6-1
月はいつも、そこにある。
俺たちヴァイスインペリアルと
そして、一人になった俺は、隠れ家として使っている、古式ゆかしいラブホテルの屋上で、こうしてのんびりと、夜空を見上げている。
「あー……、夜風が気持ち良いなぁ……」
なんて、このお城みたいな建物の頂上には、俺以外誰も居ないのに、思わずそんな独り言なんて出てしまうのは、緊張と、そして不安のせいだということは、ちゃんと自覚していたりする。
どんなに綿密に練り上げて、どれだけ入念に準備して、どれほど慎重に動いても、どんな不測の事態が起きるのか、分からない。この作戦が絶対に成功すると、信じてはいるけれど、失敗する可能性は、どうしたってゼロにはならない。
万が一にでも、俺の立てた作戦のせいで、大事な仲間たちに危険が訪れるかもしれないなんて、考えるだけでも
しかし、だからといって、ここで立ち止まることはできない。
リスクから逃げてばかりいては、なにも掴めやしない。俺たちは悪の組織なのだ。大きなものを得たいのならば、
分かっているけど、割り切れないのが、俺のまだ未熟なところなのだろう。
「はあ……」
とはいえ、すでに
決着の時は、近い。
「あっ、
なんて、少しだけ感傷的になってしまっていた俺は、やはり気が抜けていたのか、
いつのまにか、すぐ近くにやって来ていた少女に、気付くのが遅れてしまった。
深い夜の闇の中で、白い道中着姿の彼女が、美しく輝いて見えるのは、月の明かりに照らされているせいなのか、この女の子が生来持っている資質によるものなのか。
「いえあの、俺はちょっと、明日のために、集中力を高めていたといいますか……。えっと、それよりも、
そんな彼女に、ちょっと弱気になっている自分を見られてしまった気がして、なんだか恥ずかしくなってしまい、思わず慌ててしまった。
なんというか、なんとも情けない俺なのであった……。
「その、私は……、少し落ち着いて、これからのことを考えようかと……」
どこか
やはり、八咫竜の
「そうなんですか……」
「はい、そうなんです……」
俺と竜姫さんは、それだけ、ポツリと言い合うと、互いに口をつぐんでしまった。こうして二人で並んでいるというのに、なんだかひどく、遠く感じる。
うーん……、なにか、気の利いた事を言えればいいんだけど……。
「……あの、統斗さま」
「あっ、な、なんですか?」
なんて、俺がモゴモゴと、口を開くことを
ううっ……、もっとしっかりしろ、俺!
「このたびは本当に、申し訳ありません……」
「え、えっと、いやいやいや、どうしたんですか、突然?」
とはいえ、いきなり神妙な顔をした竜姫さんに、深々と頭を下げられてしまうと、こちらとしては、訳が分からないので、どうしても困惑してしまう。
いや本当に、俺が彼女に謝られる理由なんて、まったくないんだけど……。
「本来ならば、統斗さまのお力になるはずが、私の力不足のせいで、こんな身内同士の争いごとに、巻き込んでしまって……」
憂いを帯びた竜姫さんが、その長いまつ毛を震わせて、
「それに、ここに来てからも、統斗さまや、桃花さんたち、ヴァイスインペリアルの皆様に、お世話になりっぱなしで……」
その悲しみを押し殺すように、彼女はその可憐な唇を、強く噛み締めている。
「今回の作戦も、全て統斗さまたちにお任せしてしまい、八咫竜の長として、部下を
いつもふんわりと、優しく笑っている竜姫さんが、そんな辛そうにしている姿は、見たくない。まったくもって、見たくない。
だって、彼女が俺なんかに頭を下げる必要なんて、本当にないのだから。
「ダメですよ、竜姫さん」
「……えっ?」
だから俺は、そんな彼女さんに、ハッキリと伝える。
同じ立場にいる者として、しっかりと。
「悪の組織の長が、そんなに素直に謝ってばかりじゃ、こんな悪い男に、いいように付け込まれちゃいますよ?」
「あみゅ」
俺は落ち込んでいる竜姫さんの隙をついて、自分の両手を使い、そっと彼女の柔らかいほっぺたを挟みこんでしまう。その大きな瞳を、びっくりしたように見開いて、ぱちくりさせている竜姫さんが、なんとも可愛らしい。
ふっふっふっ、俺みたいな悪党の手にかかれば、これくらいの
「それに、別に竜姫さんが気に病む必要なんて、これっぽっちもありません。だって結局のところ、やると決めたのは、全部俺なんですから」
そう、つまるところは、それが全てだ。
別に誰に騙されたわけでも、気付かないうちに巻き込まれたわけでもない。ただ、俺自身が考えて、俺自身が決めたにすぎない。
だったら、その責任は全て、俺にある。そこから逃げるのは、悪がどうたらとか、まったく関係ない。ただの卑怯者だ。
いくら不安を感じていようとも、そこからは、絶対に目を背けてはいけないということは、俺にだって分かっている。
「だから、竜姫さんはもっと、堂々としてていいんです。むしろ俺のことを利用してるくらいのつもりで、笑っててくださいよ」
というわけで、これが俺の本心だ。
どうせなら、俺の側にいるみんなには、ずっと笑顔でいて欲しいという、わがままな願いである。
「そんにゃ、ひつれいなことは……」
「はははっ、なに言ってるのか、よく分からないですよ!」
なので、俺は笑いながら、竜姫さんのスベスベなほっぺから、手を離す。
そう、まずは自分が笑っていないと、みんなを笑顔になんて、できるはずもない。
「……ねえ、竜姫さん。今夜も月が綺麗ですね」
「……はい、本当に」
俺と竜姫さんは、二人並んで、いつかのように、夜空を見上げる。
大事な決戦を前に、どこか悲壮感すら漂っていた屋上の空気が、少しだけ穏やかになった気がして……、ああ、なんだか大切なことを、思い出せたようだ。
「三日月って、なんだかお月様が、夜空でウインクしてるみたいに見えませんか?」
「ふふっ、統斗さまったら」
俺の冗談に、竜姫さんが笑ってくれる。
その無邪気な笑顔が、俺の心を強くする。
「そうそう、やっぱりそっちの方が、竜姫さんは魅力的ですよ」
「もう、お世辞がお上手なんですから……」
それだけで、俺がここに立っている理由としては、十分だ。
「まあ、しばらく俺に任せてくださいよ。ほら、前にも言いましたよね? あなたの婚約者を、もっと頼ってくださいって」
だから俺は、冗談めかしてウインクしながら、いつかの約束を、いつかの決意を、この心に呼び起こす。
だって、竜姫さんには、もっともっと、笑って欲しいのだから……。
こんなところで、
「統斗さま……」
「そうだ! この作戦が全部終わったら、竜姫さんは、なにかしたいこととか、なんでもいいんですけど、ありますか?」
というわけで、これから前に進むために、楽しい話をしていこう。
「やりたいこと、ですか……?」
「そうそう! 大事な局面を乗り切りには、やっぱりモチベーションってやつが大切ですからね。苦労には、それに見合った御褒美がないと」
今回の戦いで、なにが終わるというわけではない。
俺にも、竜姫さんにも、まだまだ先があるのだから。
「……そうですね!」
そんな俺の提案に、竜姫さんが表情を
うん、やっぱり彼女には、こういう雰囲気の方が、よく似合う。
「だったら、私……、統斗さまや、
そして、そんな竜姫さんから飛び出したのは、まったく悪の組織の長らしくない、とっても可愛らしい願い事だった。
そういえば、彼女は生まれた時から、ずっと八咫竜の中で育てられたせいで、学校に通ったことがないらしいので、同年代のみんなと一緒にいるうちに、そういう体験をもっとしたいと、思ってくれたのかもしれない。
だったら、俺のやるべきことは、やりたいことは、決まっている。
「いえ、そんなことありませんよ。いいじゃないですか、それ! 楽しそうですし、みんなもきっと、喜びますよ!」
「ほ、本当ですか……? だったら、嬉しいです!」
竜姫さんの願いを叶えるために、全力を尽くそうじゃないか。
「あっ、でも
なるほど、確かに、竜姫さんの言う通り、樹里先輩は三年生なのだから、もう残り数カ月で卒業となってしまう。それは、おめでたいことであると同時に、やっぱり、どこか寂しい現実ではある。
まあ、だけど、そんなことは関係ない。
「大丈夫ですよ! いざとなったら、俺の権限で、先輩の通う大学を、俺たちの学校と同じ敷地に移転させちゃいますから!」
俺はただ、自分のやりたいように、やるだけだ。
「ふふふっ、統斗さまったら、とっても
「そうですよ? 知らなかったんですか?」
自分たちが笑うためなら、どんなことだってしてみせる……。
「だって俺は、悪の総統なんですから!」
それこそが、俺が決めた、俺の生き方なのだから。
「それじゃ、楽しい明日を手にするために、今日も一日、頑張りましょうか!」
「……はい!」
俺と、竜姫さん。お互いに、悪の組織を
ああ、それだけで、十分だ。
今はただ、ここから始めよう。
「そうだ! それから私、統斗さまと一緒のお布団で寝たいです!」
「いや、それはまだちょっと……」
まあ、あれだ、なんにせよ……。
天下分け目の決戦は、もうすぐそこにまで、迫っているのだった。
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