7-6


 そこはまさに、理想郷シャングリラだった。


「いやいやいやいや、なんだこれ……!」


 悪の総統の新しい部屋を見学しようツアーの参加者が、全員揃ったということで、みんなでウキウキしながらエレベーターに乗り込んで、意気揚々いきようようとビルの最上階まで乗り込んだ俺たちは、あまりに衝撃的な光景に、あっさりと度肝どぎもを抜かれている。


 お決まりのように広すぎて、住むと言うなら、もうここだけで十分なんじゃないかみたいな玄関までは、ある程度予想していたので、耐えられたのだけれども、そんな覚悟は、その内部に一歩足を踏み入れただけで、あっさりと吹っ飛んでしまった。


 なんというか、まったく理解が追いつかない。


「うわっ! ここも、ここも、ここも、ゲストルーム! しかも、すっごい豪華!」


 廊下に並ぶ厳かな扉を、パタパタと開け放ちまくっている火凜かりんが、そのたびに驚きの声を上げているけど、その気持ちは、よく分かる。


 どこもかしこも、まるで高級ホテルの一室のように、品の良い調度品が揃えられ、寝具はもちろん、トイレからバスルームなどの水回りまで、完璧に備えられた適度な広さの部屋が、いくつもいくつも用意されていて、目がくらみそうだ。


 一体、どれだけの友人を呼べれば、この家は満杯になるんだろう……?


「ここは、クローゼットルームでしょうか? 広すぎて、お店かと思いました」


 そこに収納した物を、見栄みばえよく飾ることを計算された棚が、大量に並ぶ部屋を、余裕を持って歩いているあおいさんの感想は、実にまとている。


 もはや、ウォークインクローゼットなんてレベルではない。この棚全てに、衣服や靴が整然と並んでいたなら、むしろ高級ブティックと考えた方が、自然だろう。


 というか、そんな大量の衣類なんて、俺、持ってないよ……。


「うん、素晴らしいキッチンね。これなら、みんなで一緒にお料理できそう!」


 楽しそうな樹里じゅり先輩が、色々な設備を一つ一つ確認しているキッチンが、開放感のある広いリビングダイニングから、よく見える。


 当然のように、プロ仕様というか、一通りというか、あらゆる調理器具が取り揃えられている上に、レンジやトースター、オーブンやらグリルなどの、当たり前な設備以外にも、俺なんかが説明書を読んでも、使い方すら分からないような調理道具が、それぞれ使いやすいように配置されているキッチンは、複数の人間が同時に使っても余裕があるという、贅沢な造りだった。


 えっ、なに? プロの料理人とか、雇った方がいいのかな?


「うわーっ! なにこれ、なにこれ? お風呂がなんか、たくさんあるー!」


 なにやら興奮した様子で、ひかりが飛び跳ねているけれど、そうやって、はしゃぎたくなってしまうのも、この光景を目にしたら、仕方がない。


 メインはやはり、どう見ても一人で入るには大きすぎる、複数人で同時に入ることを前提として用意されているであろう、巨大な湯船だが、その他にも、ジェットバスに泡風呂や水風呂……、さらには、サウナのたぐいまで用意されている。


 それはまさに、自宅のお風呂というよりは、ちょっとした温泉施設だった。


 ……掃除が大変そうだと思ってしまったのは、ここだけの内緒である。


「わあ、綺麗なテラス……。ここからは、街の様子が、よく見えますね!」


 ウキウキとした笑顔の竜姫たつきさんが、外へと続くガラス扉を開いて、かろやかな足取りで向かった先には、ちょっとした空中庭園と、お茶会を開くには丁度いい、お洒落なテーブルや椅子が置かれたスペースが、美しく広がっていた。


 ここが最上階であるという利点を最大限に活かした、見事な屋上テラスは、静かに落ち始めた夕日に照らされて、感動的ですらある。


 ただこれも、手入れが大変そうだと思ってしまったのは、俺だけの秘密だ。


「こ、ここが、統斗すみとくんの部屋……、になるのかな? なるんだよね?」


 そして、呆然とした桃花の想像が、おそらく正しいということが、俺にとっては、まったく信じ難い現実だった。


 確かに俺好みの、落ち着いた雰囲気の内装ではあるけども、圧倒的な存在感を誇るキングサイズのベッドに、大きなテレビや高級そうなオーディオ機器などなど、色々と惜しみなく、贅沢に置かれているにも関わらず、まだ余裕を感じる広さに、思わず気圧けおされてしまう俺である。


「ま、まじで……?」


 ああ、人間って、たけに合わなすぎるものに対しては、背筋がむず痒くなって、逃げ出したくなるんだなぁ……。


 なんてことを、もう嫌というほど感じつつ、俺のために用意された住宅の探索は、ただただ盛大な驚きと共に、みんなと大騒ぎしながら、行われたのだった……。




「はあー、えらいことになったー……」


 みんなと一緒に、一応は、一通り、見るべきものは見ただろうということで、ようやく、ゆっくり休むことにした俺は、これまた大きなリビングに用意された、大きなソファに腰を下ろしながら、なんとなく、ため息をついてしまう。


 本当に、どうしてこうなった?


「なによ、暗い顔しちゃって。まったく、肝っ玉が小さいわねー」

「おいおい、他人事みたいに言わないでくれよ。寂しいだろ」


 テーブルの上に広げられた、樹里先輩の持ってきてくれた焼き菓子の数々を、遠慮することもなく、もぐもぐと食べながら、冷たいことをいうひかりに、ちょっと絡んでみたはいいけれど、問題は解決しない。


 まあ、贅沢な悩みだということは、重々承知しているのだけれども。


「そうだねー。確かにちょっと、一人で住むには、広すぎるかもね」

「新築ですし、まだ生活感がありませんから、そのせいかもしれません」

「そうなんだよなぁ……、広すぎて、生活感どころか、実感がないんだよなぁ……」


 我儘わがままを言っているだけの俺を、慰めてくれる火凜と葵さんに感謝しながら、自身の小物っぷりにあきれてしまうが、こればかりは仕方ない。


 なんというか、自分の小ささを、恥じるばかりである。


「みんな、お茶の用意ができたから、ゆっくりしましょう?」

「はい、ジュースもあったから、コップと一緒に持ってきたよ!」

「お菓子も沢山見つけました! ……これは、どのような食べ物なのでしょう?」


 あの立派なキッチンに用意されていた紅茶の葉を、見事なお手並みでれてくれた樹里先輩が、美しい琥珀色の液体を入れたティーカツプをトレイに乗せて、こちらに運んできてくれた。


 その後ろからは、桃花が稼働している冷蔵庫から、もうすでにしっかり冷えていた大き目のペットボトルを持って、俺たちに笑顔を見せてくれている。


 さらに竜姫さんが、その小さな両手一杯に、山盛りの袋菓子を抱えながら、それらの頂点に置いてあるポテトチップスを、不思議そうに見つめていた。


 おっと、すっかり任せきりになってしまって、本当に申し訳ないけれど、どうやらパーティの準備が、整ったようだ。


 みんな、思い思いの場所に腰を下ろして、この時間を楽しんでいる。


「わわっ! パリパリしてて、しょっぱくて、美味しいです!」

「おっと、その代わり、手が汚れちゃいますから、気を付けてくださいね」

「あっ、ひかりも食べる―! 竜姫ちゃん、分けて分けてー!」


 なんだか目を輝かせて、可愛らしく感動している様子の竜姫さんと、遠慮することなく横から手を伸ばしてきたひかりに挟まれながら、俺は紅茶を一口楽しむ。


 うん、ようやく少し、落ち着いてきたぞ。


「でも、統斗くんの気持ちも分かるなぁ。わたしも、ここで一人じゃ、寂しいよ」

「確かに、これだけ立派な家だと、落ち着くより、考え込んでしまいそうですね」

「あー、それ分かる……、というか、ちょっと実感してる……」


 なんて、弱音を口にしてしまった俺だけど、こうして桃花や葵さん……、そして、みんなとおしゃべりしていれば、寂しさなんて、感じるはずがない。


 この家は、確かに一人で使うには、どう考えても大きすぎると思うけど、こうして気心の知れた仲間がいてくれれば、最高の贅沢だ。


 自分でも、現金だとは思うけど。


「そういえばさ、このビルには、みんなの分の部屋も用意されてるって聞いたけど、そっちは、もう見た?」

「えっ。そうなの? いやそれは、むしろ初耳だわ。というか、悪いけど、そんなの用意されちゃうと、むしろ困っちゃうわ……」

「ふふっ、そうね、火凜ちゃんの言う通りね。私たちなら、むしろ統斗君と一緒に、ここに住むくらいで、丁度いいんじゃないかしら?」


 ああ、本当に、火凜の気持ちはよく分かるし、冗談めかして笑っている樹里先輩の提案は、非常に魅力的だった。


「わあっ、それって、すっごく楽しそう!」


 そう、桃花の言う通り、それはとっても、単純に、なにも考えなければ、考えさえしなければ、それは本当に、最高でしかない


 みんな一緒に、ここで暮らす。


 それはとっても、幸せな未来に思えた。


 ああ、しかし、だが、しかし……。


「そうですね! 私と統斗さまが結婚して、ここに暮らすことになっても、やっぱりちょっと広すぎますし」

「…………」


 その瞬間……、無邪気な竜姫さんが、そう口にした途端、周囲の空気が、ピシリと音を立てて裂ける音を、俺は確かに、聞いた気がした。


 聞いた気が、してしまった……。


「あ、あの……、私、なにか悪いことを言いましたでしょうか……?」


 あきらかに重苦しくなっていく空気を感じ取った様子の竜姫さんが、慌てたように言葉を繋げるけど、それを姿を見るだけで、心が痛む。


 彼女は、なにも悪くない。


 悪いのは全て、俺なのだから。


「も、もう! い、いきなり変なこと言わないでよね! だから言ってるでしょ! こんな奴との結婚なんて、真剣に考えちゃだめよって!」


 そんなことを言っているひかり本人が、隠しきれない真剣な目をしながら、彼女には似合わない、引きつった笑顔を浮かべている。


「そ、そうだよ! いや、そうじゃないけど……! で、でもでも! そういう大切なことは、もっと、じっくり考えるべきだと、あたしも思うな!」


 慌てた様子を隠すこともできない火凜は、いつもの気丈な彼女からは想像できないくらい狼狽している上に、涙目だった。


「まったく、その通りです。それほど重要な案件を、軽く持ち出さないでください。油断も隙もありませんね。感服しました。お見事です」


 葵さんの表情は、あまり変わらないけれど、言っていることが支離滅裂だ。冷静な彼女らしくない混乱が巻き起こっていることは、想像に難くない。


「ふふふふふふふふっ……。そうよ、竜姫ちゃん? いきなり、そんな、非現実的な空想の話をされても、私たちも困っちゃうわよ? ふふふふふふふっ……」


 先ほどまで、まるで聖母のような振る舞いだった樹里先輩は、今はもう、暗い瞳で床を見つめながら、ぶつぶつと独り言を呟いてしまっていた。


「だ、だだだだだ、駄目だよ、竜姫ちゃん! そそ、そんな大事なことを、ま、まだ決まってないうちから口にしたら、いけないんだよ!」


 そして桃花は、両手をパタパタと振り回しながら、なんだか分かるような、分からないようなこと口走りつつ、泣きそうな顔をしてしまっている。



 彼女たちが、どうしてここまで狼狽ろうばいしてしまっているのか、流石に、気が付けないなんて、口が裂けても言えやしない。


 全ては、この俺の中途半端で、自分勝手な対応のせいなのだから。


 みんなの気持ちは、分かっている。分かっているのに、今の関係が心地いいから、明確な答えを出すことを避けてきたのは、俺の弱さだ。


 本当なら、もうすでに、最初の約束通り、婚約関係を結んでいる竜姫さんと、結婚という契約を結んでいてもおかしくないのに、情勢がもっと落ち着くまではと、無理を言って待ってもらっているのは、俺のエゴだ。


 もうすでに、けいさんと、千尋ちひろさんと、マリーさんと、深い関係にあるというのに、こんな下劣な立ち回りをしているのは、俺の卑劣さだ。


 悪の総統というなら、これほど悪辣あくらつな所業はない。


 だけど、いつまでも、こんな都合のいい関係を続けたいなんて、独りよがりすぎる妄言を、不誠実を、みんなに押し付けるわけにはいかないと、分かっている。


 分かっている、つもりだ。


「お、おおっとー! あんなところに、ゲームがあるぞー! よーし、それじゃあ、みんなで仲良く、遊ぼうじゃないかー!」


 自分なりの覚悟を決めながら、とりあえず、この場の空気を変えるため、多少強引なのは自覚しているけれど、俺は無理矢理、話題を変えてみる。


 やると決めても、手順はちゃんと、踏んでいきたい。


 いやしかし、それにしたって、話し変えるの下手くそか、俺。


「わっ、これ、普通は朝から並ばないとゲットできない、最新のやつ! やりたい、やりたい! やらせなさいよ!」


 しかし、そこはゲーム好きのひかりが、大画面すぎるテレビに接続された、体感系の操作が売りなゲーム機本体と、大量に用意された様々なソフトに向かって、盛大に喰いついてくれたので、空気は一瞬で、がらりと変わった。


 サンキュー、ひかり! 後でクレープでも奢ってやるぜ!


「おっ、いいね! それじゃ、みんなで勝負だー!」

「はい、気分転換には、丁度いいと思います」


 いつまでも、あんなギスギスした雰囲気でいるのは、誰だって嫌なのだ。気持ちを切り替えてくれた様子の火凜と葵さんが、笑顔を見せてくれる。


「わ、私、こういう、はいてくなげーむは、初めてですけど、大丈夫でしょうか?」

「うふふ、みんなに教えてもらえば、大丈夫よ? 私もそうだったし」


 困った顔をしている竜姫さんを、気を取り直してくれたらしい樹里先輩が、優しくエスコートしてくれているので、どうやら心配なさそうだ。


「よーし、負けないぞー!」

「おっ、桃花もやる気だな1」


 そうして、再び元気に、いつも通りの笑顔を見せてくれた桃花と一緒に、みんなが集まってるテレビの前に向かいながら、俺はもう一度、覚悟を決める。


 さあ、逃げるのは、もうやめよう。




「なあ、桃花」

「うん? どうしたの、統斗くん?」


 あれから、みんなで楽しく最新のゲームを楽しんで、すっかり日も暮れてしまったので、それぞれ帰り支度をしている仲間たちから少し離れて、物憂ものうげな表情を浮かべながら、一人でベランダから外を眺めていた桃花に、俺は話しかける。


 この後は、少しでもみんなと一緒にいたい俺が、久しぶりに自宅に帰って、母親の夕飯を食べるということを言い訳にして、一緒に帰路につくことになっているから、もっとちゃんとした機会が、この後にあるかもしれないけど、我慢ができなかった。


 俺は、今、言うべきだと思ったのだ。


 だったら、我慢する必要なんて、ないじゃないか。


「明日って、暇か?」

「えっ? ……う、うん、時間は、開いてるけど……」


 かわいた喉のおかげで、自分が緊張していたことに気が付いたけど、不思議そうに首を傾げた桃花から、期待通りの答えが聞けて、俺は胸を撫で下ろす。


 だけど、ここからが本番だ。勇気を出せ、悪の総統。


「よかった……、それじゃあさ……」


 自分の我儘を、貫くために。


 覚悟を決めて、新たな一歩を、踏み出そう。


「明日、俺と、デートしてくれないか?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る