5-6


阿香あか華吽かうんが、八咫竜やたりゅうの部下たちを洗脳して、操っているだと! くっ! なんてことを……! そこまで外道げどうちたか! 恥を知れ!」

「いや、俺に怒らないでくださいよ、朱天しゅてんさん……」


 先ほどの商店街における戦闘から、見事に撤退した俺たちは、用心に用心を重ね、安全を確保してから隠れ家に舞い戻り、今はこうして、みんなで集まって昼食を食べながら、今後の対策について、軽く議論している真っ最中である。


 ちなみにメニューは、ローズさんお手製のオリジナルカレーだ。


 色んな種類の香辛料が効いていて、風味豊かで、刺激的だけど、決して辛すぎない絶妙のバランスなので、女性陣にも大好評だけれども、流石に寝泊まりしてる部屋で食べると、匂いがついてしまうということで、こうしてみんなで従業員用の休憩室に集まって、仲良くテーブルを囲んでいるというわけである。


 まあ、やっぱりこれだけの人数だと、ちょっと狭いんだけれども、それも味というやつだろう。


「そんな……、そんなことになっているなんて……」


 俺からの報告に、竜姫たつきさんはショックを受けてしまったようで、悲し気にうつむいたまま、先ほどからスプーンを動かしていない。


 伝える必要があったとはいえ、そんな姿を見てしまうと、なんだか悪いことをしてしまった気がして、心が苦しくなってしまう……。


「大丈夫よ、竜姫ちゃん。勝負はまだまだ、これからよ」

「そうそう! ひかりたちがいるんだから、安心しなさい!」


 実際に、その様子を見てきた樹里じゅり先輩とひかりが、竜姫さんをはげましてくれているのが、せめてものなぐさめになればいいのだけれども……。


 というか、ひかりさん、そんなガツガツとカレーをかき込みながら、頼もしいこと言わないでくださいよ。男らしいなぁ。


「でも、仲間にそんな酷いことするなんて、許せないよ!」

「そうだー! 桃花ももかの言う通り! 早く、なんとかしないと!」

「確かに、これは到底、見過ごせない事態のようですね」


 元・正義の味方としての血が騒いだのか、拳を握り締めている桃花に続いて、火凜かりんも手を上げているし、あおいさんも一見冷静に見えて、その瞳は鋭く光っていた。


 みんな、やる気は十分で、本当に頼もしい限りである。


「なるほどね~、他人に操られてるから、なんだか動きがおかしいというか、つたない感じだったわけね。納得したけど、組織の在り方としては、残念の極みよね~」


 可愛らしいフリフリのエプロン姿で、給仕をしてくれているローズさんの意見に、俺もまったく同感だ。部下たちを従わせるために、その意思を奪ってしまうなんて、組織のおさとしては、であると言わざるをえない。


 さあ、そんな相手には、意地でも負けたくないわけだけど……。


 その前に、確かめなければならないことがある。


「ところで、朱天さん。阿香と華吽に操られた人間って、元に戻れるんですか?」

「あ、ああ、それは、もちろんだ。聞いた話だと、相手を自在に使役するためには、元々の精神を完全に壊してしまうと、逆に不都合だから、わざと調整しているとか、事あるごとに自慢していたからな」


 なるほど。やはり対象の心が、ある程度残っているからこそ、阿香と華吽の適当な命令に対しても、多少動きがぎこちないといえども、自らどう動くか判断し、応じることができていた……、ということなのだろう。


 まあ、わざわざ人の心を奪うだの、操るだのと言っているのだから、無駄に相手を即死させるようなことはしないだろうと踏んでいたのだが、どうやら正解だったようなので、とりあえず一安心といったところだ。


「よかった……。ちなみに、その精神支配を解除する方法って、分かります?」

「いや……、基本的に、阿香と華吽が解こうとしない限りは、不可能なはずだ。奴らが寝たり、気絶した程度では、支配は継続されるし、下手な横槍を入れてしまうと、干渉のバランスを崩して、むしろ危険な状態におちいる可能性が高い」


 うーん……、だとすれば、色々と考えて動く必要がありそうだ。


 単純に倒しただけでは、心を奪われている者たちを、解放することができないのであれば、それなりの対応が必要になってくる。


 まず思いつくのは、あの二人を拉致して、多少強引にでも精神的に追い込み、自分たちの方から、あの妙な魔術を解除させるという方法だが、これは無理にすすめてしまうと、俺たちが洗脳されている八咫竜の構成員を救おうとしていることが、敵にバレてしまうかもしれない。


 そうなると、今度はあの二人が支配し、操っている怪人や戦闘員たちを、逆に人質として使われる危険性が出てくる。正直、そうなると、かなり面倒なことになるのは目に見えているので、なんとかして避けたいところだ。


 そして、阿香と華吽の意識が、ただ途絶えただけでは、その支配が継続するということは、もっと直接的に、相手の命を奪ってしまうような最終手段に出たとしても、確実にこちらの目的が達成されるという保証は、どこにもないということになる。


 だとすれば、残された手段としては、あの二人の魔術に対して、こちらも魔術的なアプローチで対抗することが考えられるが、これも難しい。


 単純に、あの心を奪い、操るとかいう魔術は、複雑すぎるのだ。確かに強度の方は脆いが、その代わり、あまりにも入り組んでいる。まるで、数万のピースに分かれたパズルのように、あるいは、技巧の限りを尽くされた組木細工のように、もしくは、無秩序なように見えて、実は明確なパターンがある幾何学模様のように……、もはや複雑を通り越して、怪奇の領域にまで足を突っ込んでいる。


 残念ながら、ある程度は魔術を使えるようになったといえども、まだその入り口に立ったばかりの俺では、それを単純に破壊することはできても、その深淵を紐解き、綺麗に取り払うなんてことは、不可能に近い神業にしか思えない。


 まあ、俺なんかより、ならば、話は別だろうけど。


「ああ……、本当に、一体どうしたらいいのか……」

「そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ、竜姫さん」


 そう、あれこれ考える必要はあるけれど、まったく手がないというわけじゃない。俺は落ち込んでしまった竜姫さんに声をかけつつ、自分のカレーを頬張ほおばる。


 うん、美味しい。


 確かに状況は厳しいけれど、まだ食事も喉を通らないほどでは、ないのだから。


「考え方を変えれば、阿香と華吽さえなんとかしてしまえば、みんな竜姫さんのがわについてくれるってことですから、むしろ話は、簡単になりましたし」


 本当だったら、もっと地道に、裏切った八咫竜の中から、竜姫さん派の人間を探しだし、地道に切り崩し工作をするつもりだったのだけれども、こうなってしまえば、やることが分かりやすくなったと、開き直るしかない。


 元々は、短期決戦を狙っていた俺たちからすれば、これはむしろ、好機だととらえるくらいのポジティブさで、この難局に挑もうじゃないか。


「……それなら、これから貴様は、一体どう動くつもりなんだ」


 とはいえ、ただ楽観的に構えているだけでは、話にならない。朱天さんが、こちらを厳しい目で睨んでいるが、その懸念はもっともだ。


 問題の解決には、明確な計画が必要になる。


「その前に、他の八岐衆やまたしゅうが、阿香と華吽に操られてるって線は、ありますか?」

「ないな。あの二人の珍妙な術に、そのまま引っかかるような未熟者は、残念ながら存在しない。だからあいつらは、八岐衆の中で、最もしたなんだ」


 そう断言する朱天さんは、苦虫を噛み潰したような表情をしているけれど、確信に満ちている。ならば、間違いないだろう。


 だとすれば、もうやることなんて、決まっている。


「それじゃあ、ここからは八岐衆を狙って、倒すことを優先しよう。速やかに奴らを排除できれば、八咫竜も正常化して、竜姫さんの元に戻ってくるはずだ」


 もちろん、これだって楽観的な目算かもしれないが、現状で分かっている情報から考えれば、これがもっとも効率的で、ベストな結果が狙える選択のはずだ。


 どれだけハードルが高くても、狙う価値がある。


「うん、分かったよ! ……それで、なにから始めるの?」


 やる気に満ちている桃花に、仲間たちに、俺は道を示さねばならない。


 ここまでは、目的であって、方法ではないのだから、このままでは、ただの夢物語で終ってしまう。


 大切なのは、ここからだ。


「とりあえず、もう俺たちが近くまで来てることは、阿香と華吽が報告してるだろうから、黒縄こくじょうが余程の自信家か、ただのマヌケでなければ、もっとも重要な陣地に、八岐衆を筆頭とした戦力を掻き集めてるはずだ」


 敵が近くにいるのは分かっているけれど、その所在までは確認できていないとなれば、とりあえず自分たちのフィールドで、守りを固めたいと思うのが人情だろう。


 特に、それが奴らにとって、絶対に打ち倒したい相手ならば、可能な限りの人員を集結させる公算は、大きいはずだ。


 今回は、それを利用させてもらう。


「だからこそ、これから、八咫竜の総本山を、襲撃する」


 そう、善は急げ……、いや、俺たちは悪の組織なのだから、ここは悪は急げということで、相手にじっくりと腰をえられる前に、まずは電撃的な攻撃を仕掛けたい。


 戦いの主導権を握るためにも、積極的に動くことは重要である。


「おい! 今の段階で、一気に勝負を仕掛けるつもりか! それはあまりに……!」

「まあまあ、慌てないでくださいよ、朱天さん」


 とはいえ、いくらなんでも、それで全ての決着が付くなんて、本気で考えるほど、俺もお気楽ではないつもりだ。


 やはり物事には、順序というものが存在する。


「俺だって、八咫竜のことを舐めてるわけじゃありません。厳しい戦いになることは分かっています。だからこそ、本格的なぶつかり合いになる前に、リスクをおかすことになるとしても、敵の強さを、じかに確認しておきたい」


 八咫竜の……、そして八岐衆の実力というやつは、竜姫さんや朱天さんから、大体を聞くことはできるけど、それはどうしたって、彼女たちが、まだその中心にいて、全員が仲間だった時の話になってしまう。


 少なくとも、裏切り者である八岐衆の七人が、身内を洗脳するなんて、非道な真似をしてまで手に入れた、なりふり構わない今の八咫竜と、そのまま同一視するのは、危険であると言わざるをえない。


 奴らはそれこそ、自らの野望のためなら、どんな汚い手でも使ってくるということなのだから。


「つまり、様子見です。それから、今後のための種まきってところですかね」


 必要なのは、正確な情報と、入念な下準備だ。


 そのためには、多少の危険に飛び込むことが、必要な時もある。


「なるほど、威力偵察というわけですね。腕が鳴ります」

「あー、そういうの苦手なんだよね……。でも、やるっきゃないか!」


 こちらの思惑を、素早く正確に理解してくれた葵さんも、少し困った顔をしながらも、その瞳は闘志であふれている火凜も、本当に頼もしい。


 彼女たちと一緒ならば、どんな困難だって、乗り切れるはずだ。


統斗すみとさま! 私も行きます……!」

「いや、竜姫さんは、ここで待っていてください」


 しかし、俺はそんな頼れる仲間の一人である竜姫さんに……、誰よりも今の状況をなんとかしたいと、その胸を痛めているであろう彼女に対し、心を鬼にして、厳しい指示を送らなければならない。


 これは、悪の総統である俺が逃げてはならない、俺の責任だ。


「でも!」


 いつも穏やかな竜姫さんには珍しく、語気を強める彼女に対して、俺はあくまでも冷静に、冷酷に、冷徹に、こちらの考えを伝える。


「八咫竜の構成員たちが正気なら、竜姫さんが直接出ていくのは、凄く効果があると思うんですけど、この状況だと、むしろこっちが、やり辛くなるだけです。まともな説得なんて、通じないでしょうから」


 こんな正論なんかでは、竜姫さんも納得できないだろうということは、俺にだって分かっている。感情が高ぶれば、そんなものは牛乳瓶の蓋よりも、役に立たない。


 しかしそれでも、納得してもらわなければならない。

 納得して、落ち着いて、我慢してもらわなければならない。


 今回の騒動の鍵である彼女が動くには、まだ状況が不安定すぎて、危険なのだ。


「八咫竜の怪人や、戦闘員たちだって、いくら操られているからといっても、自らの意思に反して、竜姫さんを攻撃するような真似は、したくないはずです。ここは彼らのためにも、我慢してください」


 正論がダメならば、情に訴える。卑怯かもしれないが、それしかない。


 今の状況で、竜姫さんが戦場に出ても、残念ながら、事態はまったく好転しないということは、おそらく、彼女自身にも、分かっているはずだ。


 ただ少し、今は心が暴れてしまっているだけで。


「……分かりました。わがままばかり言ってしまって、申し訳ありません……」

「気を落とさないで、竜姫ちゃん。ここは私たちが、頑張るから、ねっ?」

「樹里先輩の言う通り! ぜ~んぶ、ひかりちゃんに、任せなさいって!」


 なにかを押し込めるように、竜姫さんが、その可憐な唇を、固く結んでしまったけれど、それを察してか、すぐに声をかけてくれた樹里先輩とひかりのおかげで、その表情がやわらぐ。


 どうやら、少し落ち着いてくれたようだ。


 そう、追い詰められた時は、人は得てして、自分がなんとかしなくちゃいけない、なんて思い込みがちだけれども、実はまったく、そんなことはないのである。


 困った時は、容赦なく、頼れる仲間を、頼ればいい。


 遠慮なんて、する必要はないんだ。


 彼女もまた、俺と同じで、悪の総統を務める者なのだから。


「ありがとうございます。でも、竜姫さんには、これから、大きな仕事を頼むことになると思うので、その時には、お願いしますね?」

「……はい!」


 どうやら竜姫さんも、気付いてくれたようだ。その瞳の奥に宿るのは、自分の意思だけに固執した激情ではなく、仲間たちの気持ちと、自らの立場を受け止めた、悪の組織の長として相応しい、責任と覚悟だった。


 これなら、もう大丈夫だろう。


 やはり、八咫竜との決戦において、重要なキーパーソンになるのは、彼女なのだ。いわゆる、今はまだ、動くべき時ではない……、というだけで、その動くべき時は、近いうちに、必ず訪れる。


 それまで、彼女の安全を確保するのは、俺たちにとっても、そして、竜姫さん自身にとっても、大切な使命なのだ。


「朱天さんは、引き続き、竜姫さんの警護をお願いします」

「ああ……、分かった」


 そして、竜姫さんを守るということにかけては、彼女の右に出るものはいない。


 しかし、毛嫌いしている俺の言葉に、あっさりと頷いている辺り、この状況には、朱天さんも心中穏やかではないのだろうけど、竜姫さんと一緒にいることで、彼女が無茶をするということは、ないはずだ。


 少なくとも、朱天さんが竜姫さんを危険にさらすなんてことは、ありえない。


「それから、ローズさん。安全な範囲で、車を出してもらえますか? 流石に徒歩で行くには遠すぎますし、急ぐと逆に、目立っちゃうので」

「もちろん、お任せよ~ん! しっかりばっちり、届けちゃうわん!」


 さて、とりあえずこれで、俺の考えた作戦の概要を、みんなに伝えたことになる。


 もちろん、詳細は後でゆっくり話し合って、調整する必要はあるけれど、今はこれだけで十分だ。まだ時間には、余裕がある。


 それに、今はまだ、ランチタイムの真っ最中なのだから。


「よーし、それじゃあ、やることも決まったし、英気をやしなうためにも、しっかりとお昼を食べますか! ローズさん、おかわりお願いします!」

「あら、嬉しい! ちょっと待っててね~ん!」


 多少わざとらしいかもしれないけれど、明るく振る舞う俺に、ローズさんも乗ってくれたおかげで、この休憩室の空気が、いくらか柔らかくなるのを感じる。


「あっ、ひかりもおかわり~!」

「もう、あんまり食べ過ぎと、また気持ち悪くなっちゃうわよ?」


 能天気なひかりと、ちょっと困った顔をしながらも、口元は優しく笑っている樹里先輩に続いて、みんな思い思いに、楽しく、騒がしく、食事を楽しむ。


 うん、やっぱり俺たちは、このくらいの方がいい。どんな時だって、気負いすぎてしまうのは、よくないのだ。


 俺たちは悪の組織なのだから、いつでも余裕よゆう綽々しゃくしゃくくらいで、丁度いい。


「ほら、竜姫さんも、食べて食べて」

「あっ、はい! いただきます! ……はむ」


 なごやかな雰囲気の中で、いつも通りの俺にうながされ、それまでなにも喉を通らないといった様子だった竜姫さんが、ようやくカレーを口にする。


 そう、どんな時でも大切なのは、食事を楽しめるだけの余裕と……。


「わあ、とっても美味しいです!」


 心の底から湧き上がる、とびっきりの笑顔なのだから。


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