4-1


 海。


 すべての命が生まれたとされる、母なる海は、ただその有様ありさまを眺めているだけで、人の心に訴えかける、大きななにかを持っている。


 まるで、なにもかも包み込んでくれるかのような青に、あらゆる憂いを吹き飛ばしてしまいそうな潮風……、耳を揺らす波の音と、胸に満ちる海の香りは、何ものにも代え難い安らぎだ。


 ああ! 素晴らしき、大いなる海よ! 


 まさにこれこそ、生命のゆりかご! この星の奇跡!


 ……とはいえ。


「寒い……」


 こんな、雪もチラつく曇り空の下で、その雪にも負けないくらい、真っ白い高波がうねり狂い、荒れに荒れている荒海を見ていても、俺からは、そんな感想しか、出てこないわけだけれども。




 大きな仕事を、無事に終えた俺たちは、後の始末を大黒だいこくさんたちに任せて、次なる目的のために、進路を北西にとって、これまた電車を乗り継ぎ、乗り継ぎ、かなりの時間をかけて、新たな地へと、ようやく到着していた。


 向こうを出たのは、お昼くらいだったのに、こちらに着いたら、もう夕方というのだから、かなりの移動時間だったわけだけど、一緒にいるみんなのおかげで、少しも退屈しなかったのは、素直に感謝である。



 今回は、電車内で俺の悪行について、問い詰められるようなことも、なかったし。



「さ、さむ……! さささ、さむい! 寒いよ、統斗すみと! 助けてよ~!」

「おお、よしよし、可哀想にな……」


 身を切るような冷たい風にさらされて、ガタガタと震えている火凜かりんを助けようと、俺は彼女の肩を抱いて温めながら、風よけになってあげようとしたのだが、どうやら効果はイマイチのようだ。


 真っ赤なマフラーとモッズコートに加えて、これまた赤くてモコモコな耳当てと、手袋まで完全装備しているというのに、寒さに弱い火凜には、それでも厳しい状況であることは、間違いない。


 雪がまだ、本降りではないというのが、唯一の希望か。


「でも、本当に……。心中するには、いい日和ひよりかもしれませんね、統斗さん」

「いや、しれっと恐ろしい冗談言わないでくださいよ、あおいさん」


 まあ、確かに、心中というか、情念がたっぷり込められた演歌が、とっても似合う風景ですけども。あの崖に激しくぶつかって散る白波とか、特に。


 しかし、いきなり俺の背中にピタリと張り付いて、そんな物騒なことは言わないで欲しいというか、藍色のケープコートは愛らしかったのに、やっぱり真顔なんだろうなと思うと、ちょっぴり恐いですよ、葵さん。


「統斗さま! 統斗さま! 海って、雄大で、荒々しくて……、凄いんですね!」


 上品な着物の上から、みやびな和装コートを重ねた竜姫たつきさんが、嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねている様子は、とっても可愛い。


 どうやら、初めて生で見る海に、興奮しているようだ。距離的には、それほど近くもないし、とてもではないが綺麗な海とは言いづらい有様なのだが、その気持ちは、ついこの間の夏休みに、生まれて初めて海で遊んだ俺にも、よく分かる。


 ここはやはり、海を知る先輩として、色々と教えてあげようじゃないか!

 

「竜姫さん、知ってますか? 海ってなんと、しょっぱいんですよ?」

「……貴様、姫様を馬鹿にしているのか?」


 いかん、どうやら軽口が過ぎたようだ。


 きっちりとシワひとつない、黒いパンツスーツの上から、漆黒のトレンチコートを颯爽と着こなし、格好いいのだけれども、まるで凄腕の殺し屋みたいな朱天しゅてんさんに、思い切り睨まれてしまった。


 というか、その右目のアイパッチの奥から、こちらの背筋を凍らせるどころか、焼き切るような殺気を送るのは、やめてください。ごめんなさい。許してください。


「う~ん……、道はこっちで合ってますよね、樹里じゅり先輩?」

「大丈夫よ、桃花ももかちゃん。ふう……、バス停から、かなり歩くのね」

「え~ん! ひかり、もう限界です~! タクシーがよかった~!」


 駅で見つけたパンフレットと、スマホに表示された地図を見比べながら、俺たちを先導してくれているのは、淡いピンクのコートがよく似合っている桃花と、深い緑のチェダーコートが大人っぽい樹里先輩なわけだけど、その後ろをひよこのようについて歩く、白いふわふわコートのひかりには、どうか二人の邪魔をしないで欲しい。


 近くに民家の光も見えなくなってきたことだし、もうすぐ日も暮れてしまうというこの状況では、道に迷うのは、まさに致命傷なのだから。


「はあ……」


 俺は白いため息と吐きながら、しっかりと着込んだロングコートの襟元を寄せ合わせつつ、どうしてこんなことになっているのか、ぼんやりと記憶をたどる。



 蛭海ひるみ夷三郎いさぶろうひきいてた悪の組織……、レッドオイスターを撃破した俺たちは、残りの仕事を大黒さんと、彼の組織であるビッグブラッグに任せて、もうすでに次の目的のために、動き出していた。


 かつてワールドイーターが支配していた地域を手中に収めたことで、かなり強固な基盤を手に入れた我らヴァイスインペリアルは、勢いそのままに、さらに西方で勢力を拡大しつつある八咫竜やたりゅうに勝負を仕掛ける……、はずだったのだが、いきなり無策で突っ込むのも危険だろうと、まずはその手前で、今の状況を確認しつつ、作戦を練ることにしている。


 まあ、手前と言っても、正確に言えば手前の手前……、八咫竜の本拠地がある地方までは、まだ距離がある。だから、この海の先にあるのは、この国で三番目に大きな島ではなく、お隣の国というやつだ。


 もう少し西に行けば、全国的に河豚ふぐが有名だったり、または南に移動すれば、今度は牡蛎かきが名物だったりする中で、その辺りをざっくり無視して、俺たちが、この土地へとやって来たのには、それなりの理由が存在する。


 それは、俺たちに先行して、事前に情勢を探っていた諜報員から、その調査の報告を受けた上で、今後の対策を話し合うことになっているから……。


 なんだけど……。


「やっぱり、計画性っていうのは、大切なんだなぁ……」


 今回の出張先は、大黒さんたちの活躍もあって、すでに俺たちの支配が及んでいるということで、あまり警戒せず、気を抜いてしまったのが、そもそもの失敗か。


 いや、別に悪の組織的な危機には、微塵みじんおちいらなかったのだけれど、なかば観光気分で油断したというか、到着が遅くなるのは分かっていたのに、本日泊まることにしている宿からの迎えを断ったのは、正直まずかった。


 まさか、ようやく到着した最寄りのバス停から、こんなに歩くことになるなんて、思いもしなかったのは、単純に俺たちのミスである。


 とはいえ、そうは言っても、これから向かう先が、僻地へきちも僻地に存在する秘境宿であるとか、そういうことではない。確かに少し歩くが、まあ至って普通の、古式ゆかしい純日本風の宿というやつだ。


 ただし……。


「ううっ……! ささ、さむいよお……、統斗ぉ……、もっとあっためてよう……」

「あっ、ズルいですよ、火凜。私も統斗さんと、もっとくっ付きます」


 寒さに弱い人間には、少しだけキツイ行程こうていだというだけで。


 いやしかし、ガタガタと震えている火凜が抱きついてきたのは分かるんですけど、別に平気そうな葵さんまで、背中に張り付くのは、勘弁していただきたい。


 単純に、歩きづらいです。はい。


「あー! あれ! あれじゃないですか? 桃花先輩! 樹里先輩!」

「わっ、本当だ。よく見つけたね、ひかりちゃん!」

「よかった……。なんとか日暮れまでには、着けそうね」


 おっと、どうやら光明が差してきたようだ。


 無邪気に喜んでいるひかりの頭を、桃花が撫でてやっている様子は微笑ましいが、個人的には、その二人の後ろでホッとした様子の樹里先輩と、完全に同意見である。


 本当に、ここまで来て迷った挙句に野宿だなんて、遭難と変わらないじゃないか。


「わあ、あそこが本日のお宿なんですね! さあ朱天、行きましょう!」

「ああっ、姫様! そのように急がれては、危ないですよ!」


 楽しそうな竜姫さんに手を引かれ、困った顔をしながらも、嬉しそうに微笑む朱天さんが、主の後に続く。


 それじゃあ、俺たちも行きますか。


「ほら、火凜。もう少しだから、頑張れ。葵さんも、行きますよ」


 もうあと少し、二人を背負っていたとしても、このくらいなら、問題ない。



 こうして俺たちは、無事に全員揃って、目的地へとたどり着けたのだった。



「まあまあ、ようこそお越しくださいました。雪が降って、大変だったでしょう?」

「あっ、遅れてすいません。これからお世話になります」


 そして、ようやく到着した日本旅館の玄関で、妙齢の女将や、ベテランの仲居さんたちに囲まれて、俺たちは温かく迎えられた……、のはいいのだが。


 その中に混じっている、異物が一人。


「総統! お久しぶりっス!」


 そう、彼こそが、我らがヴァイスインペリアルの怪人にして、今回ここで落ち合うことになっていた凄腕の諜報員……。


「ようこそ当宿へっス! さあさあ、たっぷり癒されてくださいっス!」

「いや、例え天地がひっくり返っても、あんたには癒されないから」


 なぜか丁稚でっちのような格好をしている、サブさんだった。


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