6-8


 それはまさに、圧巻の光景だった。


 これまでの、ゾンビのような不気味さとは違い、各々おのおのが、各々おのおのの意思を取り戻した八咫竜やたりゅうの構成員たちが、自分たちをおとしめた裏切り者に怒りを燃やし、長い長い列を作って、同じ場所へと向かう様子は、まるで空を飛ぶ、巨大な龍のようにも見える。


「いやー、お見事でしたよ、竜姫たつきさん! 本当に、助かりました!」

「そんな……、私はただ、自分の役目を果たしただけですから……、でも、統斗すみと様のお役に立てたのでしたら、嬉しいです……」


 美しい隊列を組み、一糸乱れぬ行進を披露している八咫竜の皆さんの中心で、俺と竜姫さんは並んで歩きながら、健闘をたたう。


 ここまできたら、あと一息だ。



 それぞれの場所で、それぞれの役割を果たした俺たちは、事前の打ち合わせ通り、もっとも大人数がいることになる平原に集合し、お互いの無事と、久しぶりの再会を喜び合ったりしてから、正気を取り戻した八咫竜の構成員たちと共に、全ての決着を付けるために、動き出していた。


 先ほど捕らえた八岐衆やまたしゅう……、白奉びゃくほう牙戟がげき阿香あか華吽かうん蒼琉そうりゅう空孤くうこは、デモニカの魔方陣で厳重に拘束した上に、ジーニアの操るマイクロマシンで幾重いくえにも捕縛し、安全を確保した上で、八咫竜の皆さんに引き渡している。


 まあ、気絶していないのは白奉くらいで、その白奉も、もう無理に戦う必要がないのだから、そちらに関しては、大丈夫だと考えていいだろう。彼らへの沙汰さたは、これから竜姫さんがくだすことになるだろうが、今はまだ、その時ではない。


 なぜならば、最後の裏切り者が、まだ残っているのだから。


 目的地は、黒縄こくじょうがいる龍剣山りゅうけんざん……。


 その正門に、堂々と、真正面から、俺たちは向かう。


 当然だ。


 自分の家に帰るのに、裏口からコソコソ入る必要なんて、あるはずがない。



「ひ、姫様! よくぞご無事で……! 開門ー! 開門―!」


 もうすでに、目に見える脅威は取り払った後なので、当然ながら、スムーズに到着した俺たちを確認したらしく、巨大な門の内側から、門番らしき人物の声が聞こえると共に、大きな音を立てて、道は開かれた。


 どうやら、阿香と華吽の魔術が封じられたことで、あの平原にいなかった者たちの洗脳も、もうすでに解けているようだ。これならば、より話は簡単になるだろう。


 正門が開かれたことで、この龍剣山を守っているという、龍脈の力を利用した障壁とやらは解除され、これまで、列をなしていた八咫竜の構成員たちが、本部の機能を取り戻すために、この山のいたる場所にあるという出入り口を目指して、散っていく。


 さて、ここまでは、予定通りだ。


 人数が増えすぎてしまったために、足並みを揃えるためには、どうしても、全体の歩みは遅くなる。もうすっかりと日も暮れて、辺りは暗くなっていたけれど、夜空に浮かぶ、綺麗なお月様が眺めながら、かなりスリムになった隊列と共に、俺たちは、龍剣山の頂上を目指して、急ぐ。


「ああ、丁度いいところに……!」

「おお、姫様! お戻りになられましたか!」


 無事に山頂までたどり着いた俺たちを出迎えてくれたのは、歴史を感じさせる神社の前で、竜姫さんのことを待っていたらしい、他の人たちと比べると、少しだけ立派な鎧姿の戦闘員たちだった。


 どうやら、俺たちより先に、こんな場所にいるということは、先ほどまで、黒縄の支配下に置かれ、この山の中で待機していた構成員たちなのだろう。


 それならば、なにか知っているかもしれないな。

 

「黒縄は、今どこにいるか、分かりませんか?」

「そ、それが、どうやら、神授しんじゅに、立てこもられてしまったようでして……」


 しかし、そこまでは、こちらの期待通りだったのけども、竜姫さんの質問に対する彼らの答えは、どこか歯切れの悪いものだった。


 どうやら、その黒縄が逃げ込んだという場所に、なにかあるようなんだけど……。


「……ねえ、朱天しゅてんさん。神授の間って、なんですか?」

「……天叢雲剣あまのむらくものつるぎが安置されている、我ら八咫竜にとって、最重要の聖域だ」


 俺の素朴な疑問に、近くにいた朱天さんが答えてくれたけど、その苦虫を噛み潰したような顔を見る限り、そこに逃げ込むなんていう黒縄の行為は、八咫竜にとって、絶対に許されない禁忌のようだ。


 ならば、なおのこと、すみやかな解決というやつが、望ましいだろう。


「なるほどね……、さあ、場所が分かったのなら、急ぎましょうか!」

「……はい!」


 こうなれば、一刻も早く決着をつけるべきと、俺は竜姫さんたちに案内してもらいながら、みんなと一緒に、八咫竜の総本部である龍剣山の内部に突入した。


 そこは、巨大な山の内側が、そのまま秘密基地となっているという、大胆な構造になっている上に、全体的な様式が、古式ゆかしい和風建築であるという、非常に興味深い造りをしていたのだが、残念なことに、今はまだ、詳しい探索をする暇がない。


 まずは目的地に向けて、俺たちは龍剣山の最下層まで、怒涛の勢いで駆け下りる。


「この中が、神授の間になります」

「へえ、立派なもんだなぁ」


 そして、ほどなくして立ち止まった竜姫さんの先に見えたのは、なるほど、一目で尋常ではないと分かる、雰囲気たっぷりの装飾が施された、豪華な扉だった。


 だが、その扉は、今はしっかりと、閉ざされてしまっている。まあ、あの中で黒縄が籠城しているという話なので、それは当然なのだけど。


「しかし、どうしましょう……。ここに入るための鍵は、黒縄が持ち去ってしまったようなので、もう内側からしか、開ける手立てはありません……」


 竜姫さんの話によれば、この堅牢な扉を開けるための鍵は、一つしかなく、いつもは厳重に封印されている部屋の中に、黒縄が入っているという事実を考えれば、その唯一の鍵を持ったまま、奴は立てこもっているということになる。


 そうなると、この中に入るためには、なにか手立てを考えないといけないわけだ。


「他に、入れそうな抜け道とかは……」

「一応、神授の間の上方には、外につながる穴が空いていますが、そこには非常に強固な結界が張ってありますので、そのまま突入するのは危険ですし、結界を解除するにしても、特別なものですから、どれだけ時間がかかってしまうか……」


 さて、とりあえず聞いてはみたものの、竜姫さんからの解答は、想定内ではある。


 天叢雲剣という、八咫竜にとっての、最重要機密を保管している場所に、そうそう気軽に入れる抜け道なんて、ある方がおかしい。


 しかし、この反乱騒ぎにさっさと決着を付けるためにも、首謀者である黒縄の確保は必須だ。このままでは、八咫竜を取り戻せたとは、がたい。


 となれば、残された方法は、かなり限られてくる。


「あの、竜姫さん。ちょっと乱暴な手段になりますけど、大丈夫ですか?」

「……もちろんです! 八咫竜の全ては、統斗さまのものなのですから!」


 うん、かなり不躾ぶしつけなお願いだと、分かってはいるのだけれども、そんな俺に、笑顔の竜姫さんが、お墨付きを与えてくれる。


 だったら俺は、この信頼に、しっかりとこたえなければならない。


「ありがとうございます。それじゃあ……」


 気合を入れ直した俺は、豪華な扉の中央に右手を当てて、自らの命気を、極限まで高めつつ、その手の平を中心に、無数の魔方陣を重ねて展開してみせる。


 さて、準備は整った。


「――おりゃ!」


 俺はそのまま、力の限り、全力で扉を押し込みつつ、全ての魔方陣を起動する。


 その瞬間、衝撃を伴う閃光と共に、神授の間を封じていた扉は、あっという間に、内側に向けて吹き飛んだ。


「……まったく、相変わらず、礼儀を知らない男だな」

「まあまあ、後でちゃんと、直しますから」


 神聖な場所に対して、緊急事態とはいえ、かなり無礼なことををしてしまったわけだけど、状況が状況だということを、分かってくれたのか、なんと、あの朱天さんが俺のことを怒らず、苦笑するだけにしてくれている。


 なんというか、それはそれで、なんだか寂しい気がするのは、ここだけの秘密だ。


「それでは、お邪魔しますよっと」


 とにもかくにも、道は開かれた。


 俺はみんなと一緒に、この戦いにおける、最後の戦場へと、足を踏み入れる。


「へえ、なるほどねえ……」


 そこは、思ったよりも、自然が剥き出しな場所だった。


 かなりの広さがある空間なのだが、屋内というよりは、完全に屋外という印象だ。建造物らしい整備は、まったくされておらず、人工的な壁も床も存在しない。


 空を見上げれば、ぽっかりと空いた穴の上から、月光が降り注ぎ、非常にゴツゴツとした岩肌がそのままの、地面や壁面を照らしているのが分かる。


 ここが山であることや、この場所の位置関係から考えるならば、おそらく、火口の底とでも呼ぶべきなのだろう。


 とはいえ、どうやら火山活動自体は、とっくの昔に収まっているようで、この空間は熱いどころか、むしろ冷えすぎていて、不思議な静けさと、荘厳そうごんさに満ちている。


 そして、そんな山の底の中央で、飛び抜けた存在感を放っている巨大な黒い岩の上に立ち、そこに突き刺さっている一振りの剣の前に、男が一人……。


 よし、見つけた。


「……くっ、来たか!」

「ああ、そりゃ来るさ。なんだ、待っててくれたのかな?」


 あの大岩に刺さった剣を、必死に抜こうとでもしていたのだろう、なにやら奮闘というか、四苦八苦していた黒縄が、俺たちに気付いて焦り出す。


 どうやら、ここには奴以外の人間はいないようだし、先ほどの忠告が効いたのか、人質を用意しているみたいな、馬鹿な真似はしていないようなので、その点だけは、褒めてやってもいいかもしれない。


 とはいえ、だからといって、別に手加減してやるつもりも、ないんだけど。


「さて、どうする? どう考えても、そっちにとって絶望的な戦力差だと思うけど、素直に降参する気は、あるのかな?」

「黙れ! 私は、私は……! こんなところで、終わる男ではない!


 いや、正気か、黒縄。


 この状況でも、まだそんなこと言えるのか。


「引き際も分からないとは、無様ぶざまを通り越して、滑稽こっけいですね」

「そうだそうだー! さっさと負けを認めろー!」

「もう~、めんどくさいから~、みんなでボコボコにしちゃいましょうよ~」


 悪魔の炎をまとったデモニカに、光の翼を持つ獣人のレオリア、そして、ある程度のスペースがある場所に出たことで、霧のような状態から、再び巨人のような姿を形成しているマイクロマシンの中心にいるジーニアが、恐ろしい殺気を放っている。


「最後まで、気を抜くんじゃないわよん! サブ! バディ!」

「アイアイサー! ここまで来て、やられるなんて御免っス!」

「……これで、全部終わりだね……、うひひっ……」


 そんな上官たちの近くで、ローズさんも、サブさんも、バディさんも、当然のことながら、臨戦態勢を整えている。


「あなたは包囲されています! 大人しく投降しなさい!」

「いや、ピンク。多分、今さらそんなこと言っても、聞くような相手じゃないよ」

「確かに、レッドの言う通りですね。なんとも往生際が悪そうな顔をしてます」

「そうね、こうなったら、さっさと引導を渡してあげた方が、いいかしらね」

「グ、グリーンが本気……。でも、イエローだって、やっちゃうわよ!」


 エビルセイヴァーの面々も、やる気十分だ。素早く動いて、もうすでに、敵対者の包囲を完了している。


「黒縄! もうやめてください! これ以上は、意味がありません!」

「貴様も八咫竜の……、八岐衆の人間なら、これ以上、醜態しゅうたいをさらすな!」


 さらには、竜姫さんと朱天さんに加えて、彼女たちの周囲には、怒りに燃えている八咫竜の戦闘員や、怪人たちまで控えている。


 まあ、いくらかつての上司とは言え、自我を奪われ、あれだけ好きに使い倒されてしまったら、反旗はんきひるがえすのも、無理からぬことだった。

 

 つまり、全ては黒縄の自業自得……、身から出たさびというやつだ。


「この、このつるぎが……! これが抜けさえすれば……!」


 だがしかし、たった一人の黒縄は、まるで、そんな絶望的な状況から、目をらすかのように、必死の形相で、目の前の剣を握り、足を踏ん張り、あらん限りの力を込めて、引き抜こうとしている。


 しかし、抜けない。抜けるわけがない。


 こうして初めて、俺以外の誰かが、あの剣に触れている様子を見ることで、俺には大体の事情が、察せてしまう。


 だから、あまりに必死な黒縄の、その姿は、いっそあわれですらあった。


「なんだ、こいつがそんなに大事なのか?」

「――な、なにっ!」


 俺が、こちらに来いと望んだ瞬間、それまで微動にしなかった剣が、まるで意思を持つかのように、あっさりと巨岩から抜け出し、わき目も降らずに空を飛んできて、この手の中におさまった。


 その様子を見て、黒縄が愕然がくぜんとしているが、むしろ奴には、無駄な努力をしなくてもよくなったと、感謝してもらってもいいはずだ。


 天叢雲剣。


 切っ先からつかまで、青のような、緑のような、白のような、不思議な色合いをした金属で生成された、かなり長い刀身を持つ、両刃の剣。


 この遥か昔から、八咫竜に伝わる神器じんきは、もうすでに、自ら使い手を決めている。


「確かに、凄い剣だけどさ、そこまで固執こしつするのも、どうかと思うぞ」

「う、うわ、うわあっ!」


 その場を動かず、俺が剣を振るだけで、かなり遠くにいる黒縄の、その頭に巻かれていた鉢金はちがねが、真っ二つに切り裂かれた。


 しかし、それ以外のものは、なに一つ切れていない。奴の額どころか、髪の毛一本千切ちぎれることすら、ありはしない。


 ただ、俺が振るうだけで、強度も距離も関係なく、その斬撃の軌道上で、俺が望むものだけを、真っ二つに切り裂いてしまう。


 それが、この神剣しんけんが持っている、とんでもない力というやつだ。


 しかし、逆に言えば、これはただ、それだけの力でしかないともいえる。


「ほらよ」

「な、なに……?」


 せっかく手に入れた神器だったが、俺は惜しむことなく、呆然とした黒縄の近くに向けて、放り投げてやる。


 伝説の剣である天叢雲剣が、かわいた音を立てて、地面に転がった。


「そいつが使いたいんだろ? 好きにしろよ」

「こ、この! 馬鹿にして……!」


 悪態あくたいをつきながらも、目の前に落ちてきた、喉から手が出るほどに欲しかった物を見逃すことなどできないのか、焦った様子の黒縄は、それまで、奴が登っていた大岩から飛び下りて、地面に落ちた剣に向かう。


 そう、剣は地面に刺さっているわけでもなく、ただ横たわっているだけだ。


 あとはただ、持ち上げるだけいい……、はずだった。


「ぐ、ぐぐぐぐぐっ……! く、くそっ! なぜだ! どうして……!」


 しかし、剣は持ち上がらない。

 どれだけ黒縄が頑張ろうと、持ち上がることない。


 当然だ。こうして、八尺瓊勾玉やさかにのまがたまの力を込めた目で見れば、よく分かる。


 いうなれば、あの天叢雲剣は、破壊という概念がいねんそのものだ。あくまでも、剣という形を取らせることで、斬るという一点のみに、その効果をしぼっているが、そのかせさえなくなれば、解き放たれた概念は、あらゆるものを無差別に破壊することだろう。


 つまり、あの剣を掴もうとする人間は、そのあまりにも絶対的な、破壊という概念に触れることで、自身すらも破壊される危険性を、無意識に本能で感じ取り、恐れ、おびえ、拒絶きょぜつしてしまう。


 どれだけ理性でおさえつけようとしても、生存本能には逆らえない。あれでは、引き抜くどころか、持ち上げることさえ、不可能なはずである。


 剣が人を選んでいるのではなく、人の方から、剣を拒絶しているのだから。


「まあ、残念だけど、これが現実ってやつなんだろうな」

「あっ!」


 もういい加減、黒縄にも分かっただろうし、俺は再び頭の中で、剣を呼ぶ。


 それだけで、天叢雲剣はあっさりと、俺の手の中に戻ってきた。 


「……なぜだ! なぜ、貴様が……! 貴様のような、どこの馬の骨とも分からないやからが、神剣に選ばれる!」

「いや、そんなこと、俺が知るわけないだろ」


 残念だけど、怒りに満ちた黒縄の慟哭どうこくに対して、俺は明確な答えを持っていない。


 あえて言うなら、なんでか知らないけど、そういう風に生まれたからじゃない? としか答えようがないわけで、困ってしまうというのが、本音だ。


 まあ確かに、人間が本能的に恐れるはずの物体を、こうしてバッチリと、この手で掴んでしまっているということについては、俺にとっても疑問だけど。


 ただ、その理由を、自分なりに考えるならば、おそらく、俺の本能が、この剣を、破壊の概念というやつを、まったく恐れていないから、ということになるのだろう。


 多分。


「ぐうっ! 私が、私こそが、選ばれた人間なのだ! 私が導くことで、八咫竜は、この世界を総べる最強の組織に……!」


 しかし、なんにせよ、どうやらようやく、自らの野望が、完全に崩れ去ったことを自覚したらしい黒縄が、絶望にも似た絶叫と共に、自らの夢を吐き出している。


 なるほど、それが理由か。


 黒縄という人間が、竜姫さんを、八咫竜を裏切った、利己りこてきな理由。


「なのに、なぜ、なぜ貴様のような、まともな考えすら持たない、未熟な男が!」


 というか、癇癪かんしゃくこすのは勝手だけど、矛先ほこさきをこちらにまで向けるのは、心底やめていただきたい。


 まったく、失礼な奴である。


「おいおい、なに言ってるんだよ。俺だって、色々考えてるさ」


 そう、こんな自分にも、持ってる夢くらいは、あるのだから……。


「まず、みんなと楽しく遊んで暮らしたいし、美味しいものだって食べたいな。それから、たまにはゆっくり眠りたいし、可愛い女の子と、イチャイチャだってしたい。そうだな、できることなら、長い休みでもとって、みんなと一緒に、南の島とかで、バカンスを楽しみたいかな、切実に」


 まあ、別に大層な思想を持っているわけでも、野望をいだいているわけでもない俺が願うのは、これくらいの、つつましやかな幸福というわけだけど。


 だけど、俺にとって、それが大事なことであるのは、間違いない。


「まあ、統斗さまったら」

「まったく、しょうのないやつだな」


 こうして、ヴァイスインペリアルのみんなだけでなく、竜姫さんや朱天さん……、八咫竜の人たちにも、笑顔でいてもらうことが、俺の目的なのだから。


「ふ、ふざける! それはただの、貴様のあさましい、欲望だろうが!」

「よっと」


 しかし、どうやら俺の態度が気に食わないらしい黒縄が、激昂しながら、その手で複雑ないんを結ぶと同時に、奴の眼前に現れた漆黒の火の玉が、こちらを狙う。


 なるほど、どうやらあれが、呪術じゅじゅつというやつらしい。


「いや別に、ふざけてるわけじゃない」

「なんだと! くっ……!」


 とりあえず、俺はこちらに迫りくる火の玉を、天叢雲剣で切り飛ばしながら、残念な黒縄に、教えてやることにする。


 悪の総統としての、心構こころがまえというやつを。


「どんな御大層な目的も、一皮むけば、そんなもんだってことさ。要するにお前は、ただ自分が偉くなりたいってだけの話に、みにくい言い訳をしてるにすぎない」


 とはいえ、自分の欲望に素直なこと自体は、俺だって、責める気ははない。こちらも好き勝手やってるだけの、悪の側に立つ人間なのだから、当然だ。


 ただ、俺が指摘したいのは……。


「というか、悪の組織の人間が、自分の悪事を誤魔化すなよ、情けない」

「う、うるさい! 黙れ!」


 自分の欲望と、それがまねいた結果から、まるで逃げようとするかのような、奴自身の浅ましさ……、なんだけど。


 どうも、まるで駄々だだをこねる子供みたいに暴れている黒縄の姿を見ていると、怒りというよりも、あわれみの方が強くなってしまう。


 本当に、可哀想な奴だなぁ……。


「なあ、あんたはそんなに、この剣が欲しいのか?」

「当然だ! 八咫竜に生きる中で、そう思わぬ者など、いるわけがない! それは、我らが誇りだ! 象徴だ! 夢なのだ! それを手にすれば、全てが……!」


 どうやら、このままでは、奴は、奴自身が起こした行動の意味にすら、永遠に気が付くことはなさそうだ。


 こうなったら、仕方ない。


「……ねえ、竜姫さん。この剣は、もう俺のものなんですよね?」

「……はい。天叢雲剣も、そして八咫竜も、全ては統斗さまのものですよ」


 傲慢ごうまんな俺の質問に、竜姫さんは、いつものように、ふわりと優しい笑顔で、頷いてくれる。そしてどうやら、八咫竜の他のみんなも、異論はないようで、静かな瞳で、ただ俺の行動を、受け入れてくれていた。


 ならば、俺はこの信頼に、応えなければならない。


 天叢雲剣を、手にした者として!


「だったら、好きにさせてもらおうか!」

「なっ! 貴様、なにを……!」


 驚愕している黒縄の目の前で、高々たかだかかかげた伝説の剣も、俺の意図が分かっているのか、嬉しそうに震えている。


 そう、解放の時は来た。


 こんな剣に縛られていた、八咫竜という組織も。

 そして、こんな剣の中に閉じ込められていた、大きな力も。


 そろそろ、自由になるべきだ……!


概念がいねん掌握しょうあく!」


 俺は高密度の魔術を展開し、この手の中にある天叢雲剣に干渉することで、内部に秘めたる真の力を封じるための外装を分解し、中身を取り出して、俺という存在そのものに、ぴたりと組み込んでしまう。


 こうして、天叢雲剣という名の神器は、俺という新参者の手によって、まるで最初から、幻だったかのごとく、かすみのように消え失せた。


「ほら、お前のいう、誇りとやらは、きれいさっぱり、消えてしまったぞ」


 これが、天叢雲剣に選ばれた、所有者たる俺の、選択だ。


「ふ、ふざけるな! ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなああ! おい、貴様ら、なにを黙って見ている! 我らを愚弄ぐろうした、その大罪人たいざいにんを! いますぐ締め上げて、血祭りにあげろおお!」


 黒縄の怒りは、もっともだ。


 八咫竜という組織において、最重要だったはずの象徴を、こうしてちりも残さぬほどに破壊してしまったのは、確かに俺なのだから。


「…………」


 しかし、狂乱した黒縄の絶叫には、誰も応えない。


 竜姫さんも、朱天さんも、そして、それ以外の八咫竜の人たちも、剣の消失に動揺するでも、怒るでも、悲しむでもなく、ただ冷静に、こときを見守っている。


 そこには、俺に対する敵意なんて、微塵みじんもなかった。


「な、なぜだ! お前たち! そいつは、我らが誇りを汚した逆賊ぎゃくぞくで……!」


 どうやら、黒縄はまだ、分かっていないようだ。


 俺と、そして奴の行動が引き起こした、その結果に。


「なのに、なのに……、なぜ!」

「そうだな、日頃の行いってやつじゃないか?」


 つまり、八咫竜は選んでくれたのだ。


 天叢雲剣を手にした者だからだけではなく……。


 十文字じゅうもんじ統斗という男に、従うと。


「結局のところ、あんな古臭い剣を手に入れたからって、簡単に、思い通りに、全てが得られるわけじゃない。それでも気に入らないって奴は、必ず出てくる。お前たちの裏切りが、それこそ、いい実例だろ?」

「ぐ、ぐぬぬぬっ!」


 残念なことに、それが真実だ。


 怒りに我を忘れているのか、黒縄はいつのまにか、自らが行動を起こした理由すらからも、目をらしてしまっている。


 そんな人間に、一体誰が、付いて行きたいなんて思うというのか。


「大事なのは、力を手に入れることじゃない。手に入れた力を使って、みんなのために、なにをすのかだ。それが分からないから、お前は三下なんだよ」


 いやむしろ、俺がここまで簡単に、八咫竜という組織に受け入れられたのは、竜姫さんという存在も大きいが、奴の起こした暴虐ぼうぎゃくのおかげでもある。


 あんな愚行ぐこうに付き合わされてしまえば、そこから無事に助け出してくれた相手に、感謝してしまうのは、ひとつね……。


 つまり、これこそが、俺たちが今まで頑張って来た、作戦の結実けつじつだ。


「あんな剣なんてなくても、もう八咫竜は、俺のものだ。嫌だというなら、いくらでも反逆すればいい」


 さあ、ここまできたら、あと少しだ。


 八咫竜という組織の、全てを手に入れるまで、俺はあきらめるつもりはない。


「そっちが納得するまで、存分に、付き合ってやるからさ!」


 こんな馬鹿なことをした黒縄だろうと、しっかりと責任を取らせてから、俺たちのために、キリキリと馬車馬のように働かさせてやることにしよう。


 そう、悪いけど、俺は強欲な、欲望の塊なのだから!


「ぐううううう!」


 さすがに、自分が極限まで追い込まれたことを自覚したのか、あのプライドの高い黒縄が、体面たいめんも気にせず髪を振り乱し、苦悶くもんの声を上げている。


 とはいえ、今のあいつに、俺たちに投降する以外の道は、残されていない。 


「もう終わりにしましょう、黒縄……。あなたの裏切りを、私は許します。だから、これからは八岐衆も一丸となって、統斗さまを支えるために……」


 しかも、優しい竜姫さんが、破格の条件まで付け加えてくれたのだから、少しでも理性が残っているのなら、どうすればいいのかなんて、火を見るよりもあきらかだ。


 だがしかし……。


「ふざけるな! この私が、今さら貴様たちに頭を下げて、これからは、部下として使われろだと! そんな屈辱……、受けてたまるか!」


 こんなにも、きわきわまで追い込まれているというのに、黒縄は現実を受け入れず、むしろ尚更なおさらに、かたくなになってしまっている。


 いやはや本当に、無駄にプライドが高い男だな……。


「やれやれ、だったら……」


 あきらめの悪い黒縄に、そろそろ自分の立場というものを、じっくりと分からせてやるべきかと、俺が大量の魔方陣を展開し、多少荒っぽい交渉にのぞもうとした……。


 その時だった。


「うっひょっひょっひょっひょっ! 盛り上がっとるのう! かなかな!」


 突然、俺たちの頭上から、聞き覚えがある老婆の声が、そそいできたのは。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る