3-10


 ほこりが舞い散る、さびれた倉庫は、不思議な静寂で満ちていた。


「ふうううっ……」


 悪の組織ビッグブラッグの親分……、大黒だいこくさんとの決戦を制した俺は、呼吸をするたびに痛む肺を無視して、大きく息を吐き出しながら、これまで意図的に封じていた命気プラーナによる回復を解禁し、自らの傷を癒す。


 正直に告白すると、かなりガタガタだった俺の肉体に生気が戻り、自己治癒能力が極限を超えて高まると同時に、驚異的な速度で回復していくのが分かる。


 いやあ、危なかった、危なかった。


「は、ははっ……、がはっ……、やるやないか、兄ちゃん……」

「そちらこそ、本当に、お見事でしたよ」


 戦いに敗れ、その力の全てを使い果たし、尋常ではない怪我を負って、その巨体を少しでも休めるように、仰向けに倒れている大黒さんの元へ、やっとスムーズに呼吸できるようになった俺は、喉の調子を確かめつつ、てくてくと近づいていく。


 もう、勝負は終わったのだ。これ以上、警戒する必要はない。


「……ワシの負けや。これからのビッグブラッグは、あんたに託す……」

「ええ、任せてください」


 潔く自らの敗北を認めた大黒さんに、俺は手を差し出す。


 互いに互いを叩き潰そうと、全力で殴り合いをしたからといっても、それは相手が憎かったからではない。これからは、共に同じ道を歩む、仲間なのだから、手を差し伸べるのは、当然だ。


「すまんな、兄ちゃん……、せっかく手を貸してもろても、動けそうにないわ……」

「まあまあ、いいから、いいから、大丈夫ですよ」


 大黒さんは手を伸ばすどころか、指を動かすことすら辛そうだったが、俺は強引に彼の大きな手の平を掴み、引っ張り上げる。


「が、ははっ、新しい総統さんは、厳しいわ……、そない無茶を……、あ、あら?」

「ねっ? 大丈夫でしょう?」


 もちろん、それと同時に、適切な量の命気を、送り込みながら。


「な、なんや、これ!」

「流石に、いきなり全快ってわけにはいきませんけど、一週間もしたら、もう普通に動けるくらいには、回復してますから」


 驚きの表情を浮かべた大黒さんは、自らの足で、しっかりと立ち上がり、みるみるうちに傷が塞がっていく自分の身体を、不思議そうにペタペタと触っている。


 まあ、命気についての説明は、後でちゃんとすればいいだろう。


「あなた! 大丈夫なの?」

「お、親分! ご無事ですかい!」

「おおっ、なんや分からんけど、どんどん大丈夫になっとるわ!」


 見るからにボロボロだった大黒さんが、劇的に回復したことに驚いたのか、先ほどまで暗く沈んでいた彼の奥さんである摩妃まきさんと、ビッグブラッグの子分たちが、嬉しそうに駆け寄ってきた。


 この様子なら、なんとか遺恨を残さずにすみそうだ。


「お疲れ様です、統斗すみとさま。お見事でした」

「ふん! 貴様にしては、なかなかやるじゃないか」


 なんだか微笑ましい様子のビッグブラッグを、少し羨ましく思っていた俺の元に、みんなが集まってきてくれた。


 竜姫たつきさんの笑顔には癒されるし、その後ろに控える朱天しゅてんさんも……、褒めてくれているということにしよう、うん。


「統斗くん! 格好良かったよ!」


 嬉しそうに駆け寄り、俺のことを褒めてくれる桃花ももかのおかげで、激戦の疲れも吹き飛んでしまう。本当に、眩しいくらいだ。


「もう、拳と拳で語り合うなんて、統斗も男の子だよね~、このこの~!」

「信じていました、統斗さん……。さあ、勝利を祝って、ハグをしましょう」


 爽やかに肩を組んできた火凜かりんの体温にドキドキしてしまうけど、その横で、なぜか真面目な顔で両手を広げているあおいさんのリクエストは、スルーせざるをえない。


 残念だけど、人の目が多すぎるからね。


「統斗君……、あんまり無茶は、しないでね……?」

「もう! 勝つならもっと、バシッと勝ちなさいよね!」


 樹里じゅり先輩の浮かない顔を見てしまうと、もっと上手くやれなかったのかと、自責の念にかられてしまうが、しかし、まったく無遠慮に、ひかりが俺の背中を叩いてくれるおかげで、なんだか気持ちが軽くなるのだから、不思議なものだ。


 いやはや、先ほどまでの、物騒な空気はどこへやら、こうしてみんなが集まれば、

あっという間に、いつもの大騒ぎである。


 とはいえ、それがいつもの俺たちらしいといえば、らしいのだろう。


「ガハハハハッ! まさか、こんな隠し玉を持っとったとはな! こりゃほんまに、かなわんわ! 言い訳のしようもないのう! ガッハッハッ!」

「いえいえ、それほどでも、ないんですよ、いや、本当に」


 どうやら、かなり復調した様子の大黒さんが、豪快に握手を求めて来たので、もちろん応えたのだが、力が強すぎて、ちょっと痛い。


 しかし、俺が命気による回復を使わなかったのは、勝負に対して、こちらから勝手に色々とルールを押し付けてしまったので、少しでもフェアに戦いたかったという、ただの個人的なこだわりだったので、そんなに持ち上げられてしまうと困ってしまうのだけれども、まあ、結果オーライということにしておこう……。


「さて! これからは、あんたが大将なわけやけど、まずはなにから、始めよか?」


 あれだけの決闘をした後だというのに、満面の笑顔の大黒さんと、彼の後ろにいるビッグブラッグの関係者たちの様子を見るに、どうやら俺の目論見は、上手くいったと考えてもいいだろう。


 だとしたら、次にやるべきことは、決まっている。


「とりあえず、後始末から、始めましょうか」


 これから俺は、彼らの上に立つ者として、それが正しい選択だったと、証明し続けなければならないのだ。



「……総統の、お呼びとあらば、即参上……」

「いや、なぜいきなり、一句読んだみたいな感じを出そうとする……」


 俺からの呼び出しを受けて、ようやくこちらが上着を羽織ったくらいのわずかな時間で、即座にやって来たバディさんによる、いきなりのドヤ顔によって、ズンズンと疲労がたまっていくのが分かるが、ここでくじけてはいけない。


 戦いに勝つことは確かに重要だが、勝った後の対応というやつは、時にはそれ以上に、大切なのだから。


「貴様! さっきの今で、いきなり呼び出すとは、どういう了見だ!」

「フ、フヒヒッ……、は、早すぎる再会……」


 さて、ちゃんと俺の注文通り、バディさんはマインドリーダーの兄妹を連れてきたようなので、これで予定通りに、話を進められそうだ。


「おい! 黙ってないで、ちゃんと説明を……!」

「それで、早速なんですけど、バディさん」


 とはいえあの二人への注文は、少しだけ後になるので、今はそれよりも、バディさんへの指示から始めよう。


 露骨に無視されたマインドリーダーの片割れ……、兄である津凪つなぎが、なにやら大袈裟な動きでワチャワチャと五月蠅うるさいが、構ってやる必要は、特にない。


 まずは、先に本筋を決めてしまおう。


「悪の組織ビッグブラッグが、攻め込んできたレッドオイスターを返り討ちにしたはいいけれど、その後に、俺たちヴァイスインペリアルによって打ち倒され、傘下に入ることになったと、周辺に噂を流しておいてくれませんか? 大黒さんたちにも協力してもらって、情報のコントロールをお願いします」


 この辺りの地方を、ほぼ手中に収めていたレッドオイスターのボスが倒されたともなれば、情勢も大きく変わる。その時に上手く主導権を握るためにも、まず先んじて動き出すことが肝要だ。


 情報は、生き物なのだから。


「……了解、お任せ……」

「いや、ちょっと待ってや。ワシらは、レッドオイスターを倒しては……」


 しかし、情報戦にも長けているバディさんは、あっさり頷いてくれたのだが、大黒さんの方が、なにやら微妙な表情を浮かべている。


 なんというか、義理堅いというか、真面目だなぁ。


「はっはっはっ、なにを言ってるんですか。レッドオイスターのボスである蛭海ひるみを、見事に一撃で倒したのは、誰がどう見ても、大黒さんですよ」


 とはいえ、残念ながら大黒さんには、そういうことで納得してもらうしかない。


 俺としては、外様とざまである俺たちよりも、もともと地域に根付いた基盤を持っているビッグブラッグに、この辺りの地方を治めてもらうつもりなので、彼らの功績は少しでも、上積みしておきたところだ。


 力が物を言う悪の組織は、実績こそが重要なのだから。


「それに、レッドオイスターを解体するのは、これからが本番ですから、大黒さんやビッグブラッグのみなさんには、そこで頑張ってもらいます」


 まあ、多少事実が前後しても、結果さえ同じなら、特に問題はない、ということにしておこうじゃないか。


「というわけで、ここからが、あんたたちの出番になるぞ、マインドリーダー」

「お、おう? な、なんだ……?」


 俺たちのすぐ横で、やかましく騒いでいた津凪が、こちらからようやく話を振ってやったというのに、むしろ静かになってしまった。


 どうやら、不穏な空気を感じ取ったようだ。うん、意外と鋭いな。


「まあまあ、そんなに身構えるなって。ただ二人には、そこら辺に転がってるレッドオイスターの皆さんを、しょっ引いて欲しいだけなんだからさ」


 とりあえずは、まずは餌に食いつかせるところから、始めるか。


「ああ、そうそう。そこで潰れてるのが、レッドオイスターのボスだから、こいつを連れて行けば、結構な手柄になるんじゃないか?」

「な、なんだと!」


 今回の、これだけ街を破壊した大騒動の首謀者を捕らえたとなれば、正義の味方としては、かなりの手柄になるのだろう。津凪の表情に、喜色が浮かぶ。


「流石に、パワードスーツを持ってないマインドリーダー二人で、全て倒したなんて言っても不自然だから、ビッグブラッグにトドメを刺されそうになってたところを、横からさらったとか、辻褄合わせをする必要はあるけど、十分だろ?」

「う、うーむ……! いや、しかし、それくらいは……!」


 よしよし、地方に飛ばされたことに不満がある津凪にとって、俺からチラつかせた提案は、まさに一発逆転の好機にでも見えるのだろう。もはや奴の脳内では、こちらの手を振り払うどころか、自分がどれほどの利益を得られるのかで、完全に埋め尽くされているようだ。


 まったく、本当に扱いやすくて、ありがたいったらありゃしない。


「それで、その代りってわけじゃないんだけどさ」

「これで俺も本部に戻れ……! えっ? 代わり?」


 さて、俺たちにとっては、もう必要ないカードを使って、上手いことカモを引っかけることには成功したようなので、さっさと本題に入ろう。


「ああ、別に大したことじゃないんだ。ただ、今回の襲撃に参加していたレッドオイスターの中には、家族や仲間を人質に取られて、強引に連れてこられたのもいるみたいだから、そういうのを選り分けて、こっちに引き渡してくれ」

「……へっ?」


 ほうけた顔をする津凪を放置して、俺はさっさと話を進めてしまう。


 だって、悪の総統が持ち出した上手い話には、裏があって当然なのだから。


「根っこからレッドオイスターなのか、脅されてただけなのかは、マインドリーダーらしく読心能力を使って、サクッと判別してくれ」

「お、おい! ちょっと待て!」


 いやー、こういうケースだと、本当だったら問い詰めた相手が、自分だけでも助かろうと嘘の証言をして、どれが本当か分からない、みたいなことにもなりかねないのだけれども、マインドリーダー……、というか、その片割れである夜見子よみこさんには、相手の心を読めてしまうという超常能力があるので、基本的に騙される心配はない。


 少なくとも、このやかましく騒ぐだけの津凪よりは、多少性格的に問題があったとしても、よほど頼りになる能力と言える。


「そうだな、人質に関する情報なんかは、蛭海の頭の中身を読み取れば、全部分かるだろうから、夜見子さん、そっちもお願いできる?」

「は、はいぃいぃ! お任せくださいいいぃ!」


 ……まあ、年下の俺に言われて、声を裏返しながら、くねくねと妙な敬礼をしている彼女を見ていると、多少不安に思わないでもないけれど、大丈夫だろう。


 その能力と共に、おそらく二十年以上は生きてるであろう夜見子さんなら、上手く立ち回れるはずだ。


「ううう……、まだ二十歳はたちになったばかりですうぅぅ……」


 うん、こうして俺の心を見事に読んでくれたように、彼女には是非とも、これから頑張っていただきたい。


「いやだから! ちょっと待てと言っている!」

「うん? なんだよ」


 しかし、せっかく盛り上がってきたというのに、なぜか怒った様子の津凪が、大声を出して、水を差す。


「ようやく捕らえた悪の組織の構成員を、解放しろだと! ふざけるなよ! そんな危険な真似ができるか! どんな被害が出るか、分からんだろうが!」


 なんと、この虚栄心に取りつかれたような男から、そんな正義感が飛び出してくるなんて、驚きを通り越して、感動すらしてしまいそうだが、正直どうでもいい。


 俺は、悪の総統なのだ。

 正義の味方の言い分を、まともに聞いてやる理由なんて、存在するはずがない。


「はっはっはっ、安心しろよ。なにも別に、無罪放免で釈放しろってわけじゃない。ただ単に、お前たち国家守護庁こっかしゅごちょうの代わりに、俺たちヴァイスインペリアルが、そいつらを管理してやろうってだけなんだからさ」


 まあ、国家守護庁の連中が、捕まえた悪の組織の人間に対して、一体どんな扱いをしているのかなんて、俺はまったく知らないわけだけど、少なくとも、解放したからといって、ただ甘やかすつもりはない。


 簡単にいえば、シャバに戻った彼らには、我らがヴァイスインペリアルのために、馬車馬のようにキリキリと、働いてもらう予定なのだから。


「そ、それのどこが安心なんだ! お前らだって、悪の組織なんだろうが!」

「おいおい、落ち着けよ」


 まあ、一応は正義の味方である津凪が、大騒ぎして反対する気持ちも、分からないでもないけれど、残念ながら、そういう正論を振り回すには、遅すぎた。


 どうやら奴には、自分の立場というものを、思い出してもらう必要があるようだ。


「俺がしてるのは、お願いじゃなくて、命令なんだからさ。それとも、この場の全員を敵に回して、大立ち回りでも演じてみるか?」

「ぐむむっ……!」


 そもそも、悪の組織から呼び出されて、自分に得があるかもと、のこのことやって来た時点で、もう後戻りはできないのだと、いい加減自覚して欲しい。


 とはいえ、あまり追い込むばかりだと、変にねられる可能性もあるので、適当に飴も与えてやることにする。


「まあ、そうカリカリするなって。この話を受けてくれたら、その脅迫されてた奴らからの情報を使って、これから俺たちが倒すレッドオイスターの残党は、全てお前に引き渡すからさ。なっ? これは別に、あんたにとっても、悪い話じゃないだろ?」

「う、ううむむむっ……!」


 さて、この程度の飴と鞭で、あっさりと怒りを引っ込め、即座にリスクとリターンに悩んでくれるのはいいのだが、今後のことを考えるならば、不安になるような単純さであるともいえる。


 ここはやっぱり、しっかり釘を刺しておくべきか。


「そういうわけで、これから忙しくなるから、俺たちとの関係が、国家守護庁の奴らにバレないように、気を付けてくれよ? 夜見子さん」


 特定の相手としかテレパシーで繋がれない津凪はともかく、無条件で相手の心を読み取れる彼女ならば、周囲からの不信を、いち早く察知することが可能なのだから、気をつけてさえいれば、そうそう危機に陥ることもないはずだ。


 いやしかし、本当に便利だな。読心能力っていうのは。


 やっぱり彼女は、ぜひとも欲しい人材で……、


「お、おま、お任せください! ご、ごしゅ、御主人様!」


 人材で……。


 ……はい?


「……ご、ごしゅじん、さま?」

「は、はい! あなた様こそが、この卑しいメス豚の、御主人様です!」


 ああ、よかった……。


 妙にもじもじとした夜見子さんの様子を見るに、どうやら幻覚や幻聴、または俺の妄想ではないようだ。いやー、大黒さんと殴り合ったせいで、脳に障害でも出たかと思って驚いたけど、杞憂きゆうだったな。よかったー、よかったー……。


 いや、よくねえよ!


「…………統斗君?」

「あ、あの! これは全然、全然、これっぽっちも、違うんですよ!」


 やめて下さい、樹里先輩。そんな恐ろしく暗い空気をまといながら、一瞬で俺の背後を取ったかと思えば、耳元で冷たく囁くのは。


 背筋が凍ってしまいます。


「と、とととと、突然、なにを言い出すんですか、夜見子さん!」

「だだ、だって……、あんな激しい愛され方をされてしまったら、もう……!」


 ぐぬぬっ! 話が通じない! というか、意味が分からない!  


「このバカ統斗! ちょっと目を離した隙に、あんた一体、なにしてたのよ!」

「ご、誤解だ、ひかり! 俺はなにも、本当になにも、していない!」


 だから、そんなに本気で蹴ろうとするな! 

 まだ完全に回復はしてないから、避けるのも大変なんだよ!


「あ、あんなに激しく、か、身体を重ね合わせたのに、ひどいですう……」

「身体をって……! 一体なに、を……、ま、まさか!」


 なぜか顔を赤くしている夜見子さんの口から飛び出した、生々しい言葉によって、

困惑の極みにあった俺の脳内で、一つの答えが組み上がる。


 でも、まさか……、全ての原因は、彼女の読心能力を打ち破るために、俺が心の中で考えていた夜見子さんとの、その、濡れ場のせい、なのか……?


「ち、違う! それは、ただの妄想だ! フィクションだ! 冤罪だ! あれは現実じゃないんですよ! しっかりしてください、夜見子さん!」

「フ、フヒヒッ……、そう言いながらも彼は、ま、まるで凶暴な獣のように、あたしの肉体をむさぼり尽くそうと……!」


 ま、まずい……! どうやら夜見子さんの能力は、こちらの思考を、かなりリアルに読み取ってしまうらしく、彼女の中では、あの一瞬のうちに起きたアレやコレが、まるで実体験のように、思い切り焼き付いてしまったらしい。


 しかも、かなり強烈だったのか、このままでは、まともに会話もできそうにない!


「ううっ、この短時間で、一体なにがどうなってるのよ……」

「確かに、これは由々ゆゆしき事態です。私たちも、負けていられませんね」


 安心してくれ、火凜。俺にも意味が分からない。

 そして、葵さん。そんな変な決意は、固めなくてもいいんです。


「もう! 統斗くん! ちゃんと説明して!」

「まあ、統斗さまは本当に、お仲間を増やすのが、お上手なんですね」

「やはり、ただの下衆げすか……。おい、こっちに近づくなよ!」


 桃花さん。俺にも答えは分からないんです。

 竜姫さん。そんな感心したような微笑みを浮かべないで下さい。

 そして、朱天さん。いや、もう、本当に、なんだかすいません……。


「ガハハハハッ! まったく、とんでもない連中に、負けてしもうたもんやな!」

「ええ、本当に……。ふふふっ、これから大変ね?」


 大黒さんも、摩妃さんも、笑ってくれてはいるけれど、なんだかいきなり情けないところを見せてしまって、恐縮です、はい。


 まったく、これから共に悪の道を歩もうというのに、いきなり残念な感じになってしまい、本当に、申し訳ない限りである。


 だけど……。


「はっはっはっはっはっ……、さーて、どうしたもんかな」


 こういう大騒ぎこそが、俺たちらしいのかもしれないな。




 そして、それから数日後。


「うーん! やっぱり美味い!」

「ガッハッハッ! おおきに、おおきに!」


 俺は呑気のんきにも、すっかりお馴染みになったビビットな移動式屋台にて、大黒さんのたこ焼きに、舌鼓を打っていた。


「いやー、あれだけの被害を受けたっていうのに、もうこんなに活気を取り戻してるなんて、ここの人たちのバイタリティは、凄まじいですね!」


 もちろん、こんなまだ日も高い内から、のんびりとしていられるのには、それなりの理由というやつが存在する。


 つまり、大筋において、俺の思惑は上手くいっている、というわけだ。


「うふふっ、そうね。そういう前向きで元気なところが、この街のいいところよね」


 まったく、摩妃さんの言う通り、エビルセイヴァーの活躍によって、被害は最小限に抑えられたといっても、その傷痕は、決して浅くはない。


 それなのに、すでに自分の店を壊された者たちは、さっさと瓦礫の中から商売道具を掘り出して、そこかしこで勝手に露店を開いてしまっているし、他の人たちもそれを受け入れ、大なり小なり自分たちにも被害はあっただろうに、今はもう活発というか、やかましいぐらいの賑わいで、経済活動を活性化させていた。


 この調子なら、この街がまた元の活気を取り戻すのに、それほど時間はかからないだろうと、外から来た俺でも、確信できる。


 いやはや、本当に素晴らしい。


「ええ、その通りですね。悪の組織絡みの案件も、軒並み順調ですし、俺としても、一安心ですよ」


 そう、全てはあっけないほどに、簡単だった。


 国家守護庁が、捕らえた悪の組織の人間を、収容所へと運ぶために使うルートは、事前にマインドリーダーの手引きによって知らされていたし、そのために使用される護送車の内訳うちわけを、気付かれないように操作して、純粋なレッドオイスターの人間と、奴らに脅されていただけの者たちとで、車両ごと分けてしまうのは、それほど難しいリクエストではなかったらしく、津凪と夜見子さんが、立派に内通者としての役目を果たしてくれれば、後の話はシンプルだ。


 俺たちとビッグブラッグで、脅迫被害者だけが乗せられた護送車を強襲し、運転手を放り出して奪い去るのは、それほど難しいことではなかったし、その後に解放したレッドオイスターを恨む者たちに、夜見子さんの読心能力によって得た人質の情報を提示して、共に大切な者を奪還しようと持ち掛ければ、拒む者などいなかった。


 共通の敵がいれば、協力はしやすく、同じ痛みを知っていれば、共感は容易たやすい。


 ここまでお膳立てすれば、後は順調に奪還作戦を成功させていきさえすれば、例え悪の組織による混成部隊といえど、それなりの結束は生まれるものだ。


 結果的に俺たちは、レッドオイスターの強いた圧政を逆手に取ることで、自分たちの足場を固め、配下を増やすことに成功していた。


「この調子なら、目的の達成までに、それほど時間はかからないでしょうしね」


 レッドオイスターのボスが敗れたという情報は、バディさんの手腕もあって、加速度的に広がり続けている。


 恐怖と疑心、そして奸計かんけいによって、強引に勢力を拡大していたツケが回ったとでもいうべきか。首謀者である蛭海がいなくなったことにより、レッドオイスターという組織は、こちらが攻め込まなくても、半ば自壊するように崩れ始めていた。


 こうなれば、信念を持って行動している俺たちと、指導者を失った奴らでは、目的意識が違いすぎて、はなから勝負にすらならない。


 やはり、他者を支配するという行為だとしても、そのやり口に無理があるならば、結局はこのように、自らが招いた禍根かこんと、恨みと、因縁によって、いつか必ず、足元をすくわれることになる……、ということなのだろう。


 要するに、悪の組織といえども、盤石を目指すのであれば、その行動は、あくまでスマートに、後顧こうこうれいを残さぬように気を付ける必要がある、というわけだ。


「さーて、それじゃあ、残りは全て、大黒さんに任せますから……」

「ああ、いや、実は、そのことやねんけどな」


 しかし、なにはともあれ、栄光を掴む一歩手前まで来ているというのに、その主役となるべき大黒さんは、なんだか申し訳なさそうな顔をしていた。


「あれ? どうかしましたか? なにか問題が?」

「いやいや、そういうのとは、ちゃうねんけども……」


 うーむ、いつも快活な大黒さんにしては珍しく、歯切れが悪い。


 そして、大きな体を小さくしながら、いつも豪快なこの人には似つかわしくない、なにかに気を使うような声色で、こう切り出した。


「ただ、せっかく手に入れたこの辺りのデカいシノギを、自分たちやなくて、ワシらビッグブラッグに全部任せるって、ヴァイスインペリアルとしては、ほんまにそれでええのかと思ってな……」


 なるほど、なるほど。どうやら大黒さんは、こちらから提示した条件に、戸惑いを覚えているようだ。


 ビッグブラッグがヴァイスインペリアルの傘下に入るにあたり、こちらから下した命令は、一つだけ。


 俺からの命令は、絶対に順守せよ……、これだけだ。


 この悪の組織として、上下関係を決めるのならば、ある意味では当然といえる約束だけは、必ず守ってもらうと、強く言ってはあるけれど、それと同時に、俺は自らの意向というやつも、大黒さんに伝えてある。


 それは、ただし俺が命令を出さない限りは、全ての裁量はそちらに任せ、思うまま自由に動いてもいいよ、という非常にシンプルな指示だった。


 これは単純に、こちらの指示がない限りは、なんでも好きにしていいし、別に忠誠の証がどうだの、貢物を献上しろだの、上納金を寄越よこせだの、細かく面倒な決め事はしないので、そちらのやりたいようにしれくれという、ただそれだけの話なのだけれども、どうにも大黒さんは、その点に懸念けねんを持っているようだ。


 これは、よくない。


 組織の上に立つ者として、従える相手は、きちんと納得させないと。


「ああ、なんだ。そのことですか」


 俺には、その義務がある。


「もちろん、大丈夫ですよ」


 そもそも、俺がこのような提案をしたのには、それなりの理由がある。


 まあ、単純に、戦力を拡大するのはいいけれど、その弊害というか、当然発生する管理責任というか、結果として山積みになるだろう地獄のような机仕事から、絶対に絶対に、どうしても逃れたいので……、という身も蓋もない本音は、ここでは別に、言わなくてもいいことだろう。


 いやいや、確かに情けないことではあるけど、残念ながら、俺という人間は、今のところ、そういう事務的な作業というものには、あまり向いていないと、自分たちの街の復興作業の時に、自覚してしまったのだから、仕方ない。


 確かに、死ぬ気で頑張れば、こなせるようになるのかもしれないが、それにはどうしても、時間がかかるというか、どう贔屓目ひいきめに考えても、一日中机から立ち上がれなくなるだろうことは、目に見えて明らかだ。


 申し訳ないが、それでは効率が悪すぎる。


 ならば、どうするべきか? 答えはやはり、シンプルだ。


 信頼できる相手に、全てを任せてしまえばいい。


「大丈夫だと思ったからこそ、俺は大黒さんを選んだんですから」


 だからこそ、俺は決めたのだ。


 他人を踏み潰し、自分の利益を追い求めたレッドオイスターの蛭海ではなく、他人を背負い、皆の笑顔のために戦うと笑う、ビッグブラッグの大黒さんに。


 この人になら、任せられると。


 この人ならば、俺がとやかく口を出さずとも、上手くやってくれると。


 信じたからこそ、そう決めた。


「まあ、報酬って意味なら、この美味しいたこ焼きで、十分ですしね」


 どんなに言葉を並び立て、飾り付けても、意味はない。相手の心に伝えたいなら、こちらも本音でぶつかるしかない。


 だから、この決意が、決断が、少しでも相手に伝わればと、俺はただ、心の底から笑ってみせる。


「……ははっ、兄ちゃんは悪の総統なんてしとるのに、欲がないのう!」

「そうですか? 自分としては、欲まみれだと思ってますけど」


 そして、こちらの笑顔に応えるように、いつもみたいに豪快な笑みを見えてくれた大黒さんに、俺はホッと胸を撫で下ろす。これなら、もう大丈夫だろう。



 当たり前だけど、俺にだって欲はある。


 決して見返りを求めない、清廉潔白な正義の味方などではなく、真っ黒に染まった悪の総統なんてしているのが、その証拠だ。


 こうして美味しいものを食べたいし、楽だってしたい。


 そんな俺の、勝手なわがままに、自分は利用されてしまったのだと、それなら逆に利用してやろうと、そう思えばいいのに、わざわざ、それでいいのか? なんて尋ねてしまうなんて、大黒さんも、本当に律儀というか、義理堅い人である。


 まあ、だからこそ、俺は彼を選んだのだけれども。 


「統斗くーん! そろそろ電車の時間だよー!」

「みなさん、もう準備万端お待ちですよー! 統斗さまー!」


 おっと、どうやら時間らしい。俺を呼びに来てくれた桃花と竜姫さんを待たせるのも悪いし、そろそろ行かないと。


「それじゃあ、後は任せましたよ、大黒さん」

「おう! 任せとき! 残りはワシが、バッチリとまとめてみせたるわ!」


 そして俺は、しっかりと自分の財布から出したお金で堪能した、極上のたこ焼きを乗せていたトレイの後片付けと、この辺りの地方の後始末を、愛すべきたこ焼き屋の主人に、頼れる悪の親分に任せて、席を立つ。


 さあ、行こう。

 俺たちの目的は、まだ果たされてなど、いないのだから。


「ではでは、気合を入れて、次に行きますか!」


 こうして、新たな地方の侵略に成功した俺たちは、新たな味方を引き入れながら、新たな一歩を踏み出したのだった。


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