3-1


「よーし、到着! ここからが俺たちの、新たなるスタートだ!」


 まるで、底が抜けたような青空の下で、空元気を絞り出した俺の号令が、からっ風に吹かれて、虚しくどこかへ飛んでいく。


 まだまだ日も高い時間なので、利用者も多い大きな駅の出口にて、俺の背中は、頼れる仲間たちからの冷たい視線で、チクチクと痛むのだった。



 西に向けて攻め込むと決めた俺たちは、とりあえず、ローズさんたちが調べてくれたルートを使って徒歩で移動し、安全に国家守護庁こっかしゅごちょうの目を盗みながら、奴らの監視があまり厳しくない町へと向かい、そこから用心深く普通の電車を乗り継ぎ、大きな駅から高速鉄道に搭乗して、無事に目的地までたどり着いていた。


 言ってしまえば、まだハイキングと小旅行を楽しんだくらいで、正義の味方や他の悪の組織と戦うような物騒な事態も起きていないのだが、俺の心は疲弊している。


 まあ、殆ど俺の自業自得というか、大事な作戦の前に、肉欲に溺れてしまった節操のなさが原因なので、文句は言えないのだが、それにしても、ここに到着するまでの道すがら、延々と厳しく追及されるのには、参ってしまった。


 挙句の果てには、この数日間でナニをしていたのか、全部自分の口で説明させられるという拷問を受けた上に、正直に話せば話すほど、みんなの機嫌は悪くなり、周囲の視線は冷たくなるというはずかしめを受けてしまったので、とても辛い。本当に辛い。


 しかし、まだ心は折れてない! 俺は強い子だ!


「そ、それにしても、活気のある街だなあ!」

「わあ、本当ですね! なんだかとっても賑やかで、楽しそうです!」


 ああっ、竜姫たつきさんは、優しいなぁ……。


 一応、婚約者という立場である俺の口から、あんなハラスメントな告白を聞かされた直後だというのに、こんなにもほがらかに、自分でも白々しいと恥ずかしくなるような俺の虚勢に付き合ってくれるなんて、なんて心が広いんだろうか。


「…………ふん!」


 そんな、俺に優しくしてくれる竜姫さんの隣で、こちらを……、というか、露骨に俺だけを睨みつけながら、朱天しゅてんさんは不機嫌な態度を隠そうともしない。


 まあ、そっちの方が分かりやすいというか、常識的な反応だと思う。本当に、自分で言うのもなんだけど。


「うう~、あの三人がいない今のうちに、なんとか統斗すみとくんとの距離を縮めないと、どんどん置いてかれちゃうよ……」

「でも、なんとかするって、どうするのよ、桃花ももか? もう、あんな話を聞かされた後だと、かなり過激なことしないと、追いつける気がしないわよ……」

火凜かりんの言う通りですね。ここはやはり、多少強引にでも、思い切った一手に出る必要があるのではないでしょうか。具体的には、夜這いとか」

「ふふふっ、そんなこと言いながら、あおいちゃんは、抜け駆けしたりなんて、しないわよね? もししたら、許せないわよ?」

「ひ、ひかりは別に、あ、あんな変態のことなんて、どうでもいいんだけど! あ、あの、仲間はずれはイヤです! 樹里じゅり先輩!」


 俺の後ろでは、悪の総統シュバルカイザーの親衛隊として、今回の作戦に同行しているエビルセイヴァーの面々が、なにやらヒソヒソと内緒話しているが、正直、色々な意味で後ろめたすぎて、聞き耳を立てる気になれず、なにを話し合ってるのか分からないが、ぶっちゃけ恐い。背筋がムズムズしてしまう。


 な、なんとか、空気を変えたいな……。


「う、うーん! やっぱり、初めて訪れた場所っていうのは、空気が違うね!」


 わざとらしく伸びをして、思い切り深呼吸してみたはいいが、ここは都会なので、俺の肺に入ってきたのは、排気ガス混じりのほこりっぽい空気だけだった。


 しかし、そんな味気ない結果でも、どこか特別な高揚感を感じているのは本当だ。胸の奥がソワソワするというか、浮足立つような期待を感じてしまう。


 仕事というか、大切な任務で来ているのだから、あまり浮かれすぎるのも問題だとは思うのだが、どうしても、踊る心を抑えきれない。


 この街には、前に一度、ワールドイーターの本拠地に乗り込んだときに立ち寄ったことはあるが、その時は深夜だったし、目的地へ一直線だった上に、急いで自分の街へ帰ってしまったので、じっくりと観光どころか、人のいる様子すら見なかった。


 だから、新鮮なのだ。目に映る全てが、不思議なエネルギーに溢れた、この街が。


 なるほど、これが旅情というやつだろう。見慣れない景色、聞き慣れない雑踏、嗅ぎ慣れない匂いに包まれると、どうしてもワクワクを感じずには……。


 って、うん? この匂い、なんだか、美味しそうで、いい匂いだな……。


「おっ、おお! おーい、みんな! こっちこっち!」


 必勝の一手……、というわけではないが、個人的には珍しいというか、空気を変えるには、うってつけの話題を見つけたので、俺は喜び勇んで、それに飛びつく。


「あっ、すいませーん! もうやってますか?」

「まいど! そりゃにいちゃん、もちのロンやで!」


 駅前で営業していた移動販売車……、いわゆるキッチンカーの中からは、こちらの食欲をそそる香りと共に、じゅうじゅうと美味しそうな音までしている。


 狭いながらも、充実した調理器具が揃った車内では、まるで巨大な山のように大柄な男性が、こちらを豪快な笑顔で出迎えながら、その大きな手を器用に操って、沢山の小さな穴が整然と並んだ熱々の鉄板に、液状のタネを流し込み、小さくカットされたタコを落とすと、鋭いピックで流れるように上手くまとめて、なんとも美味しそうに仕上げている。


 そう、たこ焼きだ。あれはまさに、たこ焼き以外の何物でもない。


 流石は、全国的に有名な名物というべきか、こんな場所にまで移動販売がやって来てるなんて、これも土地柄というやつだろうか。


 ワーゲンバスタイプの車体には、ド派手な色使いのイラストと共に、荒々しい毛筆のようなデザインで、大黒だいこくじるしのたこ焼きちゃんとペイントされていた。


「それじゃあ、十二個入りを……、二つで!」

「おおきに! すぐにできるから、ちょっと待っててや!」


 少し多いかとも思ったが、よく考えたら、俺たちは八人もいるのだから、夕食前のおやつと考えれば、これくらいが丁度いいだろう。


 こちらの注文を受けて、ねじり鉢巻きがよく似合っている店主らしき男性は、狭い車内で、その熊のような体格を器用に動かし、素早くたこ焼きを焼き上げると、彼の隣でニコニコと笑っている、しっとりとした雰囲気をまとった大人の女性に、最後の仕上げを任せた。


「はい、どうぞ。とっても熱いから、気を付けてね?」

「あ、ありがとうございます!」


 その優しい微笑みにドギマギしながらも、自分の財布で、ちゃんと会計を済ませた俺は、後ろに集まってるみんなの元へ、戦利品を持ち帰る。


「うんうん! それじゃ、腹ごしらえでもして、一息つこうか!」


 まあ、自分でも姑息な手だとは思うのだが、こういう時は暖かいものでも食べて、お腹を満たせば、ささくれ立った気持ちも、大方は落ち着くものだ。


 そんな俺の浅はかな算段は、もちろん気付かれているのかもしれないが、こうして実際に、作り立ての食べ物を前にしてしまえば、手を出さずにいられないのが人間というものである。


 ふっふっふっ……、丁度おやつ時だし、この誘惑には、逆らえまい!


「ねえ、朱天? これは一体、どのような食べ物なのですか?」

「姫様、ご安心下さい。ちゃんと毒見を致しますので……」

「わっ、このたこ焼き、美味しい!」


 なんて、くだらないことを考えてる間にも、皆さんはさっさと包装を開けて、多めにもらってきた爪楊枝を使い、パクパクとお食べになっている。


 いやしかし、さっそく桃花が感嘆の声を上げているが、その幸せそうな顔を見てしまうと、愚策をろうした俺自身が、その誘惑に勝てなく……。


 というか、別に我慢する必要もないので、さっそく食べよう。いただきまーす。


「おおっ! なるほど、こ、これは……!」


 外はカリカリ、中はトロトロ、確かに熱いが、こんがりと焼けた表面の香ばしさに加えて、しっかりとダシの効いた生地のおかげで、その熱さすら心地いい。


 大きすぎず、小さすぎず、丁度いい大きさにカットされた蛸も絶品だ。程よい噛み心地と共に、素晴らしいうま味を出していて、お口の中の幸せを、どこまでも広げてくれている。


 まさしく絶品というか、お手頃な値段なのに、感動すら覚えて……!


「――う、美味い! 美味すぎる!」

「ガハハハッ! そないに喜んでもらえたら、こっちも嬉しいわ!」


 思わず飛び出てしまった俺の素直な感想が聞こえたようで、この至高のたこ焼きを生み出した偉大なる職人は、その顔に蓄えた立派な黒ひげを撫でつけながら、豪快な笑みを見せていた。


「やっぱり、こういう商売してると、お客さんの笑顔が一番やな! モリモリ元気が湧いてきて、幸せな気分になれるで! よーし、まだまだこれからや!」

「ふふふっ、そうね。これからも、頑張らないとね」


 ほろばしる情熱を隠そうともせず、気持ちのいい笑顔を浮かべている大男の隣で、優美な笑みを浮かべている美女というのは、一見ちぐはぐなようで、実際はとても、絵になる光景だった。


 その自然な距離の近さから、二人の関係ははかれるが、それは考えるだけ野暮というものだろう。自分の身の丈もわきまえず、その微笑ましい空気が羨ましいなんて思ってしまったのは、みんなには黙っておこう。


 絶対に、色んな意味で、また大騒ぎになるだろうし……。


「――はい、もしもし? ……ええ、分かったわ」


 そんなどうでもいいことを、もしくは、どうしようもないことを、俺がぼんやりと考えていたら、たこ焼き屋の美女は、可愛らしいエプロンから携帯電話を取り出し、優しい微笑みを浮かべながら、短く言葉を交わしている。


「あなた、お客様が見つかったそうよ」

「おっ、そら嬉しいな! それじゃ、張り切って行こか!」


 役目を終えた携帯を、丁寧に元の場所に戻した美女の言葉を聞いて、まるで小山のような大男は楽しそうに笑いながら、その巨体からは想像もできない軽快な動きで、手早く辺りを片付けると、素早く運転席に乗り込む。


「ほな、兄ちゃん! 大黒印のたこ焼きちゃん! 縁があったら、御贔屓ごひいきしてや!」


 そして、こちらに向けて忘れずに、バッチリの笑顔で、しっかりと宣伝を行うと、美味しい匂いが染み込んだキッチンカーは、あっという間に走り去ってしまった。


 いやはや、まるで台風みたいな騒がしさだったけど、特に不快でもないのは、この土地特有のノリというやつだからだろうか? 


 まったく、新天地に乗り込んで早速、あんなにとんでもない人に出会えるなんて、本当に気の抜けない遠征になりそうだ。


 というか、たこ焼き追加で買っておけばよかったな……。購入分で、均等に分けた場合の俺の取り分は、僅かな隙を付かれて、もう全てひかりに食べられてしまったようだし、ああ、もう少しだけでも、食べたかった……。


 残念無念である。


「……まあ、仕方ない。それじゃ、そろそろ行きましょうか」


 俺は気持ちを切り替えて、みんなから使い終えた爪楊枝などを回収し、たこ焼きを食べ終えた後の舟皿と一緒にしておく。これは後で、しかるべき場所で片付けよう。


 この後の予定としては、先に情報収集のために、現地入りして色々と働いてくれていたバディさんと落ち合うのが、明日の午後からなので、今日はとりあえず、フリーということになっている。


 新しい街に着いたばかりで、まだ土地勘もないことだし、この辺りを散策したり、俺たちでそれとなく、情勢を探るなどしてもいいのだが、なにをするにせよ、みんなが持っている大量の荷物を置いて、一度落ち着いた方がいいだろう。


「宿の方は、朱天さんが、もう予約してくれたんですよね?」

「ああ、お前なんかに、言われるまでもなくな」


 今回の出張に参加したメンバーで最年長なのは、当然のことながら、大人の女性と呼んで間違いない、朱天さんだ。


 そのため、悪いとは思うのだが、いわゆる、大人じゃないと疑われてしまうような手続きは、彼女に任せることになっている。例えば、どこかの宿泊施設を利用しようにも、対外的には、ただの高校生くらいの子供でしかない俺たちだけでは、まったく冗談抜きで、警察に補導されてしまうことすら、十分にありえる。


 無駄な面倒事を避けるという意味でも、大人である朱天さんの存在は、非常にありがたいものだった。


「悪の組織と、国家守護庁の息がかかっていない施設のリストは、事前に受け取っていたからな。今回はその中でも、選りすぐりの宿だ」


 ヴァイスインペリアルの勢力が縮小してしまったこともあるが、元々この辺りは、俺たちと敵対していた悪の組織……、ワールドイーターの支配下にあったということもあり、色々と勝手が違う。あらゆる面で、細心の注意を払うべきだろう。


 どうやら、そういう意味でも、やはり朱天さんは、頼りになるようだ。


「もちろん、姫様には最高の個室を用意してあります。他の者たちは、大部屋を一つだけ取っているから、全員一緒に寝ることになるが、別に構わんだろう?」


 ……まあ、その頼りになる度合いが、竜姫さんと俺たちでは大きく違う気もするのだが、それほど目くじらを立てるようなことでもない。


 今回の出張資金は、組織の財布から出ているのだが、厳しい台所事情を考えれば、大部屋で節約というのは、悪くない選択だ。


 ただ、それとは別に、かなりデリケートな問題はあるのだが……。


「あのー、朱天さん?」

「なんだ? 特別に発言を許可してやろう」


 うわ、問答無用で嫌われているのを感じる。というか、一体彼女の中で、俺という存在がどれだけ底辺に置かれているのか、微妙に気になるところだった。


 まあ、いいか。今はそれよりも、聞くべきことがある。

 

「えーっと、あのですね、自分はその、どこに泊まればいいのかな、と」

「ああ、そのことか」


 そう、そのことだ。


 先ほどまでの朱天さんによる説明に、俺の名前は出てこなかった、このままでは、どうすればいいのか分からない。


 いや、自分も個室がいいなんて、贅沢を言うつもりはないけれど、みんなと一緒に大部屋でというのも、色々な意味で問題があるはずだ。


 もちろん、俺からなにかするつもりはないが、うら若き女子たちに混ざって男一人というのは肩身が狭い……、のは別にいいんだけど、なんというか、下手をすれば血生臭い騒動に発展する気配を、ビンビンと感じてしまう……。


 それはやはり、避けた方がいい状況、というやつだからだろう。多分。


「ほれ、受け取れ」

「……なんですか、これ?」


 そんな俺からの疑問に、朱天さんは面倒くさそうな表情を浮かべ、パリっとした黒スーツの内ポケットから、なにやら紙切れを取り出し、こちらに投げて寄こした。


 とりあえず、その空中をヒラヒラと舞う白い紙を掴み、中身を確認したのはいいのだが、そこに書かれていたのは、見覚えのない町名と、短い数字の羅列だった。


 なんだろう? もしかして、このリストの中から、自分で泊まる場所を探せとかだろうか? だけど、それにしては、ホテルの名前どころか、電話番号すら書かれてないから、選びようが……。


「この近くにある橋の住所だ。適当な場所を選んで、雨露でもしのいでろ」

「宿泊施設の場所ですらないのかよ!」


 ひ、ひどい……、というか、やばい……。

 朱天さんの目は、本気も本気だ。


「いやいやいや! 無理ですから! まだ寒いですし! 死んじゃいますから!」

「なんだ、情けない男め……、はっ! そうか……、そういうことか!」


 悲鳴にも似た、俺から飛び出た当然の意見を、朱天さんは悲しいほどに侮蔑ぶべつしたかと思えば、それどころか、その鋭い目を驚いたように見開き、怒りさえ感じる激しい口調で、こちらのことをなじり出す。


「貴様! やはり婦女子の身体を好きにするのが目的で、難癖をつけて、強引に同衾どうきんするつもりか! この変質者め! 恥を知れ!」

「難癖じゃねーよ! 正当な主張だよ! 基本的人権の尊重を訴えてるだけだよ!」


 ま、まずい……、どうも朱天さんの俺に対する評価は、もはや話が通じないレベルにまで、下落しているようだ。


 もうこうなると、そっちの言い分の方が難癖ですよ、朱天さん!


「別に一緒に寝たいわけじゃないから! ただ防犯上の理由もあるし、なにをするにしても一緒にいた方が便利だから、同じ宿に居たいだけだから! 同じ宿なら、一番安い部屋でいいんだよ!」

「黙れ! 貴様のような破廉恥の極みを、どうして信用できるか! どうせ空々しい嘘を並び立てて、淫蕩いんとうの限りを尽くす気だろうが! ああ、おぞましい!」


 お、おぞましいって……、彼女の目には、俺は一体、どんだけ卑猥な存在に見えているというのだろうか? いや、まあ、自覚がないといえば、嘘になるけど、それにしたって、酷い嫌われようで、少し悲しい……。


「……ねえ、朱天? どうして、統斗さまのお泊りになる場所がないの?」

「あっ、いえ、姫様……! こ、これは……!」


 なんだか、落ち込んでしまった俺を、さらに攻め立てようとしていた朱天さんを、真面目な顔をした竜姫さんが、静かな口調で制止した。


 おお! 流石にあるじからの詰問きつもんとなれば、流石に朱天さんも無視できないようで、見るからに狼狽している。


 これぞ光明……! 逆転の一手は、ここから……!  


「だって、統斗さまは、私と同じ部屋でしょう?」

「……えっ?」


 なんて、俺の甘い考えは、まるでそれが当然のことだと信じて疑わない竜姫さんの爆弾発言によって、文字通り、木っ端微塵に砕け散る。


「い、いけません、姫様! こんな野獣のような男と同室など!」

「そうだよ、竜姫ちゃん! それはダメだよ! 絶対にダメ!」


 俺を毛嫌いしている上に、主人のことは大切に思っている朱天さんは当然のこととして、これまで静観していた桃花まで、激しい口調で詰め寄ってきた。


 ああ……、どうやら竜姫さんの投げた爆弾が、俺が必死に、たこ焼きで収めようとした火薬庫に飛び込んで、誘爆してしまったようだ……。


「でも、私と統斗さまは、許嫁なわけですし……」

「い、許嫁とかは、今は関係ないと思うな! もっと自分を大切にしないと!」

「ナイスです、火凜。ここは竜姫さんを丸め込み、是が非でも、統斗さんを私たちの部屋に招き入れるべきでしょう。この好機、逃せません」


 不思議そうに首をかしげている竜姫さんの元に、慌てた様子の火凜と、真面目な顔してとんでもないことを言い出している葵さんまで集まってしまった。


 こうなると、もう止まらない。


「そうね……、じゃあ、こういうのはどうかしら? 竜姫さんは、桃花ちゃんたちと同じ部屋で、親睦を深めてもらって、空いた個室には統斗くんと、彼の将来の伴侶である私が泊まるの」

「じゅ、樹里先輩、抜け駆けは許さないって、さっき自分で言ってたのに……」


 するりと会話に入ってきた樹里先輩が浮かべる微笑みと、その瞳に、一片の邪気も含まれていないのが、むしろ恐ろしい。ひかりが怯えた表情を浮かべているが、俺もまったくの同意見だ。どうしようもないけど、どうしよう……。


 事態はすでに、俺の思惑を離れ、制御不能の領域に突入している。


「でも、朱天。やはり妻としての責務を……」

「なりません! 姫様はまだ、あんな下衆げすの伴侶では……!」

「そうだよ! 私も、そういうことするのは、まだ早いなって……」

「そうだ、そうだー! 桃花の言う通りだぞー!」

「火凜、それではただの三下ですよ」

「ふふふ……、統斗くんと結婚……、ふふふふふふふ……!」

「うえーん! 桃花せんぱ~い! ひかりを助けてくださ~い!」


 状況はまさに、滅茶苦茶で、しっちゃかめっちゃかで、大騒ぎで、無秩序で、制御不可能で、暴走していて、混沌としていて、大混乱だった。


 一番の当事者であるはずの、俺という存在を蚊帳の外にして。


「なんでやねーん……」


 見知らぬ土地の寒空に、情けない俺の呟きが、虚しく溶けて、消えていく。ああ、周囲から注がれる、好奇の眼差しが痛いなあ……。



 とにもかくにも、悪の組織ヴァイスインペリアルが、この国の覇権を握るための、大事な大事な第一歩は、なんだか、いつもと同じく非常に残念な感じで、がっかりと踏み出されたのであった……。


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