6-1


 月はいつも、そこにある。



 俺たちヴァイスインペリアルと八咫竜やたりゅうの戦いも、遂に最後の大詰めを迎えることになったということで、これからの決戦にそなえて、色々と作戦を伝えたり、話し合いや調整を行ったりして、それも一段落したので、本格的に準備を始めるのは、空に太陽が昇ってからにしようと、それぞれ身体を休めるために、会議を切り上げて、各々の部屋に戻ったのが、つい先ほどの話だ。


 そして、一人になった俺は、隠れ家として使っている、古式ゆかしいラブホテルの屋上で、こうしてのんびりと、夜空を見上げている。


「あー……、夜風が気持ち良いなぁ……」


 なんて、このお城みたいな建物の頂上には、俺以外誰も居ないのに、思わずそんな独り言なんて出てしまうのは、緊張と、そして不安のせいだということは、ちゃんと自覚していたりする。


 どんなに綿密に練り上げて、どれだけ入念に準備して、どれほど慎重に動いても、どんな不測の事態が起きるのか、分からない。この作戦が絶対に成功すると、信じてはいるけれど、失敗する可能性は、どうしたってゼロにはならない。


 万が一にでも、俺の立てた作戦のせいで、大事な仲間たちに危険が訪れるかもしれないなんて、考えるだけでも怖気おぞけが走る。嫌だ。耐えられない。


 しかし、だからといって、ここで立ち止まることはできない。


 リスクから逃げてばかりいては、なにも掴めやしない。俺たちは悪の組織なのだ。大きなものを得たいのならば、もえさからう炎にこの身をさらし、荒れ狂う大渦に飲み込まれ、底の見えない地の底に飛び込むような危険に、挑む覚悟が必要なことがあるなんてことは、もちろん分かっている。


 分かっているけど、割り切れないのが、俺のまだ未熟なところなのだろう。


「はあ……」


 とはいえ、すでにさいは投げられた。明日の、いや、もうすでに日付は変わっているから、今日の夜には、かれしかれ、大きく状況は変わっているだろう。



 決着の時は、近い。



「あっ、統斗すみとさま……。こんなところで、どうなされたのですか?」


 なんて、少しだけ感傷的になってしまっていた俺は、やはり気が抜けていたのか、

いつのまにか、すぐ近くにやって来ていた少女に、気付くのが遅れてしまった。


 深い夜の闇の中で、白い道中着姿の彼女が、美しく輝いて見えるのは、月の明かりに照らされているせいなのか、この女の子が生来持っている資質によるものなのか。


「いえあの、俺はちょっと、明日のために、集中力を高めていたといいますか……。えっと、それよりも、竜姫たつきさんは、どうしたんですか?」


 そんな彼女に、ちょっと弱気になっている自分を見られてしまった気がして、なんだか恥ずかしくなってしまい、思わず慌ててしまった。


 なんというか、なんとも情けない俺なのであった……。


「その、私は……、少し落ち着いて、これからのことを考えようかと……」


 どこかうれいをびた竜姫さんが、物寂しい屋上のフェンスに寄りかかっていた俺のすぐそばにやって来て、そっと夜空を見上げている。


 やはり、八咫竜のおさという立場にいる者として、彼女にも強く、そして重い思いがあるのだろう。多分、俺なんかよりも、余程。


「そうなんですか……」

「はい、そうなんです……」


 俺と竜姫さんは、それだけ、ポツリと言い合うと、互いに口をつぐんでしまった。こうして二人で並んでいるというのに、なんだかひどく、遠く感じる。


 うーん……、なにか、気の利いた事を言えればいいんだけど……。


「……あの、統斗さま」

「あっ、な、なんですか?」


 なんて、俺がモゴモゴと、口を開くことを躊躇ためらっているうちに、竜姫さんの方から先に、話を切り出されてしまった。


 ううっ……、もっとしっかりしろ、俺!


「このたびは本当に、申し訳ありません……」

「え、えっと、いやいやいや、どうしたんですか、突然?」


 とはいえ、いきなり神妙な顔をした竜姫さんに、深々と頭を下げられてしまうと、こちらとしては、訳が分からないので、どうしても困惑してしまう。


 いや本当に、俺が彼女に謝られる理由なんて、まったくないんだけど……。


「本来ならば、統斗さまのお力になるはずが、私の力不足のせいで、こんな身内同士の争いごとに、巻き込んでしまって……」


 憂いを帯びた竜姫さんが、その長いまつ毛を震わせて、うつむいてしまっている。


「それに、ここに来てからも、統斗さまや、桃花さんたち、ヴァイスインペリアルの皆様に、お世話になりっぱなしで……」


 その悲しみを押し殺すように、彼女はその可憐な唇を、強く噛み締めている。


「今回の作戦も、全て統斗さまたちにお任せしてしまい、八咫竜の長として、部下をいさめねばならない私が、なにもしていませんし……」


 いつもふんわりと、優しく笑っている竜姫さんが、そんな辛そうにしている姿は、見たくない。まったくもって、見たくない。


 だって、彼女が俺なんかに頭を下げる必要なんて、本当にないのだから。


「ダメですよ、竜姫さん」

「……えっ?」


 だから俺は、そんな彼女さんに、ハッキリと伝える。


 同じ立場にいる者として、しっかりと。


「悪の組織の長が、そんなに素直に謝ってばかりじゃ、こんな悪い男に、いいように付け込まれちゃいますよ?」

「あみゅ」


 俺は落ち込んでいる竜姫さんの隙をついて、自分の両手を使い、そっと彼女の柔らかいほっぺたを挟みこんでしまう。その大きな瞳を、びっくりしたように見開いて、ぱちくりさせている竜姫さんが、なんとも可愛らしい。


 ふっふっふっ、俺みたいな悪党の手にかかれば、これくらいの蛮行ばんこうは、簡単に実行可能なのである。舐めてもらっては、困るのだ。


「それに、別に竜姫さんが気に病む必要なんて、これっぽっちもありません。だって結局のところ、やると決めたのは、全部俺なんですから」


 そう、つまるところは、それが全てだ。


 別に誰に騙されたわけでも、気付かないうちに巻き込まれたわけでもない。ただ、俺自身が考えて、俺自身が決めたにすぎない。


 だったら、その責任は全て、俺にある。そこから逃げるのは、悪がどうたらとか、まったく関係ない。ただの卑怯者だ。


 いくら不安を感じていようとも、そこからは、絶対に目を背けてはいけないということは、俺にだって分かっている。


「だから、竜姫さんはもっと、堂々としてていいんです。むしろ俺のことを利用してるくらいのつもりで、笑っててくださいよ」


 というわけで、これが俺の本心だ。


 どうせなら、俺の側にいるみんなには、ずっと笑顔でいて欲しいという、わがままな願いである。


「そんにゃ、ひつれいなことは……」

「はははっ、なに言ってるのか、よく分からないですよ!」


 なので、俺は笑いながら、竜姫さんのスベスベなほっぺから、手を離す。


 そう、まずは自分が笑っていないと、みんなを笑顔になんて、できるはずもない。


「……ねえ、竜姫さん。今夜も月が綺麗ですね」

「……はい、本当に」


 俺と竜姫さんは、二人並んで、いつかのように、夜空を見上げる。


 大事な決戦を前に、どこか悲壮感すら漂っていた屋上の空気が、少しだけ穏やかになった気がして……、ああ、なんだか大切なことを、思い出せたようだ。


「三日月って、なんだかお月様が、夜空でウインクしてるみたいに見えませんか?」

「ふふっ、統斗さまったら」


 俺の冗談に、竜姫さんが笑ってくれる。


 その無邪気な笑顔が、俺の心を強くする。


「そうそう、やっぱりそっちの方が、竜姫さんは魅力的ですよ」

「もう、お世辞がお上手なんですから……」


 それだけで、俺がここに立っている理由としては、十分だ。


「まあ、しばらく俺に任せてくださいよ。ほら、前にも言いましたよね? あなたの婚約者を、もっと頼ってくださいって」


 だから俺は、冗談めかしてウインクしながら、いつかの約束を、いつかの決意を、この心に呼び起こす。


 だって、竜姫さんには、もっともっと、笑って欲しいのだから……。


 こんなところで、すくんでいる暇はない。


「統斗さま……」

「そうだ! この作戦が全部終わったら、竜姫さんは、なにかしたいこととか、なんでもいいんですけど、ありますか?」


 というわけで、これから前に進むために、楽しい話をしていこう。


「やりたいこと、ですか……?」

「そうそう! 大事な局面を乗り切りには、やっぱりモチベーションってやつが大切ですからね。苦労には、それに見合った御褒美がないと」


 今回の戦いで、なにが終わるというわけではない。


 俺にも、竜姫さんにも、まだまだ先があるのだから。


「……そうですね!」


 そんな俺の提案に、竜姫さんが表情をほころばせ、花のような笑顔を見せてくた。


 うん、やっぱり彼女には、こういう雰囲気の方が、よく似合う。


「だったら、私……、統斗さまや、桃花ももかさんたちと一緒に、学校というものに通ってみたいです! あの、私的なお願いすぎて、恥ずかしいんですけれど……」


 そして、そんな竜姫さんから飛び出したのは、まったく悪の組織の長らしくない、とっても可愛らしい願い事だった。


 そういえば、彼女は生まれた時から、ずっと八咫竜の中で育てられたせいで、学校に通ったことがないらしいので、同年代のみんなと一緒にいるうちに、そういう体験をもっとしたいと、思ってくれたのかもしれない。


 だったら、俺のやるべきことは、やりたいことは、決まっている。


「いえ、そんなことありませんよ。いいじゃないですか、それ! 楽しそうですし、みんなもきっと、喜びますよ!」

「ほ、本当ですか……? だったら、嬉しいです!」


 竜姫さんの願いを叶えるために、全力を尽くそうじゃないか。


「あっ、でも樹里じゅりさんは、もうすぐにでも、ご卒業されてしまうのでしたね……」


 なるほど、確かに、竜姫さんの言う通り、樹里先輩は三年生なのだから、もう残り数カ月で卒業となってしまう。それは、おめでたいことであると同時に、やっぱり、どこか寂しい現実ではある。


 まあ、だけど、そんなことは関係ない。


「大丈夫ですよ! いざとなったら、俺の権限で、先輩の通う大学を、俺たちの学校と同じ敷地に移転させちゃいますから!」


 俺はただ、自分のやりたいように、やるだけだ。


「ふふふっ、統斗さまったら、とっても傍若無人ぼうじゃくぶじんなんですね?」

「そうですよ? 知らなかったんですか?」


 自分たちが笑うためなら、どんなことだってしてみせる……。


「だって俺は、悪の総統なんですから!」


 それこそが、俺が決めた、俺の生き方なのだから。


「それじゃ、楽しい明日を手にするために、今日も一日、頑張りましょうか!」

「……はい!」


 俺と、竜姫さん。お互いに、悪の組織をたばねる立場にいるという、本来ならば敵対していてもおかしくない二人が、今はこうして笑い合いながら、並んで冷たい夜空の下から抜け出して、仲間たちのいる愛の城へと戻っていく。


 ああ、それだけで、十分だ。


 今はただ、ここから始めよう。

 

「そうだ! それから私、統斗さまと一緒のお布団で寝たいです!」

「いや、それはまだちょっと……」


 まあ、あれだ、なんにせよ……。


 天下分け目の決戦は、もうすぐそこにまで、迫っているのだった。


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