3-3


「うーん……、迷った」


 いや、迷ったという言い方は、正確ではないかもしれない。迷うというのは、目的地があって、そこへ向かうための道筋を見失うということだ。


 最初から、あてどもなく適当に、フラフラと辺りと散策しているだけの俺たちに、その表現は適切ではないだろう。


 ただ、この場所が……、明るい目抜き通りからは離れた、薄暗い雑居ビルが乱雑に立ち並ぶ、まだお昼前だというのに薄暗い、灰色の路地裏は、思わず迷い込んだと言いたくなってしまうほど、不穏な空気が渦巻いているだけで。




 早朝の大騒ぎを、起き抜けの頭で、宿泊していた旅館に迷惑をかけずに収められたのは、奇跡に近い出来事だったわけだが、ここでは多くを語るまい。どんなに崇高な物語であろうとも、詳細をあばいてしまえば、陳腐ちんぷになりかねないものだ。


 つまり、あんまり詳しい話をしてしまうと、十文字じゅうもんじ統斗すみとという男が持つ、悪の総統としての威厳であるとか、人間としての尊厳であるとか、なけなしの矜持きょうじのようなものなどが、木っ端みじんに砕け散り、地にちる可能性があるから、情けなくも口をつぐんでいるという事実には、どうか気が付かないでいただきたい。


 とにもかくにも、穏便に誤解を解き、美しい仲直りを果たした俺たちは、みんなで仲良く旅館の朝食を食べ終えた後、とりあえず、本格的に動く前に、これから自分たちが侵略しようとしている街の、せめて土地勘だけでも養おうと、周囲の地形を確認するために、敵情視察を開始していた。


 まあ、つまり、みんなで食後の散歩をしていた……、というわけなのだが。


「なんだか、あんまり治安のよろしくない地域に、来ちゃったみたいだな」


 確かに、あてもなく歩き回ってはいたけれど、それでもメインストリートからは、まだそれほど離れていないはずなのに、ここはもう、沢山の人であふれた、日の当たる大通りとは、ガラリと雰囲気が変わってしまっている。



 言い方は悪いのだけれども、ここはまるで、スラム街のような有様だ。



「あの、ごめんなさい。私たち、急いでるんで……」

「まーまー、ええやろ! 話くらい聞いてくれても!」


 なんて、俺が益体やくたいも無いことを考えていると、どうやらいきなり、トラブルが起きてしまったようだ。見るからに軟派な男に絡まれて、桃花ももかが困っている。


 これは、危険だ。早く助けないと。


「はいはい。悪いけど、ナンパなら、よそでやってくれ」

「……あーん? なんや兄ちゃん、邪魔せんとけや! 女の前やからって、あんまり格好つけとると、痛い目見ることなんぞ、オラッ!」


 明らかに連れである俺がいるというのに、女性陣に声をかける度胸は凄いが、常識があるとは言い難い。


 いやむしろ、この中で唯一の男である俺を恫喝どうかつし、打ち負かすことで、間接的に他のみんなを恐怖で支配し、自分の好きにしようとか考えているのかもしれない。


 まあ、そんな無駄な駆け引きは、心底どうでもいいのだけれど。


「いいから、さっさと、どこかに失せろ」

「なんや、ガキが! 新世界の狂犬と恐れられたワシと、やんのか、ボケが!」


 空気を読めないナンパ男が、少しでも自分を大きく見せたいのか、俺の首元を乱暴に掴もうとしてきたので、適当に避ける。


 いや本当に、自分がどれだけ危険な状況にいるのか、少しは理解して欲しい。


「……やるのか? 俺と? 本当に?」

「い、いた、いたたたた! や、やめ……! お、折れる、折れる!」


 俺は伸びきったナンパ男の腕を掴み、そのまま適当に力を込めて、握り締める。骨がきしむような音が、ギシギシと聞こえる気がするが、気のせいだろう。大怪我まではしないように、ちゃんと加減はしているし。


 ……まあ、こんなものか。


「ひ、ひええっ! ば、化物やー!」


 相手の両目が怯えで染まり、完全に心が折れたことを確認してから、俺はあっさりと手を放して、ナンパ男を逃がしてやる。やれやれ、これで一安心だ。


 しかし、脱兎のごとく逃げ出したナンパ男に、去り際にまで、なんだか失礼なことを言われたのは、誠に遺憾である。本当だったら、むしろ感謝して欲しいくらいだ。


 せっかく俺が、助けてあげたというのに。


「あ、ありがとう、統斗くん!」

「いや、これくらい、なんてことないよ」


 まるで窮地を救われたかのように、桃花は嬉しそうな笑顔で、俺にお礼を言ってくれたが、本来ならば、こんな手助けなんて必要ない。


 これまで正義の味方として、そして今は、悪の組織の一員として、数々の修羅場を見事に切り抜けてきた彼女たちからしてみれば、この程度は危機の内にすら入るはずもなく、俺なんかの介入がなくても、余裕で解決できただろう。


 もちろん、最終的には、武力による鎮圧まで含めて、という意味だが。


「わあ、なんだかよく分かりませんけど、格好良かったですよ、統斗さま」

「いけません、姫様。この男を下手に褒めても、調子に乗るだけです」


 このように、桃花たちは元より、最近まで悪の組織の頂点に立っていた竜姫たつきさんもこの調子だし、その補佐である朱天しゅてんさんも、こんなことで余裕を崩すはずもない。


 まあ、朱天さんが笑っているのは、あくまでも竜姫さんに害が及ばなかったからでしかなく、もしもあのナンパ男が、あるじに指一本でも触れようとしたものなら、躊躇ちゅうちょなくその無礼なやからを、無残むざんな肉塊に変えていたであろうことは、想像に難くない。


 本当に、俺が割り込まなかったら、どんな惨劇が起きていたことやら……。


「お見事です、統斗さん。あまりの男らしさに感動しました。抱きしめてください」

「あら、駄目よ、あおいちゃん。それは私の役目なんだから。……ああ、いきなり暴漢に襲われて、恐かったわ、統斗君……」


 なぜだか樹里じゅり先輩が、まるで窮地を救われた悲劇のヒロインのように、俺にしなだれかかってきたが、そんなに劇的な危機ってわけでもありませんでしたよね? 


 というか葵さんも、そんな樹里先輩に対抗しようと、無言で抱きつくのは、やめていただきたい。ああ、朱天さんがまた、俺のことを生ゴミでも見るような目で……。

 

「あ、あーあ! それにしても、ここの雰囲気って、ちょっとおかしくない?」

「ですよね! ひかりも火凜かりん先輩の意見に賛成です! なんだか気持ち悪ーい!」


 微妙に重苦しくなってしまった空気を察してくれたのか、火凜が声を上ずらせながらも、頑張って話題を変えてくれた。


 本当にありがたい……。後でちゃんと、お礼をしないとな。


 まあ、ひかりの方は能天気に、思ったことを口に出しているだけだろうから、別にいいか。昨日のたこ焼きの恨みもあるし。


 だけど、そうだな……。


「確かに、これはちょっと、不自然かもしれないな」


 あのナンパ男の一件は別にしても、この地域から感じる空気は、確かにおかしい。てっきり、この辺りの地方では、これが普通なのかと思ったが、流石に雰囲気が悪すぎるというか、俺の超感覚が、不穏な気配を察知している。


 ……そういえば、関西地方はつい最近まで、全面的にかなり荒れていたと、事前に報告を受けていたことを思い出す。


 昨日までの所感しょかんでは、すでにそういう大規模な抗争は収まった後かとも思っていたのだが、どうやらそれは表面だけで、火種はまだまだ、くすぶっているようだ。


「……うーん、どうするべきか」


 詳しい情報は、この後バディさんから受け取ることになっているのだが、それまで少し時間がある。このまま、なにもせずに遊んでいるというのも、悪の組織の人間としては、決まりが悪い気もするし……。



 ちょっとだけ、頑張ってみるのも、いいかもしれない。


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