4-5


「ふふっ、とってもいい天気ですね、統斗すみとさま」

「そうですねえ、竜姫たつきさん。ああ、本当に、太陽がまぶしいや……」


 きよらかな空気が流れる境内けいだいを、俺と竜姫さんは、柔らかな木漏れ日を浴びながら、静かに歩く。まるで、なにか大きなことを成し遂げたかのような満足感を胸に、冬の空がもたらした貴重な日の光を浴びていると、暗く沈んだ、この心まで、ゆっくりと晴れていくようで……。


 そう、例えば、つい先ほど、俺がやらかした失敗なんて、この世界の美しさに比べれてしまえば、小さなものだった……、とは、思えません。



 はい、本当に、ごめんなさい……。



 結局、あのこごえるような潮風が吹きすさぶ砂浜にとどまっていても、残念ながら、これ以上得るものは、なにもないだろうということで、目的を失った俺たちは、全員揃ってのんびり歩き、近場にあった非常に大きな神社へと、場所を移していた。


 ものを落したいではないけれど、少し気分を変えたかったところで、徒歩圏内けんないにそういう場所があったことは、小さな幸運だったと、思うことにする。


 そして、多少慌ててサブさんに連絡を取ろうとしたにも関わらず、どれだけ携帯を鳴らしても、シークレットスキンちゃんでいくら呼び出そうとしても、なしのつぶてというか、まったく反応すらしやがらない苛立ちを、神聖な空気の中で、心落ち着けながら参拝することで、なんとか抑えたのが、ついさっきのことである。


 というわけで、神様へのご挨拶も済ませた俺たちは、今はみんな思い思いに、好きなように散策をしている、というわけなのだけれど……。


「おやおやっ! なんだかいい雰囲気の二人を発見! ちょっとちょっと! これは見過ごせませんよ、あおいさん!」

「まったくです、火凜かりん。まるで熟年夫婦のように並んで歩くなんて、竜姫さんには、まだ早すぎます。やはりここは、先達せんだつとして、私たちが見本をみせるべきでしょう」


 俺と竜姫さんが二人きりで、ぶらぶら散歩していたところ、どうやら、その様子を目撃したらしい仲良しコンビに、呼び止められてしまった。


 しかし、別に狙って二人だけになろうとしたわけではなく、なんとなく自然な流れでそうなっただけなので、そんなわざとらしく話しかけなくてもいいのに。


「まあ、私と統斗さまが、仲睦なかむつまじい夫婦のようだなんて、そんな、なんだか照れてしまいます……」


 そして、竜姫さん。別にそんな、照れるようなことを言われたわけじゃないので、恥ずかしそうに頬を染めるのはやめてください。可愛いです。とっても。


「さあ、火凜。あの新人さんに、お手本を見せてあげてください」

「えっ? あ、あたし? ……よ、よーし! やってやろうじゃん!」


 いや、新人さんってなんですか、葵さん。いったい竜姫さんが、ナニに新規参入を果たしたというんですか、葵さん。


 と思ったが、俺は黙って、その場の流れに身を任せることにする。臆病者のそしりを受けても、自分からやぶに突っ込んで、蛇に噛まれたくはない。


「それでは、竜姫さんは少し下がって、私と一緒に見守りましょう」

「わあ、勉強になります!」


 謎の先輩風を吹かせている葵さんに呼ばれて、素直に俺から離れた竜姫さんは妙に楽しそうだったけど、一体なにを学ぶつもりなんだろうか……。


「や、やっほー、統斗! げ、元気だったー?」

「そりゃ元気だわ。ついさっきまで一緒だったんだから、知ってるだろ?」


 竜姫さんと入れ替わるように、俺のそばにやって来た火凜は、目を泳がせた上に、頬まで引きつらせている。


 いや、なんで緊張してるんだよ、お前は。


「だ、だよねー! ……そ、そうそう、さっきといえばさ、あの、しめ縄! もう、すごく大きかったよねー! 本当に大きすぎて、びっくりしちゃったー!」

「あ、ああ、そうだな……」


 確かに、火凜の言う通り、この神社には巨大というか、見る者を圧倒するほどの、大きすぎるくらいに大きなしめ縄があるという話を聞いて、俺たちは、本殿ほんでんで参拝を済ませた後に、そのしめ縄がある神楽殿かぐらでんへと向かい、全員で見学していたのだ。


 そう、全員で、一緒に見ているので、そのしめ縄に関する感想は、その場で出尽でつくしてしまっている。もうすでに、大いに盛り上がってしまっている。


 なので、そのことに関して、これ以上は、今さら話の広げようがないのだが……。


「は、はははーっ! え、えーっと……、それから……」

「いや、いいから、少し落ち着け、なっ?」


 とりあえず、不自然な笑い声をあげたかと思えば、挙動不審にオロオロとしている火凜の様子がおかしいということは、付き合いの長い俺からすれば、一目瞭然いちもくりょうぜんだ。


 それでは、一体なぜ、いつもは快活かいかつな彼女が、俺と二人きりで話すというだけで、ここまでモゴモゴというか、モジモジとしてしまっているのだろうか? 

 俺には、心当たりがある。


 おそらく、昨日の温泉での一件が、尾を引いているのだろう。より正確に説明するならば、昨日の夜に、俺とみんなが裸の付き合いをしてしまった、例のアレだ。


 寒さに弱い火凜なので、初めのうちは、かなりぼんやりとしていたのだが、温泉に入ることで生き返ったのか、気がついたら、かなり恥ずかしそうにしていた。


 ちなみに、全員ちゃんと温泉マナーを守っていたので、その恥ずかしさは、俺にもよく分かる。だって、隠すものがないんですもの。


 つまり、みんなと一緒ならいいけれど、こうして面と向かってしまうと、どうしても、その辺りのことを思い出し、意識してしまうのだろう。多分。


 俺も、大体同じような感じだし。


「お、おち、落ち着いてるし? あた、あたしは、おお、落ち着いてるけど?」

「ああ、うん、分かったから、深呼吸でもしようか?」


 さてさて、この明らかに尋常じんじょうではない火凜を前に、俺はどうするべきなのか?


 なんて、考えるまでもない。


 俺は俺のやりたいように、やるだけなのだから。


「えいっ」

「うひゃっ! ち、ちべたい!」


 いきなり、俺の両手で頬を挟まれた火凜が、素敵な悲鳴を上げてくれる。


「な、なにすんのよ!」

「まあまあ、少しは頭を冷やしなさいな」


 ふっふっふっ、俺は手袋をしていないので、この冬の外気がいきでよく冷えた手は、いい刺激になることだろう!


 なんて悪っぽいことを考えながら、俺は火凜の両頬を優しく撫でて、自分の気持ちも落ち着けることにする。


 こういうことを口にするのは、やっぱりちょっと、照れくさい。 


「そういう慌てた姿も可愛いけどさ、俺としては、いつもの火凜の方が、好きだよ」

「う、ううっ……、あ、ありがと……」


 俺の嘘偽りない言葉を聞いて、火凜は照れたようにそっぽを向いてしまうが、その目はもう、泳いだりしていない。


 よかった。どうやら俺の恥ずかしい行動も、無駄ではなかったようだ。


「むっ、これはいけません。小粋なトークを披露するはずが、身体的接触にまで発展してしまいました。レギュレーション違反です」

「葵さん! 私なんだか、うらやましいです……」


 なんて、俺と火凜の間に、ちょっぴり甘い空気が流れた途端、ギャラリーから不満の声が上がってしまった。


「レフリーストップです、火凜。残念ですが、あなたの負けです……」

「負けとか言うなー!」


 そして、なぜかノックアウトされたボクサーを迎えるセコンドのように、せつない表情をした葵さんに肩を叩かれた火凜が、ブツブツと文句を言いながらも、すごすごと引っ込んでしまう。


「ふふっ、火凜さんったら、ほっぺたが真っ赤ですよ?」

「こ、これは、ちょっと、体温が上がっただけだから! 別に、全然、まったく! そういうアレじゃないから!」


 優しく微笑む竜姫さんにからかわれる火凜というのは、なかなか新鮮で、ほっこりしてしまうが、二人がこちらに来ないということは、これはつまり、まだこの遊びは続いている、ということか。


「仕方ありません。不肖ふしょうながら、ここは私に任せていただきましょう」


 火凜と入れ替わるように、静々しずしずと俺の前に進み出た葵さんが、丁寧に頭を下げた。


 どうやら、選手交代らしい。


「というわけで……、統斗さん。実はこの神社って、縁結びで有名なんですよ」

「へ、へぇ~、そうなんだぁ~」


 いきなりというか、脈絡なくというか、唐突に葵さんから飛び出した話題に、俺は必死に喰らいつく。ここまできたら、最後までやり遂げる所存しょぞんである。


「はい、そうなんです。なので、私も先ほど、しっかりとお願いしてきました」

「な、なにを……?」


 いや、縁結びの願いなんだから、誰かと仲良くなりたいとか、そういう話だということは分かっている。分かっているのだが、相変わらず真顔の葵さんから、謎の迫力を感じて、思わず身構えてしまっただけだ。


 とはいえ、まさか、そんなに突飛な発言は飛び出さないだろう……。


 なんて、俺の考えは、どうやら甘かったらしい。


「統斗さんとの子供を、ちゃんと授かれますようにと」

「それ、縁結びじゃなくて、子宝祈願だから! っていうか、そういう行為は、してないんだから、いくらお願いされたって、神様が困っちゃいますよ!」


 まあ、確かに縁結びといえば、縁結びだけれども! がっつりと、もう二度と離れられないくらいの縁は、結ばれるけども!


 ああ、しかし、こんな爆弾発言を、完全に本気も本気で言っているのが、葵さんの恐ろしいところなのである……。


「ですので、私、昨日の夜は、寂しかったです」

「な、なんでですか……?」


 い、いかん、いきなり話の流れが変わりすぎて、まったく追いつけない。


 葵さんからの先制パンチが強すぎて、俺はいきなりフラフラだった。


「せっかく混浴までしたのに、統斗さんが、全然夜這いに来てくれなかったので」

「いや、そりゃ行きませんよ! だって、女子は全員、同じ部屋じゃないですか! 相場屋じゃないですか! 普通に考えて、無理じゃないですか!」


 どうやら、混浴という非日常的なファクターが、葵さんに及ぼした影響は、火凜とは別のベクトルで、甚大じんだいだったらしい。


 同一の要因がもたらす、まったく違う効果を分析するというのは、学術的にも意味がある行為のように思えるが、残念ながら今の俺に、その事実を客観的に解析して、宇宙の真理を紐解いているような余裕はない。


 そう、これはただの、現実逃避というやつだ。


 正直、俺の頭は衝撃の連続で、クラクラしている。


「おかげで、今日は少しだけ、寝不足です」


 そうですか……。


 俺も今すぐ、ぶっ倒れてしまいたいような気分ですよ、葵さん……。


「ねえ、統斗さん?」

「は、はい? なんですか?」


 というわけで、かなりグロッキーだった俺は、するするとこちらに向けて接近する葵さんに、気が付けなかった。


 気を抜いていた、ともいう。


「私って、女性としての魅力、ありませんか?」

「えっ? あの、あ、葵さん?」


 見事にこちらのきょをついた葵さんは、止める間もなく最接近を果たすと、ぴとりと俺の胸に飛び込み、貼り付いてしまう。


 そして、そのまましっとりと密着しながら、彼女によく似合っている眼鏡の向こうから、うるうるとうるんだ瞳を、真っ直ぐこちらに向けて、とろけるような吐息と共に、優しく、あやしく、ささやく。


「私では、あなたを満足させられませんか?」

「そ、そんなこと、ありませんよ! あるわけが、ありませんから!」


 こうなってしまうと、もうダメだ。そのギャップは反則です、葵さん。


 慌ててしまった俺は、少し悲しそうな彼女をなぐさめようと、その細い肩を抱きしめるように掴んでしまい、その瞬間、葵さんはそっと瞳を閉じて、こちらに向けてささげるように、そっと唇を差し出すが、今の俺に、それをけることは……!


「ストップ! ストップ、スト~ップ! ちょっと、葵! そこまでよ!」


 そのまま流れるように、熱い口付けをかわわしそうになった俺と葵さんに、ギリギリで割り込んだ火凜が、強引に引き剥がしてくれたおかげで、なんとか不意の接触は、回避されることとなった。


 い、いかん、どうやら雰囲気に流されすぎて、ここがどんな場所なのか、すっかり忘れてしまっていたらしい。


 神聖な境内で、これ以上ハレンチな行為は、いけません。


「……無念ですが、邪魔が入ってしまったので、ここまでですね」

「もう! 今度は邪魔とかいうなー!」


 慌てた火凜に捕まった葵さんは、特に抵抗することもなく、大人しくしているし、そうこうしているうちに、竜姫さんまでやって来た。


 どうやら、この謎の遊びも、もう終わりらしい。


「わっ、葵さんったら、大胆ですね」

「いえいえ、それほどでも」


 ちょっと竜姫さん、なにを感心しているのですか。

 そして葵さん、なぜそんなに誇らしげなのですが。


 のほほんとした二人の様子を見ながら、火凜が疲れたように頭を押さえているが、俺も大体、同じ気持ちだったりする。


「しかし、普段の私は、もう少し落ち着いていると自覚していますので、この高揚感の原因は、いつもは訪れる機会のない場所に来ているから……、だと思います」


 いや、割といつもこんな感じな気がするけれど、しかし、葵さん本人がそういうのならば、きっとそういうことなのだろう。うんうん。


 余計な口は、挟まないに限る。


「そうなのですか……。私はどちらかというと、こういう雰囲気の方が、まるで故郷のようで、落ち着きますね」

「あっ、そういえば八咫竜やたりゅうの本部って、山の上の神社でしたっけ」


 ようやく、加わっても大丈夫そうな話の流れになったので、俺は自分の知っている情報を元に、竜姫さんに相槌を打ってみた。


 確かに、八咫竜が根城にしている龍剣山りゅうけんざんの頂上には、深い歴史を感じさせる、古風こふうな神社があったと記憶している。


「ええ、とはいえ、私たちのやしろは、この神社ほど大きくはありませんけれど……」


 なんて、竜姫さんは謙遜けんそんしているけれど、かなりの標高を誇る山の頂上に建てられている彼女たちの神社と、山の中とはいえ、平地にある此処こことでは、単純に比較することはできないし、その必要もないだろう。


 だから、そんな恥ずかしそうにしなくても……。


「あっ、その代わりと言ってはなんですが、私たちの本部は、山の中身をくりぬいたような構造になってまいますので、中に入ったら、意外と広いんですよ?」

「そ、それは、すごいですね……」


 しかし、こちらが無責任な声をかける前に、竜姫さんから飛び出した情報に、俺は言葉を飲み込むしかない。


 いやいや、あの龍剣山って、かなり大きな山ですよ? その中身が丸ごと悪の組織として活動するための施設だとしたら、あれはもはや山ではなく、巨大すぎる城塞と呼ぶに相応しい、規格外の基地ということになる。


 流石は、この国最古にして、いまや最大となった悪の組織、八咫竜か。


「なるほど、悪の組織である八咫竜の表の顔は、神の社だったというわけですか」

「あっ! だったら竜姫ちゃんの実家にも、まつってる神様とか、いるの?」


 とはいえ、いつか戦うであろう相手のことではあるけれど、今から気にしていても仕方ない。警戒は必要だが、気に病んでしまえば、本末転倒だ。


 ここは葵さんや火凜と同じように、素直に会話を楽しむことにしよう。


「はい。私どもの御神体は、遥か過去より守り続けてきた神剣……、天叢雲剣あまのむらくもつるぎですので、お祀りしている神様は……」


 そして、竜姫さんが楽しそうに頬を緩めて、自分の故郷の話をしている……。



 その時だった。



「うっひょひょひょひょ! 当然、かの有名な須佐之男命すさのおのみこと、というわけじゃろう!」


 突然、いきなり、なんの脈絡もなく、まるで怪鳥のような笑い声と共に、参道脇の木陰から、い出るようにあらわれたのは、一言で言ってしまえば、老婆だった。


 なんだか小汚い布きれをまとった、小さな老婆である。


「お前さん方、まだ若いのに、ずいぶんと面白い話をしとるじゃないか。よしよし、そういう可愛い子供たちには、さらなる知識を与えてやらんとな!」


 どこかで俺たちの会話を聞いていたのか、その老婆は妙になれなれしい様子を見せながら、素早い動きでヌルヌルとこちらに近づくと、耳障みみざわりなくらい甲高い声を張り上げて、こう叫んだ。


「そう、伝説に詳しい、このオババがの!」

「…………」


 そのあまりに唐突すぎる乱入者の登場に、俺たちは誰一人として、口を開くこともできず、ただただ胡散臭そうに、相手を見つめるよりほか、なかったのだった……。


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