら、自分のやりたいことをやった方が、建設的というものだ。


 うん、だったら、そうしよう、我慢なんて、する必要はない。


 俺は、悪の総統なのだから。


「それじゃ、お空のお星さまにでもなって、せいぜい反省しててくれ」

「……へっ」


 俺は魔方陣に力を込めて、より強くジンゾウを拘束し、そのまま倒して、横向きにした上で、空中に浮かべる。


 イメージとしては、フリスビーだろうか。


 もう戻ってくることはない、フリスビー。


「そら……、よっと!」

「ぎ、ぎやああああああああ!」


 そしてそのまま、あらん限りの高速回転を加えて、遥か彼方の空に向かって、思い切り全力でぶん投げた結果、憐れな忍者は、情けない悲鳴を上げながら、あっという間に吹っ飛んで、俺たちの視界から、見事に消え失せてくれた。


 よし、すっきりした。


「うむ、飛んだ飛んだ。もう二度と、その不快な顔を見せるなよー」


 今頃は他の場所にいるみんなも、ジンゾウの仲間を、さっさと街の外に放り出していることだろうし、これで目の前の問題は、解決したといってもいいだろう。


 まったく、せっかく楽しい時間を過ごしていたのに、酷い目にあった……。


「さてと、邪魔者も、いなくなったことだし……」


 とはいえ、だからといって、落ち込んでなんて、いられない。


 まだまだ俺のは、やりたいことが、やるべきことが、あるんだから。


「デートの続き、してくれるかな?」

「……うん!」


 照れたような笑顔を見せてくれた桃花の手を取って、俺は歩き出す。



 この逢瀬おうせを、最高の思い出とするために。


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