7-4


「あっ、統斗すみとさま! お待ちしておりました!」


 悪の組織、八咫竜やたりゅうの総本部である龍剣山りゅうけんざん内部に広がる秘密基地の一室に置かせてもらっているワープ装置から、呑気のんきに出てきた俺を出迎えてくれたのは、シンプルに見えるけど、仕立てのよい上品な着物がよく似合う、可愛らしい少女だった。


 そのほがらかな笑顔には、いつだって癒されてしまう。


「本日は、突然お呼び立てしてしまい、申し訳ありません……」

「姫様、ご安心ください。こいつは、ただ暇そうに遊んでただけですから」


 俺の後ろから出てきた朱天しゅてんさんには、なかなか辛辣しんらつなことを言われてしまっている気がするけれど、あんな状況を見られてしまった以上、反論の余地はない。


 いやはや、反省である。


「まあ、そうですね。気にしないで下さい、竜姫たつきさん」


 というわけで、俺は気持ちを切り替えて、こんな自分なんかを、わざわざ出迎えてくれた少女に……、八咫竜のおさである彼女に、感謝しながら、笑顔を返す。


「ここに来るのは、そんなに大変じゃ、ありませんし」


 だって、本当に、まったく、これっぽっちも、苦労なんてしてないし。



 俺たちヴァイスインペリアルの傘下となった悪の組織の中でも、特に主要な組織に対しては、ワープを使用するための転送装置を設置しているので、その行き来には、ほとんど時間がかからない。


 もちろん、誰にでも無差別にワープが使えてしまうと、色々と面倒なことになってしまう可能性もあるので、俺たちヴァイスインペリアル以外でワープが使えるのは、各組織の中でもトップか、それに準ずる者たちに限らせてもらっているけど、これは別に、相手を信用していないからとか、そういう問題でもなかったりする。


 単純に、俺たちのワープ装置が、まだ大量の物質を無差別に移動させられるほど、本調子ではないというのもあるし、多人数にあまり自由に使われてしまうと、それを制御している俺たちヴァイスインペリアルの負担も、跳ね上がってしまう。


 なので、今の段階では、ワープを使用できる人間を限定することで、その使用目的を意図的に狭め、あくまでも、各組織が円滑えんかつなコミュニケーションを取るためだけに使うことを目的にしている、というわけだ。


 ちなみに、許可されていない人間が、無理矢理ワープ装置を使おうとすると、不正アクセスへの対抗処置として、いきなり深海だの、火山の中だの、宇宙空間だの適当な場所に放り出されるか、そもそも転送に失敗して、ちりになって消えてしまう可能性もあるので、十分な注意が必要だったりする。


 とはいえ、当然ながら、俺や竜姫さん、それに朱天さんが使う分には、なにも問題はないので、非常に便利な移動手段であることには、間違いない。


 つまり、俺たちの街と、この龍剣山では、直線距離にすれば千キロ以上離れているわけだけども、そんな物理的な問題は関係なく、まさに一瞬で、隣の家に遊びに行くくらいの感覚で、往来おうらいすることできるのだ。


 そういうわけで、いきなり呼ばれても、俺はまったく苦労せず、ここまで来ることができるので、竜姫さんが気に病むことは、本当に、なにもないのである。



「そういえば、八咫竜の状況って、今はどんな感じなんですか?」


 だから、俺は相手に気を使われることのないように、いたって普通の調子て、俺の前を歩いて、どこかに案内してくれている竜姫さんに、近況を聞いてみる。


 やっぱり彼女とは、もっと気兼きがねすることなく、言葉を交わしていたい。


「あっ、そうでした! 実は、白奉びゃくほうたちにも、また働いてもらってるんです!」

「おおっ、そいつはいいですね!」


 嬉しそうな竜姫さんからの報告は、俺にとっては朗報だ。


 つい先日まで、八咫竜の内部で反乱を起こしてた者たちといえども、彼らも貴重な戦力であることには、変わりない。特に白奉などは、老兵と呼ばれてもおかしくない年齢だけど、卓越たくえつした実力と、膨大な経験をそなえ、部下たちからも慕われている熟練の戦士だ。このまま、なにもさせないでおくというのは、あまりにも惜しい。


 状況が状況なので、使える戦力は、少しでも多い方がいいのだ。


「とはいえ、まともに仕事をしているのは白奉と、その後ろについて、なにも考えていない牙戟がげきくらいだがな」

「あ、あれ? そうなんですか?」


 しかし、素直に喜んでしまった俺に釘を刺すように、朱天さんが続けた。


黒縄こくじょうは相変わらず意識不明なので、うちの療養院に監視付きで収容しているし、その直属の部下で、周囲からの風当たりが強く、処遇が難しい阿香あか華吽かうんも、治療を名目にして、同じ場所に入れている。この二人は、お前のところのに、ご自慢の魔術を封じられてるから、どうせ役立たずだしな」


 まあ、あの三人については、今回の騒ぎの首魁しゅかいである上に、八咫竜の関係者を操るために、その超常能力を使って洗脳までしてしまったのだから、そのまま復帰というわけにはいかないのが当然というか、理解できるのだけれども……。


「えっと、それじゃあ、残りの……、蒼琉そうりゅう空孤くうこの二人は?」

「それが、あれ以来、蒼琉は自分の部屋に閉じこもってしまいまして、まったく外に出てこないのです……。それを心配したのか、空孤もつきっきりで……」


 あー、そうなんだー……。


 なんというか、あの二人の撃破を担当したのは、俺自身なわけだが、もしかして、ちょっぴりだけど、やりすぎてしまったのだろうか? これからは、素直にこちらの言うことを聞いてもらえるようにしようと、徹底的に相手の心を折りにかかったわけだけど、もう少し、加減をするべきだったかもしれない……。


 とはいえ、蒼琉くんは、まだ若いわけだし、これからの奮起ふんきに期待したい。挫折ざせつを知った方が、人は強くなれると、きっと気付いてくれるはずである。うん、そうだ、そうだ、そうに決まってる!


 だから、頑張って立ち直ってくれよ、若き天才剣士!


 俺にはなんにも、できないけれど!


「……なんというか、責任放棄の気配を感じるが」

「やだなぁ、気のせいですよ、朱天さん」

「あっ、ここです、統斗さま!」


 なんて、ちょっとした確認をしているうちに、どうやら目的地に到着したようで、笑顔の竜姫さんが、ふわりとこちらに振り向いた。


 うーん、可愛いなぁ。


「へえ、ここが! ……あの、それで、ここは一体、どんな場所なんですか?」


 なんというか、竜姫さんの可憐さに気を取られて、今までまったく気にしなかったけれども、そういえば、俺はなぜ、ここに呼ばれたのだろうか。


 俺を呼びに来てくれた朱天さんは、なぜだか機嫌が悪くなってしまったので、その辺りの話を、まだ詳しく聞いていなかったりするのだけれども……。


 位置としては、巨大な龍剣山の最下層……、しかもその、奥の奥にある人気のない重苦しい真っ黒な扉の前で、俺は頭をひねるしかない。


「まあ! 私ったら、なにも言わずに……。申し訳ありません、統斗さま……」

「謝る必要はありませんよ、姫様。悪いのは、全てこいつです」


 いや、確かに俺は、別に竜姫さんを責める気はないので、そんなに頭を下げられても困ってしまうのだけれども、朱天さんのように、冷たく突き放されてしまうのも、それはそれで困ってしまう。


 とりあえず、簡単な説明くらいは、受けておきたいだけなので。


「実は此度このたび、統斗さまにお話ししたいのは、八百比丘尼やおびくにについてなのです……」

「えっ、もしかして、あの謎すぎる老婆について、なにか分かったんですか?」


 なんと、真剣な顔をした竜姫さんの口から出てきたのは、割と意外な人物だった。


 八百比丘尼。


 大昔に人魚の肉を食べたとかで、永遠の命を得てしまったという伝説を持つ人物の名前だが、実際のところ、あの小柄な体格で、しわがれた怪鳥のように笑う老婆が、自身のことをそう名乗っているというだけで、それが驚愕の真実なのか、くだらない嘘なのかすら、まったく分かっていない。


「いえ、それはまだなのですが……」

「あの気味の悪い老人が、以前から黒縄と接触していた様子だったからな。あれから総力を挙げて調査しているが、わずかな痕跡すら出てこないのが、現状だ」


 うーん、やっぱりなぁ……。


 困ったように目を伏せてしまった竜姫さんをかばうように前に出た、朱天さんの報告に対して、俺は特に驚きを感じない。


 なぜなら、そんなに簡単に痕跡を残してくれるような相手なら、俺たちは、こんな苦労はしていないからである。


「そうですか……。この件に関しては、俺たちも頑張っているんですけど、あの老婆の尻尾どころか、手掛かりすら掴めてないんですよね……」


 俺たち悪の組織と、正義の味方を取り巻く状況が二極化してきた中で、あまりにも不確定要素すぎる八百比丘尼の探索、もしくは正体の看破は、足元を固める意味でも重要な案件として注力ちゅうりょくしてるのだが、その成果は、かんばしいとは言えなかった。


 正直、これだけ多くの悪の組織が、これほど必死に調べているというのに、こんなにも情報が出てこないというのは、異常事態というしかない。


「そうなのです!」

「は、はい?」


 そんなことを考えて、ちょっぴり憂鬱な気分になってしまった俺に対して、普段はおしとやかな彼女にしては珍しく、竜姫さんが元気に、ぴょこんと跳ねた。


「私たち八咫竜だけでなく、統斗さまたちヴァイスインペリアルの皆さんも、そして他の悪の組織さんたちも、これだけ頑張っているのに、なにも分からないのです!」

「う、うん。そうですね?」


 なんだろう、竜姫さんの言っていることは、まったくその通りで、まさに憂慮ゆうりょするべき事態というやつなんだけど……。


 それよりも、いつもとは違って、ちょっぴり張り切っている竜姫さんが、可愛くて仕方がないぞ!


「ですので、ここは思い切って、別の角度から調べてみようかと思いまして」

「……別の角度?」


 なんて、まったく関係ないことに気を取られそうになっていた俺だけど、竜姫さんからの提案に、思わず背筋を伸ばしてしまう。


 そういう意見は、どんどん聞きたい。


「はい。実は統斗さまが、あのお婆さまの使っていた黒い力が、この八咫竜に伝わる龍脈の力に似ていると言われていたのを、思い出しまして、そちらの線から、追ってみようかと考えているのです」

「おお、なるほど!」


 そうか、そうだった。


 なんの確証もない、俺の直感でしかないけれど、あの老婆が、まるで大地から吸い出すようにして、自在に操っていた漆黒の濁流だくりゅうを見た瞬間、まったく違うものであるはずなのに、竜姫さんだけが使うことのできる、あの白く輝く力の奔流ほんりゅうが、俺の中で思い浮かんだのは、確かである。


 つまり、もしかしたらの可能性になるけれど、八咫竜に伝わる龍脈について調べていけば、どこかで八百比丘尼の使う黒い力に行き当たるかもしれないし、そこから、相手の正体に関する糸口が、掴めるかもしれない。


 それは、あまりに細い糸ではあるけれど、この八方塞がりにも思えてしまう状況を考えれば、やる前から無駄だとは、誰にも言いきれないだろう。


「とはいえ、現在閲覧えつらんできる記録を、いくら調べたところで、あの老婆に関する情報は見つからなかったし、奴の使っていた不気味な力についても同じだ。少なくとも、このままでは、なにも分からないし、なにも掴めない」


 だけど、朱天さんの口振りからすると、それも決して、簡単な話ではなさそうだ。


 まあ、気付いただけで、即解決するならば、苦労はないか。


「ですから、ここはさらに、もっと古い記録を、調べてみようと思います!」


 しかし、それでも竜姫さんの表情は明るく、決意に満ちている。

 どうやら、なにか策があるみたいだ。


「これは、私たち八咫竜が生まれた時……、この龍剣山にきょかまえた時から、長らく封印されてきた扉なのですが、伝承によれば、この奥には八咫竜の創始者である太古の王が持っていた、全ての英知が詰め込まれているようなのです」


 おお、それは凄い! というか、期待できそうだ。


 確かに言われてみれば、この目の前の重厚な扉は、あの天叢雲剣あまのむらくものつるぎを収めていた神授しんじゅのものと酷似している。


 もしかしたら、あの神器と同じくらい重要な物が、そこにはあるのかもしれない。


「だが、それと同時に、ここを開けられるのは選ばれし王だけであるという警告も、絶対順守ぜったいじゅんしゅめいして伝わっていたために、これまでの長い歴史の中で、一度たりとも封印が解かれたことはない」


 ふむふむ、そういうことか……。


 朱天さんの言葉を聞いて、そして、実際に問題の扉を前にして、俺は、俺がここに呼ばれた理由に思い至る。


 どうやら、話が見えてきた。


「なるほど。つまり、そこで俺の出番ってわけですね?」

「はい。統斗さまに、この封印を解いていただけましたらと……」


 天叢雲剣を……、正確には、天叢雲剣の中にあった力を手に入れた俺は、その伝承に従って、八咫竜という組織の中では、まさに選ばれし王ということになっている。


 要するに、俺には、この厳重な封印を解く権利が、あるというわけだ。


「了解です。それじゃ、試してみましょうか」


 そうと決まれば、善は急げと……、まあ、この行為が善なのかどうかは分からないけども、とりあえず、やるべきことをやっておこうと、俺は目の前の重苦しい扉を、じっくりと、使、観察してみる。


 取っ手どころか、鍵穴すらない漆黒の扉は、重苦しい威圧感を放っていた。


「どれどれ、えーっと……」


 あー、そういうことか。


 なんというか、八咫竜の皆さんが、律儀にその絶対順守の命とやらを守る人たちでよかったというか、これって、強引に扉を開けようとしたら、この奥に仕舞しまわれてる品々どころか、この龍剣山ごと、木っ端微塵に消し飛ぶようになってるじゃないか。


 危ないなぁ……、なんて思いつつ、俺は意識を集中させる。


「……あらよっと」


 とりあえず、やるべきことは分かった。


 俺は真っ黒な扉の中心に、自らの右手を軽く当てて、この身の宿る破壊の力を解き放ち、慎重に、この扉に仕掛けられたセキュリティーと組み合わせる。


 その瞬間、閉ざされていた扉は、まるで砂のように、さらさらと崩れ去った。


「わあ、流石は統斗さまです!」

「ふん、このくらいは、できて当然だな」


 優しい竜姫さんと、厳しい朱天さん。それぞれ言い方は違うけど、二人とも喜んでくれているのは分かるので、俺も嬉しい。


 やっぱり、人の役に立つというは、気分が良いものなのである。


「さてさて、なにがあるのかなっと……」


 とりあえず、開いた道の一番近くにいる者として、その先に、特に罠のたぐいがないことは確認しているので、俺は安心して、足を踏み入れた。


「おおっ! なにやら面白そうなものが、沢山あるぞ!」


 そこは、あまり大きな部屋ではなかったけれど、素人の俺から見ても、あきらかに歴史的な価値がありそうな調度品や置物、あるいは武具のようなものなどが、整然と壁に飾られ、辺りには、なにかを仕舞っている様子の木箱が、沢山置かれている。


 どうやらここは、いわゆる、倉庫と呼ばれる場所のようだった。


「どれどれっと……」


 俺はとりあえず、近くにあった本棚から、丁寧ていねいに人の手で装丁そうていされたことが分かる本を取り、中身を開いてみる。


 やっぱり、物事を調べるなら、こういう本からだよね……、って思ったんだけど。


「……読めない」


 残念なことに、開いた本のページの上で、まるで、のたうつ蛇のように暴れているのは、俺には、もう上手いのか下手なのかすらも分からない、ただ毛筆のようなもので書かれたことだけは分かる、かすれた黒い線だった。


 うん、なにが書いてあるんだか、さっぱり分からん……。


「これは、八咫竜に伝わる古代語のようですね……。非常にくずして書かれているようですので、私にもちょっと、詳しい内容までは分からないですが……」


 俺の横から、ちょこんと顔を出して、本の中身を確認した竜姫さんが、少し困ったような顔をしているところを見ると、どうやら、こいつが読めないのは、俺がアホなせいではないようなので、そこだけは安心してしまったのは、ここだけの秘密だ。


 しかし、だったらこれから、どうするべきか……。


「姫様が、ご無理をなさる必要は御座いません。おい、八咫竜には、古くから歴史に関する研究を専門に続けてきた部門がある。後のことは、その者たちに任せることになると思うが、それでいいな?」

「そうですね。お願いします」


 とはいえ、それほど悩む必要はない。朱天さんの言う通り、こういう自分だけでは難しいことは、それが可能な者に、たくして、まかせればいい。


 いくら悪の総統といったって、自分一人で、なんでもかんでも、できなければいけないというわけでは、ないのだから。


 とりあえず、俺にできるのは、俺がやるべきなのは、ここまでだろう。


 さて、そうなると……。


「……ところで、ここの調査を、その専門チームに任せるってことは、竜姫さんは、これから時間が空くってことですか?」


 ちょっとだけ、思いついたことがあったので、俺は、興味深そうに辺りを見渡している竜姫さんに、確認を取ってみる。


 うん、こういうのは、思い立ったが吉日というし。


「そうですね。今日はもう、私の仕事は残っていません」

「おー、そうですか、そうですか……」


 うん、それなら、大丈夫かな?


 俺も竜姫さんも、悪の組織の頂点に立って、日々頑張っているわけで、そんな立場にいる以上、いついかなる時に、不測の事態に直面するとも限らない。だからこそ、俺たちは上に立つ者として、いつも気を張っているわけだけど……。


 しかし、だからこそ、少しでも余裕があるのなら、好きなことを、好きなように、やるべきなのだ。そう、我慢なんて、する必要はない。


 俺たちは、悪の総統なのだから。


「それじゃ、俺と一緒に、息抜きでもしませんか?」


 さあ、やりたいことを、始めよう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る