5-8


「なるほどね……」


 月明りさえ届かない、深い深い森に入った途端、俺は全てを理解して、思わず誰に聞かれることもない、小さなつぶやきをらしてしまう。


 たった一歩、この森に足を踏み入れた瞬間から、まるで誰かに見られているような粘っこい感覚が、こちらの背筋をいずり回る。


 やっぱり、流石は守りが得意な八咫竜やたりゅうだ……、というべきか。


統斗すみとくん……!』

「ああ、分かってる」


 俺より先行して森に入り、今はもう、ここからかなり離れた場所にいる桃花ももか……、エビルピンクからの通信に含まれた緊張が、なによりも雄弁ゆうべん物語ものがたっていた。


 どうやら、エビルセイヴァーの方も、こちらと同じ状況らしい。


「多分、もう見つかってるだろうけど、こっちにとっては、むしろ好都合だ。作戦はこのまま、続行する」


 事前にローズさんから聞いていた話だと、侵略を始めて、手を広げだした八咫竜の動きは、かなり穴がある感じだったらしいけど、それでもここは、総本山そうほんざんのお膝元ひざもとということもあってか、奴ら本来の力が、十分に発揮できるようだ。


 こんな速さで捕捉ほそくされるなんて、むしろ相手をめるやるべきだろう。


 とはいえ、俺たちのやることは、なにも変わらないのだけれども。


「しばらくは、なにも気付いていないフリをしよう。その方が、向こうも油断して、さっさと出てきてくれるだろうし」

『……了解!』


 ピンクとの通信を切り上げながら、俺はとりあえず、それっぽく見えるように周囲を警戒してみせながら、見よう見まねのスニーキングミッションを続行する。


 そもそも、俺たちは最初から、敵に見つかることを前提に、動いているのだから、この状況は望むところなのだ。後は、こちらの真意を悟られないように、それらしく振る舞うだけで、十分だろう。



 そうすれば、それほど待たなくても……。



「おっ、来たな」


 適当な木の影に隠れたり、しげみにもぐったりしていたら、あきらかな意思を持って、こちらに接近してくる気配が一つ……、いや、二つ。


 同時にというよりは、先行した誰かを、もう一人が追っているといった感じだが、

なんにせよ、確実にこちらを狙ってきているのは、間違いない。


 俺は戦いに備えて、入り組んだ森の中でも、少し開けた場所に出ながら、その気配の到着を待ってみる。


 よし! いち、にの、さん……! 


「大将首、討ち取ったりー!」

「うわあ、なんだなんだー?」


 この森を暗くしている原因の一つである、種類は分からないが、かなり高い木の上から、まるで砲弾のように突っ込んできた巨大な物体を、かなり余裕を持って回避しながら、それっぽく不意をつかれた感を出してみたけれど……、いかん、少しだけ、わざとらしくなってしまったような気がする。


 うーん、もう少し、気を付けないと、いけないな。


「ぬうっ! 外したか!」


 ありがたいことに、俺の棒読みは気付かれなかったようで、そいつは恐ろしい速度で地面に激突したというのに、まったくの無傷どころか、その場で元気に、地団駄じたんだを踏んでいる……、のはいいんだけども、なんだ、あの格好は。


 巨大な槍のようだが、その先端の両側には、左右対称に三日月のような形をした刃が付いた得物えものを、自在にくるくると操りながら、伸び放題に放置されたボサボサ頭を振り乱し、こちら向けて構えた男は、簡単に言ってしまえば、半裸だった。


 そう、半裸だ、まだまだ寒い冬の季節の、しかも夜だというのに、問答無用で半裸すぎて、正直ドン引きである。その鍛え抜かれた肉体を見せつけたいのか、まったくどんなこだわりがあるのか知らないが、奴が下半身に長ズボンを履いていることを、むしろ神に感謝すべきなのかもしれない。


 神様も、そんなことで感謝されたって、困るだろうけど。


「しかーし! 次は外さない!」


 とはいえ、格好は珍妙だし、その言動は不可解だけど、一応は正気を保ってるように見えるし、こうして相対してみれば、かなりの実力者であることも分かった。


 その手に持った謎の武器を、大上段に構えながら、派手な見栄を切る大男は、まだ若く見える……、とはいえ、俺よりは確実に年上だろうし、少年とは呼び難い。


 なによりも、得物が刀剣のたぐいではない上に、剣術を使うようにも見えないので、俺の持っている少ない情報と照らし合わせて、答えを出すとするならば……。


「お前は八岐衆やまたしゅうの……、牙戟がげきか」

「おっ、なんだ! 知らないうちに俺様も、有名になってたのか!」


 よし、正解! ちょっと格好つけてしまったので、外れたら恥ずかしかったけど、当たってよかった!


「そうとも! 俺様こそ、八岐衆が六の首! さあ来やがれ、シュバルカイザー! この方天戟ほうてんげきさびにしてやるぜ!」


 律儀なことに、しっかりとリアクションを返してくれた牙戟が、その方天戟と呼ぶらしい槍のような長物ながものを振り回しながら、なにやら決めポースをとっている。


 うん、これくらい分かりやすければ、こっちとしてもやりやすい。


「……目標一名と遭遇。牙戟だそうだ」


 今回の作戦は、団体行動だ。俺は敵に聞かれないように、超極薄型の通信機であるシークレットスキンちゃんを通して、小声でみんなに報告を行う。


『了解! 手を抜きすぎて、負けないでよー?』

「はいはい、お任せくださいな」


 いつもの俺と火凜かりんのように、エビルレッドと軽口を叩き合いながら、俺は全身の力を抜いて、戦いにそなえる。


 みんなと一緒なのだから、無様ぶざまな姿は、見せたくないな。

 

「行くぜ! オラオラオラッ!」


 さあ、ここからが本題だ。


 その方天戟とやらを、真っ直ぐとこちらに向けて、爆発的な加速と共に、俺の方に突っ込んでくる牙戟に対して、俺は少し大袈裟なくらいに、構えてみせる。


 これならば、本気で戦う気があるように、見えるだろうか?


「よっと!」


 肝が冷えるような正確さで、確実にこちらの身体の中心を狙って、空気を切り裂くように突き出された方天戟を、大きく後ろに飛んで、避けてみる。


 とりあえず、相手の出方からうかがおう。


「甘いぞ! シュバルカイザー!」


 バックステップした俺を追ってきて、鋭く踏み込んだ臥戟が、その巨大な槍を強引に引き抜くように持ち上げて、凄まじい勢いで叩きつけてきたので、今度は後方ではなく、横に避けようとした途端に、その筋力に物を言わせたのか、無理矢理に軌道を変えて、薙ぎ払われてしまった。


 とはいえ、まだ余裕はある。


「くぅ、なんて攻撃だ!」


 わざと驚いたような声を上げながら、俺は大きく飛び上がり、無駄な動きで相手の攻撃を避けてみせる。よしよし、今度の演技は、我ながら自然だったぞ。


「そらそらそら! どうした! 逃げることしかできないのか!」


 こちらの狙い通り、調子に乗ってくれた牙戟が、着地した俺に向けて、その両手で握る方天戟を振り回し、突きまくり、斬りつけてきた。


 なるほど、それは確かに怒涛どとうのような攻撃で、まともに受けてしまえば、それこそ木っ端微塵に吹き飛ばされてしまいそうではある。


 とはいえ、まだまだ十分に、対応可能なわけだけど。


「うわっと! 危なっ!」


 あんまりギリギリで避け続けると、流石に気付かれてしまうかもしれないし、その辺りは上手く調整して、俺は相手が喜ぶような奇声を上げながら、あくまで逃げるのに必死ですというふうよそおって、適度な距離を保ちながら、かわし続ける。


 しかし、このままこっちから攻め込まないというのも、不自然といえば不自然か。


「このっ! 負けてたまるかー!」


 とりあえず、追い詰められた末に、イチかバチかで反撃に出たみたいな空気を出しながら、俺はこちらに向けて真っ直ぐに突き出された槍の先端を、わずかにズレるようにして避けつつ、そのまま長いつかを横からおさえ、そこからすべるように接近し、微妙にいている牙戟の脇腹に向けて、それっぽく拳をぶつけてみる。


 もちろん、全力ではないし、牙戟に向けて、こちらの命気を送り込むような真似もしていないで、有効な一打とは言い難いが、それでも少しだけ体勢を崩した相手の隙をついて、俺は再び、この大男から距離を取る。

 

「ふはははっ! なかなかやるな! ……しかーし!」


 牙戟はこちらを追撃するでもなく、その場で豪快に笑っているが、そうしている間にも、俺の一撃によってあざができた脇腹が、見る見るうちに回復している。


 なるほど、あれが奴の能力か。


「俺様の牙は、二本ある!」


 そして、すっかり絶好調な牙戟が、痣が綺麗に消えた脇腹に、腹筋に、というか、全身に力を込めながら、その両手で握っている方天戟を、躊躇ためらうこともなく、まるでチーズのように、縦に向けて、真っ二つに割いてしまった。


「さあ! この方天画戟ほうてんがげきで、つぶしてやるぞ!」


 ……いや、どうやらあれは、強引に破壊したのではなく、最初からあの武器には、そういう機能が組み込まれていたようだ。


 牙戟の両手にそれぞれ握られた、二つに分かれた槍の先端では、片方だけになった三日月型の刃が、鈍く光っている。


 それと同時に、大きくえた奴の筋肉が、さらに大きく膨れ上がっていく様子が、半裸のおかげで、ハッキリと確認できた。


 どうやら、ここからが、奴の本気……、なんだろけど……!


「……先走るなと言っただろう、牙戟」

「――っ!」


 先ほどから感じていた、こちらに近づいているもう一つの気配……、その持ち主が現れた瞬間、俺の全身が総毛立そうけだち、思わず息をんでしまう。


「し、師匠! あの、いや、これは……!」


 これまでの豪快な様子は、どこへやら。牙戟は慌てたように、ただただ平伏して、ぺこぺこと頭を下げている。


 だけど、それも当然だろう。


 牙戟に師匠と呼ばれた、その男は、どう見ても老人と呼んで差し支えない年齢だというのに、しゃんと背筋を伸ばしながら、その大柄な体格を包み込むような、さらに巨大で、分厚い甲冑を、苦もなく着込んでいる。


 もっとも目を引くのは、その両手に装着されている手甲てっこうだろうか。まるで盾のような形状をしているが、そこには、虎のように凶悪な爪が生えていた。


 あの老兵が、牙戟の師匠だというのなら、その正体にさつしはつくが、あきらかに、これまで俺が見てきた八岐衆とは、桁違いの威圧感だ。


 あきらかに、格が違う。


「二人目の目標と接触。……白奉びゃくほうだ」

『了解しました。順調ですね』


 俺はあおいさんの……、エビルブルーの静かな声を聞きながら、心を落ち着ける。


 ここからの対応は、慎重に行う必要がありそうだ。


「ふむ、貴公きこうがシュバルカイザーか……」


 その浅黒い肌によくえる、真っ白なあごひげを撫でつけながら、それでも微塵の隙もなく、堂々と仁王立ちしている白奉は、重厚な威厳に満ちている。


 いやいや、これで二の首? 冗談だろ? これの上に黒縄こくじょうがいるだなんて、悪い冗談にしか聞こえないぞ。


「……ああ、そうだ」


 まるで重ねた年齢が、そのまま膨大な経験となって、積み上げられたような老兵に負けないように、俺は一歩も引かないという決意と共に、真正面から向かい合う。


 飲み込まれたら、それで終わりだ。


「ふっ、なるほどな……。こうして対峙してみないと、分からないこともある」


 口元を少しだけゆるめて、かすかに笑みらしきものを浮かべている白奉からは、たしかな余裕を感じるけれど、わずかな油断も見て取れない。


 正直、まともにやり合うのは避けるべきだと、俺の本能が告げている。


「おいおい、なに勝手に納得してるんだよ。こっちとしては、あんたみたいな、そろそろ引退しそうな老いぼれと、顔を突き合わせたい理由なんて、ないんだけどな」


 まあ、こんな姑息こそくな手段に、引っかかってくれるような相手じゃないということは分かっているし、期待もしてないけど、少しでも相手の反応が見たかったので、俺は多少わざとらしいくらいに大声で、相手をあおる。


 こうなれば、手段を選んでいる余裕なんて、あるわけがない。


「こいつ、師匠になんて口を聞きやがる!」

「よせ、牙戟」


 非常に分かりやすく、怒りの表情を浮かべてくれた牙戟を、揺らぎもしない低い声でせいした白奉からは、感情の変化なんて、読み取れない。


「ただの虚言きょげんだ。まともに付き合えば、痛い目を見るのは、こちらぞ」


 いやむしろ、下手を打った俺の方が、全てを見透かされているような気すらする。


「まったく、恐ろしい男だ。その身の内に、凶悪な力をひそませながら、それにおごれることもなく、どんな手段を使おうとも、自らの望む結果を得ようとする……」


 やりづらい。

 まったくもって、やりづらい。


 白奉の顔に刻まれている深いしわは、どこか古木こぼくを思わせるけど、それは決して、枯れてなどいやしない。あれは大地に深く根を張って、空をおおうほどにそびえ立つ、威風堂々とした大樹に刻まれた年輪だ。


 俺みたいな小僧の揺さぶりなんて、そよ風にも等しかったことだろう。


「……牙戟、二人で攻めるぞ」

「そんな! あんな奴、自分一人で余裕ですよ! 師匠!」


 できることなら、あの不満気な牙戟のように、こっちのことを舐めてくれた方が、色んな意味でやりやすいというのに、白奉からは、少しのゆるみも出てこない。


「駄目だ。あれは、お前では届かない」

「……つっ!」


 厳しい師匠の言葉に、弟子の目の色が変わるが、それは反発というよりは、驚愕と反省をくんんだ、いましめにも似た覚悟に見える。どうやら、しっかり鍛えてらっしゃるようで、本当に、本当に、やりづらいったら、ありゃしない。


 とはいえ、なげいてばかりもいられない……、か。


『統斗に入電! あの趣味の悪い二人組が、ぞろぞろと怪人や戦闘員を引き連れて、こっちに出てきたわよ! 戦闘開始―!』

「了解、イエロー。あんまり無理……、というか、無茶するなよ!」


 実にひかりらしい、明るい通信に心を癒されながら、俺は気合を入れ直す。


 我らがエビルセイヴァーも、阿香あか華吽かうんに加えて、洗脳されている八咫竜の構成員たちを相手に、大立ち回りを演じ始めたのだ。


 こっちもまだまだ、頑張らないとな!


「……いくぞ、牙戟!」

「はいっ!」


 師の声に応えて、異常な脚力で飛び上がった牙戟が、この森に生い茂っている木のみきを足場にして、目にも止まらぬ速度で、縦横無尽に空を駆けたかと思えば、こちらの背中を狙ったのだろう、その両手に持った方天画戟を振り回しながら、獣のように降下しつつ、鋭い斬撃を放つ……、までは、俺の超感覚で読めていた。


「ちっ!」


 そして、その先に待つ苦難を自覚しながら、俺は牙戟の攻撃を避けるために、最短距離である前方へ、白奉が待ち構えている方向へ、走るしかない。


 ここで逃げたら、なんのための威力偵察なのか、分からなくなってしまう。


「貴公の力を見せてみよ……! シュバルカイザー!」

「――くっ!」


 速い!


 てっきり、その場で動かず、カウンターを狙ってくるかと思ったら、重苦しい大鎧を着込んだ、老年の戦士は、予想外の速度で、むしろこちらへと突っ込んできた。


 その様子は、どこか虎を思わせる獰猛どうもうさと、しなやかさに満ちている。


 くそったれ! 予想はしてたけど、やっぱり化物か!


「ぬんっ!」


 ゾッとするような圧迫感と共に、五本の爪が凶暴に生えた、巨大な手甲を装備した白奉の右拳が、うなるようにこちらにせまる。


「ぐっ!」


 まともにぶつかるのは危険と判断した俺は、その場で強引に踏み止まり、ぐっと腰を落としながら、上半身の動きを使って、紙一重での回避には成功したが、それだけでは、窮地きゅうちだっしたことにはならない!


「ふっ! はっ! ぬうん!」


 見事な手際てぎわで、こちらに肉迫した白奉は、まるで俺の動きを縛るかのように、派手さはないが、重く堅実な攻撃を繰り返し、じっくりと攻めてくる。


 一見すると、差し込める隙がありそうだが、下手に反撃すれば、確実にこちらの肉をいでくる動きに、俺はただギリギリで、回避行動を取るしかない。


 しかし、そんな悠長なことをしていると……!


「切り裂かれろっ!」

「ちいっ!」


 再び空中へと飛び上がり、急降下してきた牙戟が放つ斬撃を避けようと、無理矢理体勢を変えた俺に、白奉の爪が襲い掛かる。


「おおっ!」

「――舐めるな!」


 必殺の気迫と共に、絶妙なタイミングで放たれた白奉の拳に向かって、俺は刹那を通り抜ける覚悟を決めて、むしろ飛び込み、相手の身体に密着することで、なんとか避けることに成功した……、けれど!


「ふんっ!」

「つうっ!」


 接近できたと思ったら、もう次の瞬間には、白奉にとって有利な距離を取られて、再び苛烈かれつな攻撃にさらされてしまっている。


 ああ、クソ! 老獪ろうかいとは、こういうことか!


「牙戟!」

「はい、師匠!」


 決して焦らず、決して無理をせず、決して隙を作らず、絶妙なコンビネーションを見せながら、堅実にこちらを攻め立てる二人の中央で、それでも俺は、相手の攻撃を避け続けているが、ハッキリ言って、このままではジリ貧だ。


 ここは一つ、多少強引にでも、賭けに出る必要がある。


「……っ! ここだ!」

「むうっ!」


 白奉に、隙があったわけではない。


 ただ単に、俺が死地へと踏み込み、喰らっても仕方ないと開き直り、薙ぎ払われた奴の爪を、ミリ単位で躱しつつ、強引にその場にしゃがんで、そのまま四肢を地面に押し付け、全力で退いただけだ。


「甘いぞっ!」


 当然ながら、不十分な体勢で、そのまま近くの大木に背中を預けた俺に向かって、凄まじい加速を見せた牙戟が、その両手に掴んだ方天画戟をきらめかせつつ、思い切り突っ込んでくる。


 だけど、それはこちらの想定内……、というか、それが狙いだ!


「そっちがな!」


 不意をつかれたわけでもなく、予想していた攻撃ならば、どんな体勢だろうとも、回避は容易い。


 さらに深く身体を沈め、左足を軸に、滑るように回転した俺の頭上で、牙戟の一撃がむなしく空振りし、すぐそこにあった大木を切り裂く。


「なんだとっ!」

「はっ!」


 驚いた顔をしている牙戟を視界に収めつつ、俺は素早く身体を起こしながら、まだ宙に浮いている大木に向けて、左足を軸に、思い切り右脚を叩き込む。


 そして、俺の蹴りを受けた大木が、グルグルと高速で回転しながら、目標に……、ここから少し離れた位置にいる白奉に向けて、突っ込んでいく。


 もちろん、こんな一撃で、どうこうできる相手とは思っていないが、それでも少しの時間くらいは、稼げるはずだ。


 その隙に……!


「――喰らえ!」


 俺は両足を地面に下ろし、まだ目の前にいる牙戟に向けて、命気を込めた→拳を、ただ全力で叩き込む。


 残念だけど、あの白奉がいる状況では、そうそう様子を見ている余裕がない。こういう場合は、排除しやすい方を排除して、より大きな脅威に、じっくりと対応させてもらうことにする。


 とはいえ、別に始末するつもりはない。ただ少しだけ、あの白奉という巨大な敵と向き合うために、気絶でもしていて欲しいだけで……!


「しまっ……!」


 思わず師匠の方でも見てしまったのか、明確な隙が生まれていた牙戟が、痛恨の声を漏らすが、もう遅い。


 そう、タイミングは完璧……、だったはずなのに!


「ぬおおおおおっ!」


 まるで、獣のような咆哮ほうこうと共に、こちら向けて駆け出した白奉が、高速で回転している大木を、物ともせずに吹き飛ばし、またたきする間に、へと、まさに微塵みじんに切り刻み、目にも止まらぬ素早さで、不出来な弟子を吹き飛ばして、俺の眼前へと、その身をおどらせた。


「――っ!」


 こうなったら、ありったけの力を込めて、ぶつけるだけだ!


 俺は拳を握り締め、思うがままに、殴りつける……!


「ぬうん!」

「ぐううっ!」


 しかし、苦悶くもんの声を上げたのは、攻撃したはずの、俺の方だった。


 あまりに一瞬のタイミングだったにも関わらず、強引に割り込んできた白奉だが、その熟練の技能ゆえか、俺の拳を受ける前に、十分な姿勢を整えて、その盾のような手甲を交差させ、こちらの攻撃を、見事に防ぎ切ってみせたのだ。


 ……っていうか、なんだよ、あれ! 硬すぎるだろ! 対衝撃機構であるはずの、竜の鱗ドラゴン・スケイルシステムが正常に働いてるのに、ダメージを受けたのは、こっちだぞ!


 感覚としては、防御されたというよりも、弾き返されたって印象だけれども、超常的な能力というよりは、純粋な技量のような気もする。


 というか、理解不能で、意味不明なんだけど!


「くそっ!」


 俺はそれでも、その反動を利用して、再び万全の白奉から、大きく距離を取る。


「……無事か、牙戟」

「……はい、申し訳ありません、師匠」


 追撃は、してこない。それはこちらにとって、ありがたい選択だ。


 今のうちにと、俺は無数の細かいひびが入ってしまったカイザースーツの右腕部を修復するために、意識を集中し……!


「――っ! なんだ……!」


 意識を集中しようとした瞬間、突然現れた気配が、恐ろしい速度でこちらへと接近しているのを感じ取り、俺は自らの本能に従って、その場を全力で飛び退く。


「チェストォ!」

「ぐっ!」


 その刹那、風のように飛び込んできた人影が、一瞬前まで俺がいた空間を、目にも止まらぬ早業はやわざで、縦一文字に切り裂いた。


「あれ? 避けられちゃったかあ」


 あやしく輝く日本刀を、躊躇ためらうことなく大上段から降り抜いたというのに、まったく悪びれた様子も見せず、残念そうに笑っているのは……、少年だった。


 いわゆる、紅顔こうがんの美少年と呼ばれるのであろう。どこか宇宙を思わせる模様が織り込まれた着物を着流きながし、その上に、天にのぼる龍が染め上げられた羽織を着用しているのだが、その立ち姿は、どこかはかなげながら、不思議な存在感に満ちている。


「あっ、白奉さん、牙戟さん! もう、ズルいじゃないですか、二人だけで、こんなに楽しんじゃって。僕も混ぜてくさださいよ!」


 剥き出しの刀を、ゆっくりと鞘に収めながら、八岐衆の二人に向かって、気安げに話しかける少年なんて、俺の持つ情報の中では、一人しか該当しない。


 というか、もう残りは一人なのだから、答えは明白だ。


「八岐衆の……、蒼琉そうりゅうか」

「はい、正解です。へー、色々調べてるんですねえ」


 その正体を隠すこともせず、あっさりと認めながら、無邪気に笑う少年には、どことなく危うさを感じる。


 とはいえ、それも貴重な情報か。


「三人目の目標と接触……、蒼琉だそうだ」

『了解! 統斗君……、気を付けてね!』


 向こうも大変だろうに、こちらの心配をしてくれる樹里じゅり先輩に、エビルグリーンに感謝しつつ、俺は心を落ち着ける。


 さて、ここまでは予定通り。


 問題は、ここからどうするかだ。

 

「……丁度いいから、聞いてみたいんだけどさ」


 突然の乱入者のおかげで、白奉たちとの戦闘に、少しだけ間が空いた。この機会を逃すまいと、俺は会話に打って出る。


 情報収集と、時間稼ぎが目的だが、別に無視されて構わない。この状況なら、やれることは、なんでもしておきたいだけだ。


「へえー、なんですか?」


 ありがたいことに、緊張感のない蒼琉は、満面の笑みを浮かべるだけで、こちらを攻撃する様子は見せない。


 余裕か、それとも、そういう性格なのかは知らないが、こちらとしては、願ったり叶ったりだ。


「お前たちは、一体どうして、龍蔵院りゅうぞういん竜姫たつきを、裏切ったんだ?」


 この答えが聞ければ、今後の対応も、即座に決められる。


「うーん、僕としては、別に裏切ったつもりはないんですよね。ちょっとだけ、立場は変わるでしょうけど、姫様にはこれからも、お手伝いをお願いしたいですし」


 主君しゅくんに対して、致命的な裏切りを働いたというのに、蒼琉の笑顔からは、まったく悪意が見られない。


 それがむしろ、奴の空恐そらおそろしいところではあった。


「はあ? そんなの知るか! 俺様は、師匠についていくだけだ!」


 激昂げきこうする牙戟から出てきたのは、身も蓋も、主体性すらない、残念すぎる解答だ。


 こいつは、ただの馬鹿だな。


「……あんたは?」


 そして俺は、最後に残った、かつては竜姫さんに対して、まるで祖父のように振る舞っていたという、この寡黙な武人に向けて、問いを投げかける。


 あんたが、彼女の信頼を、心を裏切った理由は、一体なんなんだ、と。


「……貴公の問いに、答えてやる義理はない」


 ぽつりと、重苦しく、それだけ呟いた白奉の表情からは、奴の真意を読み取ることができない。まるで無表情で、無感情で、無感動で、機械的ですらある。


 だがしかし、あの老兵の鋭い目には、確かな決意が、燃えていた。


「はっ、そりゃそうだ」


 それ以上、俺は質問を重ねるようなことはせず、戦いに備える。


 まあ、こんなものだろう。急場しのぎの、苦肉の策にしては、結果は上々だ。


「よしっと、それじゃ、始めましょうか! うーん、腕が鳴るなあ!」

「おい、蒼琉! 後から出てきて、調子に乗るなよ!」

「牙戟……。気を抜くな……」

 

 さらに人数を増やした八岐衆からは、当然ながら、これまで以上の余裕を感じる。単純に、三体一ということもあるが、どうやら奴らも、互いに協力することで、力を発揮する性分なのかもしれない。


 気を抜いているように見えるが、あの三人から立ち昇る殺気は、圧倒的に強大で、気が滅入るほどに、本物だった。


「さーてと……」


 破損していたカイザースーツを、一瞬で修復しながら、俺は気持ちを入れ替える。もうこうなったら、仕方ない……。



 少しだけ、



「…………っ!」


 こちらの変化に、敏感に反応したらしい八岐衆の三人が黙り込み、それぞれの得物を構えながら、俺と対峙する。


 互いの殺気が混じり合い、空間が歪むような静寂が、この暗い森を満たしながら、命と命をぶつけ合う、生物として根源的な緊張が、極限まで高まる……。


「って、うん?」


 その時だった。


『ふはははっ! どうした、シュバルカイザー! ずいぶんと、楽しそうだな!』


 前にも聞いたことがある、無遠慮ぶえんりょで、嫌味いやみな声が、この森に満ちた静寂を邪魔するように、空から降り注いだのは。


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