5-9
それは、ある意味では絶妙で、ある意味では最悪のタイミングだといえた。
『ふんっ! どうした! 驚きすぎて、声も出せないか!』
いや、これはただ、
ここは、
そんな場所で、八咫竜の最高幹部である
『はっ! なるほどな! 恐怖のあまり、身動きもできないのだろう!』
なにやら勝手に納得しながら、自己完結して満足し、気持ちの悪い笑みを浮かべているあの男は、今回、八咫竜で起きたクーデターの首謀者であり、八岐衆の裏切り者を
ああして、この森の上空に投影された、バカでかいスクリーンの中でふんぞり返りながら、ニヤニヤとこちらを見下ろしている様子からも分かるように、非常に性格が悪い男だ。
というか、一体どういう技術か知らないが、あの映像って空に大きく映し出されているもんだから、木の先端とかが視界に入ってしまって、なんだか微妙に見づらいというか、やっぱり残念な感じである。ここからだと、木の影のせいで、まるで黒縄の鼻から、鼻毛が出てるみたいに見えちゃうし。
『まったく、あれだけの大口を叩いていたというのに、なんとも惨めなものだな! なあ、シュバルカイザーよ! はーっはっはっはっはっ!』
うん、奴とは前に一度、やはり通信越しにだが、一度だけ顔を合わせた事がある。その時に、敵の冷静さを
しかし、それはそれとして、調子に乗った黒縄は、あの大きなモニターに似合っただけの大声で
『まったく、私の部下たちに、手も足も出ないなんて、
「…………」
しかも、そんなうるさい黒縄に反応する奴が、ここには誰もいないし。
というか、俺はともかく、八岐衆の仲間であるはずの三人まで、全然盛り上がっていないというか、むしろ
「……ふあ~あ」
「……ちっ、誰がお前の部下だよ」
「…………」
でも、なるほどね……。
そんな彼らの様子が、なによりも如実に、かつ明確に、八咫竜を裏切った者たちといえども、決してその意思を一つにしているわけはないのだと、
まったく、こちらにとっては、有益な情報だけど、それでいいのか、あんたたち。まあ、それも悪の組織らしいといえば、らしいのかもしれないけれど。
『ふっ、なにを考えているのか、我らの庭で単独行動とはな。もしかして、自殺願望でもあったのかな? そんなことだから、私の策によって、仲間の助けも得られず、貴様はそうやって、一人で死んでいくのだ! ははははっ!』
うーん、得意気に語る黒縄の様子を見るに、嘘をついているというよりも、単純に自分の力を示したいだけのようだ。
どうやら、大量の人員でエビルセイヴァーを足止めしてる間に、奴らの中で最強の精鋭を使って、憎き俺のことを、一気に討ち取りたかったようだけど、個人的には、そんなに勝負を焦らないで、じっくり責められた方が、確実にやりづらかったとは、言わない方がいいだろう。黒縄には、もう少し調子に乗ってもらった方がいい。
今は、そんなことよりも、あの巨大スクリーンに映っている奴が、どう見ても屋内にいるということのほうが、俺には気になる。
どうやら黒縄は、奴自身が直接、この場に来る気はないようだ。
「……エビルセイヴァーに連絡。作戦は終了。予定通り撤退するから、そっちにいる
『了解!』
だとすれば、俺がこれ以上、ここで粘る理由はない。
俺は奴らに聞こえないように、仲間にだけ伝わる通信を使って、こことは別の場所で戦っている仲間たちを呼び寄せる。
『それで、どうか死ぬ前に教えて欲しいんだが、貴様は一体、こんな無駄で、無謀な真似をして、一体なにがしたかったんだ?』
どうやら、黒縄はこちらの真意には気付いていないようだし、ここはさっさと作戦を切り上げるために、最後の
目的を達成したのなら、長居は無用だ。
「いや別に、たださ、なんだっけ、例の……、アマノムラクモだっけ? よく覚えてないけど、そいつが、そこにあるんだろ? なんか、それって俺のものみたいだし、
なんて、俺は適当なことを言いつつ、相手の隙を誘うため、奴らにとっては、触れられたくもないだろう話題に、わざと土足で踏み込んでみる。
「だって、お前たちの誰も、使うどころか、抜けもしないんだからさ」
俺が
「なんだと! 野郎、ぶっ殺してやる!」
もっとも素早く反応した牙戟は、その怒りを隠そうともしない。
「……ふーん」
どこか
「…………っ!」
そして、あの白奉すらも、その眉を吊り上げて、こちらに目を向けた。
『……やれ! 絶対にそいつを、生きて帰すな!』
そして、自分たちが
いやはや、
ほら、効果は
「噛み潰す!」
分かりやすく怒り狂った牙戟が、その両手にそれぞれ持った、
悪いけど、その程度の攻撃を、喰らってやるわけには、いかないな。
「よっと」
「チェストッ!」
牙戟が振り下ろした槍の先についている三日月型の刃を、ギリギリの鼻先で避けた俺に向けて、恐ろしい勢いで肉迫してきた蒼琉が、その鞘に収めていた日本刀を抜き放ち、
この程度ならば、別に大きく動かずとも、避けるのは
「くそったれ! 俺様の方天画戟が、届かないだと!」
「――ちっ、意外とすばしっこいね」
大声で悪態をつく牙戟の突きを避け、静かにこちらを狙う蒼琉の斬撃を
どちらの攻撃も、
要するに、
こうなってしまえば、後は相手の動きを見極め、超感覚を使い、先の先の先くらいまで読んでしまえば、安全に回避行動を取り続けることも、そう難しくない。
いやむしろ、今後のことを考えれば、この機会を逃さずに、敵対者であるこの二人に対して、少しでもダメージを与えて、戦力を削っておきたいところではある。
だけど……!
「――喰らえ!」
「――ぬんっ!」
相手の
ある程度予測していたので、ちゃんと加減をして打ち込んだから、今度はカイザースーツに損傷を受けるような、マヌケな事態は避けられたが、それにしたって、見事に防御されてしまったことには、変わりない。
「……ふっ、まだ甘いな」
「この、どんだけ硬いんだよ!」
やはり、ここで問題になるのは、あの熟練の老兵……、白奉の存在だった。
単純に強いのに、まったく慢心もせず、淡々と自らの仕事をこなす姿には、尊敬の念すら覚えてしまいそうだが、敵対している身としては、たまったものではない。
しかし、その職人気質というか、使命感のようなものこそが、付け入る隙だ。
「だったら、こっちだ!」
虎のような爪と、盾のような形状が同居する手甲を、油断なく構えている白奉が、本格的にこちらに攻めてくる前に、俺はまだ荒い牙戟と蒼琉の斬撃を避けつつ、その隙をついて、二人には避けられない攻撃を繰り返す。
「……させん!」
その
もちろん、気の抜けた攻撃まで身代わりになるほど、過保護ではないだろうけど、それでも十分に、効果はあった。
気配を探れば、エビルセイヴァーがここにやってくるまで、もう少しだと分かる。
こんな攻撃を続けていても、相手を倒すことなどできないだろうけど、彼女たちが到着するまでの時間を、コツコツと稼ぐくらいは可能というわけだ。
「師匠!」
「うむ……!」
こちらの
そして、弟子の武器を受け取った白奉が、見事なまでの
っていうか、普通に武器の扱いが、牙戟より上手い!
「くっ、面倒な……!」
「――チェスト!」
息の合った師弟コンビの、見事な連携の前に、少しづつ押され始めてしまった俺の隙を逃さず、冷静さを取り戻したらしい蒼琉が、一撃必殺を狙うのではなく、確実にこちらを追いつめる動きで、他の二人と連携を取り始める。
空気を切り裂くような白奉の横薙ぎを避けた先で、待ち構えていた牙戟の突きを、拳で
まずい。
俺の方から、攻め込む隙がない。
やはり、厄介なのは、白奉だ。
こちらの動きの要所を、確実に潰してくる上に、さらりと、他の二人が動きやすいように、見事な位置取りで動きつつ、こっちの方から、いざ攻勢に出ようとしても、有効打が全て防がれてしまうのでは、どうしようもない。
まさに、鉄壁。
あの老兵が一人いるだけで、こちらは攻め手を失い、あいつらの強さは、ケタ違いに跳ね上がっている……!
『ふはははっ! なんだなんだ、手も足も出せないか!』
こちらの戦況を、空から見下ろしている黒縄が、ご機嫌な様子で、俺のことを馬鹿にしてくるが、奴の言うことは、そうそう間違っていない。
今の俺は、誰がどう見たって、苦戦を強いられている。
そして、そう思ってくれているのなら、こっちとしては、
……それに。
『さあ、このまま地獄へ落ちるが……、むっ!』
時間はすでに、もう十分に稼いだ。
「マジカル! メデゥーズ・シューター!」
「ぬうっ!」
その手甲に備え付けられた
俺はその一瞬を逃さず、この化物のような老人から、距離を取る。
「マジカル! ヴォルカン・アーム!」
「マジカル! バミューダ・アロー!」
さらに続けて飛び出してきたエビルレッドが、
「ぐうっ、敵の新手かよ!」
「いや、それだけじゃないみたいですよ……!」
ブルーの放った無数の矢を切り払った蒼琉は、周囲が見えているようだが、俺への警戒が薄まってしまっている。
その隙を残さず、俺はこの死地から脱出して、やって来てくれた仲間たちと、即座に合流を果たすことに、成功した。
そして、次の瞬間……。
エビルセイヴァーに続いて、大量の人間が、操られている八咫竜の戦闘員たちが、怪人たちが、この場に雪崩れ込んでくる。
『なにをしている! 阿香! 華吽!』
「あわわっ! ごめんなさ~い!」
「うわあっ! 許してくださ~い!」
今更のように、黒縄が慌てながら、エビルセイヴァーを追いかけてきた阿香と華吽を怒鳴り散らしているが、もう遅い。
ここまできたら、勝負は一瞬だ。
「マジカル! フォーリッジ・シールド!」
「マジカル! カナリー・フラッシュ!」
エビルグリーンが展開した、渦巻く風のような障壁によって、数えるのも嫌になるほど大量にいる敵は、同じ場所に集められ、エビルイエローの放った閃光によって、その動きを止めることになる。
「――はっ!」
さらに保険として、俺は巨大な魔方陣を構成し、可能な限り頑丈になるように構成を編み込んだ上で、まるで料理を覆い隠すドームカバーのように、八咫竜の皆さんを全員まとめて、囲い込んでしまう。
「むう、防壁か……」
「師匠! こんなの、自分が速攻でぶっ壊して……、うわ、邪魔だ、お前ら!」
「無理ですよ、牙戟さん。これじゃ、まともに動けません」
とはいえ、あの三人ならば、こちらの用意した障害を素早く突破することは、十分可能だろうけど、あんな密集地帯では、そう簡単ではないはずだ。
後の心配は、奴らが周りにいる八咫竜の部下たちを、なりふりかまわず処分して、こちらを追ってくるかどうかだったのが、そんな様子は見られない。
どうやら、そのくらいの理性は、まだ残ってくれていたようで、こちらとしても、
『くそ! お前ら、なにをしている!』
顔面を紅潮させた黒縄が、部下たちをなじっているが、なにをしているもなにも、前に一度、そこにいる阿香と華吽が、見事に引っかかったのと、まったく同じような手によって、動けなくなっているだけである。
というか、むしろお前の方が、指揮官として、なにをしているんだ。
対策くらい、練っておけ。
「…………」
しかし、俺とエビルセイヴァーは、そんな残念な黒縄には、なにを言うでもなく、ただ黙って、素早く、即効で、ひとまとめにした八咫竜を、後ろに置き去りにして、この場から駆け出し、戦場から逃走する。
そう、目的は果たした。
後は、この森から脱出すればいい。
『ふふふっ! そんなに簡単に逃げられるなんて、思わないでくださいな?』
そんな俺たちを
八咫竜が五の首……、
俺たちが、この森に入った瞬間に感じた、あの不気味な視線は、森中にびっしりと仕掛けられた護符によるものだということは、実は最初から分かって……。
いや、見えていた。
不審を感じたのだから、その原因を探るのは当然だ。後は、最近この目に
そう、だから、全ては想定内だ。
護符の効果範囲は、もう見切っている。この森さえ抜けてしまえば、八咫竜の監視を振り切って、安全に逃亡することは、そう難しいことでもない。
『
得意気な空孤が、そう叫んだ瞬間、この森に張り巡らされた護符が複雑に起動し、その効力を発揮する。
『さあ、永遠に迷い続けて、この森で
それによって、この森全体に謎の力場が発生し、こちらの方向感覚が、距離感が、時間の感覚が、絶妙に自覚できない範囲で、狂わされていく。
おそらく、これのせいで、俺たちは延々と、この森の中を
しかし、だからといって、ここであっさりと、調子に乗ってくれている相手の鼻を折るような真似は、したくない。
だから、俺たちはあえて、慌てたような仕草をしながら、
『あら? そんな無駄な
そして、その乱雑な攻撃に紛れ込ませるように、俺は的確に数枚の護符を破壊し、八門遁甲とやらが弱まった
俺だけでなく、エビルセイヴァーのみんなも、迫真の演技をしてくれている。これならば、あくまでも偶然、たまたま、敵の術を抜け出したように見えるだろ
『……チッ! 運のいい奴らね……』
よしよし、こちらの狙い通りに、俺たちを取り逃がした空孤の声からは、悔しさというよりも、どこか他人を見下すような、
そう、この後のことを考えたら、八咫竜にはせいぜい、調子に乗ってもらい、余裕に
『ふんっ! まあいいだろう! 貴様にはそうやって、コソコソと逃げている姿が、お似合いだ! ははははっ! お前の
森の出口は、もう目の前だ。ここまできたら、もはや俺たちの逃走を止めることはできないと、奴にだって分かっているだろうに、黒縄は、それでも
それは勝利宣言というよりも、負け犬の遠吠えに等しかった。
「…………」
しかし、俺は黒縄の暴言に対して、なにも反論しない。
ただ黙って、嘲笑う敵に背を向け、逃げるだけ……。
それだけで、十分だ。
『どうした!
そうすれば、あいつみたいなタイプは、こちらの沈黙を都合よく自分解釈し、自らが望むとおりの妄想を積み上げて、勝手にいい気分になってくれる。
実は奴の方こそが、俺たちの策にハマっていることにも、気付かずに。
「……ふっ」
うまくいきすぎて、恐いくらいだが、これにてミッションコンプリートだ。幸いなことに、俺が
「よーし! それじゃあ、帰りますか!」
こうして俺たちは、当初の予定通り、全員無事に怪我もなく、作戦の成功を喜びなながら、俺たちへの根城へと帰還する。
そう、これは……。
勝利という名の、敗走だ。
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