4-4


「う~みは広い~な、大きい~な~……」


 その壮大な風景を前に、思わず俺の口から飛び出たささやきは、潮風にさらわれて、荒々しく寄せては返す白波に、見事に飲まれ、飛沫しぶきと共に消えていく。


 そう、命の根源、母なる海は……。


「荒れてるなあ……」


 今日もちょっぴり、ご機嫌斜めな、ご様子だった。




 朝からバタバタしてしまったけれど、なんとか気持ちをふるい立たせた俺は、まずは身支度を整え、ゆっくりとお茶まで飲んでから、散策に行こうと集まったみんなに、とりあえず事情を説明して、予定を変更し、こうして少し足を延ばして、途中で昼食ということで、名物のそばをワイワイと楽しんでから、海を訪れていた。


 もちろん、これは遊びに来たわけではない。


 トライコーンの海賊団と戦う前に、戦場の下見をするのが目的である。


「この海の向こうに、皆が……、八咫竜やたりゅうがいるのですね……」


 とはいえ、こんな物寂ものさびしい海を見て、感傷的になるなというのも、無理な相談か。寒々しい砂浜に立ちながら、その瞳にうれいを帯びた竜姫たつきさんが、悲しい決意を込めた表情で、ただ真っ直ぐに、前だけを見ている。


 その気高い姿は、誇り高くもあり、孤独でもあった。


 だが俺は、そんな彼女に、胸を締め付けられるほど美しい彼女に、残酷な真実を、言わなければならない。げなければならない。教えなければならない……。


 どうしても、これだけは。


「竜姫さん、この海の向こうは、別の国です。八咫竜がいるのは、もう少し西です」

「あら、そうなのですか?」


 うんうん、それが無粋ぶすいな指摘だということは、自分でも分かっているのだけども、しかし、だからといって、ここで勘違いを正さず、そのままにしておくのは、相手に悪いかもしれないと、勇気を出して見たのだが、どうやら正解だったようだ。 


 ありがたいことに、竜姫さんは、特に気にした風もなく、ただ不思議そうに、首をかしげるだけで、気分を害した素振りすらみせないという度量の広さで……。


「貴様! 姫様に恥をかかせるとは、何様のつもりだ! 恥を知れ!」


 ……まあ、その代りといってはなんだけど、あるじした朱天しゅてんさんには、問答無用で怒られてしまうわけだけど。


 ああ、竜姫さんを思う気持ちは一緒のはずなのに、俺と彼女は、どうしていつも、いつも、こうなってしまうのか……。


 なんだか、深く突き詰めると、愛について悟りが開けそうな感じである。


「もう、朱天ったら、やめなさい、全ては、無知な私が悪いのですから」

「ああっ! そんなことはありません、姫様! 悪いのは全て、この男です! そうに決まっています!」


 いや、ただ照れたように頬を染めている竜姫さんをたたえるように、その場にひざまずいてしまった朱天さんを見るに、深く考えるのは、やめておいた方がいいのかもしれない。


「おろ? そういえば竜姫ちゃんって、海に来たのは、初めてなんだっけ?」

「はい。お恥ずかしい話ですが……」


 その場の微妙な空気を変えようとしてくれたのか、ちょっと困り顔の竜姫さんに、わざとらしいくらい能天気に話しかけたのは、たっぷり厚着を重ねた火凜かりんだった。


 どうやら、今日はまだ晴れていて、しかも、日の高い時間だということが、大きく関係しているらしい。


 そう、太陽の力は、偉大なのだ。確かに寒いが、それでも日光が当たっているか、否かは、体感に大きな差をもたらす。


 そのおかげで、極端に寒がりな火凜でも、ああしてきちんと防寒着を着込み、寒さの許容量を超えないように気を付けることで、正気を保つことに成功している……、というわけである。いや本当に、この辺りの気候は、俺たちの地元と比べて、とても厳しいものなのだ。


 まあ、それはいいのだけれども……。


「大丈夫です、竜姫さん。知らないことが恥なのではありません。知らないことを、知ろうとしないことこそが恥なのです。さあ、それでは分からないことは、統斗すみとさんに教えてもらいましょう。そう、海だけではなく、男女のいとなみなどなども」

「ああ、素晴らしいお言葉を、ありがとうございます、あおいさん……。私、目からうろこが落ちた思いです!」


 火凜と一緒に、するするとやって来た葵さんが。いきなり大真面目な顔をして吹き込んだ驚異の結論に、素直に感銘を受けてしまった様子の竜姫さんが、目をキラキラと輝かせてしまっている。


 やめてください、葵さん。前半はともかく、最後が急展開すぎますよ。


「いやー、残念だけど、海については、俺もあんまり詳しくないからなー」


 とりあえず、穏便に話の流れを変えたかったので、俺は、わざとらしくすっとぼけながら、本日の主役である大いなる海へと目を向ける。


 こうなってしまえば、仕方ない。さっさと本題に入ってしまう。


「だから、海賊団を迎え撃つためにも、みんなの意見を聞きたいんだけど」


 そう、今回は相手が相手なので、戦場は海の上となる可能性が高い。


 もちろん、サブさんが頑張って、海賊に船を捨てさせ、陸上まで誘き出してみせる可能性はあるけれど、過度の期待はしない方がいいだろう。サブさんだし。


 不測の事態に備えて、少しでも対策は練っておくべきだ。


「うーん、その海賊団って、この砂浜に来るのかな?」

「それが、よく分からないんだよなあ……」


 桃花ももかの疑問はもっともだけれど、こればっかりは、今の俺には答えようがない、


 今回は海戦になる公算が高いということで、この辺りで、一番海に近づける上に、ある程度の広さがあって、まだ戦いやすいだろう砂浜まで来てみたのだが、こちらにとって少しでも地の利が得られそうな場所に、上手く相手を誘導できるかどうかは、それこそサブさんの腕次第となる。


 なので、今の俺たちには、あまり大した準備もできないし、詳細な作戦を立案することも難しいわけだけど、まあ、何事も、やらないよりは、マシだろう。


「そうね……、それじゃあ、敵が海の上で、私たちが海岸線にいるとだけ仮定して、その時に問題なのは、やっぱり距離よね。相手の攻撃は、私が防ぐとしても、こちらから有効打を放つとなると、やっぱり手段は限られてしまうわ」


 こちらのつたない意図をさっしてくれた樹里じゅり先輩の指摘は、まったく正しい。


 古今東西ここんとうざい、あらゆる戦いにおいて、攻撃の間合いというものは、非常に重要な要素である。その有利不利や、得手えて不得手ふえてろんじる前に、そもそもこちらの攻撃が相手に届かなければ、どうしようもないのである。


「ご安心ください。水面みなもに浮かぶ海賊船など、私の弓で貫いて、見事に沈めてご覧に入れましょう。そう、さながら那須与一なずのよいちのように」

「那須与一は、そんなことしてませんよ、葵さん……」


 その伝説で射抜かれたのは、小舟に立てられた扇であって、そんな問答無用すぎる破壊活動は、行われていない。


 というか、今回の場合は、敵船の撃沈は、できるだけ避けたい。


 確かに、葵さんと桃花、それに俺の三人で、とりあえず、各々の最大火力を遠距離から放ち続ければ、身もふたもなく相手を殲滅することも可能かもしれないが、残念なことに、それでは意味がないのだ。


 此度こたびの作戦目的は、俺たちが自由に海を渡れる手段を手に入れることであり、そのために必要なのは、敵船の破壊ではなく、拿捕だほである。


 やはり、そのためには、敵船に乗り込んでの制圧が必要だろう。


「う~ん……、なあ、ひかり。お前なら、光の速さで足踏みしてさ、海面を沈むことなく走り抜ける! みたいなこと、できるんじゃないか?」

「あのねえ……、こんな、ざぶんざぶん波が立ってるのに、そんなこと、できるわけないでしょ! もう! ひかりは忍者じゃないんだからね!」


 いや、そういう言い方をされてしまうと、果たして忍者なら可能なのかは、議論の余地が大いにあると思うのだけれども、それよりも、あのひかりから、割とまっとうな理由で一刀両断されてしまったことに、驚いてしまった。


 確かに、これだけ波も高く、潮の流れも厳しいと、例え神の子であっても、その上を歩くような奇跡は、簡単には起こせそうにない。


 まあ、千尋さんレベルになると、そんなことはお構いなしに、海の上を自在に走ることはできるのだと、俺はこの目で、しっかりと見たことがあるので、知ってはいるのだけれども、あれは特殊な例である。


 今回は、素直に別の手を考えた方がいいだろう。


「そうか……、だったら、俺が魔方陣で足場を作って、それに飛び移っていく、とかが現実的な案になるかな」

「そだねー。……ああー、でも、そうなると、海に落ちないように気を付けないと、本気で危ないかもね。ううっ、さ、寒そう……!」


 寒さに弱い火凜は、自分の想像だけで首をすくめているが、その心配は無理もないというか、むしろ当然の危機感だといえる。


 この場合は、なにも寒いから海に落ちるのがイヤだとか、そういう問題では収まりきらない。単純に、こんなまだまだ冬の寒さが厳しい時期に、誰がどう見たって危険しか感じない荒海に、しかも衣服を着たまま飛び込むだなんて、もはや、悪も正義も関係なく、ただ純粋に、自殺行為だ。


 やはり、冬の海で決戦ともなると、色々と警戒を強めなければ……。


「おい、さっきから聞いてれば、なにをいつまでも、作戦会議とも呼べないような、ぼんやりとしたおしゃべりをしている。そもそも、敵船に乗り込むにしても、相手がどんな船を使って、どれだけの規模で部隊を編成しているのかすら分からないのに、貴様らは一体、なにを決める気なんだ」

「……あっ」


 心底あきれたという表情を浮かべている朱天さんからの鋭い指摘に、俺は間抜けな声を出すことしかでない。


 そうだ、そうだった。その問題があった。


 敵が海賊と聞いた瞬間から、俺の脳内では自動的に、相手が使っている船は、そこそこ大きな、いわゆるドクロのマークの旗を掲げているような木造船を、なんとなくイメージして、それに違いないと無意識に思い込んでしまっていたようだ。


 冷静に考えれば、この現代社会で、そんな船を使って海賊行為をしているなんて、滑稽こっけいを通り越して、シュールですらある。現実的に考えれば、敵は強固に改造された武装船か、機動力を重視した高速艇などを使っていると考えるのが自然であり、それならば、こちらの立てるべき作戦も、大幅に変わるわけで……。


 おおっ、漫画やアニメのイメージ、恐るべし。


 ああっ、俺は、俺は、こんなに重要なことを……。


「あの、統斗さま。私からも一つ、よろしいですか……?」

「え、ええ、なんですか、竜姫さん?」


 自らの迂闊うかつさに、軽く衝撃を受けていた俺に、追い打ちをかける……、つもりは、もちろんないのだろうけど、なんだか絶妙なタイミングで、竜姫さんは、おずおずと手を上げると、なぜだか申し訳なさそうに、その小さな口を開いた。


「その……、海賊の皆さまと戦うのは、本日の、いつ頃になるのでしょうか?」

「……うん?」


 ……えーっと、はい?


「いえ、待ち伏せをするにしても、おおよその時間は把握してませんと大変ですし、それがまだ日の出ているうちなのか、それとも夜なのかで、用意するべき準備なども変わってきまので……」


 ……なるほど、それはまったく正論で、疑う余地もなく大事なことだ。


 本当に本当に、誰がどう考えたって、大事なことである。


「あー、確かに、それは重要だよねー。それで、どうなの、統斗?」

「そうですね、その情報は、絶対に外せません。どうですか、統斗さん?」


 今回の作戦において、最重要といってもいい情報を知るために、火凜と葵さんが、無邪気に、なんの気なしに、特に意識することもなく、あっさりと尋ねてきた。


 しかし、非常に残念ながら、俺は彼女たちの期待に、応えることができない。


 なぜならば……。


「俺、サブさんから、なにも聞いてない……」

「…………」


 俺のガッカリな解答に、反応する者などいるはずもなく、ただただ悲しい沈黙は、荒々しく寄せては返す波の音に流され、消えていく……。



 どうやら、俺の気持ちは奮い立つどころか、盛大に空回りしていたようである。


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