3-5


「う、美味いぞー!」


 それを一つ、口に入れた瞬間、世界がぜた。


 まさに衝撃、まさに極上、まさに究極、まさに至高、これを幸せと呼べないというならば、この世に幸せなど存在しまい。カリカリで、トロトロで、フワフワで、口の中が大騒ぎだ。その全てが混然一体となって、途方もないうま味の海に、原初の炎が投下され、この身を震わせるような爆発が巻き起こったかと思えば、俺の脳内に創世のような閃光と、天啓のような雷鳴を轟かせ、それはまさに宇宙の始まり、これこそ味のビッグバンと呼ぶに……!


 ……まあ、つまり、このたこ焼きが、すごく美味しい、というだけなんだけど。




 路地裏での一件を終えてから、再び合流した俺たちは、みんなで集まって、楽しく昼食をとっていた。場所は、賑やかなペイントが眩しい、ワーゲンバスのような移動販売車が停まっている、ちょっとしたスペースだ。


 どうやらこの店は、持ち帰りだけでなく、営業する場所によっては、その場で食事ができるようにテーブルを置くようで、今回はそちらを利用させていただいている。


 とはいえ、それも小さな丸テーブルと、可愛らしい椅子がいくつか用意されているだけなので、かなりの大人数である俺たちで、ほとんど占領してしまっているのが、少しだけ心苦しかったりするのだけれども……。


「この、たこ焼きという食べ物は、美味しい、けれど、食べづらい、です……」

「ああっ、ほら、竜姫たつきちゃん! 気を付けないと、やけどしちゃうよ!」


 俺と同じテーブルを囲んでいるのは、アツアツのたこ焼きを相手に、悪戦苦闘している竜姫さんと、そんな竜姫さんを相手に、四苦八苦している桃花ももかの二人だ。


 流石に一つのテーブルに、全員が集まるというのは、物理的に不可能なので、厳正なる話し合いという名の死力を尽くしたジャンケンの結果、こういうグループ分けになったわけだが。チラリと他のみんなの様子に目を向ければ、それぞれ盛り上がっているようで、なによりである。


 まあ、約一名……、物凄い目でこちらを、というか俺を、睨んでいる人はいるわけだけれども、そこは気にしないというか、気にしてはいけない。


 いや、本当に、勘弁してくださいよ、朱天しゅてんさん……。


「でも、桃花さん。この、つまようじというものは、どうにも難しくて……」

「わわっ、そんな端っこじゃダメだよ! もっと真ん中に刺さないと!」


 ともあれ、さりとて、なんにせよ、今は俺と一緒に食事してくれている二人に向き合わないと、それこそ不誠実だろう。


 竜姫さんが困っているのは、そもそも爪楊枝という庶民的な道具に、慣れていないせいというのが大きいようだ。彼女は生まれた時から、巨大な勢力を誇る悪の組織の中でも特別な、完全無欠の箱入り娘として育てられらしいので、そのせいだろうか。


 そして、面倒見のいい桃花は、そんな深窓の令嬢というか、生まれながらのお姫様というか……、あえて言葉を選ばずに言うならば、世間知らずというか、天然すぎる竜姫さんを、放ってはおけないようで、色々と世話を焼いている。


 その様子は、なんとも微笑ましいものだった。


「あわわわわっ! せっかくのお着物が汚れちゃう……! ……あ、あれ? どうしたの、統斗すみとくん? なんで笑ってるの?」

「ああ、いや、ごめんごめん。別に、面白がってるわけじゃないんだ。ただ、こっちまで楽しくなるくらい、仲が良いからさ」


 まだ出会ってから、それほど時間はっていないが、はたから見ていても、竜姫さんとエビルセイヴァーの関係は、良好そのものだ。


 年が近いから……、というだけではなく、どこか危なっかしい竜姫さんのことを、みんな放っておけないというのも、大きいのかもしれないけれど、それで親交が深まるならば、なにも悪いことなど、あるわけもない。


 嗚呼、仲良きことは、美しきかな……。


「まあ、そうですか? そう見えたのなら、嬉しいです。ふふふっ、昨日も桃花さんたちとは、夜遅くまで、たくさんおしゃべりしたり、一緒にお風呂に入ったりして、とっても、とっても、楽しかったんですよ!」

「おお! 一緒にお風呂!」


 いいなあ……、嬉しそうな竜姫さんは、多分みんなで大浴場を使うなんて、初めてだったろうし、少し興奮しているのかもしれない。


 俺も本当なら、昨日は大きなお風呂で、ゆっくりと疲れを癒したかったんだけど、朱天さんの手によって、軽い軟禁状態にあったので、内風呂で我慢したのだった。


 そういう羨ましさもあるにはあるが、しかし、こういう話を聞いてしまうと、その場に自分も同席したかったとか考えてしまうのは、健全な男の性というか、むしろ、そんな妄想をしない方が不健全というか、失礼だと思う。人類的に。


 そう、そうなのだ! 生物として当然の欲求を覚えただけの俺のことを、一体誰が責められようか? いや、責められる者など、いやしない!


 嗚呼、俺もみんなと、仲良くなりた……、あっ、ごめんなさい。嘘です、嘘です。いえ、嘘ではないんですが、そういう悪趣味な妄想は、控えるべきでした。しかも、その妄想に竜姫さんを含めるなんて、軽率でした。失礼でした。不敬でした。


 だから、そんな殺人的な目で、俺のことを睨まないでください、朱天さん。


 ……どうやら、俺の内からあふれてれてしまった不埒ふらちな気配を、鋭敏に感じ取られてしまったようだ。いかん、いかん、もう少し落ち着かないと。俺は欲望に逆らえない獣などではなく、理性ある人間なのだから!


「もう! 統斗くん、変なこと考えてるでしょ! ……ふーっ、ふーっ、えい!」

「あむっ、もぐ……」


 なにかを敏感に察してしまったらしい桃花が、マヌケな俺の口に、たこ焼きを放り込んできたが、その前にちゃんと冷ましてくれたので、全然熱くない。


 いや、むしろ丁度いいというか、得をした気分というか、恥ずかしそうに頬を赤らめている桃花の様子のおかげで、胸が一杯である。


 ああ、この芳醇ほうじゅんなたこ焼きを口に含めば、果てしない味のカーニバルが……!


 ……まあ、もういいか。


 たこ焼き、美味しい。俺、幸せ。


「うん、ありがとう、桃花! 俺は正気に戻ったよ!」

「えへへー、それなら、よかったよー」


 まあ、他愛ないおふざけというやつなのだが、こういう何気ない時間こそが、かけがえのない幸せだったりするのだ。


 本当に、心から、そう思う……。


「わあ、なんだか羨ましいです! 統斗さま、私にも、お願いします!」

「えっ、あっ、はい?」


 なんて、特に意味もなく、意味ありげな雰囲気を出して遊んでいた俺に、無邪気な笑顔を浮かべた竜姫さんが、とても美しい、キラキラした瞳を向けてきた。


「あ~ん……」


 そして、そのまま目を閉じると、こちらに向けて、その可愛らしい顔を突き出し、

その小さくも柔らかそうな唇を、しっとりと開いた。


 まるで、親鳥に餌をねだるひな鳥のような、その無防備な姿を見れば、彼女がなにを望んでいるかなんて、一目瞭然だが、だが、だがしかし、これは大丈夫なのか?


 もちろん、俺的には、なにも問題はない。問題がないどころか、大歓迎だ。こんなにも愛らしい竜姫さんが見れただけで、感謝の言葉しかない。


 問題は、ただ一つ。先ほどから俺のことを、身の毛もよだつような殺気と共に睨みつけている、朱天さんの存在だけなんだけど……。


 ……ええい! ままよ!


「ふ、ふーっ、ふーっ……、あ、あ~ん……」

「は、はみゅ……」


 俺は覚悟を決めて、自分の爪楊枝を使って、たこ焼きを一つ持ち上げて、熱くないように、きちんと冷ましてから、健気にこちらを待っている竜姫さんの、可愛らしいお口へと運んだのだが、彼女のそこは小さすぎて、俺の差し出したモノが入りきらないので、その可憐な唇を押し開いて強引に……。


 い、いや! くだらないことは考えるな! 無心だ! 無心になれ、俺!


「……こくん。ふふっ、統斗さまに食べさせていただけたから、ただでさえ素晴らしかったのに、それよりずっと、美味しくなりました……」


 うーん、竜姫さんは上品にたこ焼きを食べただけなのに、なんだかえっちだ、とか考えてしまうのは、俺の心が汚れているからだろう。


 もしくは、妙な緊張感のせいで、俺の脳ミソが現実逃避したがっているのかもしれないが、まあ、いいか。


「そうですか、それはよかった……」


 なんにせよ、俺はやり遂げたのだ。目的は無事達成し、被害はゼロだ。これを喜ばずに、なにを喜べというのか。


 とりあえず、一仕事終えて、一安心した俺は爪楊枝を……、竜姫さんに差し出した爪楊枝を使って、今度は自分の分のたこ焼きを摘まんで、口に入れようと……。


「――はっ!」


 その瞬間、殺気を超えた明確な殺意というやつが、俺の背筋を貫いた。


 ああ、これは駄目なのか……、基準が分からないよ……、朱天さん……。


「あ、ああっと! 水が、水がもうないから、貰ってきますね! 水を!」

「う、うん? わ、分かったよ、統斗くん?」

「はい、統斗さま。お気をつけて」


 このままでは、せっかく美味しいものを食べているというのに、胃に穴があいてしまいそうだっだので、俺は適当な理由をでっち上げ、椅子から立ち上がり、テーブルから離れることを決断する。呆気にとられた桃花と、よく分かっていない竜姫さんを残すことになるが、情けない俺を、どうか許して欲しい。


 ここは、一度体勢を整えないないと、無駄に物騒なことになりかねないのだ……!


 ちなみに、移動販売だけでなく、こうして近くで軽く食べられるようにもしているからか、お水をセフルサービスで貰えるのは、本当である。ナイスサービス。


「ガハハハッ! なんや見とったら、えらい大変やな、にいちゃん!

「は、ははははは……、情けない限りです、はい……」


 トボトボとやって来た俺を、たこ焼き屋の亭主が、豪快に出迎えてくれた。どうやら客の流れも落ち着いて、少し話をする余裕くらいはありそうだ。


「まっ、若いうちは、色々と元気なもんやからな! それで、誰が本命なんや?」

「ごふっ」


 いきなり痛すぎる核心をつかれて、こちらの余裕がなくなってしまい、思わず咳き込んでしまった。なんという距離の詰め方。これもお国柄というやつか。


「もう、そんな失礼な聞き方しちゃダメよ、あなた?」

「おっ! そやな! それもそうやな! デリバリーだか、デリカシーっちゅうんが足りんかったな! 許してや、兄ちゃん!」


 たこ焼き屋の店主は、隣にいるおしとやかな美女にたしなめられて、照れたように笑っているが、その様子にイヤミがないので、多少失礼な物言いをされても、許していいかなと思えてしまうのは、人柄もあるのだろう。


 見た目はまるで、大柄な熊というか、凶暴な野獣といった感じでも、内面から溢れている優しさが、その印象を柔らかくしている。


「そや! せっかくやから、自己紹介でもしよか! 一度会ったら友達で、二度目ましては大親友って言うしな!」

「は、はあ……?」


 なかなか強引というか、ぐいぐい来る感じだが、それがこの、ねじり鉢巻きがよく似合う、ゴツゴツとした大岩のような男性には、よく似合っていた。


 しかし、なんにせよ、これは話を聞く好機か。


「ワシの名前は、天芝あましば大黒だいこく! そしてこっちが、妻の摩妃まきや! よろしゅうな!」

「うふふ、よろしくね?」


 なるほど、やっぱり店の名前は、ご主人の名前からとっていたのか。


 そして、こちらも予想通り、この麗しの美人はやはり、この野獣のように荒々しいたこ焼き屋の主人……、大黒さんの奥さんだったわけだ。


 これは羨ましい……、なんて思ってしまうと、みんなから怒られてしまうな。


「自分は、十文字じゅうもんじ統斗っていいます。こちらこそ、どうぞよろしく」

「……十文字? おう、十文字な! 十文字、統斗か! ええ名前やな!」


 妙に十文字を繰り返しつつ、なにやら納得した様子の大黒さんは、その立派な髭を撫でつけながら、うんうんと頷いている。


 なるほど、なるほど、どうやら互いに、自己紹介はバッチリのようだ。


「それで、兄ちゃんはどうして、この街に来たんや? 観光旅行か?」

「ええ、まあ、そんなところです。週末を利用して」


 まさか、この街を支配しに来ましたと、正直に言うわけにもいかないので、俺は適当にお茶を濁してしまう。


 まあ、今回の出張を、あくまで観光旅行に見えるように、日程の段階から調整したのは事実なので、その意味では、思惑通りともいえる。


「なるほどなあ。そういや兄ちゃんは、東の方から来たんやろ? 言葉のアクセントで分かるで。なんや聞いた話だと、向こうは、えらい事故があったんやろ? そっちは大丈夫やったんか?」


 ここで大黒さんの口から出てきた、えらい事故とは、俺たちの街が、悪魔マモンによってズタズタに破壊された件のことだろう。


 悪の組織の存在を隠蔽することに長けている国家守護庁こっかしゅごちょうの手にかかれば、この程度の情報操作は、お手の物というわけだ。


 もちろん、それは表の話であって、裏に生きる者であれば、俺たちの……、この国でも最大規模だった悪の組織であるヴァイスインペリアルの本拠地が、壊滅的な被害を受けたことは、周知の事実であろうけど。


「ええ、こっちはそれほど、大きな被害はありませんでしたから」

「でも、大変ねえ……。私たちにも、なにかできればいいんだけど……」


 結果的に、嘘に嘘を重ねることになってしまったことに加え、悲しそうな顔をしている大黒さんの奥さん……、摩妃さんの姿を見てしまうと、心が痛む。


 ここはさらりと、話題を変えよう。


「……そういえば、お二人は、もうずっと、このお仕事をされてるんですか?」


 事実ではないことを言えば言うほど、色んな意味で未熟な俺では、まるで不協和音のように、どうしても不自然さが重なってしまう。


 下手な嘘をつくよりも、相手に自分のことを喋ってもらい、こちらはその聞き役に徹する方が、賢い選択のはずだ。


「せやで! まあ、ちょっと野暮用で、ワシらはしばらく、この街を離れとったんやけども、最近ようやく、戻って来れてな! ガハハッ! 毎日楽しいで!」


 どうやら、大黒さんも話に乗ってくれたようなので、ここは機会を逃さず、上手く話を引き出すことにしよう。


 しかし、大黒さんたちは、最近まで街を離れていたのか。


「おおっ、それはいいですね! 羨ましいなあ! 後学こうがくのためにも、ぜひともお話を聞いて、将来に生かしたいです!」

「ガッハッハッハッハッ! ええで、ええで! なんぼでも教えちゃる! 若人わこうどに道を示してやるのも、大人の役目ってもんや!」


 もう少し、ちゃんと話を聞きたかったので、見ていて気持ちのいい笑顔を浮かべている大黒さんが、楽しそうにしてくれているのは、ありがたい。


 俺は注意深く、耳を澄ませる。


「まずは、なんと言っても、みんなの笑顔やな! これさえあれば、どんなことでも頑張れる! それを守るためなら、もう、なんでもやったるで! って気持ちになれるってもんや! まっ、多少の障害にぶつかることはあるけども、そこでくじけてしもたら、全てがご破算やからな! 最後まで、すじを通して、やり倒すのが、ワシなりの意地の張り方っちゅうやっちゃ!」


 うむうむ、つまりこれが、大黒さんのに対するスタンスというわけだ。豪快に笑いながらも、その目の奥は真剣で、決してふざけてはいない。


 どうやら、大切なことを、聞けたようだ。


「まったく……、そんな甘いことばっかり言ってるロマンチストだから、周りの私たちが苦労するのよ?」

「ガハハハハ! まあ、そういうなや! みんなにはいつも、感謝しとるで!」


 苦言をていしているようで、摩妃さんの表情は優しく、柔らかい。それだけで、この二人の関係がどれだけ良好なのか、一目瞭然だった。


「まっ、このように! 夢中で頑張れば、ワシみたいな男でも、こんな美人の嫁さんゲットできるっちゅうわけやな!」

「あらあら、いやだわ、あなたったら」

「はははははっ、それじゃあ、俺も頑張らないといけませんね……、うん?」


 ちょっと照れたように、その丸太のような腕で、隣にいる奥さんの肩を抱いた大黒さんは、本当に幸せそうで、充実している。そんな彼に寄り添っている摩妃さんも、同じように、素晴らしい笑顔を浮かべていた。


 その様子はまさに、絵に描いたように幸せな夫婦というやつで、そんな仲睦なかむつまじい二人の様子を見ていると、こちらまで幸せになってしまいそうだったのだが、そんな暖かい空気に水を差すように、俺の携帯が、無粋な電子音と共に、待っていたメールの受信をお知らせしてしまう。


 ……どうやら、そろそろ時間らしい。


「おっ! なんや、兄ちゃん! また別の女子からお呼び出しかいな! ガハハハハハハハッ! 若い! 若いのう! まっ、何事も、お盛んなのは、ええことや!」


 楽しそうに笑っている大黒さんには悪いが、その予想は外れている。


 残念ながら、このメールはそれほど楽しい内容ではない。待ち人ではあるが、自分から積極的に、かつ個人的に会いたいかと言えば、ハッキリとノーだ。


 これはあくまでも、仕事の連絡にすぎない。


「いえいえ、実は知り合いが、こっちに来てまして、今回は、それを頼りにしてたりするんですけど……」


 さてさて、それでは……。


「どうやら、向こうの都合が、ようやくついたみたいです」


 情報収集の、続きといこう。


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