4-3


「ああ、今日は天気が良くて、よかったなあ……」


 爽やかな朝日が差し込む旅館の廊下にて、窓の外を眺めながら漏れてしまった俺の感傷かんしょうは、誰に聞かれることもなく、気が抜けたように霧散むさんした。



 本日は晴天なり、本日は晴天なり、本当に、まぶしすぎて、涙が出そうな青空だ。



 まずは誤解なきように、昨日の温泉で起きた出来事の顛末てんまつから報告させていただくことにするが、どうか安心して欲しい。口に出せないくらい破廉恥はれんちな事態には、まだおちいっていないというのが、揺るぎない真実というやつである。


 本当だ。どうか俺を信じて欲しい。

 なんなら、この命を賭けることだって、いとわない。


 なんて、誰に言い訳しているのか、自分でもよく分からなくなってきたが、本当にそうなのだから、仕方がない。


 確かに、少しばかり刺激的な光景は見てしまったし、多少なりとも身体的な接触というやつが、まったくなかったといえば嘘になるが、だがしかし、言い訳ができないほどに色っぽいというか、引き返せないレベルの秘め事には、いたっていない。


 そう、一対一のタイマンならともかく、自分以外にも、複数の人間がいる状況で、そんな大胆な行動に移れるほど、彼女たちも経験を積んでいるわけではないのだ。


 これに加えて、俺に対する嫌悪感を、少しも隠そうともしない朱天しゅてんさんが混じっていたことも、こちらに味方した。その場の空気が盛り上がりすぎない抑止力として、十分以上に効果を発揮してくれていたといえる。


 つまり、ギリギリのところで、俺は耐えきったのだ!


 というわけで、俺たちはあの後、みんなで仲良く温泉を楽しみ、みんで仲良く温泉から上がって、みんなで仲良く夕飯を食べた。


 そして、みんなと仲良くおやすみの挨拶を交わした俺は、当然一人で自分の部屋に戻り、なぜだか分からないけれど、どっと疲れてしまったので、素直に眠りについたというのが、昨日起きた出来事の、全てである。


 さいわいなことに、俺の眠りをさまたげるような、不測の事態が起こることもなく、無事に朝を迎えることができたので、軽く身支度を整えてから、みんなと合流して、一緒に旅館の朝食を楽しみ、少し食休みをした後、ちょっと辺りの散策でもしようかと、話がまとまったのは、つい先ほどのことだ。


 そうと決まればというわけで、外に出るなら準備が必要と、浴衣姿だったみんなと別れて、俺は一人で自分の部屋に戻っている途中、というわけなのだけれども……。


「はあ……」


 今日という日は、まだまだ始まったばかりなのに、なんだかセンチメンタルな気分になってしまった俺は、こうして窓の外を眺めながら、ため息をついている。


 おそらく、昨日の嬉し恥ずかしハプニングが尾を引いているだろうことは、想像にかたくないわけだけど、それは言わぬが花というやつか……。


「あっ、やっと見つけたっスよ、統斗すみと様ー!」

「……ちっ、平和な時間も、これで終わりか……」


 そんな俺の感傷をぶち壊すように、のこのことやって来たのは、白々しいくらいに真っ白い歯を光らせて笑う、サブさんだった。


 思い出したくもない昨夜の一件から、先ほどの朝食の席まで、まったく姿を見かけなかったので、俺としては安心していたのだが、どうやら復帰してきたようだ。


 せっかく、俺の命気プラーナをたっぷりと送り込んだ上に、寒空さむぞらの向こうまで殴り飛ばしてあげたというのに、時間は多少かかったといえど、これだけ元気に戻ってくるとは、不覚としか言いようがない。やはり、しっかりとトドメを刺すべきだったか。


 ただ、全裸でぶっ飛ばされたというのに、ここに来る前に、ちゃんと服を着てきたことだけは、認めてやってもいいのかもしれない。


「いやー! 流石に帰ってくるのに、時間がかかっちゃったっスね! 朝食の準備に参加できなくて、宿のみなさんには悪いことしたっス!」

「そんな気づかいができるなら、もっと普段から、自らの奇行をかえりみてくれ……」


 ああ、こんなことを言ったくらいで、なにか変わるなら、なにも苦労なんてしないということが分かっているだけに、ただただむなしい……。


「まあ、いいか……。それで、こんな朝っぱらから、一体なんの用なんです? 今日という一日を、また気絶して無駄にしたいというなら、いくらでも協力しますけど」

「ははっ! そんなわけないじゃないっスか! もう、冗談キツイっス!」


 まったくりない、悪びれないサブさんは、あいも変わらず、底抜けに笑いながら、ぽりぽりと頭なんていているが、過度なボディタッチをしようとしてこないところを見ると、多少は反省しているのだと、俺は思い込むことにする。


 正直、そうでもしないとやってられない……、と真正面から相手に伝えても、暖簾のれんに腕押しだということは分かりきっているのが、一番つらい。


「自分はこれから、昨日お話したトライコーンの海賊団をおびき出しに行くので、その前に、ご挨拶をと思っただけっスよ!」

「……誘き出す?」


 こちらの憂鬱ゆううつなど物ともせずに、底抜けというか、底が抜けたような笑顔を浮かべながら、胸を張っているサブさんにイラッとしてしまったが、その言葉の意味を理解した瞬間、俺の脳内には、疑問符が浮かぶ。


 いや、海賊団の話を聞いたこと自体は、覚えてはいるけども……。


「……トライコーンと戦うのが、今日だなんて、聞いてない」

「あれ? 言ってなかったっスか? まあ、いいじゃないっスか! ほらほら、善は急げってやつっスよ! はっはっはー!」


 いや、お前、はっはっはー! じゃねえよ。ちゃんとそういう相談は、総統である俺にするくらいの配慮は見せてくれよ。


 なんて思わないでもなかったけれど、まあ、いいか……。どうせ言っても聞かないだろうし、その提案に、なにか問題があるわけでもない。


 やるべきことは、早く済ませた方がいいに、決まっているのだから。


「そうですか……、それじゃあ、まあ、頑張ってください」

「うっス! 上手く誘き出せたら、統斗様に連絡するっス!」


 まあ、こう見えてもサブさんは、ヴァイスインペリアルが誇る歴戦の怪人だ。自分から言い出した作戦は、命をけて遂行することだろう。


 そのくらいの信頼は、俺だってしているのだ。


「よし、話は終わったな。じゃあ、どこかに消えてくれ」

「いやーっス! ちょっと待って欲しいっス!」


 というわけで、これまでの奴との会話は、野良犬にでも噛まれたのだと思うことにして、さっさと話を切り上げようとした俺に、サブさんが食い下がってきた。


 なんだろう? やっぱりトドメを刺されたいのだろうか? だったら、そう言ってくれればいいのにと、俺は思い切り、拳を握り締めたのだが、どうやら、そういう話ではなさそうだ。


「忘れてたっス! これを統斗様に渡すように、統吉郎とうきちろう様から言われてたっス!」

「……じいちゃんから?」


 正直な話、サブさんからの手渡しなんて、警戒してしかるべきなのだが、祖父ロボの名前を出されては、無視するわけにもいかない。


 俺は受け取った小さめの箱を開けて、中から小さなシートを取り出す。


「なんだこれ? ……シール?」

「それは、極小ごくしょう極薄ごくうす安全あんぜん通信機つうしんき……、シークレットスキンちゃんっス! マリー様による最新の発明品なんスけど、潜入工作にはぴったりの、優れものっスよ!」


 シークレットスキンという名前の通り、このシートには、自然な肌色のシールが、何枚か張り付いている。これが通信機器だなんて、普通なら信じられないが、しかしマリーさんの発明品というのなら、その性能に間違いはないのだろう。


 だけれども……。


「どうして、これを俺に?」

「やっぱり、統斗様の携帯だけで連絡を取るっていうのは、色々と不便っスから! 戦闘中とかは、ハンズフリーで意思疎通いしそつうできた方が、絶対にいいっス!」


 まあ、これは確かに。


 実のところ、魔素エーテルと命気だけを使って、ゼロからカイザースーツを創造するようになってから、そういう通信機能は、再現できていないのが、現状だったりする。


 これまで使っていた監視者サーヴィランスシステムは、マイクロサイズの超高性能カメラを無数に飛ばし、リアルタイムの映像と音声を拾いまくり、その上で最適な情報を統合して送受信するという、俺の気合だけで解決するには、あまりに複雑すぎる性能なのだ。


 しかも、悪魔の襲撃によって、地下本部に存在していた監視者システムを管理していたサーバーも破壊されてしまったので、尚更なおさらに再現は困難といえる。


 そのために、現状は通信関係の問題を棚上げして、一般に販売されている携帯電話などで補っていたというわけなのだが、悪の組織としては、情報の秘匿ひとく性などを考えれば、問題といえば問題ではあったわけだ。


 それが解決するというのなら、なるほど、これは喜ぶべきか


「さあさあ! 統斗様! 早速つけてみてくださいっス!」


 こうして、嬉々ききとしたサブさんにすすめられると、物凄く怪しいけれど、幸いなことに俺の超感覚は、まったく危険を訴えてこない。


 まあ、これなら大丈夫だろう。


「えーっと……、どうやって使うんです?」

「そのシールを剥がして、好きな方の耳の裏に貼るだけでオッケーっス! 耳たぶの後ろにあるへっこみ辺りが、いい感じだと思うっスよ!」


 とりあえず、勝手が分からないので、サブさんの言う通りに装着してみるが、みるみるうちに肌に馴染んで、異物を付けているという違和感がなくなっていく。


 流石はマリーさんの発明品。使い心地も抜群である。


「よっと……、うわっ、なんか震えてる!」

「統斗様の生体反応を感知して、起動したシークレットスキンちゃんが、外部からの着信をお知らせしてるっス! 後は頭の中でどうするか決めるだけで、そのシールに組み込まれたマイクロマシンが脳波を読み取って、その通りにしてくれるっスよ!」


 おお、なんたるハイテク。凄いぞ、マリーさん。


 どうやって、そんなミラクルな技術を、こんな絆創膏より何倍も薄いシールに盛り込んでるのか、まったく想像もつかないが、どうせ詳しく聞いても、俺には理解できないので、深くは考えないようにする。


「よし、それじゃあ、出てみようかな……」

「あっ! ちなみに受信した通話は、すべて骨伝導になるっスけども、ちゃんと対策してるので、音漏れとかの心配は、必要ないっス!」


 なんと、まさにいたれりくせり。マリーさんには、ちゃんとお礼を言わないと。


「了解です。えーっと、もしもし?」

『おっ、出た出た! やっほー、統斗ー! 元気ー?』


 そうして、俺が意識を切り替えた瞬間、シークレットスキンちゃんが、その役目を見事に果たした結果、こちらの耳に届いたのは、とっても聞き馴染みのある、明るく活力に満ちた声だった。


 というか、聞き間違うはずがない。

 

千尋ちひろさん! ええ、俺なら元気ですよ。どうしました? なにかありました?」

『いやー、別になにもないんだけどさー! 統斗の声が、聞きたくなっちゃって! なんか新型通信機のテストするっていうから、やらせてもらったんだよ!』


 いやはや、嬉しいことを言われてしまって、思わず顔がニヤケてしまった。こんな調子ではいけない、もっと気を引き締めないとと、分かってはいるのだが、やっぱり気の許せる相手というのは、それだけでありがたいものなのだ。


 俺たちが街を離れてから、まだ数日しか経っていないし、その間もちょくちょくと連絡は取っているのだが、そんなことは関係ない。


 やはり、愛しい人との会話というやつは、何度繰り返しても良いものなのだから。


「ははっ、俺も千尋さんの声が聞けて、安心しましたよ。それじゃあ、今のそっちの状況とか、聞いてもいいですか?」

『ああ、もちろんだぜ!』


 とりあえず、これは通信機のテストということで、仕事っぽい話を頼んでみたら、千尋さんが、非常に格好良く引き受けてくれた。


 おそらく、それと同時に素晴らしい決めポーズもしてるんだろうなと思うと、このシークレットスキンちゃんでは、映像まではカバーできないのが、やまれる。


『統斗たちのおかげで、西との商売が活発になったからな! ちゃんと物資の流れも確保できたし、利益も上がり始めてる! この調子なら、色んな作業の効率も、ガンガン上がるってもんさ!』


 しかし、まずは朗報が聞けて、一安心といったところか。


 大黒だいこくさん率いるビッグブラッグが頑張ってくれているおかげで、西側の情勢は安定し始めている。後は普通に経済活動を行えば、ちゃんと黒字で稼げるだけのノウハウというやつは、巨大複合企業であるインペイアルジャパンを、表向きな隠れ蓑としてきた我らがヴァイスインペリアルは、十分に持っているのだ。


 後は、一方的な搾取さくしゅではなく、円滑的な循環による成長を心がければ、我々の基盤は強固なものとなり、いくら悪の組織による活動といえど、国家守護庁も軽々けいけいに介入することはできなくなる……、はずである。多分。


 まあ、俺には経済のことなんて、ほとんど分からないわけだけど、その辺りの細く難しい調整は、独力でゼロから巨大な悪の組織を築き上げた祖父ロボや、頼りになるみんなに任せれば、間違いない。


 つまり、状況はようやく、安定した軌道に乗り始めた……、と考えていいだろう。


『実際に、街の復興は大幅に加速したし、同時にやってた防衛機能の強化も、ちゃんと目途めどが立ったからな! それからー、ふっふっふー! こいつは朗報だぜ!』


 そして、めでたい報告を続けてくれる千尋さんが、ひときわ嬉しそうに、まるで、宿題を終えた子供みたいに、歓喜の声を上げる。


『じゃじゃ~ん! なんと! これまで埋もれていた地下本部の瓦礫撤去が、やっと完了しましたー! いやー、みんな頑張った!』

「おおっ! それは素晴らしい!」


 いや本当に、これは手放しで喜ぶべき進展だ。


『というわけで、ようやくぶっ壊れた色んな装置の大元おおもとに到着できたから、気合入りまくりなマリーの奴は、もう大忙しで修理を始めてる! あいつも、早く統斗に会いたいってぼやいてたから、復旧は意外と早いかもな!』

「そうですか! そうなると、今後は色々と、やりやすくなりますね!」


 崩壊した地下本部に埋まってしまった超技術の数々を、サルベージして再び使えるようにするのは、俺たちにとって、悲願だったといってもいいだろう。


 これが上手くいけば、この崖っぷちな現状から、一気に劇的な巻き返しをはかることだって、決して不可能じゃなくなるはずだ。


「いやー、よかった、よかった……」


 本当に、嬉しい報告の連続に、俺は胸を撫で下ろす。どうやら、風向きは確実に、こちらに向いてきていると、少しは安心しても、いいのかもしれない。


「そういえば、国家こっか守護庁しゅごちょうの方は、どうですか? なにか動きは?」

『うーん、そっちは、これまで通りというか、相変わらず東や北を攻めるのに忙しいみたいで、特に目新しい動きはなくて、こっちは平和そのものなんだけど……』


 だけれども、ちょっと気を抜いてしまった俺とは違い、さっきまで無邪気に喜んでいた千尋さんは、なぜだか声のトーンを落としてしまった。


「どうしました? なにか気になることでも?」

『むーん……、なんというか、なんにもなさすぎて、逆に気になるというか、危険な気配とかは感じないんだけど、なんか不気味なんだよなぁ……』


 それは……、正直、気になる発言だった。


 俺に命気を教えてくれた師匠でもある千尋さんは、当然のことながら、その超感覚の鋭さも、尋常ではない。


 そんな彼女の直感は、決して無視できない情報なのだ。


「そうですか……、それじゃあ、ちゃんと警戒しておかないと、いけませんね」

『おう! するぜー、するぜー! 警戒するぜー! やってやるぜー!』


 ともあれ、自分たちの街から遠く離れてしまっている俺には、なにもできない。


 ここは、みんなにたくして、待つしかないか。


『まっ、こっちの様子は、そんな感じかな? それでさ、それでさ! 統斗の方は、どうなんだよ?』

「はい? なにがです?」


 さてさて、どうやら報告には一区切りついたようで、楽しそうな千尋さんが、ウキウキと声をはずませる。


 しかし、どうしたものか。質問が抽象的すぎて、答えが出せない……。


『なにがって、決まってるだろ! エビルセイヴァーの奴らとか、あの八咫竜やたりゅうの二人とかと、しっかりヤることヤってるのかって話だよ!』

「ぶっ」


 いかん、質問が直接的すぎて、やっぱり答えが出せない……。


「な、なにもありませんよ……、というか、シテませんよ……」

『えー! なんだよー! 情けないぞー! せっかくのチャンスなんだから、もっとグイグイ攻めていこうぜー! 据え膳食わぬは男の恥っていうだろー!』


 本当に、千尋さんは俺に一体、ナニを望んでいるんだよ……。


 いやしかし、精神的にも肉体的にも、自分と深い繋がりを持っている女性に、そういうことで発破はっぱをかけられてしまうというのは、単純に男として、なんだか情けなく思うところがあることを、否定できないのも確かではあった。


 なんだろう……、もっと積極的になるべきなのかな、俺……。


「わ、分かりましたよ……、ぼちぼち頑張りますから……」

『よーし、よく言った! 頑張れー! 応援してるぞー!』


 ああ、それでも適当に答えをにごしてしまった俺なんかを、力強く後押ししてくれる千尋さんがまぶしい……、みたいな話なのか、これ?


 いかん、なんだか、よく分からなくなってきた……。


『おっと! ちょっと話すぎたかな? 残念だけど、まだ仕事が残ってるし、今日のところは、ここまでにしよっか!』


 なんて、気の抜けた話をしているうちに、どうやら思っていたよりも時間が経ってしまったようだ。


 これでも一応、俺も千尋さんも、責任ある立場なので、こんな平日の午前中から、いつまでも楽しくおしゃべりしているわけにはいかない。


 まだまだやるべきことは、山積みなのだから。


『それじゃー、またなー! 愛してるぞー! 統斗ー!』

「はい、俺も千尋さんのこと、愛してますよ! では、また!」


 こうして、愛しい人との交信を、断腸の思いで切り上げようと決めた瞬間、使用者の思考を鋭敏に察知したシークレットスキンちゃんが、スムーズに通信を終了した。


 なるほど、これは便利だ。流石は、マリーさんの発明品である。


「どうっスか! かなり使いやすいっスよね!」

「ああ、そうですね……」


 千尋さんとの幸せな時間が終わったら、目の前にいるのがサブさんという現実が、俺に重くのしかかり、なんだかゲッソリしてしまいそうだが、それは言っても始まらないので、仕方がない。


 俺は気持ちを切り替えようと、役目を終えたシークレットスキンちゃんを外そうと指をかけ……。


 外そうと……。


 は、外そうと……。


「……あれ?」

「うん? どうかしましたっスか?」


 頭の上に疑問符を浮かべた俺を、サブさんが不思議そうな顔で見ているが、それどころではないいうか、どうもこうもない、


 というか、意味が分からない。


「……外れない」


 そう、外れない。シークレットスキンちゃんが、外れない。


 いや、外れないというのは、正確な表現ではなかった。そもそも、いくらシールに指を引っかけようとしても、とっかかりすら掴めない。


 この感覚は、どう考えても、ただ自分の耳の裏をかいているだけの、それである。


「ああ、シークレットスキンちゃんなら。自分の意思じゃ、外せないっスよ」

「……へっ?」


 しかし、困惑する俺に向かって、まったく笑顔を崩さないサブさんは、あっさりと解答を提示する。


「えーっと、確か……、ナノマシン的なアレが作用して、一度装着したら、もう完全に地肌と同化する仕様になってるっスから、ゴシゴシ洗っても問題ないし、ちゃんと汚れも落ちるから、清潔なんでご安心! って聞いてるっス!」


 ……あー、なるほど、なるほど。


 つまり、潜入工作などで、どれだけ過酷な環境に飛び込んでも、このシークレットスキンちゃんは、ちょっとのことでは外れないので、アクシデントなどで通信手段を失うような心配をする必要が、ないわけだ。


 やったぜ! そいつは便利だぜ!


 って、おい!


「そういうことは、使う前に説明してくれても、いいんじゃないかな!」

「はっはっはっ! 大丈夫っスよ! なんでも、あんまり日持ちはしないみたいで、数日使っていれば、角質と一緒に落ちちゃうそうっスから!」


 いや、そういう解決法があるから大丈夫って話じゃなくて、ナノマシンが同化するみたいな、割とヘビーな情報は、事前に知っておきたかっただけなのだけれど、俺の意図を理解してくれないサブさんに、笑い飛ばされてしまった。


 クソッ! 本当に、人の話を聞かない男だな!


「それじゃ、そろそろ自分は、仕事しに行くっスから、統斗様、どうか吉報をお待ちくださいっス! あっ、これってなんか、夫婦の会話みたいっスね!」

「うるせーよ! さっさとどっか、行っちまえ!」


 話が通じないサブさんが、なにやら気色の悪いことを口走りながら、無駄に快活かいかつな笑みを浮かべ、腹が立つほど爽やかに、走り去ってしまう。


 俺にはもう、奴を引き留めるだけの気力は、残っていない……。


「空って、どうして、青いんだろう……」


 馴染みのない廊下から、見上げた先に広がる青は、なぜだろう、ちっとも俺を癒してくれない。そこはまるで、開放的な空というよりも、憂鬱な海のようだった……。


 なんて、ポエミーに現実逃避しても、なんて始まらない。


 もうすでに、さいは投げられてしまったのだ。こうなってしまえば、足踏みしている時間すら勿体ない……、ということに、しておこう。


「よーし! こうなったら、やってやる! やってやるぞ!」


 俺は今度こそ、気持ちを切り替えるために、わざと大声で宣言する。


 頑張れ、俺! 負けるな、俺!


 今日という日に打ち勝てば、また一歩、みんなと一緒に前進だ!


「首を洗って待ってろよ、トライコーンの海賊団!」


 それでは、今日も一日、頑張りますか!


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