3-2
ピピピピ……、ピピピピ……、ピピピピ……。
「う、う~ん……」
どこか遠くで、あるいは、思ったよりも近くで、まるで誰かを呼ぶ様に、アラームが鳴っている。鳴り響いている。鳴り続けている。
その甲高い音色が、一体誰のために鳴っているのか、脳ミソが八割以上寝ていると自覚している俺にだって分かる。分かりすぎるくらいに、理解している。
思考は深い深い眠りの海に沈んだままで、
短いとはいえ、旅の疲れでも出たのか、見知らぬ土地で気持ちが高ぶり、眠りでも浅かったのか、それとも慣れない布団のせいか、なんだか身体が重い。腕を伸ばしただけなのに、まるで、なにかに絡みつかれているような動き辛さだ……。
……まあ、いいか。
動き出したばかりの脳ミソは、空回りを続けるだけで、明確な答えなんて、はじき出してくれそうにない。身体は重くても、布団の中は暖かいし、柔らかいし、気持ちいいし、どちらかといえば、天国だし……。
とりあえず今は、そんなことよりも、優先すべきことがある。
「……もしもし?」
鼓膜を揺らす機械音の発信源を掴み取り、寝ぼけ眼で画面を操作して、その健気な呼び出しに応える。
そう、実はこのアラームは、ただの目覚ましではなく、モーニングコールだったというわけだ。これは出ないと、相手に悪い。申し訳ない、俺は悪の総統だけど、そういう悪さは、好きではない。
『おはようございます、
「おはようございます、
耳にあてた携帯から聞こえてくる声は、厳密には、本人のものではないらしいが、そんなことは関係ない。この向こうに、愛する相手がいるという事実こそが、なによりも大切なのだから。
そう、つい昨日、見知らぬ土地の駅前で巻き起こってしまった大騒ぎの結果、結局のところ結論としては、竜姫さんのために予約していた個室に俺一人が泊まり、他のみんなは全員で大部屋にという、非常に常識的かつ平和的な決着がついていた。
いや、俺だけが良い部屋に泊まるというのは、それはそれで申し訳ないというか、なんだか肩身が狭い思いだったのだが、騒動が白熱し、血で血を洗う惨劇へと発展するのを回避するためにも、この決断はベターであり、必要だったのだと、自分自身を納得させた。もしくは、問題の本質から目を
俺だって、命は惜しい。
とにもかくにも、最高ランクの客室を使うことになったわけだが、俺のことを警戒しているというか、毛嫌いしているというか、女の敵というか、キングオブ変質者のように思っている
そのため、俺が勝手に部屋を出れば、オートロックが作動して、自分の部屋に戻れなくなってしまうわけで、結局のところ、豪華な部屋で眠れたのはいいのだが、それ以外の行動は全て、まるで首輪を付けられたようなものだったために、非常に息苦しかったというのが、本当のところだ。
もしかしたら、この身体に感じる重さは、その辺りの心理的プレッシャーが関係しているのかもしれないが、まあ、それは別に、どうでもいいことか。
そんなことより、今は契さんによる、嬉しい嬉しいモーニングコールの方が、俺にとっては大切だった。
『お目覚めはいかがですか? 体調は大丈夫ですか? お疲れではありませんか?』
「うん、大丈夫だよ。昨日は、特になにもなかったから」
心配してくれる契さんを安心させようと、努めて明るく振る舞ってみたはいいが、実際のところ、この辺りの地域を侵略しにやって来たのに、特になにもなかったというのは、かなり情けない報告だったと、後から気が付く。
まあ、ホテルの部屋割りを決めるのに紛糾して、気が付けば日も暮れて、周囲の散策を行う時間もなくなりましたなんて、そのまま報告する方が情けないだろうから、これでいいのだ。沈黙は金なのだ。……いや、なにが言いたいのか、自分でもよく分からなくなってきた。
「それより、そっちの状況は? なにかあった?」
『いえ、こちらも平穏そのものでした』
ぼんやりとした寝起きの頭に、契さんの
『
……なんというか、一部に不適切な表現というか、不穏な空気を感じたような気もするが、そこに触れなければ、契さんの報告自体は、朗報であるといえる。
もちろん、まだまだ気は抜けないが、どうやら時間的な猶予は、まだ残されていると考えてもいいようだ。とはいえ、さらに状況を盤石にするためにも、俺たち出張組が頑張って、スムーズに作戦を成功させる必要があるのは、間違いない。
つまり、組織の未来は、これからの頑張りにかかってるというわけだ。
うん、頑張ろう。力の限り。
『警戒は強化していますが、まだ多少の余裕はありますので、街の復興と、地下本部跡地の掘り起こしは、どちらも順調に進行中です。特に、
「ははっ、そう言ってもらえたら、俺も嬉しいですよ」
元気を分けた、なんて言い方をされてしまうと、照れてしまうというか、恥ずかしくなってしまいそうな狂宴だったが、それが起爆剤になってくれたのなら、なによりというか、天国を通り越して、地獄を見そうになったことも、報われるだろう。
いや本当に、あれは死ぬかと思った……。
『ふふふっ、でも、もちろん一番嬉しくて、元気になれたのは、私なんですよ?』
「契さん……」
……まあ、こうして契さんの艶っぽい声を聞いてしまうと、敏感に反応してしまうというか、まったく懲りない俺も大概というか、文句を言える立場ではない。
なんて、そもそも文句を言うどころか、彼女たちには、感謝の言葉しか持たない俺だったりするのだけれども。
本当に、みんなのことを考えると、それだけで俺の心は温かく……。
『ところで、統斗様。今回の遠征には、あの無礼な鬼女も同行しておりますが、大丈夫でしょうか? もし少しでも迷惑をかけられているのであれば、遠慮などせずに、すぐにおっしゃってください。私が即座に駆け付けて、処分致しますので』
「あっ、はい、大丈夫です。全然大丈夫です。なにも問題ありません。完璧に絶好調で大丈夫ですから、本当に、本当に、どうか安心してください」
いかん、せっかく温かくなった心が、瞬間冷却されてしまう。
完全に本気すぎる声色の契さんをなだめようとしたのだが、寝ぼけた脳ミソでは、上手く言葉が出てこない。
気を引き締めろ。ここで対応を誤ると、こんな見知らぬ土地で、悪魔と鬼の大決戦が巻き起るかもしれない。このままでは、地元の皆様に、ご迷惑がかかってしまう。それは、ダメだ。地域に愛される悪の組織が、俺のモットーなのに。
うん、混乱していることは、自覚している。
『そうですか? お困りのことがあれば、遠慮なんてなさらないでくださいね?』
「もちろんですよ。俺は契さんのことを、心から頼りにしてるんですから……」
それでもなんとか、
その時だった。
「ふわ~……」
布団の中から、より正確に描写するならば、昨日の夜から、俺が使っている布団の中から、俺の胸元から、俺以外の誰かの声が、それも、可愛らしい女の子の声が、驚くべきことに、ハッキリと聞こえてきたのは。
「……あっ、おはようございます、統斗さま」
その瞬間、空気が……、そして確かに、時間までもが、凍り付いた。
冷え冷えと、寒々と、凍えるほどに、
まるで、脳髄を直接ハンマーで殴られたような衝撃が、俺を襲う。
流石に、これは、目が覚めた。
『……統斗様。今まさに、なにやら超至近距離で、若い女の声が、聞こえたような気がするのですが』
「はははははは、そんなわけないじゃないですか、契さん。まったく、ありえないですよ、契さん。おっと、随分と話し込んでしまいましたね、契さん。またいつでも、電話してくださいよ、契さん。それじゃ、また後で、じっくりと、たっぷりと、幾らでもお話しましょう! 契さん!」
どうする? どうする? どうする?
どうする! どうする! どうする!
どうもこうもない! なんとかしないと、どうにもならない!
『……あの、統斗様?』
「本当に本当に、心の底から、愛してますよ、契さん!」
こうなれば、後で全力フォローしかない!
残念なことに、言い訳をしようにも、誤魔化そうにも、この状況を一番理解できていないのは、俺自身だ。本当に意味が分からない。意味不明だ。意味深長だ。
だって、全然身に覚えがないんだもん!
「あのー……、統斗さま? どうかなさいましたか?」
「はい! 大丈夫ですよ、
竜姫さんだ。
竜姫さんがいる。
竜姫さんが、俺と同じ布団の中で、寝ておられる
いや、寝ているというのは、正しくない。彼女はもう起きている。不思議そうな顔で俺のことを見つめながら、しっかりと、こちらを抱きしめている。
なるほどなー。
竜姫さんが抱きついていたから、俺の身体は妙に重くて、暖かくて、柔らかくて、気持ち良かったわけかー。納得、納得……。
「じゃなくて! なにがどうして、こうなった!」
「あんっ!」
混乱を通り越し、錯乱の域に達してしまった俺だが、なけなしの理性を掻き集め、こちらに密着している竜姫さんを、優しく引き離してから、飛び退くように脱出し、その勢いで、掛け布団を跳ね飛ばす。
これにより、この不可思議な状況の全貌が、明らかになるはずだ……!
「よ、よかった……! 俺が無意識にやらかしたわけじゃない……!」
素早く寝床を確認したが、そういう淫らな痕跡は、一切確認できない。多少乱れてこそいるが、綺麗なものだ。少なくとも、ここで男女の営みが行われたような事実はないと、断言できる。
竜姫さんが寝間着にしたらしい浴衣が、艶めかしく着崩れているのが目に毒だが、それも逆にいえば、彼女が裸ではないということであり、安心材料の一つだ。
というか、無意識にやらかすってなんだ! いくら俺でも、そんな獣のような真似はしない……、はずだ! 多分!
しかし、そうなると、この珍妙な事態を引き起こした人物は、一人しかいない。
「た、竜姫さん! な、なんで、こんなことを……?」
「あの、統斗さまがお独りで、寂しくされてはいないかと思いまして……」
ううっ……、その優しさは嬉しいのですが、正直サプライズすぎて、こちらの心臓が持ちませんよ、竜姫さん……。
ど、どうしよう……。ここは、怒るまではいかなくても、多少は強く言って、今後はこういう行動を控えてもらうようにと、釘を刺した方がいいのだろうか……。
「えっと、本当は、寂しいのは、私の方だったのですけれど……」
くそっ! 可愛すぎる!
竜姫さん、そんなあられもない姿で、しおらしく布団に座りながら、愛らしい頬を赤く染めつつ、はにかんだ笑顔を浮かべるなんて、反則です。
これではもう、なにも言えません。
いや、こういう俺の日和見すぎる対応が、全ての元凶だというのは、自分でも嫌というほど分かってはいるのだけれども!
「ど、どうやって、この部屋に? オートロックは、どうしたんです?」
結局のところ、問題の本質と向き合うことを避けてしまった俺の口からは、その程度の疑問しか出てこなかった。まったく、自分が情けない。
「あの不思議な錠前の開け方でしたら、
ああ、花が
って、こういう風に、その場の空気に流されてばかりも、いられない。
「……ルームキーは?」
「統斗さまのお部屋の鍵でしたら、なぜか分かりませんが、ずっと朱天が持っていましたので、それを……」
それを……、つまりは勝手に持ち出したのだろう。朱天さんが自分から、俺のいる部屋の鍵なんて、自らの
龍脈の巫女と呼ばれる竜姫さんが、その気になれば、彼女の行動は自然に溶け込みすぎて、誰にも見咎めることなんて、できやしないのだ。例え朱天さんが相手でも、このくらいなら、造作もないことだろう。
つまり、これは……。
「……竜姫さん。ここに来ること、誰かに言いましたか?」
「いいえ? みなさまがお休みになってから、内緒で来ちゃいました」
うん、恥ずかしそうに目を伏せる竜姫さんは、やっぱり破滅的に可愛らしい。
なるほど、どうやら彼女は、俺が深い眠りに入ってしまってから、この部屋に来たようだ。竜姫さんの行為に、まったく悪意がないために、どうやら俺の超感覚でも、気が付くことができなかったようだ。
しかし、それは問題ではない。まったく、微塵も、問題ではない。
問題なのは、そんな無邪気に笑う竜姫さんから返ってきてしまった、俺の予想通りの答えだった。
本当に、予想通りで、想像通りで……、涙が出そうだ。
「そうですか……、それじゃあ、そろそろかな……」
「……?」
竜姫さんには、なんのことだか分からないようだが、覚悟を決めた俺の耳には、確かに聞こえる。聞こえるはずのない足音が、恐ろしすぎる、その
ほら、もうすぐ、もうすぐだ……。
いち、にの、さん……!
「姫様! ご無事ですか! おのれ変質者! 成敗してくれる!」
「竜姫さん! だから抜け駆けはなしって、昨日の夜に!」
おそらく、起床してから竜姫さんがいないことに気が付き、単純に、無くなっていた俺の部屋の鍵から推測でもしたのだろう。まずは朱天さんと桃花が、勢いよく飛び込んできた。
どうやら、フロントでマスターキーを借りるくらいの冷静さは残っていたようで、扉を蹴破ったりはしていないというのが、俺にとっては好材料か。
これならまだ、話し合いの
「統斗! ちょっとあんた、なにもしてないでしょうね!」
「いけません、統斗さん。まずは私に、手を出してからにしてください」
「ふふふふふふふ……、竜姫ちゃん……、協定破りは、御法度なのよ……?」
「このダメ男! あんたちょっとは、我慢ってものを覚えないさいよ!」
なんて、考えてる暇はない。先陣を切った二人に続いて、凄まじい勢いで
さあ、ここからが正念場……、命と尊厳を懸けた、早朝の大決戦だ。
俺は静かに立ち上がり、とっくに決めた覚悟を胸に、真摯な気持ちで、色んな感情を剥き出しにしてしまった、みんなに向き合う。
そして、できる限り誠実に見えるように気を付けながら、好青年を装って、まるで自分が正しいかのように、威風堂々と、声を上げる。
「みんな! 落ち着いて、俺の話を聞くんだ!」
「聞けるかー!」
ですよねー。
とりあえず、遠慮なく振り抜かれた朱天さんの拳を避けながら、俺は胸の奥底で、自問自答を繰り返す。
この騒ぎ、一体どうやって、収めよう?
さてさて、この宿に迷惑をかけるようなことだけは、避けないと……。
「わあ、なんだか大変ですけど、楽しいですね、統斗さま」
「ええ、本当にその通りですね、竜姫さん」
こうして、俺たちの未来を決める、運命の一日は、このように俺たちらしく、どうしようもなく普段通りに、あっさりと幕を開けたのだった。
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