3-6


 情報は、生き物だ。


 どれほど有益ゆうえきな情報であっても、タイミングを逃してしまえば、ただのちりより役に立たず、それとは逆に、どれだけ無用な情報に思えても、後になってみれば、逆転の切り札にだってなりえる可能性がある。


 情報の確度かくどが重要なのは当然として、その上で、それを使う機会の見極めを誤ってしまえば、真の意味で情報を活かすことなど、不可能なのだ。


 だからこそ、情報は生き物であり、それを上手く扱うには、熟練した手練てれん手管てくだが、プロフェッショナルとしての腕が、不可欠なのだ。


 なので、俺は独りでベンチに座りながら、そのプロの到着を、黙って待つ。


 そう、独りで、だ。


 こういう危険な情報のやり取りは、目立たず騒がず、隠密行動が基本だと、相場は決まっているのだから。


 流石に、あの大所帯では、他人の目を引きすぎてしまうこともあって、みんなには引き続き、大黒だいこくじるしのたこ焼きちゃんで、楽しんでもらっている。


 そして、こうしてまるで、スパイ映画のワンシーンのように、この寒空の下で、俺が静かに待っているのは……。


「ふっ、ふふふ……、総統と待ち合わせなんて、これはもうデートと同義……、し、仕事が終わったら、そのままホテルで……、ふ、ふふふふふ……」

「黙れ、ナマモノ。それ以上、不快な妄想を垂れ流すな」


 我らがヴァイスインペリアルの貴重な怪人にして、諜報活動担当の、ナルシストにしてマゾヒストというごうにまみれまくった陰気な男……、バディさんだった。




「それで、情報は?」


 枯れ木でにぎわう並木道にて、なんの変哲もないベンチの端に座った俺は、反対側の端にいるバディさんに、冷静に問いかける。


 中途半端な時間だが、休日ということもあり、そこそこの人通りこそあるが、特に仲が良さそうでもない男二人の会話なんて、誰も聞こうとはしないだろう。


 それに、もし誰かに聞かれたとしても、一般人からしてみれば、ただの意味不明な会話でしかないはずだし、敵対組織による監視の目がないことは、すでにバディさんが確認している。


 もちろん、バディさんが敵の存在を見逃していることもあるかもしれないが、それならそれで問題ない。俺たちという新たな敵の出現に、そいつらが慌ててくれるか、警戒でもしてくれれば儲けものだし、むしろ色めきだって、関係者が、この場にでも出てきてくれれば、そいつをぶちのめして、もっと詳しい情報を搾り取ればいいだけなので、しめたものだ。


「……まずは、この地区の状況から、始めます……」


 先ほどは浮かれた様子を見せていたバディさんだが、流石はプロというべきか、今ではすっかりと落ち着いて、会話ができるようになっている。


 まあ、流石に不気味すぎたので、思わず思い切りぶん殴ってしまったのが、功を奏したのかもしれない。とりあえず、それで満足してくれたようだ。


「この地方全体を支配していた悪の組織……、ワールドイーターが、見事に壊滅したことにより、その後釜を狙う者たちのせいで、この前まで、酷い混乱状態が続いていたけれど、最近ようやく落ち着いて……、残りの組織は、二つに絞られました……」


 バディさんの報告を受けながら、俺は頭の中で、情報を整理する。


 とりあえず、今のところは、最後に美味しいところだけをさらいたい俺たちにとって、かなり理想的な状況と考えてもよさそうだ。


「まず、一つ目の組織の名は、ビッグブラッグ……。これは古参の組織で、元々は、ワールドイーターが勢力を伸ばす前に、この辺りを本拠地としていたのだけれども、闘争に敗北して、しばらく身を隠していたみたい……」


 ビッグブラッグという名前自体は、先ほど拷問……、じゃない、尋問した鯉怪人の口から出ていたが、詳細が出てきたのは、初めてか。


 でも、なるほど。確かにワールドイーターという組織は、悪魔マモンの力によって急成長した組織なので、奴らが勢力を広げる前に、別の悪の組織がいても、不思議はないのか。なんだか、失念していたけれど。


「ちなみに、ビッグブラッグのボスは、悪魔マモンと直接対決して、確かに、負けはしたけれど、見事に逃げおおせたって話があるよ……」

「……あの悪魔から? それは凄いな」


 直接戦い、死闘を繰り広げた俺からすれば、あの圧倒的で、絶望的で、規格外な化物を相手にして、命を守って逃げるということが、どれだけ難しいかなんて、分かりすぎるくらいに、分かってしまう。


 あの悪魔が、倒した相手の骨までしゃぶることしか考えてないような奴が、獲物を取り逃がすなんて、普通ならば、ありえない。


 これは、そのボスとやらを、まともに相手にしたら、大変なことになりそうだ。


「そんなビッグブラッグは、仇敵だったワールドイーターが壊滅したことで、古巣に再び舞い戻り、もっとも激戦区だった、この関西の中心地区を、あっという間に平定して、自分たちの手中に収めている……」


 なるほど、悪の組織が入り乱れ、覇権を争っているために、この地方は大いに荒れていると聞いていたのに、いざ来てみれば、それなりに平和そうに見えたのは、どうやらビッグブラッグが、この街を守っていたからのようだ。


 これだけ短い期間で、ここまで完璧に秩序を取り戻してみせるなんて、ボスだけでなく、組織としてみても、やっぱり決して油断はできない……、ということか。


「……二つ目の組織は、レッドオイスター……。こちらは、新興の悪の組織で、どうやらワールドイーターが壊滅した後に、結成されたみたい……」


 レッドオイスター……、というのも、やはり聞いたことがある組織の名前だ。確かあの鯉怪人が所属しているとか、なんとか言っていた気がする。


「こっちは、勢いが凄いね……。ワールドイーターが支配していた地域の中で、本拠地があった、この地区を除いて、残りは全て、そのレッドオイスターが、見事に奪い取っている……」


 それはまた……、随分と勢いのある話だ。


 その勢力を伸ばしに伸ばしたワールドイーターは、最終的に関西地方をほぼ掌握していたはずなので、それを殆ど手に入れたとなると、尋常ではない。


 しかも、この短期間でそれを成し遂げたとなれば、その手腕は恐るべきものだと、警戒するべきだろう。


「ただ、レッドオイスターはその分……、手段を選ばないというか、かなり汚い手を使うことで、有名かな……」


 つまり……、ビッグブラッグは混乱をおさめて、レッドオイスターは混乱に乗じたというわけか。


 これは別に、どちらが良くて、どちらが悪いという話ではない。ただ単純に、どちらも悪の組織として、尋常ならざるポテンシャルを持っているという、本当にただ、それだけの話にすぎない。


 そもそも、ビッグブラッグもレッドオイスターも、そして俺たちも、等しく悪の組織という、であることに、変わりはないのだ。


 悪が悪を非難するなんて、笑い話にもならない。それこそ残念な、ナンセンスな話にしかならないだろう。


「なるほど……、要するに、今この地区を押さえているのがビッグブラッグで、その周囲は全て、レッドオイスターが支配しているって感じなわけだ」

「そうなるね……」


 単純にそれだけ聞くと、ビッグブラッグの方が不利に思えるが、彼らのボスが悪魔とも渡り合った猛者であることと、レッドオイスターからしてみれば、どれだけ支配領域を広げようと、ワールドイーターの本拠地があったこの地区を自分たちのものにしなければ、完全勝利とは言い難いだろう心情を考えれば、これからなにが起こるか分からない、激戦となるであろうことは、想像にかたくない。


 つまり、状況は煮詰まり、決着は迫っている、ということだ。


「それから、僕が掴んだ情報だと、レッドオイスターが、邪魔なビッグブラッグに対して、すぐにでも最後の大攻勢を仕掛ける……、なんて話もあるみたいだ……」


 そして、どうやらその時は、俺が思ったよりも、近いのかもしれない。


「すぐにでもって……」

「……今日、これから今すぐに起きても、おかしくない……、って感じかな……」


 そういえば、あのレッドオイスターの鯉怪人は、ビッグブラッグの縄張りである、この街で、自分の組織から好きに暴れろと命令を受けた……、なんて言っていたな。


 もしかしたら、それもその、レッドオイスターによる大攻勢とやらの、一環いっかんだったのかもしれない。


「……それだけ切迫せっぱくした状況で、国家守護庁こっかしゅごちょうは、なにしてるんだ?」


 悪の組織が大暴れしているとはいえ、それはまだ、裏の世界の話であって、それが表面化しないように蓋をするのが、国の機関である国家守護庁の役目のはずだ。


 こんな、すぐにでも火薬庫に火がつきそうな状況を放っておくなんて、普通なら、考えられないのだけれども……。


「正義の味方のみなさんは、東の方を攻めるのに忙しいからね……。こっち側には、最低限の人員しか置いてないみたいで、表面上は、仕事してるように見せてるけど、他の悪の組織からの執拗な侵攻に対して、実際にここの治安を維持してるのは、控えめに言っても、ビッグブラッグの構成員たちだね……」


 ……それはまた、難儀なことで。


 いや、まあ、そもそも、最初から俺たちは、国家守護庁の、そういう隙というか、方針の裏をかくことを狙って行動しているので、これはむしろ、望ましい展開というべきなのかもしれないけれど、それはそれとして、正義の味方という存在には、死力を尽くしていて欲しいというか、もっと一生懸命に、市民を守るために行動していて欲しいと思ってしまうのが、人情というやつだろう。


 悪は悪を非難しないが、正義には、文句を言うものなのである。


「そうか、そうなると……」


 なんにせよ、大まかな現状は、理解したつもりだ。


 それを踏まえた上で、これからどう動くのが最善か判断するのが、悪の総統としての俺の役目……、なんだけど……。


「……うんっ?」


 そんな、悩める俺の視線の先に、どこかで見覚えのある影が二つ、飛び込んできたのは運命なのか、必然なのか。



 どちらにせよ、もしかしたら、これは使えるかもしれないな……。



「くそっ! どうしてこの俺様が、道にぶっ倒れていた怪人の回収なんて、下っ端がやるような仕事をしなければならないのだ!」

「ひっ、ひひっ、人手不足だから、仕方ないよ、兄さん……」


 妙に尊大な男と、妙にビクビクしている女が、並んで歩いている。二人共、個性的なデザインの制服を着ているが、あまり目立ってはいない。どうやら、奇抜ではあるが街に溶け込めるように、工夫を凝らしているようだ。


 まあ、それはどうでもいいか。


 獲物を捕捉した俺は、ベンチから立ち上がり、静かに彼らの後を追う。


「しかし、しかしだ! あんな魚を運んだせいで、なんだか、全身が生臭くなった気がして気持ち悪いぞ!」

「そ、そうだね……、というか、本当にちょっと臭いから、少し離れていい?」


 なにやらよく分からない話をしながら、街をパトロールしているらしい二人組は、誰がどう見ても隙だらけだが、仕掛けるならば、急いだ方がいいだろう。


 今はまだ、辺りの雑踏に紛れて気付かれていないが、あまり時間をかけすぎると、あの兄妹には、こちらの心を読まれてしまう可能性がある。


 だからこそ、俺は一気に距離を詰め、並んで歩いている二人の間に強引に割り込みながら、相手を拘束するように手を回し、同時に肩を組んでしまう。


「よー、マインドリーダーと、リードだっけ? こんなところで、奇遇だな!」


 その瞬間、まるでいびつきしむ氷の彫像のように、二人の動きは止まってしまった。


 まったく、せっかく俺の方から話しかけてあげたというのに、失礼だなあ。


「き、ききき、貴様は! シュ、シュシュシュシュ、シュバルカ……、うぷっ!」

「あわ、あわわ、あわわわわわわわわ……、い、いやああ……、はうっ」

「はいはい、天下の往来おうらいで、大声出すのはやめましょうね?」


 不本意なことに、いきなり悲鳴を上げようとしている、残念な二人の口を、素早く手でふさぎ、注意深く、辺りを探る。


 このままでは、流石に目立ってしまうし、下手に暴れられても困る。

 まったく、本当に手がかかる二人で、参ってしまう。



 というわけで、俺は手頃な路地裏へ、二人を無理矢理、連れ込んだ。



「……くっ! シュ、シュバルカイザー! きき、貴様が、なぜここに!」

「……あば、あばばば、また、また汚されてしまううう……」


 とりあえず、人気のない場所に到着したので、その口から手を離した途端、二人がぎゃあぎゃあと騒ぎ出してしまった。まったく、遺憾である。


「まあまあ、まずは落ち着けよ」


 これでは、冷静な話し合いというやつが、できないじゃないか。確か、この二人は俺よりも年上だったはずなので、もっと大人らしい余裕を持って欲しい。


「とりあえず、まだ日も高い街中なんだから、シュバルカイザーって呼ぶな。仕方ないから、俺のことは、名前で呼ぶことを許してやるから」

「う、うるさい! だったら貴様も、俺たちを正義のコードネームで呼ぶな! 俺の名前は、心尾こころお津凪つなぎだ!」


 よしよし、コミュニケーションの始まりは、やっぱり自己紹介からだよね。順調に健全な関係を築けているようで、一安心だ。


 そしてなにより、いちいちマインドリーダーじゃ、面倒臭いし。


「ふーん……、そっちは?」

「ひっ! フ、フヒッ、あ、あの、夜見子よみこですう……」


 なぜか俺に対して、隠しきれないおびえた視線を揺らしつつ、卑屈な笑みを浮かべている女性は、確か妹とか言っていたので、苗字は同じなのか。それじゃあ、どっちも名前で呼ばないといけないじゃないか。仕方ないなあ。


「なるほど、なるほど、了解、了解。それじゃあ、まずはそっちの質問に答えてやるから、ありがたく思ってくれ。なぜ、俺がここにいるのか? 野暮用だ。以上」


 さて、時は金なりというし、どうでもいい挨拶がすんだところで、さっさと本題に入ることにしよう。


「こ、答えになって、いな……、むぎゅ!」

「じゃあ、次はこっちが質問する番だな。そっちこそ、どうして、この街にいる?」


 無用な口を挟もうとした津凪を片手で制しつつ、俺は頭の片隅から、この二人に関する情報を引っ張り出す。


 国家守護庁に所属している正義の味方、マインドリーダー。


 その名の通り、心を読む超常者ちょうじょうしゃのコンビであり、戦闘は得意だが、テレパシーで繋がれる相手を選ぶ兄を、戦闘は苦手だが、無条件で相手の心が読めてしまう妹が、後方で支援するというスタイルで、俺たちヴァイスインペリアルに対して、この二人が戦いを挑んできたのは、つい最近の話だ。


 その時は、総統である俺自らが、その全力を持って、撃退して差し上げたわけなのだけれども、まさか、こんなに早く、しかもこんな場所で再開するとは、思ってもいなかったので、その理由を知りたいと思うのは、当然の心情だろう。


 なので、こちらの質問には、ぜひとも真摯しんしに、対応していただきたい。


「うん? どうした? ほら、さっさと答えてくれ」

「……頬を掴まれていたら、答えられないと思うよ……、うらやましい……」


 俺の後ろを、まるで影の様についてきていたバディさんが、なにやら粘っこい口調で進言してきた。どうでもいいけど、気持ち悪いから、本当にうらやましそうな顔をして、指をくわえないでください。


 しかし、なるほど、それもそうか。顎が外れるほど、強く掴まれていたら、喋るのが難しいのは、当然といえば、当然か。


 いやー、失敗、失敗。


 自らの過ちを、素直に認めた俺は、ジタバタと暴れていた津凪を解放する。


「ぶ、ぶはっ!」

「それで、答えは?」


 さて、さて、些細な問題は解決したし、ここからどんな話が聞けるやら……。


「き、貴様のせいだろうが!」

「……はあ?」


 だがしかし、せっかく自由にしてやった津凪から飛び出したのは、まったく身に覚えのない、言いがかりにも等しい、意味不明な罵倒の言葉だった。


 誠に遺憾である。


「貴様が大人しく負けないから、俺は時間外に兵装を無断で持ち出しただの、あまつさえ、それを破壊されただのと、理不尽な責めを受けて、こんな場所まで飛ばされるハメになったんだろうが! エリート街道を突き進んでいた、この俺が!」


 えーっと、つまり、なんだ、ようするに……。


「なんだ、ただの逆恨みか」

「ふざけるな! 正当な主張だ!」


 いやあ、普通に身から出たさびだろう? なんて正論を言っても、無駄にプライドの高いこいつは、反発するだけだろう。


 ここはとっとと、話を進めてしまうに限る。


「まあまあ、さっきから言ってるだろ? 落ち着けよ」

「じ、自分のことを殺しかけた奴を前にして、落ち着いていられるか!」


 殺しかけた、なんて物騒な。


 まあ、確かに、この前戦った時は、ついつい全力を出しすぎて、こいつをボコボコというか、ボロボロというか、グチャグチャにしてしまったけれど、流石に、これはちょっとやりすぎたかなと反省して、ボロ雑巾よりも酷い有様だったこの男に、俺の命気プラーナを分け与えることで、生物としての自己治癒能力を増大させてやったのだ。


 それがなければ、あんな重傷を負ったというのに、こんなに早く仕事に復帰できるレベルまで回復できるなんて、ありえるわけがない。


 つまり……。


「おいおい、俺はむしろ、お前の命を助けてやったんだぞ? いわば、命の恩人だ。だから、その慈悲に感謝して、その足りない頭を、地面にこすりつけてもいいぞ」

「む、無茶苦茶なことを言うな! そもそも、お、お、俺を、こ、殺しかけたのは、貴様だろうが! 人を実験用のモルモットみたいに、いたぶりやがって!」


 心外な。

 俺はモルモットには、もっと優しくするぞ。動物好きだし。


「そ、そ、そんな濃密で、激しいプレイを……! う、うらやましいを飛び越して、ねたましいいいいいいいい……!」


 そして、なにやらよく分からない嫉妬をしているらしいバディさんが、気が滅入るほどに、やかましい。というか、プレイとかいうな、気色悪い。


 ええい、こっちは無視だ、無視。これじゃあ、話が進まない。


「はっはっはっ、まあ、それは置いといて」

「置いておけるか! あの凄惨せいさんな体験のせいで、あれから俺は寝る前に、妙な色をしたお薬を、三錠以上飲まないといけなく……!」


 うーん、なかなか面白……、じゃない、壮絶なトラウマを抱えているようだけど、正直なところ、興味がないというか、今はそんなことよりも、ちゃんとこちらの話を聞いて欲しいのだけれども。


 まったく、いつまでも、チワワのように震えているのは、やめて欲しい。


「うんうん、あんたの主張は分かったから、少し黙ろうか? じゃないと、寝る前に飲む薬の量が、その倍以上は必要にしてやるぞ?」

「ひ、ひいいいい……、兄さん、この人、本気ですううう……」


 おっ、こういう時は、心の声を読んでくれる人がいると、助かるな。下手に言葉を選んだりする必要がないし。


 しかし、なぜだか分からないけれど、俺の心を読んだだけの夜見子さんが、まるで恐ろしい怪物でも見るように、涙目を浮かべている。どうしたのだろうか? おなかでも痛いのかな? 可哀想に。


「うぐっ……!」

「よしよし、どうやら分かってくれたみたいで、嬉しいよ」


 妹の読心能力が、どれだけ信用できるかは、兄である津凪こそが、もっとも理解しているからだろう。かなり素直な態度になってくれた。


 よかった、ようやくまともに話ができるぞ。


「いやいや、実はさ、そんな素直なあんたに、俺から耳よりな話があるんだ」

「……うぅっ! 駄目です、兄さん……! この人は……!」


 ちっ、こういう時に、心の声を読めるような人がいると、面倒くさいな。こちらの思惑を読み取られてしまうのは、厄介極まりない。


 こうなれば、仕方ないか。


 と、同じ方法を使うとしよう。


「い、いやあ、や、やめ……、あひゃあああああ! らめえええええええ!」

「ど、どうした、夜見子! 大丈夫か!」


 突然、あられもない嬌声きょうせいを上げて、地面に倒れ込み、そのボリュームがあるボサボサ頭を振り乱しながら、人目も気にせず、ゴロゴロと転がりだした妹に、その兄が困惑している様子だが、さもありなん。


 どうやら、今はこの二人、ご自慢のテレパシーとやらで、心を繋げてはいなかったようだが、そのおかげで、兄の方は助かったとも言えるだろう。


 なぜなら、彼の妹である夜見子さんの心は、千々ちぢに乱れ、その余波をまともに受けようものなら、津凪の方も無事では済まなかったはずだ。


 だけれども、この尋常ならざる事態は、俺が直接なにかをしたせい、というわけでないことを、明言しておきたい。


 本当だ。俺は夜見子さんに、指一本触れていない。


「うーん……、こんな感じかな?」


 ただ、夜見子さんが勝手に、俺が脳内で繰り広げている、彼女を主役にした淫らな妄想を読み取って、悶えているというだけで。


 とはいえ、俺も鬼ではない。他人の心に敏感な彼女に、それほどハードな妄想を叩きつけるのは、流石に酷だろうと、加減はしている。


 これはあくまでも、俺がいつも、けいさんや、千尋ちひろさんや、マリーさんとしている、ごく普通の愛の営みのお相手を、夜見子さんに置き換えているだけであって……。


「そ、そんなアブノーマルなの、耐えられないいいいい!」


 あ、あれ……?


「……あふん」


 なにやら、夜見子さんが果てる直前に、聞き捨てならない絶叫を上げたようだが、俺の本能とうやつが、あまり気にしない方がいいと、泣きながら告げている。


 ……まあ、結果オーライということで。


「さて、話の続きなんだけどさ」

「お、お前、この状況で……」


 あっさりと気持ちを切り替えた俺に、津凪が引きつった表情を浮かべながら、ジリジリと距離を取ろうとしているのが、残念でならない。


 俺はただ、これも仕事だからと、いつもより頑張っているだけなのに。


「なーに、別に難しい話じゃないんだ。ただちょっと、あんたたちの力を、俺たちに貸してもらえればなってだけで」


 こうして俺は、ようやく本題を切り出せた。

 やれやれ、思ったよりも、大変だったな。


「ば、馬鹿なことをいうな! 正義の味方である俺たちが、貴様ら悪の組織に協力するなど、あるわけがないだろう!」


 おいおい、自分の功名心を抑えきれず、暴走した挙句に、返り討ちにあって、それで腐って文句を垂れ流すような奴が、今さら高潔な正義の味方面なんてするなよ。


 と言ってやりたいが、それでは無駄に相手の神経を逆撫でするだけで、なんの解決にもなりはしない。


「まあ、落ち着いて、話を聞けって」


 交渉というのは、いかに相手を丸め込むかが、肝要なのだから。


「さっき自分で言ってたけど、要するにあんたは、重大なミスをして、国家守護庁がさして力を入れてない、出世街道からは遠く離れた、どうでもいい職場へと飛ばされたわけだろ? そんな汚名を返上するには、相当の功績が必要なのに、こんな味方も少ないようなところでは、そもそも小さな手柄を上げることすら、難しいだろ?」

「ぐぐっ!」


 よしよし、まずは相手の図星をつくことには、成功したようだ。


「だからさ、そっちが協力してくれれば、こっもこっちで、あんたたちが手柄を立てられるように、手を貸してやってもいいってことさ」

「ううっ!」


 続けて、相手の望む条件を提示してやることで、一気に追い込む。


 上昇志向が強すぎる津凪では、自らが納得してない現状から、一気に抜け出すための方策を、その正義感だけで蹴り飛ばすことは、難しいだろう。


「さあ、どうする?」

「く、くそう……!」


 まあ、そんな自尊心に振り回されて、こちらの提案に乗ってしまったら、この二人に待っているのは、地獄のようなスパイ生活のわけなのだけれども。


 津凪の方はともかく、相手の本心をそのまま読み取れるという、ある意味、規格外の超常能力を持つ夜見子さんは、そういう諜報活動には、うってつけの人材だ。


 正直なところを言ってしまえば、うちの組織に、ぜひとも欲しい。兄貴の方は、別に必要ないけども、強力な協力者を得るためにも、この偶然のチャンスは、絶対に逃したくないというのが、本音である。


 ますは、簡単な仕事をいくつかやらせて、その見返りという形で、甘い汁を吸わせてあげてから、ズルズルとアリ地獄のように引きずり込み、気が付いた時には、国家守護庁から裏切り者の烙印を押されるまでに、追い込んでしまうのが、理想だろう。


 うん、なんだか楽しくなってきた!


「さあ、さあ!」

「ぬ、ぬぐぐぐぐぐ……!」


 こうして、正義の味方マインドリーダーが、まさしく悪の誘惑に揺れている……。


 その時だった。


「うおおおっ! な、なにごとだ!」


 運命の選択に迫られ、苦悶の声を絞り出していた津凪が、突然、まったく別の意味で、驚愕の叫びを上げたが、それも当然のことだろう。



 耳を塞ぎたくなるような爆発音が、いきなり辺りに響き渡ったのだから。



「……なあ、バディさん、もしかして、これって……」

「……多分、そうだと思う……」


 事前に掴んだ情報のおかげで、一体なにが起きたのか、素早く察することができた俺とバディさんは、顔を見合わせながら、嘆息せずにはいられない。


 ああ、本当に、情報を仕入れる大切さが身に染みるが、これは同時に、情報の使いどころを誤ってしまうと、こういうことになるという教訓だった。


「これが、レッドオイスターの大攻勢ってやつか……」



 どうやら、俺が思っていたよりも、時間は残されていなかったようである。


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