5-9


 それは、ある意味では絶妙で、ある意味では最悪のタイミングだといえた。


『ふんっ! どうした! 驚きすぎて、声も出せないか!』


 いや、これはただ、あきれているだけである。



 ここは、八咫竜やたりゅうにとって重要な、龍剣山りゅうけんざんのお膝元……、夜空に輝く、月の明かりすら頼りない、深く暗い森の中。


 そんな場所で、八咫竜の最高幹部である八岐衆やまたしゅううちの三人と、彼らと敵対している悪の組織、ヴァイスインペリアルの総統……、つまり俺が、これから死闘を繰り広げようとしていた、まさにその時、残念なくらい空気を読めない感じで割り込んできたのは、やっぱり残念な男だった。


『はっ! なるほどな! 恐怖のあまり、身動きもできないのだろう!』


 なにやら勝手に納得しながら、自己完結して満足し、気持ちの悪い笑みを浮かべているあの男は、今回、八咫竜で起きたクーデターの首謀者であり、八岐衆の裏切り者をたばねる筆頭でもあるいちくび……、黒縄こくじょう


 ああして、この森の上空に投影された、バカでかいスクリーンの中でふんぞり返りながら、ニヤニヤとこちらを見下ろしている様子からも分かるように、非常に性格が悪い男だ。


 というか、一体どういう技術か知らないが、あの映像って空に大きく映し出されているもんだから、木の先端とかが視界に入ってしまって、なんだか微妙に見づらいというか、やっぱり残念な感じである。ここからだと、木の影のせいで、まるで黒縄の鼻から、鼻毛が出てるみたいに見えちゃうし。


『まったく、あれだけの大口を叩いていたというのに、なんとも惨めなものだな! なあ、シュバルカイザーよ! はーっはっはっはっはっ!』


 うん、奴とは前に一度、やはり通信越しにだが、一度だけ顔を合わせた事がある。その時に、敵の冷静さをぐためと、なるたけ嫌われておこうとしてみたのだけど、どうやら成功していたようだ。よかった、よかった。


 しかし、それはそれとして、調子に乗った黒縄は、あの大きなモニターに似合っただけの大声でわめいていやがるので、単純にうるさいな……。


『まったく、私の部下たちに、手も足も出ないなんて、無様ぶざまの極みだな!』

「…………」


 しかも、そんなうるさい黒縄に反応する奴が、ここには誰もいないし。


 というか、俺はともかく、八岐衆の仲間であるはずの三人まで、全然盛り上がっていないというか、むしろしらけてるように見えるのは、どうなんだよ、おい。


「……ふあ~あ」


 蒼琉そうりゅうは完全に興味がないのか、空を見上げようともせず、欠伸あくびなんてしてるし。


「……ちっ、誰がお前の部下だよ」


 牙戟がげきは小声で、ブツブツと文句を言っている。


「…………」


 白奉びゃくほうでさえも、じっと目を瞑って、微動だにしない。


 でも、なるほどね……。


 そんな彼らの様子が、なによりも如実に、かつ明確に、八咫竜を裏切った者たちといえども、決してその意思を一つにしているわけはないのだと、雄弁ゆうべんに語っていた。


 まったく、こちらにとっては、有益な情報だけど、それでいいのか、あんたたち。まあ、それも悪の組織らしいといえば、らしいのかもしれないけれど。


『ふっ、なにを考えているのか、我らの庭で単独行動とはな。もしかして、自殺願望でもあったのかな? そんなことだから、私の策によって、仲間の助けも得られず、貴様はそうやって、一人で死んでいくのだ! ははははっ!』


 うーん、得意気に語る黒縄の様子を見るに、嘘をついているというよりも、単純に自分の力を示したいだけのようだ。


 どうやら、大量の人員でエビルセイヴァーを足止めしてる間に、奴らの中で最強の精鋭を使って、憎き俺のことを、一気に討ち取りたかったようだけど、個人的には、そんなに勝負を焦らないで、じっくり責められた方が、確実にやりづらかったとは、言わない方がいいだろう。黒縄には、もう少し調子に乗ってもらった方がいい。


 今は、そんなことよりも、あの巨大スクリーンに映っている奴が、どう見ても屋内にいるということのほうが、俺には気になる。


 どうやら黒縄は、奴自身が直接、この場に来る気はないようだ。


「……エビルセイヴァーに連絡。作戦は終了。予定通り撤退するから、そっちにいる阿香あか華吽かうんに、八咫竜の構成員たちを引っ張って、こっちに合流してくれ」

『了解!』


 だとすれば、俺がこれ以上、ここで粘る理由はない。


 俺は奴らに聞こえないように、仲間にだけ伝わる通信を使って、こことは別の場所で戦っている仲間たちを呼び寄せる。


『それで、どうか死ぬ前に教えて欲しいんだが、貴様は一体、こんな無駄で、無謀な真似をして、一体なにがしたかったんだ?』


 どうやら、黒縄はこちらの真意には気付いていないようだし、ここはさっさと作戦を切り上げるために、最後のめに入るとしよう。


 目的を達成したのなら、長居は無用だ。


「いや別に、たださ、なんだっけ、例の……、アマノムラクモだっけ? よく覚えてないけど、そいつが、そこにあるんだろ? なんか、それって俺のものみたいだし、頂戴ちょうだいしておこうかなって。だって、そっちはもう、その剣は要らないんだろ?」


 なんて、俺は適当なことを言いつつ、相手の隙を誘うため、奴らにとっては、触れられたくもないだろう話題に、わざと土足で踏み込んでみる。


「だって、お前たちの誰も、使うどころか、抜けもしないんだからさ」


 俺が呑気のんきに、馬鹿にするように、そう言い放った瞬間、笑えるくらいハッキリと、周囲の空気が凍り付いた。


「なんだと! 野郎、ぶっ殺してやる!」


 もっとも素早く反応した牙戟は、その怒りを隠そうともしない。


「……ふーん」


 どこか飄々ひょうひょうとしていた蒼琉も、明らかな敵意を持って、俺のことを睨んでいる。


「…………っ!」


 そして、あの白奉すらも、その眉を吊り上げて、こちらに目を向けた。


『……やれ! 絶対にそいつを、生きて帰すな!』


 そして、自分たちが竜姫たつきさんを裏切ったのは、その剣を抜いた者に従うだなんて、古い慣習に従いたくないからだ、なんて言っていた当の本人である黒縄が、その激情を隠そうともせず、怒りに任せて命令を下す。


 いやはや、天叢雲剣あまのむらくものつるぎなんて、どうでもいいと言いながら、この反応。


 ほら、効果は覿面てきめんだ。


「噛み潰す!」


 分かりやすく怒り狂った牙戟が、その両手にそれぞれ持った、方天画戟ほうてんがげきと呼ばれる槍のような武器を振り回しながら、勢いよく大地を蹴って、こちらに向けて突っ込んで来たが、その感情の揺らぎを表すように、動きが荒い。


 悪いけど、その程度の攻撃を、喰らってやるわけには、いかないな。


「よっと」

「チェストッ!」


 牙戟が振り下ろした槍の先についている三日月型の刃を、ギリギリの鼻先で避けた俺に向けて、恐ろしい勢いで肉迫してきた蒼琉が、その鞘に収めていた日本刀を抜き放ち、袈裟けさけに斬りつけてくるが、やはり動きにあらが見える。


 この程度ならば、別に大きく動かずとも、避けるのは容易たやすい。


「くそったれ! 俺様の方天画戟が、届かないだと!」

「――ちっ、意外とすばしっこいね」


 大声で悪態をつく牙戟の突きを避け、静かにこちらを狙う蒼琉の斬撃をかわす。


 どちらの攻撃も、一見いっけんすると、俺の回避した先を狙って放たれているように見えるけど、そのどちらもが、自分が敵を討ち取りたいという欲求が強すぎて、タイミングがズレてしまっている。


 要するに、が強く出すぎてしまって、連携に齟齬そごが生まれてしまってるのだ。


 こうなってしまえば、後は相手の動きを見極め、超感覚を使い、先の先の先くらいまで読んでしまえば、安全に回避行動を取り続けることも、そう難しくない。


 いやむしろ、今後のことを考えれば、この機会を逃さずに、敵対者であるこの二人に対して、少しでもダメージを与えて、戦力を削っておきたいところではある。


 だけど……!


「――喰らえ!」

「――ぬんっ!」


 相手のわずかな隙を狙って、俺が放った右拳は、凄まじい加速と共に飛び込んで来た白奉が、その両手に装着している手甲によって、見事に防ぎ切られてしまった。


 ある程度予測していたので、ちゃんと加減をして打ち込んだから、今度はカイザースーツに損傷を受けるような、マヌケな事態は避けられたが、それにしたって、見事に防御されてしまったことには、変わりない。


「……ふっ、まだ甘いな」

「この、どんだけ硬いんだよ!」


 やはり、ここで問題になるのは、あの熟練の老兵……、白奉の存在だった。


 単純に強いのに、まったく慢心もせず、淡々と自らの仕事をこなす姿には、尊敬の念すら覚えてしまいそうだが、敵対している身としては、たまったものではない。


 しかし、その職人気質というか、使命感のようなものこそが、付け入る隙だ。


「だったら、こっちだ!」


 虎のような爪と、盾のような形状が同居する手甲を、油断なく構えている白奉が、本格的にこちらに攻めてくる前に、俺はまだ荒い牙戟と蒼琉の斬撃を避けつつ、その隙をついて、二人には避けられない攻撃を繰り返す。


「……させん!」


 そのたびに、仲間の危機をかばった白奉は、防御を優先し、こちらに向かって攻めてはこない。それだけで、こちらとしては、ずいぶんと動きやすくなる。


 もちろん、気の抜けた攻撃まで身代わりになるほど、過保護ではないだろうけど、それでも十分に、効果はあった。


 気配を探れば、エビルセイヴァーがここにやってくるまで、もう少しだと分かる。


 こんな攻撃を続けていても、相手を倒すことなどできないだろうけど、彼女たちが到着するまでの時間を、コツコツと稼ぐくらいは可能というわけだ。


「師匠!」

「うむ……!」


 こちらの目論見もくろみに気付いたのか、白奉に何度も庇われたことで、逆に冷静になったらしい牙戟が、両手に一つづつ持っていた方天画戟の片割れを、自らの師匠に投げて渡しながら、これまでよりも慎重な攻め方に変えてきた。


 そして、弟子の武器を受け取った白奉が、見事なまでの手捌てさばきで、物騒な長物ながものを、まるで爪楊枝かなにかのように、軽々と振り回し、目にも止まらぬ早業はやわざで、致命的な威力を込めて、き、ぎ、叩き、斬りつけてくる。


 っていうか、普通に武器の扱いが、牙戟より上手い! 


 武芸百般ぶげいひゃっぱんとは聞いていたけど、ここまで凄まじいものなのかよ!


「くっ、面倒な……!」

「――チェスト!」


 息の合った師弟コンビの、見事な連携の前に、少しづつ押され始めてしまった俺の隙を逃さず、冷静さを取り戻したらしい蒼琉が、一撃必殺を狙うのではなく、確実にこちらを追いつめる動きで、他の二人と連携を取り始める。


 空気を切り裂くような白奉の横薙ぎを避けた先で、待ち構えていた牙戟の突きを、拳ではじいた瞬間を狙って、斬りかかってきた蒼琉を、沈むようにして躱したが、その一瞬を逃さず放たれた、白奉の手甲による一撃から、転がるようにして逃げた先で、待ち構えていた牙戟が、叩きつけてきた方天画戟を、かいくぐりながら立ち上がった先では、もうすでに、蒼琉が次の一撃を繰り出していて……!


 まずい。

 俺の方から、攻め込む隙がない。


 やはり、厄介なのは、白奉だ。


 こちらの動きの要所を、確実に潰してくる上に、さらりと、他の二人が動きやすいように、見事な位置取りで動きつつ、こっちの方から、いざ攻勢に出ようとしても、有効打が全て防がれてしまうのでは、どうしようもない。


 まさに、鉄壁。


 あの老兵が一人いるだけで、こちらは攻め手を失い、あいつらの強さは、ケタ違いに跳ね上がっている……!


『ふはははっ! なんだなんだ、手も足も出せないか!』


 こちらの戦況を、空から見下ろしている黒縄が、ご機嫌な様子で、俺のことを馬鹿にしてくるが、奴の言うことは、そうそう間違っていない。


 今の俺は、誰がどう見たって、苦戦を強いられている。


 そして、そう思ってくれているのなら、こっちとしては、万々歳ばんばんざいだ。


 ……それに。


『さあ、このまま地獄へ落ちるが……、むっ!』


 時間はすでに、もう十分に稼いだ。


「マジカル! メデゥーズ・シューター!」

「ぬうっ!」


 その手甲に備え付けられた禍々まがまがしい爪を、こちらに向けて突き立てようとしていた白奉が、素晴らしいタイミングで現れてくれたエビルピンクの放った銃撃に、不意をつかれてくれたようで、僅かに視線をそちらに向けた。


 俺はその一瞬を逃さず、この化物のような老人から、距離を取る。


「マジカル! ヴォルカン・アーム!」

「マジカル! バミューダ・アロー!」


 さらに続けて飛び出してきたエビルレッドが、呆気あっけにとられた様子の牙戟を、思い切り殴り飛ばし、その後ろに続いているエビルブルーが、走りながらも見事な正確さで放った矢が、蒼琉を襲う。


「ぐうっ、敵の新手かよ!」

「いや、それだけじゃないみたいですよ……!」


 うなるような声を上げている牙戟は、レッドの拳をギリギリのところで、方天画戟のつかを使って防いだようだが、状況を把握しきれていない。


 ブルーの放った無数の矢を切り払った蒼琉は、周囲が見えているようだが、俺への警戒が薄まってしまっている。


 その隙を残さず、俺はこの死地から脱出して、やって来てくれた仲間たちと、即座に合流を果たすことに、成功した。


 そして、次の瞬間……。



 エビルセイヴァーに続いて、大量の人間が、操られている八咫竜の戦闘員たちが、怪人たちが、この場に雪崩れ込んでくる。



『なにをしている! 阿香! 華吽!』

「あわわっ! ごめんなさ~い!」

「うわあっ! 許してくださ~い!」


 今更のように、黒縄が慌てながら、エビルセイヴァーを追いかけてきた阿香と華吽を怒鳴り散らしているが、もう遅い。


 ここまできたら、勝負は一瞬だ。


「マジカル! フォーリッジ・シールド!」

「マジカル! カナリー・フラッシュ!」


 エビルグリーンが展開した、渦巻く風のような障壁によって、数えるのも嫌になるほど大量にいる敵は、同じ場所に集められ、エビルイエローの放った閃光によって、その動きを止めることになる。


「――はっ!」


 さらに保険として、俺は巨大な魔方陣を構成し、可能な限り頑丈になるように構成を編み込んだ上で、まるで料理を覆い隠すドームカバーのように、八咫竜の皆さんを全員まとめて、囲い込んでしまう。


「むう、防壁か……」

「師匠! こんなの、自分が速攻でぶっ壊して……、うわ、邪魔だ、お前ら!」

「無理ですよ、牙戟さん。これじゃ、まともに動けません」


 とはいえ、あの三人ならば、こちらの用意した障害を素早く突破することは、十分可能だろうけど、あんな密集地帯では、そう簡単ではないはずだ。


 後の心配は、奴らが周りにいる八咫竜の部下たちを、なりふりかまわずして、こちらを追ってくるかどうかだったのが、そんな様子は見られない。


 どうやら、そのくらいの理性は、まだ残ってくれていたようで、こちらとしても、一安心ひとあんしんだ。まあ、あの白奉が、そんな真似をするとは、思えないけれど。


『くそ! お前ら、なにをしている!』


 顔面を紅潮させた黒縄が、部下たちをなじっているが、なにをしているもなにも、前に一度、そこにいる阿香と華吽が、見事に引っかかったのと、まったく同じような手によって、動けなくなっているだけである。


 というか、むしろお前の方が、指揮官として、なにをしているんだ。


 対策くらい、練っておけ。


「…………」


 しかし、俺とエビルセイヴァーは、そんな残念な黒縄には、なにを言うでもなく、ただ黙って、素早く、即効で、ひとまとめにした八咫竜を、後ろに置き去りにして、この場から駆け出し、戦場から逃走する。


 そう、目的は果たした。


 後は、この森から脱出すればいい。


『ふふふっ! そんなに簡単に逃げられるなんて、思わないでくださいな?』


 そんな俺たちを嘲笑あざわらうように、若い女の声が、この森に響き渡った。姿はまったく見えないが、声を聞けば、それが誰かは、すぐに分かる。


 八咫竜が五の首……、空孤くうこだ。


 俺たちが、この森に入った瞬間に感じた、あの不気味な視線は、森中にびっしりと仕掛けられた護符によるものだということは、実は最初から分かって……。


 いや、


 不審を感じたのだから、その原因を探るのは当然だ。後は、最近この目に宿やどった、便利な力を使えば、それほど手間もかからない。そして、その原因が、前にも一度、見たことがあるものならば、それを誰が仕掛けたかなんて、考えるまでもない。


 そう、だから、全ては想定内だ。


 護符の効果範囲は、もう見切っている。この森さえ抜けてしまえば、八咫竜の監視を振り切って、安全に逃亡することは、そう難しいことでもない。


占術せんじゅつ秘奥ひおう……、八門遁甲はちもんとうこんじん!』


 得意気な空孤が、そう叫んだ瞬間、この森に張り巡らされた護符が複雑に起動し、その効力を発揮する。


『さあ、永遠に迷い続けて、この森でててもらいましょうか?』


 それによって、この森全体に謎の力場が発生し、こちらの方向感覚が、距離感が、時間の感覚が、絶妙に自覚できない範囲で、狂わされていく。


 おそらく、これのせいで、俺たちは延々と、この森の中を彷徨さまようことになる……、ようにしたいのだろうけど、残念ながら、そうはいかない。この摩訶不思議な現象の仕組みも、原因である護符の位置も、俺には見えているのだから、対処は可能だ。


 しかし、だからといって、ここであっさりと、調子に乗ってくれている相手の鼻を折るような真似は、したくない。


 だから、俺たちはあえて、慌てたような仕草をしながら、闇雲やみくもに動いているように見せて、そのじつじわじわと、後ろにいる八咫竜から着実に距離を取りつつ、頃合いを見計らって、しびれを切らしたかのように、周囲を滅茶苦茶に攻撃してみせる。


『あら? そんな無駄な足掻あがきをしても……』


 そして、その乱雑な攻撃に紛れ込ませるように、俺は的確に数枚の護符を破壊し、八門遁甲とやらが弱まった隙間すきまって、この森の外へと向かう。


 俺だけでなく、エビルセイヴァーのみんなも、迫真の演技をしてくれている。これならば、あくまでも偶然、たまたま、敵の術を抜け出したように見えるだろ


『……チッ! 運のいい奴らね……』


 よしよし、こちらの狙い通りに、俺たちを取り逃がした空孤の声からは、悔しさというよりも、どこか他人を見下すような、さげすみを感じる。


 そう、この後のことを考えたら、八咫竜にはせいぜい、調子に乗ってもらい、余裕に胡坐あぐらをかいて、こちらのことを舐めてもらった方が、都合が良い。


『ふんっ! まあいいだろう! 貴様にはそうやって、コソコソと逃げている姿が、お似合いだ! ははははっ! お前のたくらみは、失敗に終わったぞ!』


 森の出口は、もう目の前だ。ここまできたら、もはや俺たちの逃走を止めることはできないと、奴にだって分かっているだろうに、黒縄は、それでも不遜ふそんに勝ち誇り、的外れな罵声を繰り返している。


 それは勝利宣言というよりも、負け犬の遠吠えに等しかった。


「…………」


 しかし、俺は黒縄の暴言に対して、なにも反論しない。

 ただ黙って、嘲笑う敵に背を向け、逃げるだけ……。


 それだけで、十分だ。


『どうした! くやしくて、声も出ないか! そうだ、貴様は負けたのだ! この私の策によって、完膚かんぷなきまでに、無様ぶざまに、みじめにな! ふはははははっ!』


 そうすれば、あいつみたいなタイプは、こちらの沈黙を都合よく自分解釈し、自らが望むとおりの妄想を積み上げて、勝手にいい気分になってくれる。


 実は奴の方こそが、俺たちの策にハマっていることにも、気付かずに。


「……ふっ」


 うまくいきすぎて、恐いくらいだが、これにてミッションコンプリートだ。幸いなことに、俺がこらえ切れなかったみは、カイザースーツが隠してくれた。


「よーし! それじゃあ、帰りますか!」


 こうして俺たちは、当初の予定通り、全員無事に怪我もなく、作戦の成功を喜びなながら、俺たちへの根城へと帰還する。


 そう、これは……。


 勝利という名の、敗走だ。


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