4-6
突然、見知らぬ老婆から話しかけられた場合、一体どうするべきなのか?
もちろん、その問いに明確な答えなどなく、その時々の状況によって、さまざまに変化するということは、俺にだって分かっている。悪の総統なんてしている自分ではあるけれど、道に迷って困っている老婆に話しかけられでもすれば、一緒に目的地を探して回るか、交番の場所を教えるくらいはするだろう。
では、こういう場合は、どうだろうか?
仲間たちと楽しくおしゃべりをしていたら、いきなり金切り声を張り上げて、怪しい格好をした老婆が割り込んできたかと思えば、お前たちに知識を与えてやるとか、意味の分からないことを
俺の答えは、決まっていた。
「それで、
無視です、無視。
なんだか、まともに
「あっ、はい。それはですね、
「ちょっと待たんかーい! 答え合わせするのはええが、こんなに憎めない老人を、残酷にも無視するなんて、人としてどうかと思うぞい!」
くっ、せっかく平和的に解決しようとしたのに、この謎の老婆は諦める素振りすら見せずに、むしろグイグイと押してくる。
こうなってしまえば、仕方ない。このままスルーするのは、流石に不可能なので、なんらかの対応をしなければ……。
「じゃあ、とりあえず、警察に連絡しよう」
「なんでじゃ! 別に違法なことはしとらんぞ!」
いや、別に法律がどうこうではなく、単純に困ったから保護してもらおうと思っただけなのだが、どうやらこの老婆は、俺の提案が気に入らないらしい。
「それでは、近くにご家族がいるかもしれませんから、少し探して見ましょうか」
「そうだね、
「え~い! 迷子でも、徘徊老人でもないわい!」
なんということだ。葵さんと
まいったなぁ……。
「えーっと、それじゃあ……、あなたは一体、なんなんですか?」
「ひょっひょっひょっ! よくぞ聞いたわ! 仕方ないから、教えてやろうぞ!」
まさか見知らぬ老人を、暴力で排除するわけにもいかないので、おそらく、相手が望んでいるであろう質問を投げかけた途端、問題の老婆は、
正直、恐い。
「な~に、そんなに警戒するでない。ひひひっ、この老いぼれは、別になにも怪しくなんてない、ただの案内役じゃよ、ひょっ、ひょっ、ひょぅ!」
おいおい、その笑い声の時点で、十分怪しいというか、不信感が
しかも、言ってることが、意味不明だし……。
「案内役って、一体なんの……?」
「うんうん、楽しみな気持ちは分かるが、そう
ううっ……、別にワクワクを抑えきれなかったわけではなく、ただただ俺の理解が追いつかなかったので、疑問が口から
そして、なぜだか上機嫌な老婆は、軽くステップなんて踏みながら、俺たち四人と向き合うように躍り出たかと思えば、その身に
「長い長い時を
バシッとポーズを決めた老婆の姿は、なかなか
それまで、その小柄な身体を隠すように使っていた布きれが外れたので、その下の巫女服があらわになったわけだが、なぜか普通なら赤い部分が黒くなっているので、まるで喪服との合いの子みたいな違和感は感じるが、妙な迫力ではあった。
しかし、そんなキメポーズを見せられたところで、俺の疑問はこれっぽっちも解消しないどころか、さらに困惑を強めたといってもいいだろう。
「で、伝説って……?」
「あっ、この場合の伝説っていうのは、神話みたいものまで含んだ、ざっくりとした伝説って意味であって、別にこのオババ自体が、伝説の存在ってわけじゃないから、そこらへんは、勘違いしないようにしとくれよ」
そんな勘違いはしていないというか、本当に意味が分からないから、説明を求めただけなのに、俺の疑問は相変わらず、解消される様子を見せてくれない。
「……つまり、えーっと、その伝説の案内役が、俺たちに一体どんな御用で?」
「ひっひっひっ、それはね……!」
もうすでに、答えを知りたいというよりは、どうでもよくなってきた俺の投げやりな問いかけに、しかしいまだにテンション高く、声を張り上げて応じた老婆が、再び謎のポーズを取ると、こちらの鼓膜をつんざくような高音で、叫ぶ。
「実はこのオババは、こういう神秘的な場所で、右も左も分からないバカな観光客を相手に、伝説とか神様とかの話をしてやることで、小銭を稼いでいるのさ!」
「うわー、正直ー……」
そして、めんどくせー……、という残りの半分は飲み込むことに成功したが、俺の頭はこの時点で、大分痛くなっていた。
なんというか、分かってしまえば、
要するに俺たちは、どうやら、この変わり者な老婆に、小遣い稼ぎの得物として、ロックオンされてしまったようだ。
「へ、へ~、そうなんですか~。わ~、どんな話が聞けるんだろう、楽しみ~」
「うむうむ、坊主がそこまでせがむなら仕方ないの~。しっかり教えてやるぞい」
いや、仕方ないと思ってるのは、こっちだから。
厄介ごとに巻き込まれたのは、俺たちの方なのだが、相手は老人だ。下手に
流石に、これで最後に超高額な代金を請求されるぼったくりだったなら、ポリスに速攻で通報してやろうとは思っているが、今はまだ、その時ではない。
「それでは、まずはそちらのお嬢ちゃんと関係が深そうな、須佐之男命という神様について、美味しいところだけ教えてやろうかの、ひょひょひょ!」
「わあ、お婆さまのお話、とっても楽しみです!」
……まあ、竜姫さんは喜んでるみたいだし、別にいいか。
「さて、須佐之男命といえば、荒々しい男神として有名じゃな。神々の住まう
この伝説の案内役だかを名乗る老婆の語り口は、講義やレクチャーというよりも、
これなら、いきなり知識を押し付けられて、頭が痛くなることもないだろう。
「そうして、須佐之男命が八岐大蛇を打ち倒し、その尾から手に入れたのが、これぞ伝説の神剣、
まあ、流石にそれくらいは知っている……、というか、これから俺たちが狙う目的そのものなのだが、口は挟まないことにする。
下手に
「さてさて! 須佐之男命に天叢雲剣とくれば、どうしても、連想されるものがあるわけじゃが……、そこの
なんて、こちらが気を使った途端に、ご氏名を受けてしまった、こうなると、逆に無視するほうがよろしくないか。
しかし、俺のことなんだろうけど、小坊主ってなんだ、小坊主って。
「えっと、確か……」
「そう! 天叢雲剣!
いや、質問したんだから、せめてこちらの解答は聞いてくれよ……。と思っても、俺は声には出さない。
だって、いきなりテンションが降り切れてる老婆って、恐いんだもん……。
「この三種の神器は、それぞれ高名な神様にあやかっているとされておるのじゃが、それでは、その神様の名前を……、再びそこの坊主! 今度こそ、答えてみせよ!」
正直、もうあんまり関わり合いになりたくないのだけれども、再びご指名を受けてしまったら、仕方ない。ここで無視するもの、やっぱり恐いし……。
「それは……」
「ぶっぶー! 時間切れー! 正解は、須佐之男命に加え、
おい、時間切れってなんだよ! 試験ってなんだよ! だから、ちゃんと、こっちの話を聞けよ! なんて叫びは、当たり前だが、胸の奥に封じ込める。
そろそろ、本格的に恐ろしくなってきた……。
「この三柱の神々は、妻を取り戻すのにしくじった
へえー、なるほどなー。
もはや俺にできることなんて、心静かに老婆の話を聞くくらいだった。
「まずは天叢雲剣じゃが、これは嵐の神とも呼ばれる須佐之男命の力の象徴であり、全てを薙ぎ払う破壊の神剣!」
「ねえ、
火凜の心配は、ごもっともだ。
しわくちゃの顔を紅潮させて、
「続いて八咫鏡とは、太陽神である天照大神の写し鏡として、その全てを生かす力を宿したとされる再生の神鏡!」
「そうですね。頭の血管でも切れやしないかと、心配になってしまいます」
葵さんが、その手元に自らの携帯電話を用意しているが、むべなるかな。
いざとなったら、即座に救急車を呼ばなければ間に合わない。迅速な対応こそが、命を救うのである。救急治療は、時間との勝負だ。
「そして最後に残るは、八尺瓊勾玉と月読命……! というわけなんじゃが、これはぶっちゃけ、よく分からん」
「な、なんだそりゃ……」
というか、いきなりテンションを下げるな。落差についていけないじゃないか。
「まあ、単純に記述が少ないということじゃな。八尺瓊勾玉は、天照大神が
なんとも言えない、ざっくりとした説明をしながらも、自らを案内役だと名乗った老婆は、愉快そうに笑っている。
「そして、この月読命というのも、実はよく分からん神様でな、須佐之男命は男神、天照大神は女神とされる中で、性別すら不明という有様じゃ、ひょひょひょっ!」
うーむ……、有様じゃ、なんて言われてもなぁ……。
いやはや、楽しそうなのはいいのだけれど、そんな話をされても、こちらとしてはリアクションに困ってしまう。
せいぜい、へえー、そういう神様もいるんだなぁと、思うくらいだ。
「まあまあ、そういう
「そういうものですか……」
俺の困惑を感じ取ったのか、老婆はさらに語気を強め、力説を繰り広げている。
人生の先達にここまでさせて、自分は冷めた目をしているというのも、なんだか、気が引けてしまう。
「そして、面白いと言えば! 伝説のはずの三種の神器が、実在しとるというのも、また面白い!」
「へ、へぇ~、そうなんだ~……」
なんとか
とはいえ、そういう夢のある話をされてしまうと、どうしてもワクワクしてしまう自分がいることは、否定できない。
俺だって、男の子なのである。
「まあ、とはいえ、今も各地に
なるほど、それは確かに、そうだろう。俺だって、なにも神話や伝説が、そのまま現代に続いてるとは思っていない。
真実が歴史の中で歪むなんて、よくある話だろうし、そもそも神話や伝説が、真実だったかどうかすら、分かるはずもない。
しかし、人という生き物が、その曖昧でしかないものに、不思議な魅力を感じるというのも、また事実なのだった。
「例えば、天叢雲剣と八尺瓊勾玉は、平安時代に巻き起こった、
そう、それもまた、歴史の中で語られる、曖昧な真実でしかない。
そういう記述が残っているという、ただそれだけの真実だ。
「その後、海の底に消えた天叢雲剣は見つからず、同じ形状の剣を打ち直しとるし、八尺瓊勾玉だけは、再び浮いてきたなんて話はあるが、事の真偽なんてものは分かるはずもない。しかも、その後の歴史を
しかし、老婆は笑う。笑い飛ばす。
まるで、その曖昧さを許すかのように。
もしくは、その曖昧さを、
「だから、本物の神器は、今もまだその海に……、平家が
確かに、伝説の神器が、今もまだ海の底で、静かに眠っているなんて、経年劣化の問題を無視すれば、非常に魅力的な話だ。
しかし、今はそれよりも、気になる地名を聞いた気がする……。
「壇ノ浦……?」
そこは、つい昨日の夜にサブさんから、八咫竜が
なんだ? なにかの偶然か……?
「もしくは、そちらのお嬢さんのご実家にある御神体こそが、本物の天叢雲剣である可能性も、十二分にあるというわけじゃのう……。うっひょっひょっ!」
うっ、微妙に痛いというか、鋭いところを
八咫竜に伝わる神剣を、実際に手を取り、使用してみた俺からすれば、あれこそが本物の天叢雲剣であるといわれれば、疑う余地もない。歴史的な観点など知ったことではないが、あの規格外すぎる超常的な異能を考えれば、あれが神の所有物だったと考えた方が、
ただ、それをいうと色々と話が拗れそうだから、ここは黙って……。
「まあ、お婆さまったら、お詳しいのですね。その通りなんです。それから、確かに私たちの方にも、八尺瓊勾玉は壇ノ浦にあるという話が伝わってまし、むにゅ」
「は、はっはっはっ! なるほどー、確かにそうですね! いやー、面白いなあ!」
あ、危ない……。
純粋無垢すぎる竜姫さんが、つい滑らせそうになった可愛いお口は、なんとか俺の手を使って、優しく
気が付けば、もう随分と時が
「うむうむ! 様々な可能性が存在し、そのどれもが真実かもしれん! それこそが
最高潮に盛り上がっている老婆は、こちらの失言を聞いていなかったようで、なおも一人で盛り上がり続けている。
その様子は、助かったと思うと同時に、空恐ろしいものがあった。
「もちろん、それらは与太話……、真実は確かめようもない、遥か昔の神話じゃが、重要なのは、そういう伝説が生まれたこと、まさにそれ自体……」
夕焼けに照らされた老婆が、その小さな目を、深く暗いしわで埋めて、笑う。
「そういう伝説を残したくなるような、なにか途方もないことが、気も遠くなるような過去に起きたということだけ……」
まるで
「ひひひっ! そう! 大切なのは、外見や形などではなく、そこに潜んだ本質! ただそれだけなのじゃなからな! うひょ、うひょ、うひょひょひょひょ!」
真っ赤な夕日を浴びながら、不吉なまでに黒い巫女姿で、ゾッとするような甲高い笑い声を上げる老婆というのは、尋常ならざる迫力だった。
正直、物凄く恐い。
「あっ、あの、ちょっと、すいません……」
その異様な光景に気圧されたから……、というわけではなく、俺は自分の耳の裏が震えたのを感じて、その場から少し離れる。
もちろん、耳が勝手に震えるわけもなく、その原因は、そこに装着している超薄型の通信機……、シークレットスキンちゃんが、着信を知らせているからだ。
俺は、これ幸いにと、周囲の観光客から不審に思われないように、自分の携帯電話をカモフラージュとして使っているフリをしながら、恐ろしい老婆に背を向ける。
「もしもし?」
『あっ、ごぼっ! 統斗様! がぼっ! 繋がってよかったっス! トライコーンの海賊団を、げぼっ! 誘き出すのに、ぶぶっ! 成功したっスよ! がぼごぼ!』
通信の相手は、予想通りというか期待通りというか、先ほど全力で呼び出したサブさんだったわけだが、どうにも様子がおかしい。
いや、報告の内容自体は、
がぼごぼ?
「あ、ああ、うん、はい、はい、分かりました……」
まるで水の中というか、泳いでもいるかのようなサブさんだったが、詳細な情報を聞き出すことには成功したので、まあいいかと、俺は通信を終了する。
どうやら、次にやるべきことが、決まったようだ。
「悪いんだけど、お婆さん。俺たちこれから、やることが……」
さて、こうなれば、いつまでも遊んでいるわけにはいかない。本来の目的を果たすためにも、この神社から移動しなければならないので、これまで長らくお話を聞かせてくれた老婆に、いい加減別れを告げようと、俺は振り返った。
そう、振り返った……、のだけれども。
「い、いない? あのお婆さん、どこ行ったんだ?」
これまで……、いや、つい一瞬前まで、あれだけ目立つ高笑いを上げていた老婆の姿が、どこにも見えない。
どこにも、いない。
「あ、あれ? 本当だ、いなくなってる……。うそ、気付かなかった……」
どうやら、今まさに火凜も、その事実に気付いたようで、
「……特に目を離していたつもりはないのですが、不可解ですね」
葵さんはじっと、ただじっと、あの老婆がいたはずの場所を見つめているが、もうそこには、誰もいない。まるで、最初から誰もいなかったかのように。
「残念です……。もっとお婆さまのお話し、聞きたかったですのに……」
突然いなくなった老婆のことを、竜姫さんは純粋に惜しんでいるようだけど、俺としては、どうしても腑に落ちない。
「……消えた」
そう、消えた。消えてしまった。
あれだけ
ああ、狐につままれたような気分とは、このことか……。
「と、とりあえず、みんなを集めようか」
なんとか気を取り直した俺の号令を受けて、それぞれ首をかしげていたみんなが、他の仲間たちを呼ぶために、散っていく。
どうにも、背筋が寒くなるというか、
だったら、今はそれを抱えて、進むしかないのだ。
「……行くか」
寒々しい夕焼けに染まった神社の参道に、俺の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます